第34話 暗殺者の恋愛
ミルドレットはベッドの上から、窓の外で煌々と輝く月を見上げた。今頃シハイルはあの墓碑の側で祈っているだろうかと考えて、小さくため息を吐く。
——王太子殿下は、本当はどう思っているのかな? あたしを応援してるって言ってくれて、あんなキスをしたのに。それなのに、アレッサと……
もやもやとする気持ちを整理しきれず、考えるのを止そう、と寝返りを打った。それでもその行動は意味をなさず、ミルドレットの頭の中にはシハイルとのキスの様子が思い浮かび、「ああもう!!」と、声を出しながら頭を掻きむしった。
——たかが口が触れたくらいでどうしてこんなにもやもやするんだろう!? あんなの、別にどうってことないしっ! 例えニールとだって……
と考えて、ミルドレットは思わずベッドから飛び起きて顔を真っ赤にした。
——ニールとキスだとか、想像しただけで顔から火が出そうなんだけど!? なにこれっ!! 心臓停まるっ!? 変な病気!?
コツコツと、ガラスが叩かれる音がして、ミルドレットは驚きのあまり、心臓が飛び出したのかと思いながら「うはぁっ!!」と、悲鳴を上げた。
恐る恐る窓の方向を見ると、赤みがかった栗色の髪を月の光に照らされて、ニールがテラスの外から窓を叩いている姿が見えた。
ミルドレットは急いでベッドから降りると、裸足のままパタパタと駆けて窓を開けた。
「ど、どうしたのさ? あんたがこんな時間に来るなんて。それに、ルルネイアと一緒に魔物討伐に出かけてるはずなのに、どうしたの?」
ニールは、いつもの笑みを浮かべた顔ではなく、ダークグリーンの瞳を眩しそうに細めて、まるで陶酔しているかのようにミルドレットを見つめた。その視線をこそばゆく思い、ミルドレットは少し緊張しながら眉を寄せた。
「……ニール?」
「ああ……お逢いしたかったです、ミルドレット様」
囁くように言ったニールの言葉が聞き取れず、ミルドレットは「え? 何?」と、顔を近づけた。
ニールは熱を帯びた様に頬を紅潮させ、ミルドレットを見つめた。
「貴方に逢いたくて夜道を只管駆けて参りました。一時もお側を離れるのは辛く、胸が張り裂けそうな程に苦しくて堪らないのです」
「……え?」
——今、何て言った!?
ミルドレットが戸惑うようにニールを見つめた。
「なんか、どうしちゃったの? 変な物でも食べた?」
「まさか」
ふ……と、ニールが色気のある吐息を洩らした。ダークグリーンの瞳を潤ませてミルドレットを見つめている。思わず赤面する程に艶っぽく、月明かりのせいか妖艶に見えた。
明らかに普段とは様子が違う様子に、ミルドレットが怪訝に思って体調が悪いのか訊こうとした時、ニールが言葉を発した。
「愛しています。ミルドレット様」
「!!!!!!」
唖然としてニールを見上げたミルドレットの頬へと、ニールがそっと触れた。
その瞬間ゾクリと背筋に悪寒が走り、ミルドレットは思わずニールの側から離れ、彼が伸ばした手から逃れた。チクリと首筋に痛みが走り、真っ赤な鮮血が零れ落ちる。
ニールは良く手入れがされている薄刃の短剣を手にしていた。その刃がミルドレットの首を傷つけたのだ。
「……ニール?」
「なかなかに目ざといですね、ミルドレット様」
——あたしを、殺そうとした!?
