第2話 誘拐犯の飴玉は甘い

ゴチッ!!


「ったぁ——!!」


 悲鳴を上げて飛び起きたミルドレットの瞳に、ニコニコと笑顔を貼り付けたニールの顔が映り込んだ。


「おや、目が覚めましたか」

「え!? ええっ!?」


 ——ってどういうこと!?

 と、ミルドレットは呆然とした後、状況把握をしようと痛む頭を擦りながら辺りを見回した。


 ガタゴトと揺れるそこは、どうやら馬車の中の様だ。青いビロードの座席の上から激しい揺れでずり落ちたせいで、頭を強打したらしい。


 ——おかしい。確か睡眠の魔術を掛けたはずなのに。どうして私が眠っちゃったわけ!?

 と、考えたミルドレットの目に、ニールの姿はニコニコと微笑みを浮かべたまま嫌に神々しく光を放って見えた。


「……あれ? 気のせいかな。ひょっとして」

「ええ。私に魔術は効きません。念のため反射の術が施されているタリスマンを身に着けておりますから」

「反射……」

「はい」


 つまり、ニールに掛けた睡眠の魔術が反射して、ミルドレットは爆睡していたというわけだ。


「最悪……」

「私の任務は危険が伴う事が多いですから」

「あっそ、あたしは危険ってことね」

「はい。おや、自覚がおありだったのですね」


 ——こいつムカツク!! あたしの淡い恋心を返せっ!


「それで? 何処に向かってるの? 王城?」

「ええ。手っ取り早く、このまま隣国ヒュリムトンの王城に向かっています」


 ニールの返答にミルドレットは一瞬絶句した。勿論、ニールはニコニコと笑顔を崩さない。


「ちょっと待って、そんな……」

「時間がかかればかかるほど、ミルドレット様に逃げられるリスクが高まりますから」


ミルドレットの言葉にやや被せぎみにニールは答えると、馬車の外へと視線を向けた。


「問題ございません。後続の荷馬車に一通りの荷物は積んでありますから」


 ミルドレットもニールの視線を追って外を見つめた。丁度曲がりくねった坂道をゆっくりと昇っている最中で、下の方にいくつもの荷馬車がついて来る様子が見えた。随分と立派な行列である。


「これ、全部あたしの荷物?」


 ミルドレットは洒落っ気がまるでない。洞窟の小屋には着替えも二着程しか無かったはずだし、家財道具や魔法薬も全て師匠である魔導士の物である為、ミルドレットの荷物という物は無いと言って等しかった。


「まさかお師匠様の荷物を持ち出したんじゃ!?」

「いいえ。国王陛下がミルドレット様の為にと用意されたものです」

「え? お父様が?」


 幼少期に修道院に放り込まれ脱走してからというもの、父王に会っていない為、ミルドレットには父の顔を思い出そうとしても難しかった。それに、厳格である父との思い出は、ミルドレットにとって良い思い出であるとは言い難い。

 それでも娘の輿入れと聞いてこうして準備してくれるとは、少々複雑ながらも嬉しい気持ちが沸き起こり、ミルドレットは僅かに口元を綻ばせた。

 その様子を見て、ニールはさらりと言葉を放った


「手切れ金というところでしょうか」

「!!!!!!」


 ——返せ!! 私の喜んだ気持ちっ!!


「って、あれ? ニールも一緒にヒュリムトンに行くの? お父様のお気に入りの騎士なんじゃないの?」


 ミルドレットの質問にニールはすぐに答えずに、一瞬言葉を止めた。何やらまずい事でも言っただろうかと、その空いた間にミルドレットが戸惑っていると、ニールは笑顔を崩さないまま僅かにため息を洩らした。


「護衛の一つも無いのでは先方に失礼に当たりますから、私もお供いたします」

「なんかやらかしたの? 追放でもされたとか?」

「いいえ」


 きっぱりと答えたニールに、胡散臭い眼差しを向けた後、ミルドレットはため息を吐きながら椅子の背もたれに寄りかかった。


 なんにせよ、王太子妃候補としてヒュリムトンに行く事は免れそうもない。それはともかく、問題は王太子妃に選ばれる見込みがあるかどうかだ。


 ミルドレットの見た目はというと、艶やかな銀髪に気の強そうな大きなサファイアの様な瞳。洞窟の小屋からほとんど出る事がないまま過ごした白い肌には傷一つ無く、美しいという意見に異論はないだろう。

