第23話 嫉妬

 アルベルトの誕生日の翌日、ルチアとアルベルトはアルメリアを立った。

 王都に戻る途中、ファール伯爵家を経る。ファール伯爵夫妻が以前と変わらないアルベルトの姿と、幸せそうな娘の様子に安堵し、歓待したのは言うまでもない。

 アルベルトはファール伯爵夫妻に丁重に礼を述べ、これまで以上にルチアを大切にすると誓った。


 王都に戻ってからの日々はめまぐるしい忙しさで、王太子から感謝と謝罪の言葉を賜ったり、病院や研究所で検査を受けたり、論文を書いたりしているうちに、あっという間に一月以上が過ぎた。



 アルベルトは、魂と身体の結びつきを強くする薬の論文を、ルチアとの連名で提出した。

 ルチアが調合した薬は、アルベルトが残したメモや薬草の購入履歴、事故の際に残されていた薬草の粉末などからアルベルトが作ったものを予測して調合されており、使われていた材料は合致していた。だが、ルチアの方がミナトとの治験を重ねていた分、より効果が高い配合比率を導き出していたためだ。

 アルベルトがその薬を作るきっかけとなった植物状態の患者に投与したところ、仮説通りに脳機能の改善がみられた。今後も治験を重ねながら、新たな治療薬として承認に向け動き出すことになっている。


「以前のルチアの魔法学の知識は学園で学んだ基礎程度だったのに、たった一年足らずでよくこの薬を完成させたと思う。ルチアはすごいよ」

 アルベルトはルチアの研究ノートの山に目を通しながら、感嘆の声を上げた。

「アルがすごいんだよ。私はアルが残した資料やノートから、アルの足跡を辿っただけだもん」

「それは僕が何年もかけて辿り着いたものだ。だからやっぱりルチアはすごい」

「私は、アルにもう一度会いたかっただけ。それだけのために頑張ったの」

 ノートを読んでいたアルベルトの後ろから、ルチアがそっと抱きついた。駆け足の鼓動が伝わってしまうかもしれないが、それでも今、アルベルトの温かさに触れたかった。

「だから、こうしてアルと一緒にいられるこの時間が、最高のご褒美」

「うん…。ルチア、頑張ったね。頑張ってくれて、ありがとう。僕を諦めないでくれて、本当にありがとう」

 アルベルトはノートを机に置き、後ろから回されたルチアの手を、すっぽりと包み込むように握る。温かい手に包まれて、指先からじんわりと体中に安堵が広がっていく。

「諦めるわけないよ。これからだって、何があっても離れないんだからね」

「うん。ずっと一緒だ」

 大好きな薬草の香りがする背中に、ルチアはぎゅっと頬を埋めた。



「アルベルト、体調はどう?魂の様子を見るに、かなり安定してるようだけど」

 王都に帰ってきてから、ジュリアーノも度々アルベルトの様子を見に研究室を訪れていた。

「体調は何も問題ないよ。体力も以前よりついたくらいだ」

 アルベルトが笑顔で答える。

 魔法薬のみに頼って体調を戻すのではなく、アルベルトは朝晩剣を振って強固な身体づくりを進めていた。事故の前よりも入念に鍛錬しているため、アルベルトの無駄のない身体はさらに引き締まり、逞しさを増していた。

「そうだな。もう薬も必要ないんじゃないか?なあ、ルチア」

「うん。ジュリアーノさんから見ても大丈夫なら、もういいよね」


 ミナト同様、魂と身体の結びつきを強くする薬を飲んでいたアルベルトだが、ジュリアーノのお墨付きをもらって、やっと服薬から解放されそうだ。

「それを聞いて安心したよ。あの薬、効果は間違いないんだけど、味だけはどうにもね…。僕が考えた薬だから僕の責任なんだけど、服薬用はもう少し飲みやすくできるように改良しないと、承認されたら患者さんたちから怒られそうだ」