「どうしちゃったの? ニール……まさか、お父様の命令で? シハイル王太子殿下が、あたしを選ぶ見込みが無いから……?」
ニールは恍惚としたようにすっと顔を上げ、ミルドレットの血がついた短剣の刃を舐めた。
「まさか。ルーデンベルン王の命令に甘んじて従う程、私は疎かではありません」
「じゃあ一体どうして!?」
「ああ、狂おしい程に愛しています。ミルドレット様の血は甘く美酒のようです」
「いや、言ってる意味わかんないし!?」
ゾッとしながら言うミルドレットの前で、ニールは毛づくろいをする猫の様に刃を舐め、ニタリと笑った。
「どうしてあたしを殺そうとするの!?」
「貴方を愛してやまないのです。貴方以外何も見えません。考える事も全て、私は完全に貴方の虜となっているのです」
ニールはそう言った後、笑顔をミルドレットに向け、僅かに小首を傾げた。
「ですから、貴方を殺す事にしました」
——これはヤバイ……。
完全に目がイッてる。どう見たってまともじゃない。
「に、ニール! 一体どうしちゃったの!? 魔法か何かかけられちゃったみたいじゃないか」
「魔法だなどととんでもない。この感情に偽りはありません」
ニールが握りしめている短剣をすっと構えた。その隙の無い動きに、ミルドレットは自分の死を予感した。
——おかしくなったニールに殺されるだなんて、全然予想してなかった! 死ぬのも痛いのも嫌だけど、鞭打ちとどっちが痛いかな……? いや、待って! 怖い。もの凄く怖い……!!
「お……お師匠さ……」
「おい、ニコニコ仮面。ミリーに何してやがんだ?」
助けを求めるべく口にした言葉を遮って、グォドレイの声が背後から聞こえ、ミルドレットは振り返った。
パッと空中にグォドレイは姿を現した。が、すぐさまその姿を消し、ミルドレットの横へと瞬時に移動した。グォドレイが最初に現れた場所にニールが放ったスローイングナイフが飛び、天井に刺さってビィイイイインと金属音が鳴り響く。
「ひゅう……なんだ? 痴話喧嘩でもしてんのか?」
「ニールの様子がおかしいんだっ!」
「そりゃあ、見てわかるが……」
グォドレイがニールへと視線を向けると、ニールは唇をニィっと引いて不気味な笑みを向けた。
「……ありゃ。こいつ、俺様特性惚れ薬でキマってら」
「はぁ!? 惚れ薬飲んでどうしてあたしを殺そうとするのさ!?」
「さぁて……」
「貴方の声も吐き出す息も、全て私のものです。愛しています。愛し過ぎて誰からも触れられて欲しくありません、見られても、そしてその美しい声を聞かれるのすら嫌です。ですから、私だけのものにする事にしました。私の為に死んでください」
「だ、そうだ……」
「いやいやいやいや、意味不明だし!?」
長い間闇の世界に身を置いていたニールは、グォドレイの惚れ薬のせいで強過ぎる愛憎が芽生え、ミルドレットを愛しく思うあまり異常な独占欲に蝕まれているのだ。
「あちゃー、こいつ、相当歪んでんな……」
ニールが床を蹴り、素早くミルドレットへと近づこうとし、グォドレイがパチンと指を鳴らした。ミルドレットが部屋の隅へと移動し、ニールが更に床を蹴ってミルドレット目掛けて飛んだ。
——だああ!! なんだよこいつっ!!
グォドレイは自分を瞬間移動させてニールの背後へと回ると彼の服を掴み、「後は任せろ!!」と言い残してパッとニールと共に姿を消した。
室内では城を破壊する恐れがある為、場所を移動したのだろう。ミルドレットは唖然としながらその場に取り残され、ペタリと床に座り込んだ。
「嘘……。ニールが、お師匠様に詠唱する隙を少しも与えなかった……」
あれでは恐らくそう遠くまで移動ができないはずだ。ミルドレットはそう考えて、震える足をペチペチと叩いて立ち上がると、歌う様な詠唱をして自らも師の元へと移動した。
ミルドレットの予想通り、王城から少し離れた位置の浜辺に二人の姿があった。
グォドレイが姿を現す位置を完全に読んでおり、ニールは円を描く様に素早く移動しながらスローイングナイフを投げ、回収しては投げを繰り返している。
——バケモンか、こいつっ!!
