026:鬼門を開く

 ヘーンドランドを襲った鬼の少女には、生まれつき姿を自在に変える事が出来る特性が備わっていた。


 小さくなるのは苦手だが、巨大に見せる事は得意な方だ。

 少女の中にはいくつかの知らない生物のイメージがあり、それを想像するだけで自在にその姿になる事ができる。


 それは生まれついての特殊な鬼術の一つらしく、変化にはそれなりに体力を使う。

 だが、それは強大な力を持つ鬼族にとっては無制限に等しい消耗だった。


「さて、もうひと働きするか」


 久しぶりに正面から自分に立ちはだかった敵を排除して、少女は再び己に与えられた役割を遂行する事にした。


 そのためには、巨大な体が必要だ。

 少女はイメージの中から、一つ目の巨人を選んだ。


 ――ズズズズッ……。


 少女の体を鬼術の肉体が包み、巨大な人型を形成する。


 巨人の単眼から見下ろす景色はヘーンドランドの北に位置するマカダミア平野だ。

 逃げ延びた人間達が、己の町が焼け落ちていくのを絶望の表情で眺めていた。


 巨人となった少女の姿に気が付くと、人間達はクモの子のように散り散りに逃げ出した。


「……む?」


 逃げ出す人間の群れの中に逆行する者が一人いた。


 貴族風の格好をした男だ。

 まだ若く、さきほど戦った二人に似た特徴を感じた。

 

 その人物は巨人の足元に立つと、声を張り上げた。


「人間の言葉が分かるなら止まってくれ!! なぜ町の人を襲う!! 話をしよう!!」


「クハッ!」


 少女は、思わず噴き出した。

 何を言い出すかと思えば、全くもって的外れな事を言う人間である。


 少女にとって町の人間の事などはどうでも良かった。


 自分の役割は果たせている。

 あとは他の連中に任せれば良い。


 ただ自分はこうして大きな目印となっていれば良いだけなのだから。


「人が鬼に対話を求めるか……よかろう。少し、あそぶか」


 先ほどの戦いの余韻が少女の胸に残っていた。


 楽しかった。

 だが、まだ満たされてはいない。


 もしかしたら、あの二人に似た面影のこの人物にも期待して良いかも知れない。


 少女は巨人の脚を止めた。

 そしてその形を鬼術で固定したまま、自身の体を切り離すように変化させる。


 ――ストン。


 巨人の腹の中から生れ落ちるように、少女はその人物の目の前に躍り出た。


 どうせ待つ時間などヒマなだけだ。

 まずは少しばかり、からかってやろうかな。


 そんな少女の思惑は、彼を目の前にして、吹き飛んだ。


「……!? なんだ、貴様は!?」


 男は幼い少女を背負っていた。


「私とオサムは一心同体」


 背中の少女が何か良く分からない事を言っているが、そんなことはどうでも良い。


 その男がただの人間ではないと一目でわかった。

 少女の脳内ですぐに結びついた単語は、勇者だ。


 強い!

 先ほどの二人よりも遥かに!!


「俺は……勇者だ。この町の人々を守りたい」


 オサムは少しだけ迷ったが、そう名乗った。


 勇者として召喚されたのは事実だ。

 そして、少なくとも、今の自分にはその資格があると思った。


 名乗ったオサムに、目の前の少女は呆れるように笑った。


「守る? そのための話を?」


「あぁ、そうだ。戦う必要がないのなら、俺は戦いたくない。それが、魔物相手でもだ」


「クハハ! 勇者を名乗る男が何をほざくか! 貴様のような存在がいるから我らが戦うのだ」


「何だと? 俺達は戦いたくて戦ってるわけじゃ……」


 クラスメイト達は全員、無理やりこの世界に呼び出された。

 そして戦わなければ、元の世界には帰れないと告げられた。


 自ら望んでこの世界に来た者などいない。


 国王はそれが神の意思だと言った。

 人と魔の戦争を終わらせる事だけが神の意思に従う事だと。


 だったらそれは戦いだけじゃない。

 お互いに理解し合い、歩み寄る事だってできるハズだ。


 オサムはこの世界の事をまだ知らない。

 だけどヌシと出会って、そう思ったのだった。


 手を取り、助け合い、人間と魔族が共に暮らせるような平和な世界を作り出す事だってできるハズなんだ。


(そう、だから魔族は滅ぼさなくちゃいけないんだ……)


 ……あれ?

 なにか、ヘンだ……?


