第25話 お人好し

『これ、エレンに渡しておいて。きっとすぐに良くなると思うんだ!』


 ミルドレットからそう言って手渡された薬瓶を手に持ちながら、ニールはどうしたものかとため息をつき、廊下を歩いていた。


 ミルドレットの背にあった鞭打ちの痕。その情報が王妃に伝わったのは、恐らく元王妃付の専属侍女であったエレンからだろうと思われた。なんらかの事情があってのことで、エレンが悪意を持って裏切ったわけではないだろうとは思ったものの、これ以上ミルドレットとは関わらせないようにした方が良いのではないだろうか、とニールは考えていた。


——そう、場合によっては……。

 腿に巻き付けたスローイングナイフの存在に意識を持って行き、ニールは静かに呼吸をした。

 ふと見ると、廊下をオロオロと所在無さげに歩く金髪の女性の姿が目に留まった。


 ルルネイア・ルージュ・リッケンハイアンド。共も付けず、たった一人で何をしているのだろうかと訝し気に見つめたニールに彼女も気づき、優雅に挨拶をしてきた。はちみつ色の髪がふわりと揺れ、色白の肌に華奢な指先でドレスのスカートを摘む様は、誰もが見惚れる程に美しい。


「ミルドレット姫のお付きの……」

「ニール・マクレイと申します」

「先ほどは失礼いたしました」

「いえ、謝罪に訪れて頂いたというのに、追い返すような無礼な真似を働いてしまいこちらこそ申し訳ございません」


 紳士らしく拳を背に、胸に手を当てお辞儀をするニールの様子を、ルルネイアは深緑色の瞳で見つめた。


 赤みがかった栗色の髪がサラリと零れ、常に温和な笑みを浮かべ、紳士的な態度に気品と優雅さが伴う所作。血気盛んで武骨な男が多い騎士の中で、ニールの佇まいは特殊だと言えるだろう。


「ところで、何かお困りでしょうか? 不安気になさっておいでのようでしたが」


 ニールの言葉にハッとして、ルルネイアはつい無作法に見つめてしまった事に顔を赤らめた。


「あの、マリエラ叔母様が数日前から姿が見えないのです。私のシャペロンとしてリッケンハイアンドから共にヒュリムトンに登城したのですが」


——ああ、あの女ならば葬った。


「さて、存じませんが」


 城下町のブティックからの帰り道、ならず者たちを手配してミルドレットを襲わせたあの女を生かしておくはずもない。

 ニールは「共の者が突然姿をくらませては不安でしょう」と、ニコニコと笑顔をルルネイアに向けながら言った。


「私で宜しければ部屋までお送り致しましょうか?」

「結構ですわ」


 ルルネイアは微笑みを浮かべた後、「恐ろしい方ですこと」とサラリと言った。


「その殺気。他の者は気づかずとも、私には分かります」

「さて、何のことやら」


——流石は剣の王国と名高いリッケンハイアンドの王女といったところか。

 ニールは笑みを浮かべたまま平然と小首を傾げてみせた。


 ルルネイアは「失礼するわ」と、足早に廊下を歩いた。震える足を押える術がない。ニールが醸し出す異様な殺気は、彼女が今まで味わった事のない恐怖を伴い、確実なる死を予感させた。

 ニールは笑みを浮かべたまま、ルルネイアが覚束ない足取りで、それでも気取られないように毅然として立ち去る様子を眺めた。


——わざと少しだけ殺気を洩らして牽制したわけだが、上手くいった様で何よりだ。彼女自身ミルドレットに危害を加える気が無かったのは本当の様だが、今後もそのような行動は控えることだろう。


「安いよ安いよー!」


 離れへと急ぎ向かおうとするニールに、沢山の人だかりでごったがえす広間の様子が目に留まった。

 その少し離れたところで難しい顔をしているヴィンセントがニールに気づき、愛嬌のある笑みを浮かべて手を上げた。


「何の騒ぎです?」

「紫焔の魔導士グォドレイ殿が魔法薬を売っているのだ」


——ああ、今朝方ミルドレットの部屋から風呂敷を担いで出て行っていたな。

 と、ニールは思い出しながら「大盛況の様ですね」と、その様子を見つめて言った。


「紫焔の魔導士グォドレイの名はユジェイにも伝わっている。まさかこのような所で氏の薬が手に入るとは思わなかったのでな。私もアレッサに役立ちそうな物や、ルルネイア姫を元気づけるような何か良い物が無いかと覗いてみたのだが、生憎私が求めるような品は無かった」


——どこまでお人好しなんだこの男は。


「そうですか。一体どのような品を揃えているのです?」


 長身のニールがひょいと覗くと、グォドレイの前に置かれたいくつかの瓶の前に『発毛促進』、『疲労回復』、『性欲増強』と書かれた札が下がっていた。


「一体何を売りさばいているんです!?」


 思わず上げたニールの声に、グォドレイが気づいて「よぉ」と手を振った。


「お前も何か買うか?」

「要りません。王城内で勝手に店を開くのは止めていただきたい」


 ズバリと言い切るニールに舌打ちをすると、グォドレイは「今日は店じまいだ」と集まっていた人だかりを払った。

 男性ばかり、皆手にグォドレイの魔法薬を持ち、ほくほくとした顔をしながら去って行く様子を見つめ、ニールは何とも言えない複雑な心境に陥った。


——王城の仕事はそれほどまでに辛いのか?


