第21話 侵入者は俺様です
凄まじい爆音が鳴り響き、ニールは思わず顔を上げた。再び爆音が鳴り響くと共に火柱が上がり、闇夜を一瞬太陽が上がったかのように照らし出した。
「何!?」
「正門の方ですね」
「襲撃!?」
「分かりません」
「行ってみなきゃ!」
直ぐにでも向かおうとするミルドレットを引き留めて、ニールは彼女の両肩を掴むと、優しく諭した。
「その姿で向かってはいけません。一度部屋に戻り、身なりを整えてからにしてください。貴方はまだ王太子妃候補なのですから。良いですね?」
「……うん、分かった」
ミルドレットは不思議に思った。シハイルの声色が先ほどとは違うと思ったからだ。ニールは慌てていたせいで、シハイルの声真似をするのを忘れたままミルドレットにそう諭してしまったが、彼自身は全く気づかずにパッと王城の方へと駆けて行った。
走り去っていく王太子の背を見送りながら、——ニールかと思った——と、ぼうっと考えた後、ミルドレットはハッとして自分も部屋に戻らなければと駆け出した。
シハイルから借りたマントをぎゅっと握りしめ、また借りちゃったなと、苦笑いをする。
再び爆音が鳴り響き、大地が揺れてパラパラと天井から破片が降り注いだ。城の兵士や使用人達が大慌てで駆ける廊下を抜けて広間に出ると、ミルドレットは小さく詠唱して床を蹴り、吹き抜けを抜けて二階の廊下へと飛び乗った。
そして急いで自室に戻り身支度を整えると、シハイルのマントを丁寧にハンガーにかけて、正門の方へと向かった。
爆音は鳴り止み、代わりに右往左往する使用人達のざわめきで辺りは騒然としていた。
「ミルドレット様!」
ミルドレットの世話をしてくれている侍女の一人が叫ぶ様に呼び止めた。
「良かった。お探ししておりました! お怪我はございませんか!?」
彼女はよほど必死になってミルドレットを探していたのだろう。乱れた呼吸を整えようと肩を上下させていた。
「ごめん、平気。一体何があったの?」
「私も詳しくは存じませんが、王城内に侵入した者が居るそうで、ミルドレット様を出せと言っている様です。現在謁見の間で侵入者と騎士達が睨み合っております」
——あたしを出せ……?
ミルドレットは嫌な予感がしつつ、侍女にお礼を言った。
「……わかった。行ってみる」
「いけません! どうかお隠れに!」
「大丈夫。あたしは魔術も使えるもん。いざとなったら自分で何とかするから」
侍女にそう言い残し、ミルドレットは全力疾走で謁見の間へと向かった。
謁見の間には集め尽くされたと言わんばかりに騎士達が集まっていた。ミルドレットは「ちょっと通してね」と言いながらぐいぐいと身をよじり、騎士達の間を縫って広間の中央へと出た。
そこには侵入者と
危機的状況であるにも関わらず、彼は全く以てリラックスしているようで、手に持った
深い紫色の髪に、アメジストの様な瞳。きりりとした眉に均整の取れた顔立ちは、二十代後半といった年頃の様に見える。ふぅーっと煙を吐くと、紫色の髪がサラサラと揺れ、耳にぶら下がる鳥の羽根をモチーフにしたピアスがシャラリと音を発した。
「お師匠様!?」
上ずった様に声を発したミルドレットの姿を認めると、彼は煙管を僅かに上げて「おぅ」と返事をした。
「なんだ、ミリー。そこに居たのか。よし、帰るぞ」
「は!? えーと……」
——お師匠様が迎えに来た? と、ミルドレットは困惑した。ニールが手配したのだろうかと思ったからだ。
しかしそれにしては随分と早い。ニールは明日送っていくと言っていた。ということは、ニールが手配したのではなく、グォドレイが自らここへ来たのだろう。
「や、ちょっと待って。なんか心の準備が……」
ミルドレットが戸惑い、グォドレイは長い睫毛を揺らして瞬きし、僅かに小首を傾げた。
「……ほぉ? 契約の魔術なんか結んでやがるのか? これはちょっとばかし厄介だな」
グォドレイはミルドレットを吟味するように見つめた。王太子妃候補の契約の事を言っているのだろう。
「結んだのはアーヴィングのやつか。そいつは血縁者じゃなけりゃ結ぶことのできない特殊なヤツだ。娘を売るとは、相変わらずどうしようもねぇ男だな」
ルーデンベルン王を軽侮した後、グォドレイは煙管を口に咥え、アメジストの様な瞳を細めてミルドレットを見つめた。ミルドレットは困惑しながら「お師匠様……」と、不安気に言葉を発し、グォドレイは人の良さそうな笑みを向けて「心配いらねぇよ」と頷いた。
「なるほど、貴殿が
振り向くと、白銀の仮面をつけたシハイルが落ち着き払った低い声でそう言った。その傍らにはヒュリムトンの王も騎士達に守られて玉座にかけている。
グォドレイは煙管をスパスパと吸った後、「だからそう言ったじゃねぇか馬鹿」とぶっきらぼうに言った。
——お師匠様、いくらなんでも大国の王族相手に不敬が過ぎるのでは!?
