007:反転するマイナス


 オサムはリルの動きをゆっくりと避けた。


 動体視力が上昇しているのか、それとも集中力が増しているのか。

 あるいはそのどちらもなのかも知れない。


 オサムはまるで時間の感覚がズレた別次元の世界にいるかのような感覚だった。


(すごいな……これがの真の力なんだ)


 その力を与えられなかったオサムは分かっていなかった。

 それは勇者すらも超えた力だと言うことに。


 だが、命を引き換えに得た代価である。

 勇者くらい超えてもらわなくては困るというものだ。


 今のオサムの力は、リルの力を明らかに超えていた。


 もう、何も怖くない。


 本来なら確実な死を運ぶであろう暴力が、今は幼児の駄々にすら見える。


 加速する世界の中、耳元でドリーが囁いた。


「オサム。時間は1分もない。それが過ぎれば契約はする」


 契約の反転。

 が、へと変わる。


 そういう事なのだろう。


 それがドリーが持つ能力というワケだ。


 ……わかった。

 そうオサムは無言で頷いた。


 時間がなくても、なにも悩むこともない。


 やる事は一つ。

 最初から決まっているのだから。


 ――スルリ。


 オサムは向かってくるリルの爪を避けて、そしてその脇を擦り抜けて背後に回り込む。


「な、なんだとっ!?」


「えっ……!?」


 リルだけじゃなく、ヌシまでもその動きに驚いた。


 まるで別人だ。

 そして明らかに普通の速度ではない。


 誰が見てもそう分かるレベルでオサムの動きは桁違いだったのだ。


「ごめん、ヌシさん」


 そしてオサムはリルではなく、その先の壁を触れずに殴り飛ばした。


 ――ズッ、ドオォォォォォォオン!!!!


 オサムは地下二階に位置するその場所の壁を、地上の分までまとめて吹き飛ばして見せた。

 拳を振るう、その風圧だけで。


「ワケあってこれが今の俺の力みたいだ。できれば君には向けたくはないんだけど……」


 予想外の結果にオサム自身も驚いたが、冷静な振りをして言う。


「~~っ!? ……だから何だ? それが、どうした!!」


 リルは一瞬ポカンとしたが、すぐにその表情を怒りで染め直した。


「まぁ、そうだよね」


 やっぱり、だ。


 それはオサムが予想していた通りの反応だった。


 最初からリルの怒りの前には『力の差』なんて説得の材料にはならないだろうとは思っていた。

 だから、地上までの壁を吹き飛ばしたのもただの下準備だ。


 再びリルの攻撃をかわし、その背後へ。

 今度はその尻尾をガシッと掴んだ。


「うひゃわん!?」


 リルが予想外に可愛い悲鳴を上げる。

 オサムにはその声の愛らしさと、そして尻尾のもふもふを堪能する程度には余裕があった。


 オサムはできるだけ優しく、その尻尾を引っ張った。


 ――グォン!!


 通り道が必要だったのだ。

 リルに丁重にお帰り願うための広い道が。


「ごめん! 今日は帰って! 俺、もうすぐ勝手に死ぬから!」


「う、うわあああああああああああああああああああああ!?」


 オサムが「自分のやるべき事」だと思ったこと。

 それは、この場を無かったことにする事だった。


 時間を稼ぎ、オサムはいなくなる。


 それだけの事。

 思いついてみれば簡単な事だった。


 リルが慌ててこの廃墟に戻ってきたところで、その時には争いの種である『勇者』はもう死んでいる。

 それから先は、元通りの二人に戻ってくれればいい。


 オサムがと、オサムが

 その意味は全く違うモノだ。


 だからこそオサムはリルに殺されないためになら、自分自身で死ぬ意味があると考えたのだった。


(……俺は、ここに来るべきじゃなかったんだ。ごめん、ヌシさん)


 ぶん投げられたリルの姿が点になった所まで見送って、オサムはヌシの元へ駆け寄った。


「ヌシさん、大丈夫ですか?」


「えぇ、この護符だけ外してくれれば、平気かも……」


 ヌシの体に磁石のようにくっ付いていた紙きれを外すと、苦しそうだったヌシは元通りになった。

 動けなくなる意外、ダメージがあるわけではないらしい。


「それよりも、オサムくん。そこに座りなさい」


「え? は、はい……」


 元気になったヌシは、なぜか怒っていた。

 急に学校の先生みたいな事を言う。


 一瞬、友達をぶん投げたのは失敗だっただろうかと思った。

 だがヌシが怒っていたのは別の事だった。


「ドリーを使ったのね」


 ヌシはドリーの事を知っていたのだ。

 背中におんぶしていれば、触れないわけにはいかない。


 ドリーの事を知っていれば、一目見ればオサムに何が起こっているのかなんてすぐにわかる状況だった。


「これは同意の上の結果。事前説明はした」


 責められたと思ったのか、ドリーが弁明した。


「わかってる。あなたも優しい子だから」


 ヌシは怒りではなく、悲しみにその表情を染めていた。

 オサムはズキンと胸の内が痛むのを感じた。


 ヌシに、悲しい顔をしてほしくなかった。

 ただそれだけのために命をかけたハズだったのに。


「ヌシさん、俺……」


「オサム、もう時間が来る」


 何かを言いかけたオサムの言葉をドリーが遮った。


 言葉を邪魔したワケではない。

 ただ、未練がないように言葉を選んで欲しかったのだ。


 命を懸けた最後の1分。

 その時間が終わろうとしていた。

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