030:激突のマカダミア③
「君はまだ、ドレインデッドという存在を完璧には理解できていない」
勇者フレアは微笑みを絶やさないまま、その視線だけを足元に泳がせた。
伏せられた瞼の先で揺れる長い睫毛が、オサムにはどこか寂しそうに見えた。
その視線が何を見ているのか、オサムにはわからない。
二人の足元には、ただ白い水面があるだけだ。
「理解、ですか?」
「そう。あの子がどんな存在で、その能力がどんなモノなのか」
「ドリーに触れた人間は、一時的に驚異的な力を与えられる。その代わりその命を奪われる。そんな契約を強制する。それがドレインデッドの能力ではないんですか?」
オサムが知っているのはそれだけだ。
「あの子にそう聞いたんだろう?」
オサムは頷いた。
『私の力は、超次元の力の高利貸し。時間が過ぎれば、与えられた以上の力の返済を強制される』
ドリーの言葉を思い出す。
それが彼女の名前。
恐らくはその能力を体現して付けられた名前。
では、その意味はどうだろう。
命を吸う者、とは何を意味しているのか……。
「あの子もそう思っている。僕もそうだったからね」
「ドリー自身も知らない何かがある……という事ですか?」
「そう。実態は少し違うんだ。
契約の大小は、ただ相手を殺すという事だけではないらしい。
思い出された力の返済という単語が、オサムの中に妙に引っかかった。
「僕たちが意識を共有できるのは魂が死の深淵にまで到達したものだけ。君はその深みに一歩、近づいたらしい」
「死の深淵?」
「そう。ただの死ではない。恐らくは生命力の対極にある概念さ。僕らはそう定義している」
フレアは足元に伏せていた視線をオサムに戻した。
真っ直ぐにオサムの心の内側を覗くような、磨かれた鏡のように綺麗な瞳が青く光を反射する。
「ドレインデッドの契約が反転した時、使用者の命は尽きる。でもそれは、ライフが0になるだけで済むようなものじゃないんだ。強い者ほど、強い力を使ったものほど、その反動を受けて死のその先へとたどり着く。それが僕たちの魂が存在する世界さ」
またしてもなんとも抽象的な話だった。
死だとか、魂だとか。
異世界に訪れてもなお、まだオサムには現実からほど遠く感じられる。
そもそも死とはなんなのか。
子供の頃、大人たちから聞かされた死後の世界の話。
地獄や天国。
天使と悪魔。
そんなものはただのおとぎ話だと思っていた。
死の先の世界など、本気で考えた事はなかった。
「……僕は生きたまま、その死者の仲間になっていると?」
これまでの話を整理していくと、そういう事になる。
オサムの肉体は死んではいないが、死者よりも死に近しい魂を内包しているらしい。
それは目の前にいる先代の勇者と同じ領域に足を踏み入手れているという事なのではないのだろうか。
勇者の言葉を借りるならば、死の深淵という、死の向こう側の領域へ。
「それは分からない。僕らにも理解できていないんだ」
オサムの問いへの明確は答えを、フレアは持てなかった。
フレアは分からない事を悔しがる様子はなく、むしろ楽しそうな表情で喜々として語る。
「全ては可能性の話だよ。僕はこの世界でずっとその答えを探しているんだ」
微笑みの中のフレアの瞳が強く輝く。
その輝きに映るのは純粋な好奇心だ。
「少なくとも君は、僕と同等かそれ以上の力を使ったようだ。だから僕の声が届いた」
「確かに力は使いました。でも、なんで今回だけ……?」
良く考えてみれば、最初にドレインデッドの力を使った時には何も起きなかった。
ただ力を得て、代償を払う事もなかった。
しかし、今回は力の暴走が起こった。
そして死者の魂に巡り合うなんていう予想外の出来事まで次々に起こっている。
そこに何か理由があるのか、それともただの偶然か。
「それも僕にも分からない。だからこそ君と話してみたいと思ったんだ」
フレアは何もない空を見上げた。
どこか遠くを見るような視線のまま、記憶を巡るように静かに瞼を閉じる。