と、ミルドレットは顔面蒼白になって慌ててグォドレイの側へと座り、ヒュリムトン国王とシハイルに向かって頭を下げた。
「国王陛下、王太子殿下、師匠が無礼を働いてすみません」
「どっちが無礼だ。俺様がちゃんと名乗ったってのに、嘘だなんだと疑いやがったから門をぶっ壊して証明してやったんだ」
「お師匠様!」
「はんっ! 大損害だろう、いい気味だ!」
ミルドレットは『ひいいいいい!!』と、悲鳴を上げたくなった。
周囲を取り囲んでいた騎士達は、グォドレイの名を聞いて手に持っている剣を僅かに退いた。まさか
「それで、貴殿は何をしに参られたのでしょうか」
落ち着いたシハイルの声色に救われてホッとしたのもつかの間、グォドレイの放った言葉にミルドレットは顎が外れそうな程に驚愕した。
「ミリーは俺の妻になる女だ。だから迎えに来た」
シハイルは——いや、ニールは白銀の仮面の下で、ニコニコ仮面にピシリと皹を入れた。
——ざけんなコラ。
「ちょ……お師匠様、何言ってるのかさっぱりわけわかんないんだけど!」
「あ? なんでだ?」
「今までそんな事一言も言ったことないじゃないか!」
「今言った」
「いやいやいやいや、おかしいって! あんた若く見えるけど何歳なの!? 普通だったらとっくに死んで、人生何回目かって歳だよね!?」
「歳が関係あるのか?」
「あるんじゃないかな!? ……たぶん」
二人のやりとりを聞き、ヒュリムトンの王が笑い声をあげた。ニールはその隣で『最悪だ……』と、俯きたくなったのを必死に堪えて気丈にしていたが、ひくひくと動く唇はどうしようも無かった。
「なるほど。よくは分からぬが、我々は横取りしてしまったということか」
ヒュリムトン王の言葉に、グォドレイは「泥棒め」と悪態をつき、ミルドレットは穴があったら入りたいと顔を真っ赤にした。
「俺様としては別にこの国を滅ぼしてやってもいいが、どうする?」
グォドレイの言うことはハッタリでも何でも無かった。この世界で魔導士という存在は人よりも神に近いとまで言われ、恐れ、崇められる対象だからだ。
大国の王といえどもその権力はおろか、武力ですら魔導士一人の存在に遠く及ばない。ミルドレットにはその辺りの知識が全く無かったので、彼女だけがグォドレイの窮地だと思い込んでいるのだ。
実際窮地に追い込まれたのはヒュリムトン王国の方なのだが。
「ふむ、すまなかったな、ミルドレット姫よ。そなたが本当に紫焔の魔導士グォドレイ殿の弟子であるとは思わなかったのだ」
いけしゃあしゃあと……と、ニールが王の言葉を隣で聞きながら思っていると、次に発したグォドレイの言葉に、ニールは唇を噛みしめた。
「馴染みの客を失うのも気が引けるのは確かだぜ? ドワイト」
——『馴染みの客』だと?