「ミリーの票集めに貢献してやってるってのに、邪魔するんじゃねぇよ」


 うんざりした様にそう言ったグォドレイの背後には『紫焔の魔導士グォドレイ監修ミルドレット印の魔法薬(はーと)』と書かれた垂れ幕が下がっている。


——なるほど、だから敢えて男性向け商品を陳列していたのか。

 とニールは納得した。


 王城に仕える者で権力が高い役職に就いているのは殆どが男性だ。投票権のポイントが低い女性を相手にするよりも、ポイントの高い男性に直接働きかけた方が手っ取り早いと考えたのだろう。


「ミルドレット様の票集めを貴方がされる理由が無いと思いますが」


グォドレイにとって、王太子妃候補選抜の票がミルドレットに集まる事は何の利益にもならないはずだとニールは指摘したのだ。

 グォドレイは鼻を鳴らすと、「どうだか」と言って肩を竦めた。


「弟子をバカにされて黙ってる師匠がどこに居るんだ?」


——お人好しか!?


 ふと見ると、一番隅に髑髏どくろマークが描かれた札を下げた、毒々しい色の瓶が置かれている。


「グォドレイ殿、その瓶は何の薬ですか?」


 ニールの問いかけにグォドレイは「あっ!」と、気まずそうな声を発したので、これは絶対に理由を問いただしてやろうとニールは心に決めた。

 恐らくミルドレットに関係があることだろうと思ったからだ。


「えーと、これはだなぁ、魔法薬の精製過程で出来上がる品なんだが……」

「店に並んでいたのだから、商品なのだろう? 役立ちそうならば私も買いたい」


ヴィンセントの申し出にグォドレイは「えー!?」と、繊細な顔立ちの眉尻を下げた。何やら好青年を二人で虐めている様な気分になるのが少し腹立たしい、とニールは思ったが、ヴィンセントの横で自分も購入したいと意思表示するように頷いて見せた。


「お前らには不要じゃねぇかなぁ……」

「ですから、それは一体どのような薬なのですか?」

「うーむ……」


グォドレイは観念したように項垂れると、長い睫毛をしぱしぱと揺らして二人を見上げた。


「性欲抑制剤だ」

「!!!!!!」

「言っておくが、めちゃくちゃ苦ぇし身体にも悪いぞ? 普通の人間なら寿命が一年縮むからな!?」


 確かに必要がない薬であることは間違いないが、何故そんな物をグォドレイはあたかも自分が使用したかのような口ぶりで話すのだろうかと疑問が沸いた。


「グォドレイ殿も使ったのですか?」

「おう。ミリーと風呂に入る時に毎回な……」


——お人好しか!?

 この男、実は底なしのお人好しなのでは……!?


「待て、今の話は何だ? ミリーと風呂に入っただと!?」


ヴィンセントが怒りを露わにいきり立ったので、ニールが慌ててグォドレイをフォローした。


「ヴィンセント様。それには誤解があります。ミルドレット様がグォドレイ殿の元で修行されていた時、入浴の際には洞窟に巣食っている毒蛇を恐れて、グォドレイ殿にせがんだようでして。つまり、グォドレイ殿はその為にわざわざご自分の寿命を削ってまでその薬を服用されていたという事です」


 入浴の度に毎回寿命を縮めるとは、魔導士がどれほど長寿なのかは分からないが、なかなかの苦しみであるに違いない。


「……なんと。ミリー、罪な女だ」

「全く以て」

「しかしミリーの裸体を見た事は確かではないか!」


 ヴィンセントの指摘に、グォドレイは苦笑いを浮かべた。


「毒薬飲んで意識朦朧としてんだ、裸は疎か何も見えねーよ。そんな中で蛇払いの術をかけ続けなきゃならねぇわけだしなぁ。半分あの世に逝ってらぁ」

「お人好しですか」


ニールの問いかけにグォドレイは苦笑いを浮かべた。


「お前、俺様を何だと思ってたんだ?」


——守銭奴しゅせんどで極悪非道の魔法使い。


「いえ、少々貴方の事を誤解していた様ですのでお詫びいたします。とはいえ、貴方に気を許すわけにはいきませんが」

「ま、別にいいけどな。乳くらいは揉んだし。あいつ、結構発育いいぜ?」


——やっぱりコロス!!


「とはいえ、朦朧として手を伸ばした先に乳があったってだけだけどな」


——やっぱり悩む……。


「ニール殿はなぜグォドレイ殿にそうも警戒しているのだ? 彼はミリーの師で、保護者のようなものではないのか?」


ヴィンセントの問いは尤もだ。グォドレイがミルドレットを妻にするのだと城に乗り込んで来た事を知らないのだから。


「グォドレイ殿は、ミルドレット様を娶る気でいるようですから」

「何!?」

「ヒュリムトン国王陛下とシハイル王太子殿下の御前で堂々とそう宣言されました」

「ああ。言ったな」


 グォドレイは煙管を取り出すと、魔術でポッと火を灯し、ぷかぷかとふかした。そして自分に突然敵意を向けだしたヴィンセントを見つめ、フンと鼻を鳴らした。


「なんだ、お前までミリーを気に入ってんのか? あいつ、結構モテやがるなぁ」


 グォドレイに指摘され、ヴィンセントはカッと顔を赤らめた。


「仕方が無いだろう。ミリーはそれほどに魅力的なのだからな!」

「その肌の色。お前、ユジェイの人間か?」

「……いかにも。私はユジェイ王国第三王子、ヴィンセント・ハメス・ユジェイ。紫焔の魔導士グォドレイ殿といえど、無礼は赦さぬぞ」


グォドレイは品定めでもするかのようにヴィンセントを見つめた。ヴィンセントは少々気まずそうに身を退き、顔を背けた。


「ふーん。ま、どうでもいいや」


 あっさりとそう言うと、グォドレイは煙管をふかしながらへらへらと笑った。ニールは心の中で、『眼中にないと思っているその男こそがミルドレットの想い人なのですよ』と考えながら、ニコニコと笑みを浮かべた。

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