036:忍び寄る盗犬


「しねえええええええええ!!!!」


 ――ズガガガガガガガガガガァッ!!!!


 狼姫リルの攻撃はまるで嵐だった。

 鋭い爪で風も大地も等しく切り裂きながら、立ちふさがる敵をただ排除して前進する。

 通過する斬撃の嵐の後、残るのはその爪の傷跡のみとなる。


 人間も魔族も、命が惜しければとてもその嵐には近づけない。


 オサムはその嵐の真ん中でリルの攻撃を難なく凌いでいた。

 避けて、あるいは手の平でそっと爪の軌道を逸らして、攻撃を無効化し続ける。


「……っ!!」


 リルを追ってきたオリビンはその光景に息を呑んだ。


 剣の腕には自信があった。

 今はシュガルパウダンの私兵に収まっているが、仮に騎士団に所属すれば最高位である白金プラチナ級にもなれるとも言われてきた。


 その自信が根底から揺らぐような景色を見せられている。


 オリビンは自分がリルに勝てないとは決して思わない。

 ただ、ギリギリの戦いになるのはその爪と剣を交えた経験から分かった。


 リルは間違いなく強敵だ。

 魔神級ディアブロとまでは呼べずとも、二つ名付きネームドでもおかしくないレベルの持ち主だろう。


 だが、その攻撃を凌いでいるオサムにはまだまだ余裕があった。

 これだけの猛攻を受けながら、いまだオサムは汗一つ流していないのだ。


 その表情にも恐怖というモノが感じられない。


 オサムは騎士団の最高峰レベルの、さらに遥かに上にいる。


 それだけの力を持ちながら、しかし今のオサムには殺意がない。

 リルを殺そうとしない事、そして魔物達を殺さず森へ送り返した事。


(オサム少年、君は何を企んでいる……?)


 何も考えていないようには思えない。


 戦場で見せた表情は真剣なものだった。

 魔物の味方をしているようにも見えず、しかしオサムほどの力ならばわざわざ森へ投げ返すよりもその場で殺した方が早いはずだ。


 戦争を終わらせようとしている事はわかるが、オサムの意図がまるで読めない。


 それはオサムと対峙するリルも同じだった。


「勇者!! おまえ、何のつもりだ!?」


「君と戦うつもりはない! 戦争は終わりだ! もう止めろ!」


 オサムはリルの攻撃を払い、受け流す。

 だがそれだけで、攻撃をしてこない。

 本当に戦うつもりがないのだ。


「ふざけるな!! 私と、戦えっ!!」


「断る! ヌシさんが悲しむだろ!」


「おまえが死ねば問題ない! すべて解決だ!」


「なんで!?」


 リルは口論しながらも攻撃の手は休めない。

 むしろ激しさを増している。


 オリビンはその様子に目を凝らし、考えた。


 今、自分に出来る事は何か。

 今、自分がやるべき事は何か。


「む?」


 その時、オリビンの目が何かを捉えた。


 思考が追い付かない。

 なにか、が見えた気がした。 


「……なんだ?」


 それと同時、戦いの中でドリーだけがその異変に気付いていた。


「オサム、きをつけて」


「ドリー、どうした?」


「妙な気配がする」


 すぐにオサムは力を視覚と聴覚と嗅覚に振り当てた。

 ドリーの感じたその気配を探る。


 そしてリルの背後に、わずかな光の屈折を見つけた。

 何かがいる。


「リル、跳べ!!」


「ぬっ!?」


 突然、リルの周囲に縄のようなものが現れた。

 次の瞬間にはその縄は急速に収縮し、リルの体を縛りあげようとする。

 一瞬早くリルは地面を蹴っていた。


「なんだ!?」


「何かいる。狙われてるのは君だ。気を付けて!」


「うるさい! 私に指図するな!!」


偉大なる遺物オーパーツの気配がする。たぶん姿を消す力を持った何か」


 同類であるドリーにだけはその気配が感じ取れたのだ。


「姿が見えないだけ、か……だったら何も恐れる必要はないな!!」


 ゴウ、と風が悲鳴を上げた。

 リルの爪が乱暴に周囲一帯の地面を削り上げたのだ。

 