ヒュリムトン国王、ドワイト・ネイサン・ベルンリッヒ・ヒュリムトンの名を『ドワイト』と、親し気に呼んだグォドレイの顔を、ニールが唖然として見つめた。
人間の情勢に興味のない魔導士という存在は、金を払いさえすればどんな汚れ仕事だろうと簡単にやってのける。大国の王ともなれば、力のある魔導士と繋がりがあるのは、不思議なことではない。
……しかし、一体いつもどんな依頼をしていたというのだろうか。
「では交渉の余地はあるということか?」
ヒュリムトン王、ドワイトはそう言うと、傍らに立つ執政官に金を持って来る様にと指示をした。
「待て、もう金は要らねぇ。いや、要らなくなった」
グォドレイの言葉にミルドレットは目をひん剥いた。
——金の亡者のお師匠様が一体どうしちゃったんだろう。
「俺はただ、嫁を貰うなら一国の主になるくらいでなきゃ箔がつかねぇと思っただけだ。ミリーがそれを望まねぇなら、別に金なんか要らねぇ」
「は!? お師匠様、頭でも打ったの!?」
ミルドレットが素っ頓狂な声を上げた。
いつも目にしていた師の姿は、法外過ぎる依頼料をたんまりと受け取って、貧乏人相手には決して依頼を引き受けない冷酷非道な男だからだ。掘っ立て小屋の倉庫は目くらましで隠しており、その中には貯めに貯め込んだ金銀財宝が山の様に積まれている。
「全部お前の為だ。だからこうやって迎えに来てやった」
「嘘つけ! 絶対他に目的があって来たに決まってる!」
「良く分かったな?」
「ほら、やっぱり! 一体何しに来たっての!?」
「そいつぁ秘密だ」
「あんたやっぱり最低だっ!」
「別にいいじゃねぇか、お前だって大国の王城見学が出来て楽しかっただろ?」
「そんなの……! ちょっと、楽しかったけど……」
「俺様にも楽しませろ」
「見学に来たっての!?」
「いいや?」
「だからじゃあ何しに来たの!?」
「お前を迎えにだ」
「でも他に目的があったんじゃないの?」
「そいつぁ秘密だ」
「お師匠様っ!!」
ドワイトは心の中で『なんだこいつらめんどくせえ』と思い、ニールは『私のミルドレットを嫁に貰うだと!? グォドレイ、コロス!!』と思い、二人は穏やかに笑みを浮かべながらミルドレットとグォドレイを見つめていた。
ニールは決して認めないだろうが、その二人の様子はどう見ても親子らしく見えたことだろう。
「グォドレイ殿、もう夜も遅いので明日ゆっくり話されては如何でしょうか」
放っておいては延々と喚き合っていそうだったので、仕方なくニールが提案した。
「お、あんたがこの国の王太子か」
グォドレイはじっとニールを見つめた。アメジストの様な瞳を細め吟味するようにじっくりとだ。
当然ながら魔術が込められており、普通の精神力の者ならば気絶する様な負荷をかけたが、ニールはそれにも難なく耐えた。
「お止めください」
術を掛けられた事に不快感を露わにしたニールに、グォドレイは「へー? なるほどなぁ」とニヤニヤと笑った。
グォドレイにはニールの立場や素性が全て明らかとなった。ミルドレットが随分と昔に『飴玉をくれたニール』の話をしていたのを思い出し、同一人物であることも理解した。
「よし、良いだろう。俺は元々あんたとは堂々と真っ向勝負をしてやろうと思っていたところだ」
「グォドレイ殿、それは一体どういうことか?」
ドワイトが問いかけたが、グォドレイはへらへらと笑いながらニールを見つめるだけで暫くだんまりを決め込んだ。
ドワイトとニールは間抜けにもニコニコと微笑み続けることしかできない。
シンと静まり返った謁見の間で、異様な空気が辺りを支配する。
「……お師匠様?」
しびれを切らしてポツリと声を放ったミルドレットの腕を強引に引き、グォドレイは彼女の唇に濃厚な口づけをした。
「ん……む……!!」
ミルドレットが頬を紅潮させながら必死に抵抗する様を唖然として暫く見つめ、ニールはハッとした。
