第24話 訪れた平穏

 卒業まで残すところ二月となった頃、ルチアとアルベルトは学園に戻った。

 初夏の爽やかな風とみずみずしい緑が、久しぶりに戻ってきた学園をより新鮮に感じさせる。


「ルチア!待ってたよ!おかえり!」

 寮の部屋に入るなり、ミアが抱きついてきた。

「ミアー!ありがとう!ただいま!」

 ルチアもミアを抱きしめ返す。ミアの柔らかな抱擁に、辛かった生活を癒やしてくれたことが思い出され、少しだけ泣きそうになった。


「アルベルトの記憶も戻ったんだってね!フリオに聞いたよ。本当によかった!二人なら絶対に大丈夫だって信じてたよー」

「いっぱい心配かけてごめんね。本当にありがとう」

「そんなの気にしないでよ。それより、今夜はおかえりなさいのパジャマパーティーだよ!」

 ミアがまた、机にたくさんのお菓子を並べるのを見て、ルチアも笑いながら自分の荷物からお土産のお菓子を取り出した。

「私もちゃんと用意してきた!これ、全部ミアの分だからね」

「わ!珍しいお菓子がいっぱい!やったー!」

 積もる話は途絶えることなく、二人は夜が更けるまで笑い合った。


 翌朝、久しぶりの登校にやや緊張した面持ちで寮を出たルチアを待っていたのは、以前と変わらない光景だった。

「おはよう、ルチア」

 事故に遭うまで、毎朝女子寮まで迎えに来てくれていたアルベルトが、まるで不在だった期間などなかったかのように、至極自然に門の前に立っていた。

「アル、おはよう。迎えに来てくれたの?」

 駆け寄るルチアに優しく微笑みかけ、その手を取る。

「当然でしょう?僕がいながらルチアを一人で行かせることは絶対にないよ。もちろん、帰りも一緒だからね」

「ありがとう。何だかこうして以前と同じようにアルがいてくれると、アルがいなかったことが悪い夢だったみたいに遠く感じる」

 心の底から安心したように笑うルチアを見て、アルベルトが握った手に力を込めた。

「学園生活は残り少ないけど、辛かった数ヶ月の思い出は、卒業までに全部、僕が拭い去るからね」

 ルチアの指先にキスを落としたアルベルトの瞳は、強い決意を宿していた。


 ”アルベルトは記憶を取り戻し、性格や態度も以前のように戻っている”とフリオが前触れしてあったおかげで、女生徒たちは久しぶりに登校したアルベルトに挨拶をした後は、遠巻きに様子をうかがっていた。ただ一人、マリアローザを除いては。

「アルベルト、おかえりなさい。アルベルトがいなくて寂しかったわ。ねえ、休学の間何をしていたの?」

 まるで以前から親密な関係にでもあったかのように腕に絡みついてこようとしたマリアローザを、アルベルトは表情ひとつ動かさずすっとかわし、氷雪吹きすさぶ極寒の地のような眼差しを向けた。

「悪いが、近づかないでくれるか。勝手に触れられるのは不快だ。僕が学園の外で何をしていようが、親しくもない君には関係のないことだろう。さあルチア、行こう」

 マリアローザに背を向けると、ルチアを見下ろし微笑みかけた。マリアローザに向けたものとは打って変わって、その眼差しには愛しくて堪らないという感情が溢れ出ている。


「すっかり元のアルベルトに戻ったわね」

「やっぱり、あの二人が婚約破棄なんてするはずないわよね」

「記憶を失っていたアルベルトに、マリアローザが一方的に迫ってただけって聞いたよ?婚約破棄のデマを流したのもマリアローザらしいじゃない。貴族令嬢としてあるまじき行為よね」

「そもそも、マリアローザにだって婚約者がいるんでしょ?その方にも失礼じゃない」

 ひそひそと聞こえてくる声に、マリアローザは悔しそうに顔を歪める。


「そ、そんなに冷たくしないでよアルベルト。私たち二人きりで仲を深め合ったじゃない」

 マリアローザは思わせぶりな態度を周囲に見せつけるかのように、もう一度アルベルトに縋りつこうとしたが、アルベルトは再び無表情でひらりとかわしてしまった。

「不要な誤解を生むような発言はやめてくれ。君たちに嵌められてほんの少しの間、同じ教室で友人を待っていたくらいで、どう仲を深める?記憶を失っていようがどんな状態だろうが、僕がルチア以外の女性と仲を深めることは絶対にあり得ない。これ以上悪質なデマを吹聴して回るようなら、正式に君の家に抗議をさせてもらうが、構わないか?」


 つけ入る隙を一切与えないアルベルトの言葉に、マリアローザは黙り込んでしまった。アルベルトに凄みすら感じる冷徹な瞳で見据えられ、身体を震わしている。

「では、失礼する」

 顔を顰めたまま立ち尽くすマリアローザを残し、アルベルトはルチアの肩を抱いてさっさとその場を後にしてしまった。


「ねえアル…あんな風に言っちゃって、大丈夫…?」

 ルチアはアルベルトと連れ立って歩きながら、心配そうに見上げる。マリアローザの鋭い視線を背中にひしひしと感じ、怖くて振り返れない。

「心配ない。僕のルチアを傷つけたことへの報復としては、手緩いくらいだ。それに、これ以上目に余る行為を働くつもりなら、彼女の家に抗議をするつもりがあるのも嘘じゃない。絶対にルチアに手出しはさせないから、安心して」