 しかし、当の本人は全く以て洒落っ気が無く、魔法薬等を求めて来る客相手にもローブを目深に被って顔も見せない程に、自分の容姿に対しての自信は皆無だった。


「アリテミラ姉様とあたしじゃ比べ物にならないのに」

「はい」


 きっぱりと言い放ったニールに苛立ちを覚えて睨みつけると、ニールはニコニコしながら頷いた。


「ミルドレット様は気品が全く足りません」

「あっそ。淑女とは程遠いのは自覚してますよーだ」


 他にどんな悪口が来るかと構えたものの、ニールはそれ以上の事は言わずに口を閉ざしたので、ミルドレットは暫くの間ニールの攻撃が来るのを無駄に待つ羽目になった。


 馬車の中は馬の蹄の音と車輪が動く音、車体が軋む音が響いている。


「ねぇ、ヒュリムトンの王子ってどんな人?」


痺れを切らして放ったミルドレットの質問に、ニールは「会えば分かります」と答えてニコニコと微笑んだ。

 ——その笑顔の仮面、ぶち割ってやりたい……。


「少し位教えてくれたっていいじゃない!」

「わずかばかりの知識が何になりましょう?」

「心構えとか! あたし、名前も年齢も何も知らない人のところにお嫁に行くんだよ!? 一体どんな顔をしてるの? せめて不細工か美形かだけでも教えてよ」

「……ふむ」


 長い指を組んだ手を膝の上に置き、ニールはほんの少しだけ身を乗り出してミルドレットを見つめた。馬車の窓から射し込む光が前髪を照らし、赤みがかった栗色の髪を夕日の様に煌めかせた。


「王子の名はシハイル・ベルンリッヒ・ヒュリムトン。確か今年二十二歳になられるはず」

「へ? そんな歳になるまで婚約者が居ないだなんて」

「ヒュリムトン国王がアリテミラ様を王太子妃にとかねてから希望しておりましたので、此度の件で突然婚約者を失った状態とでもいいましょうか」


 自分の息子の婚約者を勝手に決めつけるだなんて、本当に我儘な王様だなぁ。と、ミルドレットはうんざりしてため息をついた。


「フーン……で、顔は?」

「私も存じません」

「はぁ!?」

「一介の騎士風情が、大国の王子の顔を知るはずがありませんでしょう」

「ちょっと待って、すっごいキモ男だったらどうするの!?」

「例えどのような容姿であろうと、結婚して頂く事に変わりありません」


 ——こいつを護衛につけたのも、お父様の意地悪に違いない。

 と、ミルドレットはゴクリと息を呑んだ。つまりは、護衛などとは名ばかりで、ニールはミルドレットの監視役として同行しているのだろう。


「……分かった。じゃあすっごい不細工だと思って期待しないでおく」

「そもそもヒュリムトンの王族は婚姻まで仮面をつけて生活しますから、一般にはその素顔を公開しておりません」


——仮面をつけて生活!?

と、ミルドレットはポカンとしてニールを見つめた。


「は? 何ソレ。どうしてそんなことを?」

「そういう慣習なのですよ」

「顔にそんなものつけての生活なんて、不便なんじゃないの? それにこっそり誰かと入れ替わってても気づかないじゃない」

「そういう意図もあるのでしょう。成婚式で王子は初めてその素顔を一般に公開する事となります」

「……仮面被った、もしかしたら超絶不細工かもしれない男の嫁になるために、候補者達で争うだなんて。バカみたい」


自分の夫が開けてビックリ玉手箱状態だなどと、笑えない冗談だ。

 頬をヒクつかせるミルドレットに、ニールは不思議そうに小首を傾げた。


「顔がそれほど重要ですか? 大国の王子。それもゆくゆくは国王となる方の妻になれるというのに」

「そりゃあ、イケメンに越したことはないでしょ? それに、そう言うなら王子だって、自分の嫁候補の顔をみんな仮面で隠して選べばいいじゃない。少なくともあたしは王太子妃になんかなりたくないんだから、ステータスなんてどうだっていいよ」