金属音が鳴り響いた。
ニールが放ったスローイングナイフを、グォドレイが魔法障壁で瞬時に跳ね返したのだ。
ナイフが届かなかった代わりに、ニールは怒り狂って怒鳴りつけた。
「紫焔の魔導士グォドレイ!! このような公の場で女性に対する非礼をどう説明する気ですか!!」
ミルドレットが気を失いグォドレイにもたれかかった。恐らく魔術をかけられたのだろう。
グォドレイはその繊細な顔立ちには似合わず彼女の身体を軽々と抱き上げると、フンと鼻を鳴らした。
「宣戦布告だ。暫くこの城で俺も厄介になる。宜しく頼むぜ、ライバル殿」
怒り狂うニールの横で、グォドレイの言葉を聞いたヒュリムトン王ドワイトは、ニヤリとほくそ笑んだ。
——紫焔の魔導士が国内に滞在しているともなれば、他国への牽制となり国力が各段に上がる。今までルーデンベルンのような小国に身を置いていたという事が腹立たしくて仕方が無かったのだ。
ミルドレットという餌があれば、グォドレイはこの国に長く留まることだろう。
シハイルの王太子妃候補としてつけた条件がこうも役立つとは思わなかった。
『妃として選ばれなかった場合は、ヒュリムトン貴族の何者かに嫁ぐ事』
グォドレイがいくら魔導士であろうとも、血縁者が契約の魔術で交わしたものを簡単に反故にはできないはずだ。
つまりは、ミルドレットが王太子妃として選ばれなければ、グォドレイには爵位を与え、ヒュリムトンに留まらせればいいということだ。
「紫焔の魔導士グォドレイ殿に部屋を用意せよ。丁重にもてなすようにな」
ドワイトが指示を出し、騎士の一人が使用人にその王命を伝えるべく急いで謁見の間から出て行った。
——いっそのこと、ミルドレットと二人相部屋にし、王太子妃の条件である『生娘であること』を破ってくれれば好都合だ。
と、ドワイトは考えながら「あとは任せる」とニールに言い残し、騎士達に下がるように指示を出して退席した。
ニールとグォドレイ、気を失っているミルドレットを残し、騎士達も皆謁見の間を後にし、騒然としていた室内は深夜の静けさに戻った。
ドワイトが立ち去る様子を眺めながら煙管をふかすと、グォドレイはフンと鼻を鳴らした。
「……ニールって言ったか?」
「いえ、私の事はシハイルとお呼びください。グォドレイ殿」
険悪な敵意をむき出しにニールが言うと、グォドレイは「ああ、そうだな」と頷いた。
「契約の魔術は綺麗さっぱり解除した。驚かせて悪かった。ああするしか方法が無かったんでな。魔法薬の調合や術をかける程度じゃ、あの契約を解除することはできねぇ。なんせ俺様が作った契約の魔術である上に、血縁者による締結だからな」
「……契約の魔術を解く為にあのような真似を?」
「ああ。俺様は不正を働くような事をする気はないが、お前ぇさんにとって不利な条件であることは確かだろ?」
グォドレイの言葉にニールは怒りがすぅっと収まった。
つまり、グォドレイは『生娘であること』の契約があることで対等性が無いと、すぐさま理解したのだ。その契約が有効であれば、彼が強引にミルドレットを手籠めにすれば、ミルドレットは王太子妃候補から除外されてしまうのだから。
ヒュリムトン王ドワイトの浅はかな思惑など、紫焔の魔導士グォドレイに通用するはずもないというわけだ。
ふぅ、とニールは深く深呼吸をした後、グォドレイを見つめた。
「思ったよりも貴方は紳士のようですね」
「そりゃそうだ。そうでもなけりゃミリーと一緒に風呂になんか入れねぇだろ。で、部屋はどこだ? 俺様ちょいとばかし疲れたんだが」
——風呂……?
「子供の頃の話ですか?」
「いや。ずっとだ」
——こいつ、やっぱりコロス!!
ニールは怒りで震え、自分がいつか爆発するのではという不安に駆られた。
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