 アルベルトは当然のように言ってのける。


 マリアローザの家もベニーニ家と同じく侯爵家ではあるが、ベニーニ侯爵家は王室への貢献度も国への貢献度も桁違いだ。一つ一つの発言に対する影響力は比ではない。

 そのうえ、婚約者がいる身でありながら、同様に婚約者がいるアルベルトに迫ったのだから、抗議されればマリアローザは圧倒的に分が悪い。

 それに何より、あれだけアルベルトに睨みを効かせられて、性懲りもなく何かできる人間がいるのなら見てみたい。おそらくこれ以上、マリアローザはアルベルトにもルチアにも手出しはしてこないだろう。

「愚かにも大勢の目撃者がいる前で迫ってくれたおかげで、ルチアに横恋慕する男子生徒たちへの牽制にもなっただろう。一石二鳥だったな」

 不敵な笑いを浮かべたアルベルトに、ルチアは苦笑いをするしかなかった。


 アルベルトが皆のよく知るアルベルトに戻ったことで、ルチアの周りにも平穏が戻った。

 雑音がなくなったため、勉強にも集中できる。卒業試験に向け、自習室通いの日々だ。

「ルチア、これ、ルチアが休学していた間の授業の要点をまとめておいたから、よかったら使ってよ」

「えっ!いいの?フリオありがとう!すごく助かるー!」

 フリオが差し出したノートを見て、ルチアは目を輝かせる。

「もちろんだよ。ルチアのためにまとめておいたんだから、使ってくれたら嬉しい。おかげで僕もいい復習になったしね。今回の試験でも僕が首席になって、有終の美を飾っちゃうかもよー?」

 フリオはルチアにノートを渡しながらも、にやにやとアルベルトの様子をうかがっている。


 アルベルトとルチアが受けていない年末年始休暇明けの試験の首位は、なんとフリオだった。

 秋学期はもちろん、休暇中にもあれだけルチアに協力してくれていたにも関わらずの結果に、ルチアはフリオの優秀さを実感させられたのだった。

「フリオはこれまで実力を出していなかっただけで、もともと優秀だからな。ちゃんとやれば当然の結果だろう」

「実力を出していなくてあの成績って…。アルといい、二人とも次元が違う…」

 苦笑いするルチアをよそに、アルベルトはフリオの煽りなど気にもしていない様子だ。フリオはそんなアルベルトを見ながら、片方の眉を持ち上げてみせた。

「アルベルト、六年生になってからはずっと学園に来られなかったのに、随分余裕だね。ノート、アルベルトにはないからね」

「ああ、僕は必要ない。五年時にはすでに、卒業までに学園で学ぶ内容はすべて学習を終えていたし」

「うわー、やな感じー」

 フリオは面白くなさそうに唇を尖らす。

「事実なんだから仕方ないだろう」

「ふーん、余裕ぶってると足下をすくわれるよ」

「余裕ぶってるわけじゃない。きちんと勉強しているだけだ」

「じゃあ、僕もちゃんと勉強しよう。卒業試験が楽しみだね」

 二人のじゃれ合う様子をまた学園で見られたのが嬉しくて、ルチアはくすくす笑った。

「試験、アルとフリオは何の心配もいらないね。私だけ卒業できないなんてことがないように、頑張るからね」

「ルチアには僕がついているから大丈夫だ。それに、そのノートもあるしね」

 フリオからもらったノートをパラパラとめくるルチアの頭をアルベルトが優しく撫で、フリオがそれを見て満足気に頷いた。



 努力の甲斐あって、卒業試験は、首席がアルベルト、次席にフリオ、さらにルチアも自身最高の5位に入るという結果に終わった。なんとアルベルトは全教科満点、フリオも一教科で小さなミスの減点があったのみという好成績を残し、有終の美を飾った。

 ルチアは、今回の試験問題のなかで最も難易度が高かったとされた魔法薬の試験で満点だったのが大きかった。アルベルトやフリオ以外の成績上位者は、軒並み魔法薬で点数を伸ばせなかったのだ。アルベルトのために積み重ねた知識が、確実に身になっていたということだろう。

「確かに、これまでにないくらい勉強したけど、学園生活最後の試験でこんなにいい成績が取れるなんて!フリオのノートと、アルがつきっきりで勉強をみてくれたおかげだよ。本当にありがとう!これで無事卒業できるー!」


