最愛の婚約者は異世界からの召喚者に乗っ取られる~私を溺愛していた婚約者は事故で別人(※文字通り)になってしまいましたが、取り戻すまで諦めません~

彪雅にこ

第1話 愛しい日々

 まさかこの時の別れが、長い長いお別れになってしまうなんて、考えもしなかった。

「またね」

 そう言って笑顔で別れたのに。

 あんなに大好きだったあなたに、もう会えなくなってしまうなんて。

 そんなの嫌だ。会いたい。会いたいよ。


――だから、私はあなたを取り戻すまで、絶対に諦めないって誓ったんだ――



「ルチア、教科書忘れてるよ」

 授業が終わったばかりの階段教室に、しっとりとした低音の美声が響く。

 窓の外は夏の強い日差しが木々の緑をくっきりと際立たせているが、天井の高い石造りの教室内はその影響をさほど受けていない。

 ほとんどの生徒が教室内よりも熱を孕んだ廊下へと移動していくなか、名前を呼ばれた女生徒が、腰まで伸びた艶やかなストロベリーブロンドをふわりと翻して振り返った。

「ああっ、本当だ!ありがとう、アル」

 澄んだ鈴の音のような声。

 ルチアは教室の中段辺り、先程まで自分が座っていたマホガニーの長机の上に置き忘れられた教科書を見て、慌てて引き返してきた。

 上段から降りてきてその教科書を手に取ったアルベルトが、引き返してくるルチアに教科書を差し出す。吸い込まれそうに深い翡翠色の瞳が、優しげに細められた。


「ルチアは本当にうっかりさんだなー」

 アルベルトの後ろから、アルベルトの親友フリオが歌うように言ってひょこっと顔を出し、鮮やかなサファイアブルーの瞳を輝かせてにやりと笑った。後ろでひとつに束ねた艶々のダークブロンドがさらりと揺れる。

 フリオの言葉にアルベルトはちょっとむっとした表情を浮かべながら、駆け寄ってきたルチアに教科書を手渡した。


「こういう少しうっかりなところも可愛いだろう。ルチアの魅力だからいいんだ。こうやって僕が気をつけてあげればいいんだから」

 アルベルトがルチアを愛おしそうに見つめて、柔らかく波打つ髪を撫でた。その手がとても優しくて、ルチアはくすぐったそうに目を細める。

「アル、いつもありがとう。大好き」

「僕もだ。ルチア」

 アルベルトはいつでもルチアに優しい。そんな二人の様子を見て、フリオがその端整な顔を緩ませた。

「はいはい。君たちは本当に仲がいいな」



 ベニーニ侯爵家の一人息子アルベルト・ロッシ・ベニーニは、眉目秀麗、成績優秀と名高い。

 歴史あるカルミア王国の王族や貴族階級の子息子女が集まる、この王立バーベイン魔法学園において、選りすぐりの成績優秀者のみが集められた特Aクラスの万年首席である。


 さらさらと輝くブロンドに、息をのむような美貌、そのうえすらりと引き締まった長身と、天が二物も三物も与えた風貌はどこにいても人の目を惹く。常に女子生徒たちの注目を集める存在でありながら、婚約者のルチア以外には一切関心を示さないのは、学園中が知るところ。

 涼やかな目元が優しく細められるのは、いつだってルチアに対してだけだ。


 そんなアルベルトに溺愛されているのが、ファール伯爵令嬢ルチア・アデライデ・ファールだ。

 こちらも人形のように整った可愛らしい顔つきで、海のような煌めきを湛える大きな瑠璃色の瞳は人の心を魅了する。少し低めの身長すら、可憐さを際立たせるために神が緻密に計算したかのようだ。アルベルトの隣に並び立つ様がこれほど絵になるのは、ルチアくらいのものだろう。

 アルベルトに言わせれば、少しだけ抜けている性格がたまらなく可愛いく、庇護欲を掻き立てられるらしい。

 万年首席のアルベルトと一緒に勉学に励んでいるだけあって、成績も優秀な部類に入り、これまでずっと特Aクラスに在籍している。


 アルベルトのベニーニ侯爵家は、古くより門外不出の魔法薬の知識を継承している。質の高い魔法薬を創り出す一門として建国当初に侯爵位を賜って以来、長きにわたり王家に仕えてきた格式高い家門だ。

