第3話 風呂なんかおとといきやがれ
魔導士の洞窟から馬車でゆっくり休み休み七日間。道中小さな村落の宿に寄りながら、毎回の如く脱走劇を繰り広げ、その度にニールにすんなりと捕獲され、ミルドレット誘拐犯一行は、やっとのことでヒュリムトンの王都へとたどり着いた。
「長かった……」
と、全員の心の声を代弁するかの如く御者が呟いた言葉を聞きながら、ミルドレットは縛られた手足を馬車の中で見つめた後、不服そうに目の前に座るニールを睨みつけた。
「睨むのは止めてください。顔に穴が空きそうです」
「だったら逃がしてよ!」
「ダメです。王命ですから諦めてくださいと、何度も申し上げたはずです」
「逃げて崖から落っこちて死んだとか適当に言えばいいじゃない!」
「ヒュリムトンの王城にミルドレット様を無事お届けするのも私の任務ですから」
ニールは剣の柄で馬車の天井をコツコツと叩いた。小窓が開き、馬を操る御者が顔を覗かせると、「このまま王城の裏手の通用門から入ってください」と指示を出した。
「その恰好で正門を通す訳にはいきませんから」
ニールはニコニコと微笑みながらそう言った。
暴れまくってミルドレットの銀髪はくちゃくちゃに乱れ、衣服も洞窟に居た時に纏っていた、お世辞にも綺麗とは言えない煤けたワンピースに、薄汚れたローブ。手足は麻縄で縛り上げられているし、どう見ても王太子妃候補には見えないばかりか、囚人に間違えられても不思議はないという状態だ。
「着いたんだからもうこれ取ってよ!」
ミルドレットは縛り上げられた両手両足をニールに突き出したが、ニールは笑顔のまま「ダメです」ときっぱりと答えた。
「これじゃあ歩けないでしょ!? どうやって馬車から降りろっての!?」
「格式高い王城内をガニ股で歩かれては困ります」
「ガニ股で悪かったね!? じゃあどうしろってのさっ!?」
「私にお任せを」
ニールが落ち着いた様子でそう言ったので、ミルドレットは訝し気に眉を吊り上げた。
——この男、荷車か何かを用意して、その上に馬車から私を蹴り落とすつもりじゃ!?
と、考えて頬を膨らませる。
馬車は舗装された道を走っている為揺れが収まり、城の裏手にある通用門を潜り抜けた様だ。
「ほっぺたが伸びてしまいますよ」
「煩いなぁ! 顔くらい好きにさせてよ!」
「美人が台無しです」
「!!!!」
——そんなこと微塵も思ってないくせに、この男ムカツク!!
今度は唇をむぅっと尖らせたミルドレットに、ニールはやれやれとため息をついて肩を竦めた。
馬車が止まり、御者がコツコツと扉をノックした。ミルドレットはジロリとニールを睨みつけ、蹴られる前に逆にダブルキックをお見舞いしてやると身構えた。
すると、「失礼」と一声かけた後、ニールがふっと身を乗り出してミルドレットに覆いかぶさる様な体制をとったので、想定外の状況にダブルキックをかますタイミングを失った。
「へ? あれ? ちょっと??」
狼狽えているうちに軽々と抱きかかえられ、お姫様抱っこの状態で馬車から降りる羽目になり、ミルドレットは唖然として口をぱくぱくとさせた。
「ルーデンベルンより姫君が到着です」
ニールの言葉に馬車の外で控えていた数人の使用人達が恭し気に頭を垂れた。その前をニールはミルドレットを抱きかかえたままつかつかと進んで行き、使用人の一人がニールの一歩後ろを歩く形で付いてきた。
「ご入浴の用意はお部屋に整えてあります」
「この後は王との拝謁ですから、よく磨き上げてください」
ミルドレットを抱きかかえたままニールが使用人に指示を出す。
「後続の馬車の荷物を急ぎ運んでください」
「畏まりました」
ミルドレットはポカンとして成すがままになりながら、ニールの腕の中でキョロキョロと辺りを見回した。