「ドレインデッドの契約で命を落した者は数知れない。僕はそれを見て来た。この場所からね。けれど、その中からこちらの世界にまで足を踏み入れる者は驚くほど少ない」
フレアはそこまで言って、オサムの答えを待つように口を閉ざした。
小さな沈黙の中で、つられるようにオサムは思考する。
選ばれたものと選ばれなかったものの違いが何なのかオサムは知らない。
ただ想像する事はできた。
これまでのフレアの話から、なんとなく見えてくる。
「……力が足りなかったから?」
オサムの答えにフレアは満足そうに頷いた。
「恐らくね。正確な基準値は誰にもわからない。だけど、確実に何かの基準で選別されている」
「もし力が基準なら……ドレインデッドは強い魂を集めている……?」
フレアがニヤリと笑い、つけくわえる。
「そう。それも『勇者級の規格外』ばかりを」
それは何のためか。
戦力を集めるのなら、戦うために決まっている。
「あとはその相手さ。ドレインデッドを作り出した存在は、いったい何を恐れたのかな?」
「勇者が束になっても、勝てないような……そんな敵……?」
勇者は強い。
一人で魔物の軍勢を撃ち滅ぼす事ができるほどに。
「魔王を超えるほどの存在が、圧倒的な脅威がこの世界に迫っている……なんて考えるのは妄想が過ぎると思うかい?」
フレアは少しだけ力なく笑った。
自分を信じ切れていない不安を誤魔化すような、そんな表情だった。
「……わかりません。俺の世界には、そもそも魔族なんていなかったし」
「それもそうか。君達はとても平和な世界から来たんだったね。僕も……」
フレアの言葉を遮るように、鐘の音が響いた。
ゴーン、ゴーンと白い世界に染み込んでいくような反響音。
それは空から振ってくるような、足元から響いてくるような、世界そのものが揺れるような音だった。
「おっと、少しゆっくり喋りすぎたかな? ……そろそろ時間みたいだ」
「え?」
どうやらこの世界には制限時間というものがあったらしい。
止まっているかのようにゆったりとした時間の流れが、急に動き出したような感覚がした。
「僕はこの世界が好きだ。オサムはどうだい?」
フレアは不意にそんな事を聞くと、しゃがみこんで白い水面をコツンと叩いた。
波紋が世界を渡る。
水が油を弾くように広がる波紋と共に、眼下の景色が変わっていく。
そこには広い平野でぶつかり合う二つの勢力が見えた。
一方は甲冑に身を包んだ騎士団達。
もう一方は多種多様な姿の魔物達だ。
フレアの言うこの世界とは、オサムがさっきまでいた世界の事なのだろう。
召喚されてきたオサムにとっては異世界だ。
「この世界は醜いと思うだろう。いつ見ても争いばかりさ。人と魔物。人と人。何もかもが戦う相手を探してる。まるでそうしないと生きていけないみたいだ」
地上の景色からは、届かないハズの音が聞こえた。
それは怒号と悲鳴だ。
分かりやすいくらいの怒りと絶望だけがその場所を支配しているのが遠い天上からでも見て取れる。
「でも、僕はこの世界が好きなんだ。人間が好きだよ」
しゃがんだフレアの表情は長い前髪に隠れてほとんど見えなかった。
ただその声色は、母親が生まれたての赤子を抱くような、そんな慈悲に満ち溢れている気がした。
「オサム、この鐘の音を覚えていておくれ。この音が合図だ」
「合図?」
立ち上がったフレアはそう言って笑った。
世界は鐘の音に包まれている。
「うん。きっと、また会おう」
オサムの問いには何も答えず、ゆらりと背を向ける。
「ちょ、ちょっと待って!」
オサムの声は鐘の音にかき消された。
立ち止まったままのフレアの姿はなぜか遠くなる。
――ゴーン、ゴーン、ゴーン。
鐘の音は次第に大きくなっていた。
やがてその音、その振動は体感できるほどの揺れになり、そして視界は白から黒へと反転する。
次の瞬間、オサムは平野で目覚めた。
猛る戦火の真ん中で。
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