 魔法薬の品質には絶対に妥協を許さず、常に新しい薬の研究に余念なく真摯な姿勢を貫く誇りの高さは、貴族界のみならず、王家からも一目置かれている。

 一方で、魔法薬に関しての出費を惜しまなかったが故に、先代の頃に家計が傾きかけたという過去も持っていた。


 対してルチアのファール伯爵家は、代々家長に先見の明があり、商売を成功させ巨万の富を築き上げたことで、ルチアの曾祖父の代に伯爵位まで上り詰めた新興貴族だ。

 商才に秀でるだけでなく慈悲深い精神も併せ持つ一族で、爵位と領地を賜って以降、領民の暮らしを向上させるべく尽力してきたことから、領地も潤っており領民たちからはすこぶる評判がいい。


 誰もが病気の治療を受けられるようにと思案していたルチアの祖父が、ベニーニ侯爵家の魔法薬に注目し、貴族だけでなく平民でもその魔法薬を使うことはできないだろうかと交渉。研究費の援助と引き換えに、薬の販売権を得る契約をしたのが両家の交流の始まりだ。

 こうして繋がりを持ったベニーニ侯爵家とファール伯爵家は、今では強固な信頼関係を築いている。


 良好な関係のなか、同じ年にアルベルトとルチアが生まれたことで、二人は幼い頃に婚約者となった。家が決めた婚約ではあったが、二人は出会ってすぐに打ち解け、親交を重ねるうちに互いに深く思い合う関係になっていった。

「家同士が決めた婚約者が運命の人だったなんて、本当に幸運だね」

 毎日のようにそう言って笑い合う満たされた日々。学園を卒業したら正式に婚約し、早々に結婚する予定になっている。



 放課後の廊下で帰り支度をするルチアを、アルベルトが優しい瞳で見守っていた。

 夏期休暇を控えたこの季節は、放課後といえどまだまだ日も高く暑い。暑さから少しでも逃れようとシャツの胸元を開ける生徒が多いなか、アルベルトはきっちりタイを締めた隙のない姿で、汗ひとつかかず涼やかな顔をしていた。自らの手で調合した、体温調節を助ける魔法薬のおかげだろう。

「もうすぐルチアの誕生日だな。この前、僕の誕生日の時にはルチアがいろいろ考えてお祝いしてくれたから、今度は僕の番だ。たった一度しかないルチアの17歳の誕生日、どうやってお祝いしようか」

 鞄を開けたルチアに、ロッカーからすいすいと課題が出ている教科の教科書を抜き出して渡しながら、アルベルトが言った。ルチアはありがとう、と受け取った教科書を鞄に詰め込みつつ、うーん、と考え込むような仕草を見せる。