グォドレイはニールと戦いながら苦笑いを浮かべた。普通の人間ならばすぐに疲れ果ててしまうであろう運動量だというのに、ニールは呼吸を僅かたりとも乱す事無く機械の様に正確にグォドレイを狙って来るのだ。
気を抜こうものならばすぐに殺されるだろう。手加減してやることすらままならない。
この男を前にすれば、騎士が何人いようとも無駄だろう。重厚な鎧を身につけようと、その刃は鎧の隙間を決して見逃す事は無い。そして、その素早さは魔導士であるグォドレイにとっては明らかに分が悪い相手だった。
瞬間移動を繰り返し、ナイフを避け続け、少しでも詠唱の時間を取ろうものならば、たちまち短剣を構えたニールが背後へと飛んでくるのだ。
——歪み過ぎてやがる。こいつにとっての愛情は、殺人と直結してるのか。
グォドレイはキリキリと歯を食いしばった。
普段自分の感情を抑え込んでばかりいたツケが、惚れ薬の効果のせいでニールという人間の狂気を増幅させている。
鋭い刃がグォドレイを襲い、なんとか躱したものの、パッと血が舞った。しかしそれでも更に刃を振るい、グォドレイは堪らずニールを蹴り飛ばした。
ニールの様子は完全に人間離れしていた。蹴り飛ばされたというのにその体制のままスローイングナイフを放ち、グォドレイの肩へと突き刺さった。
——永い間生きて来たこの俺様が、たった一人の人間相手に鳥肌を立てる事になるとは。殺すのならまだ容易いが、生かすとなると……。
「お師匠様っ!!」
ミルドレットが悲鳴の様に叫んだ。ニールは瞬時に反応し、ミルドレット目掛けて駆けた。
——クソ!! ミリー、なんで来やがった!!
鋭い刃がミルドレットに届く寸前で、ニールの耳につけられたピアスから青白い光が発せられた。
グォドレイはその隙で数音声を発した。今までたったのそれすらも間を与えない程に、ニールの猛攻が凄まじかったのだ。
——こいつは、この男はミリーに相応しくない。近づけたらいけねぇ、相当厄介な野郎だ。
雷鳴が轟き、紫色の稲妻がニールの胸を貫いた。
「ニール……?」
ミルドレットの目の前で、ニールはピタリと手を止めた。鋭い刃の切っ先がもうあと僅かでミルドレットを引き裂こうというすんでのところだった。
こぷっ……と、口から大量の血を吐き、ドウと倒れた。
「え……うそ……やだ、ニールっ!!」
ニールの身体から夥しい量の血液が流れ出て、大地へと染みていく。
ミルドレットの悲鳴が海岸に響き渡った。
◇◇◇◇
ニールから借りたマントに身体を包み、ルルネイアは消えそうな焚火を見つめながら、一人ニールの帰りを待っていた。
——薪を拾いに行くと言って、もう随分と経ったわ。彼は一体どこへ……? 彼の馬はここに居るのだから、置いて行ったとは考えにくいけれど。
空が白んで、日が上り始める知らせをルルネイアに伝えている。不安になってぎゅっとマントの裾を握り締めると、地面をゆっくりと踏みしめながらこちらへと近づいてくる足音が聞こえてきた。
パッと顔を上げ、ルルネイアは嬉しそうに声を放った。
「ニール様。お戻りにならないのかと心配しましたわ」
「……ニコニコ仮面じゃなくて悪ぃな、リッケンハイアンドのお姫さん」
深い紫色の髪をさらりと肩から垂らし、アメジストの様な瞳を向けながら姿を現したのは、紫焔の魔導士グォドレイだった。
彼は整った上品な顔立ちに少々疲れを帯びた様子で、ルルネイアから少し離れたところに腰を下ろすと、広い袖口から煙管を取り出して、魔術で火を灯した。
「すまねぇな、ニールの奴は来れなくなっちまったんで、代わりに俺様が手伝いに来たんだが。あいつの方が良かったか?」
グォドレイがぷかぷかと煙管をふかす様子を唖然として見つめた後、ルルネイアは慌てて首を左右に振った。
「いえ。とんでもございません! 紫焔の魔導士グォドレイ様にご協力頂けましたら百人力ですわ!」
——百人力どころか、一瞬で全て片付いてしまう気すらしますが……。
「ですが……ニール様の身に何かあったのでしょうか?」
ルルネイアの問いかけに、グォドレイは渋い顔をした。
「あー……ちょっとな。手加減する暇も無くてな」
「……え!? 手加減、ですか!?」
「まぁ、何にせよ日が昇るまでまだ時間がある。ちょっと休ませてくれ。死ぬほど疲れた」
グォドレイはごろりとその場に横になると、すやすやと静かな寝息を立てて眠り始めた。
——今、グォドレイ様は何と……? ニール様が……?
ルルネイアは青ざめたまま、眠るグォドレイを見つめた。
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