「ふふ、ミナトもすごい顔して飲んでるんだよねー。相当不味いみたい。文句言いながらも我慢して飲んでくれてるけど」


 ミナトは異世界から来たせいか、魂の状態が落ち着くのに時間がかかっている。最初よりも薬の量は減りはしたが、まだ服薬を続けていた。

「ああ、ミナトもずっと飲んでるもんね。ルチアがいる時は、毎日薬湯作ってあげてるんでしょ?自分で作って飲むのは難しい薬なの?」

 ジュリアーノがアルベルトの様子をうかがいながら言った。

「ううん。お湯に溶くだけだから、自分でも作れなくはないと思うよ。私たちがアルメリアから帰るまでの間は、自分で飲んでもらってたし。でも、ミナトは見ていないとすぐに服薬をさぼろうとするから、ちゃんと飲み終えるまで監視してなきゃいけないの。私たちよりもずっと年上のくせに、子どもみたいなところがあるから」

 可笑しそうにくすくす笑っているルチアを、アルベルトがちらりと見た。ルチアの笑顔は、そこだけほわりと光が灯ったように柔らかく、可愛らしい。


「最近、ミナトに何か言われたりした?」

 王都に戻ってきてから、ミナトとはほぼ毎日顔を合わせている。ミナトが薬を飲むためにルチアたちの研究室を訪れるからだ。最近は新技術開発部門の研究室にいることも増えたミナトだが、まだまだルチアたちの研究室にいることの方が多い。

 アルベルトが以前使っていた研究室は事故で使えなくなってしまったため、ルチアたちが使わせてもらっていた研究室が、そのままアルベルトとルチアの研究室になっていた。

 カルロが使っていた机は、今はアルベルトが使っている。


「ミナトに?別に何も…?何か大事な話があったっけ?」

 きょとんと首を傾げたルチアを見て、アルベルトが少しだけ困ったような顔をして首を振る。

「いや、何もないよ。ただ、僕が病院の検査なんかで席を外さなきゃいけなかったりした時に、ミナトとどんな話をしているのかなって思っただけ」

「うーん、ミナトがいた世界の道具の話とか、最近どんなものを作ってるとか、そんな話をするくらいかなあ。そもそも、アルがいない時にはいつもフリオが来てたりするから、ミナトと二人で話すことってほとんどないし…」

「そっか。そうだよね」


 どうしても外せない用事がある時、アルベルトがわざわざフリオに頼んで研究所に来てもらっていることを、ルチアは知らない。

「何?何か気になることでもあるの?」

「いいや。ただの好奇心だよ」

 不審そうな顔をしてアルベルトを見つめるルチアと、綺麗な笑顔で誤魔化そうとしているアルベルトを見て、ジュリアーノが笑いをかみ殺している。


「本当、ルチアはすごいよなあ。アルベルトの表情をここまで豊かにできるのはルチアだけだよ。――まあ、何の心配もないよアルベルト。ミナトもちゃんとわかってるからさ」

 ミナトの魂の様子も頻繁に確認しているジュリアーノは、当然ミナトともよく顔を合わせるため、ミナトがルチアに対して抱いている感情にも気づいているようだ。

「わかっててもらわないと困るけどね。でも、油断はできないから」

「何の話?ミナト、どうかしたの?」

 ただ一人、話が見えない様子のルチアは、心配そうに眉を顰めている。

「大丈夫、どうもしないよ。ミナトも元気。おっと、僕、この後部門長に呼ばれてるんだった。じゃあ、僕はこれで。あ、ルチア、カルロによろしくねー。今度王都に来た時は一緒に飲みに行こうって伝えといて」

「え?う、うん。わかった。伝えとく」

「じゃあねー」

 ジュリアーノは楽しそうに笑うと、さっさと研究室を出て行ってしまった。


 ジュリアーノの背中を見送り、よくわからない、という顔をしてルチアがアルベルトを見上げると、アルベルトは何もなかったような顔をしてルチアの髪をするりと一房すくい上げた。

「ルチアの髪は、相変わらず柔らかくて綺麗だね」

 腰を折って髪に唇を寄せ、ちらり、と上目遣いにルチアを見る。

「あ…ありがと…。でもアル、何か誤魔化そうとしてるでしょ?」

 自分に向けられる好意には少しも気がつかないルチアだが、アルベルトの機微にだけは目ざとい。髪を褒められ照れくさそうにしながらも、怪訝な表情でアルベルトを見つめ返す。