「……前回お伝えした通り、王太子妃を決めるのは王子ではありませんから」

「それが狡いと思わない? 自分で選びもしないだなんてさ。なんだかんだ言って、大国だからって上から目線過ぎやしないかな。女を何だと思ってるんだか」


頬を膨らませるミルドレットに、ニールは困った様に眉を片方下げた。


「そう思うのは、ステータスを意識しないミルドレット様だけかと思いますが。貴族以上に生まれたからには、相手の男はステータスでしか価値が無いのですから」

「あたしが変わり者だってのは、ニールもお父様も承知でしょ! そもそもあたしの人生に結婚なんて言葉が上がる事自体予想外なんだからさぁ!」


 ミルドレットは座席の上に両足を乗せ、ひざを抱えて座った。


 ——あたしは王族や貴族の女性達の様に、男性に頼らなければ生きて行けないなんて人生はまっぴらご免だ。お師匠様に拾われたのは偶然とは言え、魔術を身に着ける為にそれ相応の苦労も努力もした。

 それだというのに、その努力を全て棒に振らざるを得ない状況になっていることが、腹立たしくてならない。


「お行儀が悪いですよ」

「今くらい赦してよ。ニール以外見て無いから別にいいじゃない」

「ですが、ちゃんと座っていないと揺れた時にまた転がってしまいます」


 ——そういえば、椅子から落ちた時、ニールはあたしを支えてもくれなかったし起こそうと手を貸してもくれなかった。それに護衛のくせに一緒に馬車に乗っているというのもおかしな話だ。


「ニールって、あたしの護衛なの?」

、そうですね」

「何、そのって……」


 つまり、自分の役割は護衛だけじゃないということか。

 ……確定だ。ニールはお目付け役なんだっ! ということは、もしも王太子妃になれなかったら、ニールもお父様になんらかの処罰を受ける可能性が高い。そうなったら、あたしがお父様に処刑される前にこの男に殺されてしまうかもしれない。

 任務が失敗するくらいなら、不慮の事故であたしが死んだ方がニールにとっては好都合なのだから……。


「あんたなんか大嫌い!」

「……急に何です?」


 プイ! と、そっぽを向いて、ミルドレットは頬を膨らませた。

 もう、ヒュリムトンに着くまで口なんか利いてやるもんかっ!


 ニールはやれやれと肩をすくめた後、ふいに腰につけた皮製のポーチから巾着袋を取り出して、ミルドレットへと差し出した。


「これで機嫌を直してください」


 ミルドレットは巾着袋を無言で見つめた。金で機嫌を取る気かと眉を寄せ、ニールを睨みつける。


「飴玉ですよ。ご幼少の頃お好きだったでしょう? それとも今はもうお嫌いに?」


 反射的に手を伸ばし、受け取ろうとしたつもりが奪い取る形でミルドレットの手に収まった。

 巾着袋を開くと、宝石の様な飴玉が輝いて見える。一つ手に取って口に放り込むと、甘さが口いっぱいに広がった。


「今だって好きだよ……」


 カラコロとミルドレットの口の中で飴が音を発した。ニールは相変わらずニコニコと微笑んだまま、「そうでしょう」と、満足気に言って外へと視線を向けた。


 子供の時、ミルドレットは泣き虫だった。しょっちゅう泣いてばかりいるので、周囲の者達にとって厄介だったに違いない。

 ニールはミルドレットが泣くと飴玉を差し出して機嫌を取った。そうするとミルドレットがすぐに泣き止むので、次第に周囲からは飴玉欲しさにわざと泣いているのではと言われた。


 ——違う。泣きたいわけないじゃない。

 それでも出てきてしまう涙を止める術を、子供は知らない。それがどんなに悔しいか、どんなに惨めかだなんて周りの人は分かってくれはしないのだ。


 飴玉を差し出すニールには、ミルドレットのその悔しさが分かっている様な気がした。だから安心して泣き止む事ができたのだ。

 唯一の味方だと思えたから……。


 けれど、今はもう味方ではない。己の任務遂行の為、虎視眈々と見張る獣と化したこの男から渡された飴も、甘いというのに。

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