 アルベルトの魔法薬の恩恵で、ルチアも暑さに負けずきっちり制服を着こなしているため、清らかさが際立って見える。


「私はアルと一緒に過ごせれば、それだけでいいよ」

 真っ直ぐな瞳で見上げるルチアを、アルベルトが眩しそうに見つめた。愛おしげに、窓から差し込む日差しに透ける美しい髪に指を絡める。

「ルチアは毎年それだな。それじゃ、今年はちょっと毛色を変えて、夏期休暇中に一緒に出掛けるのはどう?どこか行きたいところはない?」

 アルベルトの誕生日は春、ルチアは夏。毎年ルチアの誕生日は学園の夏期休暇と重なっている。


「一緒にお出掛けは素敵だね!」

 ルチアはぱっと瞳を輝かせた。

「どこへでも、ルチアの好きな所に連れて行ってあげるよ」

 柔らかく包み込むようにアルベルトに手を取られ、ルチアは少し照れたように目を伏せて考え込んでいたが、ふと何かを思い出したように顔を上げた。


「そうだ、それじゃ、あそこはどう?小さい頃、私とアルが初めて会った、あの海辺の…」

 ルチアは思い出の景色を思い浮かべ、きらきらと瞳を輝かせてアルベルトを見つめた。アルベルトも、その瞳の輝きを受け止めるように見つめ返し、ふわりと微笑む。

「ああ、アルメリアの別邸だね。そういえばルチアと初めて会ったあの夏以来、僕もずっと行っていないな。懐かしい思い出もたくさんあるし、久しぶりにあそこに行こうか」


 アルメリアは、ルチアとアルベルトが初めて顔を合わせた海辺の都市だ。

 現国王の叔父にあたる公爵が治める地で、美しい海岸が広がり、夏のバカンスを楽しむ貴族たちから人気が高い。

 ベニーニ侯爵家の別邸があり、二人の婚約が決まった年に、互いの顔合わせを兼ねて数週間一緒に滞在したことがあった。

 海を見下ろせる高台に立つその豪奢な別邸は、ベニーニ家の数代前の当主が、当時猛威を振るった流行病を、自身が開発した魔法薬で終息させた功績を称えられ、その周辺の土地とともに王家から特別に賜ったものだそうだ。

 二人はそこで初めて顔を合わせ、あっという間に打ち解けて、互いを好きになった。アルメリアは二人にとって出会いの地であり、初めて恋というものを知った場所でもあるのだ。


「うん!それがいいな。また一緒に海辺を歩いたり、バルコニーで夕日を見たりしよう。綺麗な花が咲いていた丘もあったよね」

「決まりだ。ファール伯爵には許可をもらっておくから、ルチアの誕生日の前日から、二週間くらい滞在しよう」

「わぁ、楽しみ!アルありがとう!」

「僕の方こそありがとう。ルチアの喜ぶ顔が見られて嬉しいよ」

 手を繋ぎ、指先を絡めて玄関へと向かう。

 途中、たくさんの女生徒に囲まれて談笑しているフリオに手を振り、二人は帰路についた。



 学年末の試験も無事に終わり、迎えた終業式の日。いよいよ明日から夏期休暇だ。

 昨日は6年生の卒業式が行われ、5年生最後の試験も首席だったアルベルトが、在校生を代表して送辞を述べた。

 ルチアもアルベルトの支えがあったおかげもあり、学年末試験の結果は上々で、最終学年も特Aクラスに決まっている。学園生活最後の年もアルベルトと同じクラスで過ごせることが、何よりも嬉しかった。


「ようやく明日から休暇だね!君たちはアルメリアに行くんだっけ?」

 休み前のホームルームが終わると、すらりと長い腕を突き上げ、ぐんと身体を反らせながらフリオが言った。長期休暇を控えた教室内は、休みの予定に浮き足立った楽しげな声で溢れている。

「うん、そうだよ。フリオは?お休み中どこかに行くの?」

「そうだね、僕はいろいろとお誘いを受けているから、各地を転々とする予定だよ。今回もあまり領地で寛ぐ暇はないかもしれないなー」


 フリオ・ヴィットリオ・アドルニは、中性的な美しい顔立ちと穏やかでスマートな物腰で、女生徒たちからとても人気がある。

 アルベルトと同じく、建国当初から王家を支える由緒正しい侯爵家の嫡男だが、縛られるのはまだ先で十分だとばかりに逃げ回っているらしく、定められた婚約者もいない。声を掛ければほとんど断ることなく誘いに応じてくれるとあって、休日はご令嬢方から引く手あまただ。社交的で顔も広く、学園の生徒はもちろん、学園外の女性からもお誘いがあるほどらしい。

 遊んでばかりいるわりには成績がよく、学年末の試験でもルチアより上の5位に入っていた。最終学年ももちろん特Aクラスだ。


「たくさんのご令嬢に愛想を振り撒くのは、ほどほどにしておけよ。いつか大変な目に遭うぞ」

 アルベルトが呆れたように言うと、フリオはいつも通りの屈託のない笑顔を浮かべた。

「はいはい、心に留めておくよ」

「モテすぎるのも大変だねー」

 三人で軽口を叩きながら歩いていると、フリオが昨日卒業した女の先輩に呼び止められたため、そこで別れた。

 卒業生たちは今日で寮を出て各々の家に帰る。きっと最後にフリオに伝えたい思いがあったのだろう。


「フリオは本当に人気者だね」

 ルチアは先輩から何かを受け取っているフリオをちらりと振り返った。

「あいつは誰にでも愛想がいいからな」

 アルベルトは見慣れた光景とばかりに、振り返りもしない。ルチアはその興味のなさそうな横顔を見つめて、いたずらっぽい表情を浮かべる。

「でも、本当はアルもすごく人気があるって知ってた?アルはいつも無表情で怖そうだから、話しかけたくても話しかけられない子がたくさんいるって、この間ミアに聞いた」

 ミアとは、ルチアの寮でのルームメイトのことだ。昨年まで特Aクラスで一緒だったが、今年はひとつ下のAクラスに在籍しており、最終学年もAクラスに決まったと聞いた。クラスが分かれてしまっても、一番仲のいい友達だ。

