第6話 仲良しこよし

「リッケンハイアンド王国第三王女、ルルネイア・ルージュ・リッケンハイアンド」


 宰相補佐官の男が声高らかに王太子妃候補の名を読み上げると、シャペロンと共に美しく着飾った王太子妃候補が静々と、しかし堂々と広間へと入場した。


 中央に敷かれた赤いカーペットは檀上の玉座の前まで続き、ヒュリムトンの国王と王妃、そして仮面をつけた王太子が鎮座していた。その背後にはヒュリムトンの象徴である鷹が描かれた国旗とタペストリーが垂れ下がっている。

 カーペットの両脇にはヒュリムトンの政に携わる官僚たちが首を並べ、目の前を静々と通過する王太子妃候補達を吟味する様に見つめていた。


 ミルドレットは広間の外の廊下で自分の番を待ちながら、緊張で早鐘の様に鼓動する心臓を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返していた。


「どうしてあたしが一番最後なんだろう。緊張する時間が一番長いじゃないか」

「それだけ期待されているという事でしょう」


 エレンはクスリと小さく笑った。


「失敗しないといいけど。あたし、こういうのホント苦手なんだ」

「私がサポートしますから、ご安心ください」


 自信満々にパチリと片目を閉じて見せるエレンを見て、ミルドレットは幾分か緊張がほぐれた。

 エレンは元々王妃付の侍女だったらしい。脚の病気を患った為、自主的にその地位を降り、立ち仕事の少ない調理の仕込み係をしていた様だが、今回の王太子妃候補選抜の為の使用人として急遽駆り出される事となったのだ。

 王妃とも顔が利くし、貴族の令嬢達が社交界への初披露目となる、デビュタントの立ち合いには何度も参加していた為、こういったしきたり事には頼もしい限りだ。


「王太子妃候補は全部で三名。シャペロンは皆自国の者をつけております故、ミルドレット様が一番有利ですよ。ヒュリムトンのしきたりに最も詳しいシャペロンが私なのですから」

「それは、すっごく心強いんだけど。緊張するのをどうしたらいいのか」

「周囲の者たちは皆ゆらゆらと揺れる海の海藻かいそうだとでも思えば良いのです。ミルドレット様は人魚の様にただ堂々と泳げば、それだけで皆が認めざるを得ないほどお美しいのですから」


 凛として背筋を伸ばし、薄い緑のドレスに身を包んだエレンは美しかった。ミルドレットも彼女に倣い、ピンと背筋を伸ばした。


「ルーデンベルン王国、第二王女ミルドレット・レイラ・ルーデンベルン」


 宰相補佐の呼ぶ声に、エレンがミルドレットの手を取り、すっと高く掲げた。彼女の歩みに合わせて赤いカーペットの上を歩くと、広間で待つ大勢の者たちの視線が一気にミルドレットに集中した。


——えーと、何て思えばいいってエレンは言ったんだっけ? そう、昆布! 昆布だっ! あいつらはゆらゆらと揺れる昆布なんだ。海岸に打ち上げられたらパリパリになって、踏みつけると楽しいやつさ!


 バカな事を考えている脳内とは裏腹に、ミルドレットが身に纏ったドレスは本当に見事だった。煌びやかなシルクは、揺れる度に散りばめられたダイヤの雫がキラキラと光りを放つ。高く結い上げられた銀髪は艶やかで、ミルドレットが身に纏うシルク以上に輝いて見える。恐らく彼女の銀髪を引き立てる為に色彩を配慮して仕立てた物なのだろう。

 そして、白く細い首筋を飾り、可憐な耳たぶで揺れる深海の様に深い藍色のサファイアは、彼女の雪の様に白い肌を際立てて、長い銀色の睫毛に縁どられた瞳は更に宝石よりも輝いて見えた。

 自然と「ほぅ」っと感嘆の声が漏れ聞こえたが、緊張しているミルドレットの耳には届いていない。代わりにエレンが得意気に微笑んだ。


「ふむ……」


 国王も例外では無かったようだ。練習通り優雅に胸に手を当てて膝を折り、頭を垂れるミルドレットを見ながら、他の候補者にはひと声も発しなかった王がわずかに声を漏らした。王妃がその横で小さく耳打ちをすると、王は何度か頷いた。


 エレンにエスコートされ、他の候補者達が控える場に向かおうとしたとき、「ミルドレット王女」と、王妃が声を掛けた。


——え!? どうすればいいの!?


