第24話 ルルネイアの謝罪

「時間が惜しいのでそろそろちゃんと勉強を始めましょう。たとえ王太子妃となる道を選ばずとも、ミルドレット様には決定的に『気品』が欠けておいでですから。言葉遣いも相変わらずで、上達の兆しが見えません」


さらりと言い放ったニールを、ミルドレットはムッとしながら見つめた。


「偉い人の前ではちゃんと気を付けてるけど……」

「誰の前でもお気をつけください。王族とは常に他人の目に晒されながら生きるものです。粗探しを受けるのは当然と思って行動してください」


 ミルドレットはぷくっと頬を膨らませると、「ニールの前ならいいじゃないか!」と言った。


「あたしがお淑やかな言葉遣いしたら、あんた誰? って言うくせにっ!」

「いいえ。言いませんから、どうぞお気遣いなく」


サックリと切り捨てられて、ミルドレットは観念した様にため息を吐いた。


「わかった。真面目に勉強しますっ!」


 ミルドレットが本を手に持った時、部屋の扉がノックされた。誰だろう? と、不思議に思って返事をすると、浅黒い肌にすっと通った鼻筋の美男子が、申し訳なさそうに顔を出した。


「邪魔をしてすまぬ」


と、言ったヴィンセントの言葉に、『全くだ』と心の中で返して、ニールはニコニコとほほ笑みながら「如何いたしましたか?」と穏やかな声で問いかけた。


——グォドレイの件で忘れていたが、ミルドレットの想い人はこの男じゃないか。


「ミリー、少し落ち着いた様で良かった。本当に心配したのだ」

「心配かけちゃってごめんね、ヴィンス」

「いや、護ってやれずにすまなかった」

「ヴィンスのせいじゃないよ、気にしないで!」


 知らない者が聞くと、『カップルの仲直りか』と誤解する会話をニールの前で繰り広げた後、ヴィンセントは「この者がどうしてもそなたに謝りたいそうだ」と言って、扉の影から促した。


 姿を現したのは、はちみつの様な金髪に新緑色の瞳をしたルルネイアだった。


 ニールは静かに、誰にも悟られずに殺気立った。それは暗殺者としての彼の優れた能力だった。穏やかで何事もない空気の中で、突然人の命を奪う事を簡単にやってのけるのは、彼の特殊能力であるといっても過言ではない。


「お帰り下さい」


 ルルネイアが言葉を発する前にニールが穏やかな声で言った。ヴィンセントが驚いてニールを見た後、ミルドレットへと視線を向けた。

 ミルドレットはサファイアの様な瞳を大きく見開いて唇を噛み、強張った表情でスカートを握りしめていた。まるで今にも泣きだしそうな彼女の様子を見て、ヴィンセントはルルネイアに出直した方がいいと伝えようとした。


「ごめんね、ルルネイア。折角のお茶会を台無しにしちゃって」


 驚くほどに澄んだ声で、ミルドレットがはっきりとそう言った。


「あたし、初めてパーティーの招待状を貰って舞い上がっちゃって。自分の立場をもっと自覚して、自重するべきだったのに、本当にごめんなさい」


——あたしは『罪人』だから、華やかなパーティーに出席するべきじゃなかったんだ。親に愛されないということは、それだけで『罪』なんだから……。


 ミルドレットがルルネイアを責めるどころか自分を責める発言をした瞬間、ニールは口の中でキリキリと歯を噛みしめる音を発した。


「ミリー、立場などと……皆等しく王太子妃候補ではないか」


戸惑うヴィンセントに、ミルドレットは首を左右に振った。


「同じなんかじゃない。あたしは落ちこぼれだもの。自覚してたのに舞い上がっちゃったあたしが全部悪いんだ」

「ミリー……」

「一体どういうつもりですか、ヴィンセント様。ミルドレット様が傷つくと承知で、まだ落ち着いても居ない今、何故このようなことをなさるのです?」


ニールがヴィンセントを責めた。ミルドレットの傷に塩を塗る真似をしてしまった事に気づき、ヴィンセントは俯いた。


「すまなかった。ルルネイア姫は、ミリーをあのように陥れようというつもりは無かったのだ。それだけ伝えたかった」


そう言ってすまなそうに唇を噛んだヴィンセントの前へとルルネイアは進み出ると、ミルドレットを真っ直ぐと見下ろした。

 王女らしい威厳を見せつけた後、彼女は新緑色の瞳から一筋だけ涙を零した。


「……私は、リッケンハイアンドの第三王女ですから、謝る術を知りません」

「ルルネイア、あたしは怒ってなんかないよ。謝るのはあたしの方だもの」


 そう言ったミルドレットの前で、ルルネイアは跪いた。王族が跪く事は勿論、リッケンハイアンドは剣の国と謡われる程に、騎士と王族の地位や盟約に厳しい国だ。忠誠の誓いを破るくらいならば死を受け入れると言う程の、揺るぎない騎士道を重んじるその国の王女が、ミルドレットの前で跪いたのだ。