「アルは全然無表情じゃないし、怖くなんかないのにね」

 アルベルトが豊かに表情を動かすのはルチアに対してだけだということを、いつもアルベルトにそうした表情を向けられているルチアは知らない。


 アルベルトはちらりとルチアを見ると、わかってるくせに、とでも言いたげに小さく溜息をついた。

「僕はルチアにしか興味ないから、話しかけられない方が都合がいい。ルチア以外のことに時間を割かれるのは煩わしいから」

 何の躊躇いもなく発せられるその言葉に、嘘の香りはまったくしない。

「そっか」

 自分が女生徒たちから人気があると聞いて、どんな表情をするのか見たかったのに、逆に自分への真っ直ぐな思いをぶつけられて返り討ちにされてしまったルチアは、少し顔を赤らめて、困ったような、くすぐったいような顔をした。

 確かに、アルベルトが他の女生徒たちと仲良くしている様子は想像がつかない。アルベルトはいつでもルチアだけを見ていて、ルチアだけを大切にしてくれているからだろう。


『そのせいでアルが友達を作る機会を失ってしまっているとしたら、ちょっと申し訳ないけど…』

 嬉しい反面、少し複雑だ。黙って考え込んでしまったルチアの顔を覗き込むようにして、アルベルトが心配気に言った。

「ルチアは、僕がそんなんじゃ困る?」

 ルチアは慌てて首を振りながら、アルベルトを見上げる。

「ううん、そんなわけない。ただ、アルはいつも私を優先してくれてばかりだから、もしもそのせいで友達を作る機会を損なってしまってたとしたら、何だか申し訳ないなって」

 ルチアの言葉を聞いても、なお不安そうに瞳を揺らすアルベルトの気持ちに応えるように、そっとアルベルトの長い指に自分の指を絡めた。

「アルが大好きだよ。アルの全部が好き」

 思いを口にした途端、ぎゅっと手を握りしめ返したアルベルトに、木陰に引き込まれる。


「友達なら、フリオがいるし、他にも男友達はいる。ルチアが僕の唯一の女友達であり、愛する人だ。他の女友達は必要としていない。僕がそうしたいだけなんだから、ルチアが気にすることは何もないよ」

 木の幹を背にアルベルトを見上げたルチアの唇が、熱い唇に塞がれる。


 魔法薬の研究に重きを置くアルベルトが、いつも漂わせている清涼な薬草の香りが鼻を掠めた。

 優しさのなかにも愛しい思いを全部詰め込んだような甘く深いキスが続き、息が上がってしまったルチアを、やっと唇を離したアルベルトがきつく抱きしめる。

 アルベルトの香りにすっぽりと包み込まれ、多幸感が満ちていく。


「ルチアの甘い香りは、いつも僕の箍を外す…。――無理させてごめん。でも、本当はもっとしたいから、頑張って慣れて」

 甘く耳元で囁かれ、ルチアは真っ赤になりながらもこくりと頷いた。

 婚約者になってから10年以上経つが、こうしたキスを交わすようになったのはごく最近だ。ルチアはまだ、こういう時どうすればいいのか、よくわからない。

 引き締まった胸板越しに、ルチアと同じように高鳴っているアルベルトの鼓動が聞こえた。



「明日、ルチアの家の馬車は何時に迎えに来る?」

 女子寮の前までルチアを送り届けたアルベルトは、離れ難そうに手を繋いだまま問いかけた。

 女子寮と男子寮は、校舎を挟んで対極に位置している。生徒玄関を出て、それぞれ反対方向に広大な学園の敷地内を5分ほど歩いた場所に学生寮はあった。

 アルベルトは毎朝女子寮までルチアを迎えに来て、授業が終われば送り届ける。入学以来ずっと変わらない日課だ。


「10時だよ。アルは?」

「僕は研究所に行く用事があるから、9時には出なければならない。見送りはいいよ。男子寮まで一人で来させるのは嫌だから」

 稀代の秀才と名高いアルベルトは、4年時に書いた魔法薬の論文が認められ、まだ学生ながら王立魔法学研究所に自分の研究室を持っている。学園が休みの度に研究所に通い、新しい魔法薬の研究をしていた。

