014:もう一つの森にて
帝国の町ヘーンドランドから南の森、ラムズレーン。
そのラムズレーンの森から東に位置する方角に、巨大な廃墟がある。
今では帝国から名前すらも忘れ去られ、地図からも消えてしまった町の残骸。
魔族が住み着いているという噂から近づく人間もいない無人の土地だ。
その象徴たる廃墟は元の役割すら今ではわからない有様だったが、最近になってさらに崩壊が進んでしまった。
その崩壊の一員であるオサムが出払った後の廃墟で静かに動くのは、意思を持った黒い人影の姿だけである。
日陰で廃材を整理していたその影は、明らかな意思を持って動き、空を見上げた。
「オサムくんたち、だいじょうぶかしら~?」
人影の女性、ヌシは呟く。
その表情は今は誰にも読み取ることはできないが、その声に含まれている感情は聞くものによれば寂しさだと理解できるだろう。
「やっぱり心配ね~。う~ん、でもお留守番してるって言っちゃったし……すれ違いになったら困るものね~……リルちゃんだっていつ戻ってきてくれるかわからないし……」
一人でもんもんと悩む影が、視線を廃墟に開いた大穴に向ける。
廃墟から更に東の方角だ。
その大穴の先、そこには『ウィボボンスキ』と呼ばれる別の森がある。
そこは人間の住む領域ではなく、魔族達の暮す世界だ。
ヌシが廃墟にて待つ相手の一人、孤高の狼姫リルはその森での出来事に困惑している所だった。
◆
「リルさまー、置いてかないでくださいよー!」
森を駆けるリルの背中を追う幼い声に、リルは何度目か分からない溜息を吐いた。
「はぁ…………」
どうしてこうなったのか。
リルは森を駆け抜けながら、思い返す。
思い出されるのは忌々しい出来事だ。
その忌々しい記憶の始まりは、人間の勇者の気配を縄張りの中に感じた事だった。
よりにもよってその勇者は、リルにとっては数少ない友とよべる存在であるヌシが住み着いている廃墟に現れていた。
そして案の定、ヌシは人間である勇者を庇ったのだ。
そこまでを思い出すだけでも吐き気がするほどに憤怒の気持ちが沸き上がってくるのだが、さらにその勇者に軽くあしらわれた自分の無力さに至っては全身の血液が沸騰しそうなくらいの怒りを覚えるほどである。
その勇者は圧倒的な力を持っていたにも関わらず、リルを倒す事をせずに戦闘だけを停止させようとした。
リルを優しく、丁寧に投げ飛ばし、とてもすぐには戻れない距離まで引き離された。
手加減までされるなどと、なんという完全な敗北だろうか。
思い出すだけで悔しくて情けなくて無様な気持ちになってしまう。
そして飛ばされた先の、その落下場所がこの森だった。
付近の魔族は人間のいないこの森をウィボボンスキと呼んでいて、魔族にとっては平和な森だ。
リルはちょうどリルの着地地点にいた邪魔者が、まさかこの森を騒がせていた山賊の頭だったとは思わなかった。
そしてその山賊に襲われているダークエルフの娘がいたなんて事も知らなかった。
着地の邪魔になる人影を八つ当たり気味に排除しただけだったのだが、まさか「危機から救ってくれた」と勘違いされて、そしてその娘から「ご主人様」に認定されてしまうなんて、予想できるわけがなかったのだ。
「ふぇ~、リル様、はやすぎますよ~!」
泣きそうな声にリルは「やれやれ」と一度、足を止める。
そして少し遅れてリルの元に辿り着いた娘に、容赦なく言い放った。
「お前が鈍重なだけだ。というか、もう付いてくるなと言ったはずだぞ」
「す、すみません。でもご主人様と離れるわけにはいきませんから! 私はご主人さまのシモベですので!」
ダークエルフの娘、テリカは平らな胸を張って自慢気に言う。
ほとんど意味不明だった。
テリカが言うには、それがダークエルフのシキタリらしい。
ダークエルフは誇り高き魔族であり、他種族に命を助けられるなどダークエルフにとっては本来あってはならない事らしかった。
故に、幼少期は身内と共に過ごして単独行動などは決してしてはいけないのだが、まだ力の弱い幼少期に身内を失うような悲劇にあってしまうと、そうも言っていられない事態が起こり得る。
その場合には命を救われた相手を主人とし、力をつけるために従事しなければならないのだ。
それがテリカの言う「ご主人さま」と「シモベ」である。
「それはお前の都合だろう。私には関係ない事だ。お前の主人になるつもりはない」
当然ながら断ったリルだったが、テリカにはそんな理屈は通用しないらしい。
「わかりました。だったら、最終手段をとります!」
「ほう、最終手段だと?」
「はい! なので私はかってにリル様のシモベとなります!!」
「ほう……うん?」
なにが「なので」なのか理解できない。
「いや、ちょっと待って」
「よろしくおねがいします! リル様!」
ペコリと頭を下げるテリカの表情があまりにも無邪気で、リルは頭痛がしそうになる頭を抱え、溜め息を吐くしかできなかった。
それからは完全にテリカのペースである。
「私に手下など必要ない。別の主人を探せ」
リルは隙あらば何度もそう告げるのだが、テリカはお構いなしで付いてくる。
(全く、なんでこんな事に……それもこれも、あのオサムとかいう人間のせいだ! 許さん!)
テリカには悪いが、今のリルには他人に構っている暇なんてなかった。
まずはあの人間はなんとしてでも排除する。
一秒でも早くヌシの側から排除してみせる。
(……これ以上、ヌシの人間贔屓が悪化するのを見逃すわけにはいかない!!)
リルはドレインデッドの存在を知っていたが、その能力までは理解していなかった。
だからオサムが命がけだったことすら知らないのである。
オサムは未だにリルのターゲットになっていたのだった。
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