「貴様らの望みなど知るか。我が知るのは多くの同胞が苦しめられているという事実だけだ」


「違う! それは、魔物が人間を襲うからだ! だから殺すんだ!」


「クハ! どの口がそうほざく! 先に始めたのは人間どもだろう。勇者などという大量殺戮兵器を呼び出したのだ! もう戦争は始まった。なのに貴様は、何の抵抗もせずに我らだけが滅びろと、そう言うつもりか?」


「違う! そうじゃない……俺はただ、守りたいだけなんだ。だから殺さなくちゃ」


 オサムの様子が、明らかに変わった。

 急に鋭く睨みつけるように細まった視線に、少女は背中に冷たい感覚が走るのを自覚した。


「……ほぅ?」


「みんなを……守るんだ。そのために、戦うんだ……!」


 オサムの思考が真っ赤に染まる。

 何かがおかしい。


 そう訴える理性は、すでに脳の奥深くへと埋もれている。


「オサム?」


 ドリーもその変化に気が付いた。

 名前を呼ぶ声は、オサムには届かない。


「クハハ! 貴様は、なんだか妙なヤツだな。本当にそれが貴様の意思なのか? 言っている事がメチャクチャだぞ」


「メチャクチャなのはお前らだ。お前が、魔族が、悪なんだ……!!」


 対話はそこまでだった。

 オサムが求めたはずのその機会を、オサム自らが破棄した。


 ――ゴパッ!!


 大地を穿つような踏み込みの一歩で、オサムの体が目の前の少女に肉薄する。

 振り下ろされた拳は爆発物のように少女のいた場所を消し飛ばした。


「クハ、クハハ……!!」


 少女は、辛うじてそれを回避していた。 


 不意打ちとは言え、反応はギリギリだった。

 拳を掠めた右足は太ももから先が無くなっていたが、すぐに修復する。


 それすら待たず、オサムは追撃を重ねた。


「良いぞ……! 手加減は無用のようだな。我も出し惜しみは無しだ!」


 少女は金棒を生成し、迎え撃つ。

 オサムの突進を迎え撃った金棒の一振りは、素手の一撃にいとも容易く砕かれた。


 ――バキャ!!


「クッ……ハァッ!?」


 そのまま、内臓をぶちまけられる。


 人間にとっては致命傷でも、鬼である少女はすぐに修復できる。

 だが、激しさを増すオサムの追撃に、それすらも間に合わなくなっていく。


(なんだ、こやつは……!?)


 素手の人間相手に、こうも圧倒されるとは。


 少女は生まれて初めて、全身に冷たい汗をかいた。


 手加減無用どころの話ではない。

 本気で戦わなければ、すぐにでも自分が殺される。


 鬼の少女にとって「本気を出す」という事と「手加減をしない」という事は全く別の事象だった。

 

 なぜなら、少女がこれまで戦ってきた相手は、本気を出せば戦いにすらならない相手ばかりだったからだ。

 それは二人の勇者も例外ではなかった。


 この身一つと、多少の鬼術。

 それくらいならば良い勝負にはなる。


 そこに肉体的な手加減がなくとも。


 だが、少女が生まれ持った鬼術は強すぎた。

 それをフルパワーで使えば、どんな戦況も一変してしまう。


 だからこそ鬼術の力は、いつだって出来る限り制限して使っていた。


 だが、今、この相手にならば……その全てをぶつけても良い。


 少女はそう確信した。


「鬼火!!」


 ――ボォウ!!


 紫の炎でカーテンを作り、死角を作ってオサムとの距離を置く。

 そして、少女はほんの一瞬だけ息を整えた。


「ふぅー……」


 瞼を閉じる。


「鬼門、開眼……!!」


 鬼の眼の中にある鬼の力の源とも呼べる核。

 それは鬼門と呼ばれる。


 鬼門を開くという事は、鬼が持つあらゆる力を全て開放するという事である。

 要するに「本気を出す」という事だった。


 見開かれた少女の眼が、ギラリと金色に輝いた。

 そこに宿るのは強い魔力の光だ。


「ハァー……ッ!!」


 全身にみなぎる活力に、自然と口角が吊り上がる。


 少女の胸は躍っていた。


 初めてだ。

 本気で戦わなければ勝てない相手は。


 ――ブオンッ!!


 拳を振るう風圧だけで紫の炎を破って、オサムが接近する。

 わずかに変わった少女の様子に気づいても、オサムの行動は変わらなかった。


 ただ、殺すだけ。


 やってみろ、と少女も内心で答える。


 ――ボボボッ!!


 放たれる鬼火はその熱と輝きを増し、大地を割って噴き出した。


 同時に固定していた巨人の姿を遠隔で動作させる。

 その巨人の単眼に収束した鬼火の塊を撃ち出す鬼火砲。


 巨人サイズで作り直した大金棒での連携攻撃。

 町を焼き払った鬼火玉も、無限に生成される金棒の群れも。 


 持てる全ての力で目の前の勇者を迎え撃った。


 ――ドッパァァァァン!!!!


 それを、真正面からオサムは打ち破っていく。


 オサムは笑っていた。

 戦いの喜びに震えていた。


 ドリーは、それを背中から見ているしかできなかった。


「んっ……!」


 オサムから離れようとしても、体が動かない。


 契約の暴走オーバーロード

 オサムを介して流れ込んでくる数多の赤く、黒い感情の渦。


 それが感覚でわかった。

 ドリーにはもう今のオサムを止める術がないのだと。


 ただ誰よりもそばで、その戦いの行方を見守るしかなかった。

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