 研究所でもアルベルトへの評価は高く、学園卒業後もそのまま研究員として研究を続けることが決まっている。

 いずれは侯爵家を継ぎ、守ってきた魔法薬の知識とともに研究を発展させていくのだろう。


 貴族の子息子女のみならず王族も通う学園とあって、学園の敷地内には魔法による結界が幾重にも張られている。害意がある余所者の侵入などほとんど考えられないというのに、アルベルトはいつも頑なにルチアを一人で出歩かせたがらない。ルチアは不思議そうに首を傾げた。

「どうして?男子寮までそんなに遠いわけじゃないんだから、お見送りに行くよ?朝だから人目もあるし危険はないでしょ?」

「ルチア、異性に人気があるのは、フリオや僕だけじゃないんだよ」

 アルベルトの言葉に、ルチアは大きな目を見開いて一瞬固まった。言葉の意味を理解すると、くすくすと笑い出す。

「――もしかして、私が人気あるって言いたいの?男子生徒に?ふふふ、あり得ないよ。そんな話、聞いたことないもの」


 アルベルトは少し拗ねたような顔をして、笑い続けるルチアを引き寄せた。

「そうやって無自覚だから心配なんだ。僕が四六時中張りついて牽制してるのは、何のためだと思ってる」

 実際、可憐な容姿でいつも朗らかなルチアは、男子生徒から人気が高い。常にアルベルトが横で目を光らせて視線を遮り、他の男子を近づかせないため、本人はそのことにまったく気がついていないが。


「ふふ、わかった。そんな心配は無用だと思うけど、アルが嫌ならお見送りには行かない。一週間後には一緒にアルメリアに行けるんだし、明日は我慢するよ」

 ルチアが笑いながら言うと、アルベルトは安心したように目を細めた。

「うん。僕だって本当は明日もルチアの顔が見たいけど、僕が馬車に乗った後にルチアが誰かに声を掛けられたらって思うと、研究に手がつかなくなりそうだから、そうしてくれると嬉しい」

「アルは心配性だなあ。本当に、何の心配もないのに」

「ルチアは可愛いよ。他の誰よりも」


 アルベルトに真顔で言われて、ルチアの頬が赤く染まる。

 いつだってアルベルトは真っ直ぐに気持ちを注いでくれるが、だからといってそれに慣れて照れなくなることなどない。思いを受け取る度に、こうして落ち着かない気持ちになってしまう。

「そんなこと全然ないけど、アルにはそう見えてるならよかった」

 ルチアは俯きながら、小さな声で答えた。


 明日にはそれぞれの領地にある邸に帰省するため、しばしの別れとなる。学園で毎日一緒に過ごしている二人にとっては、たった一週間会えないだけでも大事おおごとだ。

 どちらもなかなか離れられずにいると、女子寮の中から門限が近いことを示すチャイムの音が響いた。


「そろそろ行かなくちゃ。アルも急いで帰らないと、門限に間に合わなくなっちゃうよ」

「そうだな。それじゃあ、また一週間後に。ファール邸に迎えに行くから」

「うん。楽しみにしてる」

 アルベルトはルチアの額にキスをすると、ルチアが女子寮の門を潜ったのを見届けて背中を向けた。


「アル、またね!」

 その背中にルチアが呼びかけると、振り返って優しく微笑み、手を振る。ルチアは手を振り返しながら、アルベルトの姿が建物の角を曲がって消えるまで、ずっと見送っていた。


「明日から、一週間もアルに会えないんだなぁ」

 呟いた途端、アルベルトが恋しくて仕方ない気持ちに襲われる。たった今まで一緒にいたというのに。

 ルチアは、ともするとアルベルトを追いかけて走っていってしまいそうになる気持ちを堪えるように、ふるふると首を振った。

 髪に残ったアルベルトの薬草の香りが仄かに漂い、さらに胸が苦しくなる。

「だめだめ、いつまでも寂しがってないで、帰省の準備をしないと」

 自らに言い聞かせるように呟いて、自室へと階段を上っていった。

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