 どう対応すべきか困惑し、助け船を求めてエレンを見ると、エレンも王妃の行動が意外だったようで一瞬戸惑う顔を見せたが、小さく「もう一度カーテシーを」と膝を折るように指示した。


「姉のアリテミラ第一王女にも引けを取らぬ美しさですね」


 面白いものを見つめる様に王妃はそう言うと、「ねえ?」と、隣に座る王太子に声を掛けた。


「母上、ミルドレット姫が困っておいでです」


 低く落ち着いた様子の王太子の声は、ミルドレットを優しく労わるように聞こえた。白銀の仮面が顔の上半分を覆い、ヒュリムトンの象徴である鷹が翼を広げたモチーフが彫り込まれている。長く艶やかな黒髪がサラリと仮面の上から垂れ下がり、耳には銀色のピアスが揺れていた。


 この男がシハイル・ベルンリッヒ・ヒュリムトン。もしかしたら自分の未来の夫となるかもしれない相手か、とミルドレットはじっと見つめて観察したい気持ちを我慢して、視線を落とした。


不躾ぶしつけに呼び止めてしまい、母上の代わりにお詫び致します」


 シハイルの声は低音で、思わず聞き惚れる様な良い声だなとミルドレットが思っていると、隣でエレンが答えた。


「王妃様のお目に留まり、ミルドレット様も光栄にございましょう」

「あ、うん。どうもあり……」

「他の候補達を待たせてはなりませんから、どうぞあちらへ」


 ミルドレットの言葉を遮る様にシハイルがそう言った。

——危なっ! ボロ出すところだった!

 と冷や冷やし、王太子はひょっとしてフォローしてくれたのかなとチラリと見つめたが、仮面に覆われた彼の表情をうかがい知る事はできなかった。


——ずっとあんな仮面を被り続けてるだなんて、なんだか可哀想だなぁ。目が痒くなったらどうやって擦るんだろう。指を突っ込むのかな……?


「以上で、王太子妃候補は全てとなります」


 宰相補佐の男が声高らかにそう宣言すると、赤いカーペットの両脇に立っていた者たちがサッと壁の方へと散らばった。今度は招待客達の入場が始まり、一組ずつ来訪者の名を読み上げる。

 ミルドレットはチラリと横目で他の王太子妃候補者を見つめた。二人の候補者達は口元に僅かに笑みを浮かべ、招待客達の入場の様子を見つめていたので、今度は隣のエレンを見つめた。


「キョロキョロとなさらず。他の姫君と同様になさってくださいまし」


 エレンが小声で諫めると、ミルドレットはいつも通り「うん、わかった」と答え、それを聞いていた王太子妃候補のシャペロンの女性がクスクスと笑った。


「ルーデンベルの姫君は、こんなところで教育を受けていらっしゃるのですか」


 とげとげしい物言いにエレンはムッとしたが、にこやかな笑みを向けた。


「お構いなく」

「気分を害したのなら謝りますわ。私も一緒に指導のお手伝いをして差し上げようかと思ったものですから」


 シャペロンの女性の物言いに、隣に居た王太子妃候補もクスクスと笑った。


「マリエラ叔母様、失礼よ」と、シャペロンの女性を諫めると、彼女はミルドレットにニコリと微笑みかけた。


「初めまして。私はリッケンハイアンド王国第三王女、ルルネイア・ルージュ・リッケンハイアンド。彼女は私のシャペロン、叔母のマリエラ。ごめんなさいね、マリエラ叔母様は口が悪いの」


 ルルネイアははちみつの様な金髪を生花で飾り付け、女性らしく清楚で気品溢れ、ミルドレットに比べて大人びて見えた。


「あまり気になさらないでね。ルーデンベルンの姫君」


ミルドレットはルルネイアの美しさに関心し、友人になれるだろうかと嬉しくなって満面の笑みを浮かべた。


「初めまして。あたしはミルドレット・レイラ・ルーデンベルン。こっちはシャペロンのエレン。大丈夫、あたし程口が悪い人なんてここにいないと思うもん」


 ミルドレットの言葉にルルネイアはクスクスと笑うと、「叔母様、負けてる様ですよ」と冗談を言ってその場を和ませた。


「ああ、私も仲間に入れてくださいな!」


 浅黒い肌に艶やかな黒髪の女性が待ちきれないと言わんばかりにパタパタと手を振った。


「私はユジェイ王国第一王女、アレッサ・シエロ・ユジェイ。シャペロンはお兄様の第三王子ヴィンセントよ」


 アレッサの隣でヴィンセントと紹介された男は、僅かに瞳を伏せて会釈をした。すっと通った鼻筋に浅黒い肌。くっきりとした顔立ちで背も高く、なかなかの美男子だ。


 アレッサは黒曜石の様な瞳をキラキラと輝かせて、自己紹介をするミルドレットとルルネイアを見つめた。


「私、ユジェイ王国から出た事が無かったので、お二人の国の事を知りたいわ。色々と聞かせてくれると嬉しいのだけれど」


 アレッサの言葉にルルネイアが頷くと、「それでは今度お茶会でも開きましょう」と言い、ミルドレットは「賛成!」と大喜びで声を上げた。


「ほらほら、お三方。招待客そっちのけで盛り上がってしまっては困りますよ」


 エレンに窘められて、三人はパッと背筋を正した。ミルドレットは同年代の友人が出来たことが嬉しくて溜まらず、招待客達に向ける笑顔にまで喜びが滲み出ていた。


 勿論、この後は王太子とのダンスという難関が待ち受けている事など、頭の中からすっかりと抜け落ちていたわけだが。

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