「誤魔化してなんてないよ。僕はただ、ルチアが可愛くて仕方ないだけ」

 艶のある微笑みを向けられ、ルチアがぐっと口を噤む。アルベルトに押されると、どうにも弱いのだ。

「そう?それならいいんだけど…」

 ルチアがどこか納得していないような顔でアルベルトを見つめていると、ノックの音とともに、噂のミナトが現れた。


「ミナト。会議終わったの?」

 ルチアがアルベルトから離れようとすると、アルベルトがぐいっとルチアを引き寄せた。ルチアを後ろから抱きしめるような格好で、ミナトに牽制するような視線を投げる。

 ミナトはアルベルトの視線に一瞬たじろいだような表情を見せたが、すぐにいつもの不機嫌そうな表情に戻った。

「お邪魔だったか?今日の分の薬を飲まないといけないと思って来たんだが」

 ちらりとアルベルトを見やり、それからルチアに目線を移す。

「ううん。今薬湯入れるね。アル、ちょっといい?」

 ルチアは後ろから覆い被さるようにして抱きしめているアルベルトの腕を、ぽんぽんと優しく宥めるように叩いた。アルベルトは渋々といった様子でルチアから離れる。


 薬湯の準備をするルチアの後ろ姿を眺めながら、ミナトがアルベルトに小声で囁いた。

「お前、存外余裕ないな」

 作り物のような笑顔を貼り付けていたアルベルトが、ぴくりと眉を動かす。それから少しだけ笑顔を崩すと、小さく溜息をついた。

「ルチアのことは信じてるし、ルチアのことを好きな気持ちは誰にも負けていないと自負してる。それでも、どうしても、ルチアに近づく奴がいるのが許せないんだ」

「で、俺が敵認定されてると」

「敵…そうだね。そんな感情に近いのかも。ルチアに出会ってから、僕の世界の中心はいつもルチアなんだ。純粋で優しくて、初めて会った時から、ルチアは輝いて見えた。この子は僕の特別な子なんだって、すぐにわかったよ。だからルチアを誰にも奪われたくない。僕以外の男の目に触れさせるのだって、本当は嫌で仕方ないよ。ルチアの世界にいるのが僕だけだったらいいのにって思ってる。――悪いけど、もうこれは理屈じゃないんだ。勝手に湧き出てしまう感情だから。でも決して、ミナトを嫌ってるとか、そういうんじゃない。これも本当」

「それはまた…。難儀だな」

「そうだね。ごめん。僕自身わかってはいる。だけど…だからこそ、あまりルチアに近づかないでほしい」

 アルベルトはまた、感情が伴っていない笑顔を浮かべた。

 

 ミナトはそんなアルベルトの横顔をちらりと見ると、溜息を漏らす。

「俺の方も、勝手に湧き出てくる感情だから何とも言えないが、まあ、努力はしてみるよ。お前たちには…というかルチアには、幸せになってもらいたいからな。せっかくお前が帰ってきて幸せそうにしてるルチアの笑顔を、曇らせるようなことがしたいわけじゃない」


 薬湯を入れたルチアが振り返り、カップをトレイに乗せてやってきた。二人がどんな会話をしていたか知らないルチアは、ミナトに笑顔でカップを手渡す。トレイには、口直し用に用意された紅茶のカップも乗っている。 

「ミナト、はい、薬湯。頑張って飲んでね」

 ミナトは盛大に顔を顰めて薬湯を飲み干し、すぐさま紅茶を流し込む。

「うん、お疲れ様。ちゃんと飲んだね」

 ルチアが空になった薬湯のカップを確認して、満足気に微笑むのを見て、ミナトがふっと表情を緩める。愛おしいものを眺める柔らかな視線。しかし、作り物の笑顔のままのアルベルトの視線に気づくと、小さく咳払いをしてすぐさま顔を引き締めた。

「あー、俺、まだ用があるから行くわ。薬ありがとな」

「うん。頑張ってね」

 

 笑顔でミナトを送り出すルチアの横で、アルベルトもにこやかに手を振る。早く行け、という心の声が聞こえてくるようだ。

「じゃあな」

 ドアを閉めたミナトは、がしがしと頭を掻きながら大きな溜息をついた。

「あー。くそ。何でよりによってあいつなんだよ…。どう足掻いても望みはないどころか、あんな厄介な婚約者がいる奴だなんて、近寄らない方がいいに決まってるだろうに…」

 ぼそっと呟き、また溜息をついて、のろのろと歩き出した。

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