 闇雲なその攻撃は、しかし狙い通りに見えない何者かの体をも掠めた。

 空間が裂けるように、中から現れたのは一人の男だった。


「チィ! カンの良い化物だ、もう気づきやがったか!」


「なんだ、おまえ」


「お前が知る必要はないぜ。すぐにお前は俺の商売道具になるんだからな」


 男は無差別の範囲攻撃には驚いたが、姿を見つかった事には焦ってはいなかった。


「そうか。どうでも良いが、私の戦いを邪魔するなら殺す」


「やってみろよ」


「なら死ね」


「リル、ちょっと待って!?」


「おっと、そこまでっスよ! 全員、動くなっス! 動けばこの子の首が飛ぶっスから」


 一切の躊躇がないリルを止めようとするオサムより早く、別の声がリルを止めた。


 男と同じように突然あらわれたのは盗賊ギルドの猫獣人、テトだ。

 そしてテトはダークエルフの娘、テリカを連れていた。


 テリカのその首にはテトのナイフが添えられている。


「テリカ!?」


「リルさま、ご……ごめんなさい~」


 テリカを人質に取られ、さすがのリルも動きが止まった。

 爆発しそうな怒りをこらえ、唇を噛む。


「貴様、卑怯だぞ!?」


「誉め言葉ありがとうっスよ。卑怯上等、自分ら盗賊なんで」


 怒りに震えるリルの言葉をテトは余裕の表情で受け流した。


(代理の不意打ちで捕獲できればそれが一番だったっスけど、さすがに頭を一撃で倒しちゃうような化物相手に楽観視は出来ないっスよねぇ。保険の手を打っといて良かったっスよ……つーかマジ怖いっス!!)


 ギリギリだったが間に合った。

 戦いが予想以上に激しく、思った以上に手間取ってしまった。


 魔族の非戦闘員が森の近くに集められているという情報は得ていたが、そこからこの場まで移動するのが大変だったのだ。


 テリカが傷ついては人質としての価値が下がってしまう。

 慎重に捕獲する必要があった。


「そういう事だ。大人しくその獣人の身柄を渡してもらうぜ? 俺達の狙いはそこの銀狼の姫だけだ。その獣人以外には興味がねぇ。戦争の続きは勝手にやってくれ」


 テリカを知らないオサムとオリビンも状況はすぐに理解できた。

 人類側としては、その提案を断る理由もない事も。

 

「なるほど、話はわかった。私たちも余計は戦いをするつもりはない」


「オリビンさん……」


 リルは魔族だ。

 オサムにとってはヌシの友達だが、人間にとってはただの敵だ。

 この戦場でもいくつもの人の命を奪っているだろう。


 リルとの和解は、ただのオサムのワガママだ。

 それはオサム自身にも分かっていた。


「だが手口が気にくわない」


「ふぎゃっ!?」


 言い終わるや否や、オリビンの真白の鎧が影だけを残すように急速に動いた。 

 それはまるで流星のように線を残し、そしてテトのナイフを弾き飛ばした。


 白き流星の二つ名は伊達ではない。


「テト!?」


「マジっスか……」


 テトは冷や汗が止まらなかった。

 正面からの攻撃にもかかわらず、テトは反応すらできなかった。

 気づいた時には手からナイフが離れていたのだ。


「悪知恵は働くようだが、浅はかだったな。戦禍の混乱に乗じて動くというのは悪くない考えだが、戦場には腕の立つ騎士もいる。盗賊風情にはどうにもならないほどの手練れもな」


「リルさま~!!」


「テリカ!」


 ナイフから解放されたテリカはリルの胸に飛び込んだ。

 テリカの無事に安堵している自分に戸惑いつつも、リルはその小さな体を抱きしめていた。


「おい、エルフ! カンチガイするなよ! テリカはお前が動かずとも私が助けていた。だから感謝などしていないからな。良いか、カンチガイするなよな!?」


「勘違いは貴様の方だろう。魔族なんぞのためではない、これは私自身の誇りのためだ。誇り高き騎士として主にお仕えするために、盗賊の真似事をして勝利したところで何の意味もないからだ」


 盗賊たちにとっては屈辱だった。


「クソが……」


 最早、殺されもしていない。

 まるで意に介してもいないのだ。


 あれだけ怒りに震えていたリルですら今は泣き止まないテリカをあやすのに必死で盗賊たちの事など忘れていた。


 闇も魔術ギルドから仕入れた姿を消す偉大なる遺物オーパーツがこうも簡単に見破られるとは計算外も良い所だ。


 それを纏った者の姿どころか音も匂いも消してしまうという反則級の魔道具だった。

 マントの形状のため強風に煽られるとわずかに景色が歪むが、よほど集中して見なければまず気が付かないような微小な歪みだ。


 それを戦闘中に見抜くなど、リルの能力を見誤っていた。


 そしてシュガルパウダンの切り札、オリビン。


 盗賊とは言えテトも暗殺者としてはかなり腕の立つ方だ。

 それが真正面からの攻撃に反応もできないなど、白金プラチナ級に匹敵する戦闘能力というのはただの噂話ではなかったらしい。


 男は自分の計算の甘さを少しだけ悔いて、すぐに思考を切り変えた。


「テト、逃げろ。こうなったらを使う」


「代理!? アレは……!」


「良いから逃げろ!!」


 闇の魔術ギルドから仕入れたもう一つの偉大なる遺物オーパーツ

 黒犬の最後の切り札である小さな瓶を、男は地面に叩きつけた。


「生け捕りはもう諦める。だが、このまま逃がしはしねぇ!! この場で一緒に死んでもらうぜぇ!!」


 瓶に収められていたのは魔術のかけられた液体だ。

 空気に触れ、不気味な紫色の霧となって辺りに広がる。


 それは禁断の魂の捕縛術。

 その魔術は、死者の魂を戦場に呼び戻す。


「クソ獣人、百鬼夜行パンデモニウムを味わってくれや!!」

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