「私は、先ほどもお伝えした通り、謝る術を知りません。ですから見様見真似で申し訳ないのですが、心からミルドレット姫に敬意を表して謝罪します」


 ニールは苛立った。押し付けの謝罪など何の意味があるというのか。その状態でミルドレットが許さないと言うはずがないのだから。


「お帰りください、ルルネイア様。貴方がしていることは、謝罪ではありません」


 冷たく言い放つニールの横でミルドレットが「ニール、やめて!」と叫んだ後、まるで倒れこむ様に床に膝をつき、ルルネイアの前でひれ伏さんばかりに頭を下げた。


「ルルネイア。あたしにそんな価値なんか無いの!! そもそも友達になれたらなんて考えた事自体が浅はかな考えだったんだ。ルルネイアやアレッサは王女様で、正当な王太子妃候補だけれど、あたしはただのお姉様の身代わりに過ぎないのに」


 ミルドレットは床に頭をこすり付けた。


 愛されて当然なはずの親から見捨てられ、憎まれるということは、ミルドレットにとって自分の存在を否定するには十分過ぎる理由だった。ましてや憎しみを刻み付けたかのような彼女の背に残る鞭打ちの痕を晒されて、『罪人』と言われたのだ。


「王妃様の言う通り、あたしは罪人なんだ。親から愛されない程の罪を犯したんだから」

「……ミリー、そなたのその背の傷はもしや……!!」


驚愕の表情を浮かべたヴィンセントを見ずに、ミルドレットは頷いた。


「これは、あたしの……」

「お止めください!!」


 ニールが声を荒げ、ミルドレットの前へと庇う様に進み出た。


「何もお伝えする事はございません!! お引き取り下さい!!」


 ミルドレットは、初めて見るニールの怒りを露わにする姿を驚いて見つめた。


——ああ、ニールも。あたしの背の傷が醜く、罪人の傷だから恥だと思ってるんだ。だから隠したいんだ……。


 ……王太子妃候補として相応しくないから。


 哀しみを露わに、身体を小刻みに震わせているミルドレットを背に感じながら、ニールは静かに「私はミルドレット様の騎士です。手荒な真似をしたくはありません」と言った。ヴィンセントはルルネイアに声を掛けて立ち上がらせると、紳士らしく彼女を労わるように促して部屋から出した。


 扉の前でヴィンセントは一人だけピタリと足を止めると、ミルドレットを振り返った。


「ミリー、そなたは無価値などではない。私はそなたを心から敬愛しているのだからな」


 顔を上げずに俯いたままのミルドレットに、ヴィンセントは更に続けた。


「落ち着いたら、気分転換に城下町にでも出かけよう。いや、どこでも構わぬ。そなたの望むところに行こう」


 ヴィンセントは返事を期待せずにそう言った。今このような状況で、返事などできないだろうと思ったからだ。

 ニールもミルドレットはとてもではないが答えられる状況ではないだろうと思っていると、彼女は「行く!!」と、やたらと元気な声を発したので、ヴィンセントは思わず転びそうになった。


「魔法薬の材料が無くなっちゃったんだ。すぐにでも行きたいっ!」

「……ミリー、そなた落ち込んでいたのではないのか?」

「え? 落ち込むって? ああ、ニールの態度には傷ついたけど」


ニールはポカンとして、ミルドレットの言った言葉を反芻した後、ハッとして声を発した。


「え!? 私ですか!?」

「うん」

「どの辺がです!?」

「折角ルルネイアと仲直りする機会だったのに、台無しにしといてそういう言い草は酷くない!?」


——仲直りする気だったのか!?


「ルルネイアをあんな風に追い返す様な真似をするなんて。いくらあたしの事なんか恥としか思ってないとはいえ、酷すぎない? 折角ここに来てくれたんだ、少し位話をさせてくれたっていいじゃないか! あたしはルルネイアの部屋に遊びに行っても兵士が取り次いでなんかくれないのにさっ!」


 頬を膨らませて怒るミルドレットに、ニールは何と答えるべきか脳内が真っ白になった。


——仲直りの仕方を間違えている!? あれではルルネイアに絶対服従をするような勢いだった。土下座は仲直りの手段ではないはずだが……。


「ニールはあたしに友達ができることを嫌ってるの? 自分ばっかり婚約者だなんだって居てずるいよ!」

「なんだと!? 貴様、婚約者が居るというのか!?」


——共にミルドレットを想う同志だと思っていたというのに!

 と、ヴィンセントは勝手に裏切られた気分になり、ギリギリと歯を食いしばった。


 ニールは何故自分が突然悪者になっているのか全く理解できず、いきり立つ二人をニコニコと笑顔を向けて眺めて、やはり全くわからないなと考えた。

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