 試験から解放された喜びと好成績に対する喜びで、ルチアは上機嫌だ。

「アルとフリオはさすがの結果だね!お祝いに明日のお休みは皆で街に美味しいもの食べに行こうよ!たくさんお世話になったお礼に、私、ご馳走しちゃう」

 はしゃぐルチアに優しい眼差しを向け、アルベルトが頷く。

「ご馳走はしなくていいけど、ルチアの好きなところに行こう。ルチア、すごく頑張ったからね」

「あと少しでアルベルトに並べたのに、悔しいなあ。せっかくだから傷心の僕はご馳走になっちゃおうかなー」

「うんうん、任せて!何を食べに行こうかー」

 肩を並べ、笑い合いながら歩く。

 ルチアはまたこの穏やかな時間を過ごせていることに、そして愛する婚約者と大切な友人と一緒に学園を卒業できることに、心から感謝した。


「卒業パーティー、フリオは誰か誘うの?」

 最近街で人気だとミアから教えてもらったカフェで、無事卒業が決まったお祝いと称して注文した数量限定のケーキを食べながら、ルチアがフリオに問いかけた。

 フリオは飲んでいたお茶をテーブルに置くと、そうだなぁーと顎に手を当てる。

「僕が誰か特定の子を誘うと諍いが起こるかもしれないから、迷ってるとこなんだよねー」

「まあそれは、そうだよね…」


 卒業式の後に開かれるダンスパーティーは、卒業後社交界にデビューする生徒たちにとっての試金石ともいえる場だ。婚約者がいる者たちはもちろんその相手をパートナーとして出席するが、フリオのように決められた相手がいない者は、同じく相手のいない者を誘うのが通例となっている。

 しかし、学園外に婚約者がいる者も少なくないため、必ずしもパートナー同伴とはされていない。もちろん婚約者であれば学園外の者でもパートナーとして参加は可能だが、婚約者が遠方の領地にいて出席が難しい場合もある。友人同士で参加したり、一人で参加したりする者も毎年一定数存在していた。


「特別誘いたい子もいないし、ダンスを申し込まれたらその子と踊ればいい。誰かを誘う必要はないかな。もちろん、ルチアも一曲踊ってくれるでしょ?」

「それはもちろん!」

 フリオの問いかけにルチアが笑顔で頷くと、アルベルトが少しだけ面白くなさそうな顔をしながらお茶を飲んだ。

「まあ、フリオならルチアと踊っても安心だしね。他の男とは絶対に駄目だけど」

 仕方がない、というようにフリオを見遣るアルベルトに、フリオがにっと不敵な笑みを浮かべた。

「信用していただけているようで、光栄だよ」

 にやにやしているフリオに、アルベルトが嫌そうな顔を向ける。以前と変わらない、平和な光景。

「アルは相変わらず心配性だなぁ」

 ルチアはくすくす笑うと、またケーキを一口、口に入れた。


「卒業まで、あと少しだね。なんだか寂しいなぁ…」

 遠い目をしてルチアが呟く。

「確かに、今までのように毎日顔を合わせる、なんてことはなくなっちゃうね。でも、二人は違うよね。ルチアも卒業したらしばらくは、魔法学研究所で働くことになったんでしょ?」

「うん。驚くことに、バスクアーレ薬学部門長が直々に、アルと一緒に研究を続けたらどうかって誘ってくださったんだよね。アルも承知してくれたし、ベニーニ侯爵も許してくださったから、そうさせていただくことにしたよ。花嫁修業もあるから、ベニーニ侯爵家のタウンハウスから研究所に通うの」

「もちろん、卒業したらすぐに正式に婚約するし、結婚もできる限り早くするけど」

 アルベルトが誰にともなく宣言するように言った。

「それじゃ益々、二人の時間が増えるわけだ。いいなぁ。僕も寂しいから、しょっちゅう遊びに行かせてもらおうかな」

 フリオがにやりと笑いながら、アルベルトの顔を覗き込んだ。


 フリオは卒業後、尚書官として王城に出仕することが決まっている。家族との関係に不安があり、まだ領地に戻りたくなかったフリオは、侯爵家の跡取りとして領地に戻る前に、王城での立場を確固たるものにしてくる、と上手く父親である現侯爵を言いくるめ、侯爵からの口添えなど一切なしに、さっさと自力で職を決めてきたらしい。アルベルトとはまったく違ったタイプの優秀さは健在だ。


 アドルニ侯爵家のタウンハウスとベニーニ侯爵家のタウンハウスは同じ王都の貴族街にある。つまり、卒業後も会おうと思えばいつでも会える距離なのだ。

「近くだからと、あまり頻繁に遊びに来るなよ。まずはしっかり尚書官としての立場を確立しろ。――まあ、フリオは仕事に関しては何の心配もないと思うが。ただ、女性関係だけは気をつけろよ」

 邪魔しに来るな、とでも言われるかと思っていたのに、予期せず心配され、あまつさえ褒められるような発言までされて、フリオは一瞬照れたような困惑したような表情を見せたが、最後に釘を刺されたことで、すぐにいつもの余裕を感じさせる笑顔を浮かべた。

「はいはい。わかってるよ。そんなわけでルチア、僕はいつでも会えるから、あまり寂しがらなくてもいいよ」

「ふふ。そうだね。これからもよろしく」

 ルチアはそんな親友たちの様子を、嬉しそうに目を細めて眺めていた。

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