白い大理石の大きな柱は鮮やかに彫刻が施され、高い天井にまで細かく美しい文様が描かれていた。曖昧な記憶ながらも、ルーデンベルンの王城よりもずっと高い天井だなとミルドレットは思った。
真っ直ぐと続く廊下には群青色のカーペットが敷かれており、すれ違う使用人達は皆カーペットの敷かれていない隅の方で会釈をしていたので、恐縮して身を縮ませた。
ニールは豪華絢爛たる王城内をわが物顔で歩くと、立派な装飾が施された扉の前で立ち止まった。使用人の一人がさっと扉を開き、ニールが室内へと入り終わった後に扉を閉じた。
使用人が言った通り、部屋の奥には入浴の準備が整えられており、湯舟から湯気が立っていた。お湯に混ぜたオイルの香りだろうか、室内にはふんわりと花の香りが広がっている。
「あんたさ、ルーデンベルンの騎士のくせに随分と偉そうなんじゃない? 皆頭下げてたね」
「何を仰いますやら。ミルドレット様は王太子妃候補である前に、ルーデンベルンの姫君です。地位があるのは私ではなくミルドレット様ですよ」
ニールの言葉にミルドレットは鼻で笑った。
この部屋に来るまでにすれ違った使用人達が、ニールをまるで憧れの人を見るような目で見ていた事を見逃してはいない。ニールの言う様にミルドレットの地位という件もあるだろうが、それ以上に見目麗しい騎士様に従順であり、あわよくばその目に留まりたいと願う彼女達の魂胆が駄々洩れである。
恐らくヒュリムトンに滞在中、ニールは使用人達からの猛アタックを受けるに違いない。それをいつもの笑顔を保ったままどう交わすのか見物だな、とミルドレットはしめしめと笑った。
「ま、あんたの事なんか別にどうでもいいや。久々に海水以外のお風呂に入れるから嬉しいし」
ミルドレットは両手両足が開放されるや否や、古びたワンピースをポイと脱ぎ捨てた。少女の頃から魔導士の世話になっていたミルドレットには、男性に対しての恥じらいという感覚がスッパリと抜け落ちていた。
突然目の前で下着姿となったミルドレットが、今度はその下着まで脱ぎ捨てようと手をかけたので、ニールはパコーンとミルドレットの頭を殴りつけた。
「いてっ!!」
「貴方に足りないのは気品ですとお伝えしたはずですが」
「今すぐ身に付くわけないじゃないか!」
「恥じらいくらいは持って頂きたいものですね」
「なんであたしがあんた相手なんかに恥じらってやらなきゃなんないの?」
「一応、私も男なんですが……」
「ああそうだっけ? 忘れてたぁ。っていうか、だから何?」
ミルドレットは「はんっ!」と小ばかにした様に笑うと、再び下着を脱ごうとしたので、ニールは大きくため息をついて踵を返し、さっさと部屋から出て行った。
ニールが出て行った後、ミルドレットは(追い出し成功!)とニヤリとほくそ笑んだ。脱ぎ捨てたワンピースを拾い上げると、部屋の窓へと駆けて開こうと手をかける。
——冗談じゃない。こんなところ、一秒だって長居して堪るかっ!
「ご機嫌麗しゅうございます、ミルドレット姫!!」
バン!! と、激しい音を轟かせて使用人達がゾロゾロと室内に入って来ると、ミルドレットはあっという間に取り囲まれた。
「さあ、入浴をしてお召し変え致しましょうね。ニール様から磨き上げる様に仰せつかっておりますから」
「え……あ……あとで」
「時間がありません。さあさあ、直ぐに始めましょう」
「ちょ! 待って、あ————ッ!!」
ミルドレットは使用人達の手によりそれはそれは手際よく入浴させられ、脱出のチャンスをまんまと逃す羽目となったのだった。
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