第26話 誕生日の夜
「わあ、綺麗!春のお庭も素敵だったけど、夏のお庭はとっても華やかだね!アルと初めて会った時のことを思い出すなぁ」
アルメリアにあるベニーニ侯爵家別邸の庭園は、よく手入れされ、夏の花々が咲き誇っている。くっきりと青い空と、色とりどりの花々のコントラストが美しい。
「初めて一緒にここを訪れた時も、同じように夏の花が咲いていたからね。今みたいに花に囲まれて笑うルチアが可愛くて眩しくて、こんな天使みたいな子が僕の婚約者なんだ、って本当に嬉しかったのを覚えてるよ」
アルベルトが手折った花を、ルチアのふわりと柔らかいストロベリーブロンドに挿しながら微笑む。鮮やかな花を纏った可憐な姿は、さながら花の妖精だ。
「私だって、こんなに綺麗で優しい男の子が私の婚約者なんだ!夢みたい!ってどきどきしてたよ」
ルチアも、お返し、とアルベルトの白いシャツの胸ポケットに花を挿して笑った。アルベルトがその眩しい笑顔を愛おしそうに眺める。
前回の滞在では、魂が戻ったばかりのアルベルトの身体のリハビリを最優先に考えていたため、アルメリアを楽しもうという気持ちではいられなかったが、今回は純粋なバカンスだ。心境が変われば同じ景色もさらに輝いて見える。
「昼食の後は、海に行ってみようか」
「うん!浜辺を歩きたいな」
手を繋ぎ、眼下に広がる海を見下ろす。
白い砂浜と瑠璃色の海の境界線を縁取る波が、寄せては返す様子にしばらく見入っていると、邸の方から二人の名前を呼ぶ声がした。
「アルベルト、お招き感謝する。ルチア、元気だったか?二人とも卒業おめでとう」
「卒業おめでとう。俺までお招きいただいて…その…何か悪いな」
庭園の入り口から顔を出したのは、カルロとミナトだった。ルチアが学園に戻ると同時にファール領に戻っていたカルロと、魔法学研究所で新技術開発部門の正式な研究員となったミナトを、アルベルトが招待したのだ。
ジュリアーノは自身の研究発表が迫っているらしく、泣く泣く誘いを辞退していた。出発前に研究所で会った時、アルベルトの件があったことで、これまで知られていなかった魂に関する事実がたくさん判明したから、それをすべて論文にまとめているんだ、と嬉しい悲鳴を上げていた。
「二人とも月待ち草が咲くのを見てみたいと言っていたし、たくさん世話になったのに、ちゃんとお礼もできていなかったからね。来てもらえてよかったよ」
「せっかく二人で水入らずの休暇だったろうに、悪かったな。フリオは断ったと聞いて迷ったんだが、ミナトもちょうど休暇が取れそうだったから、お言葉に甘えて招かれることにした」
カルロが少し申し訳なさそうに笑って、ぽりぽりと頬を掻いた。
「招待したのは僕なんだから、何も気にすることはないよ。僕とルチアはアルメリアから帰ったら一緒に住むんだし、この先ずっと二人でいられる。ここにもこれからは毎年来られるからいいんだ」
アルベルトはちらりとミナトを見て続ける。
「僕たちの仲のよさを見せつけることになってしまって、居心地の悪い思いをさせたら申し訳ないけど」
アルベルトと目が合い、ミナトが一瞬気まずそうな表情をした。ミナトがルチアに対して抱いている気持ちがそう簡単に消せるものではないことに、アルベルトは気づいているようだ。
「別に…お前らの仲のよさは今始まったことじゃないだろ。それに、俺の気持ちは何て言うか…。お前を一途に思ってる姿に惹かれているものであって、関係をどうこうしたいって訳じゃない。邪魔にならないように、勝手に思ってるくらいは自由だろ」
「もちろんだ。でも、付け入る隙は与えないよ?」
二人の間に静かに火花が散るのを感じ取ったカルロが苦笑いをした。ルチアは何の話かわからないという顔で、目をぱちぱちさせて小首を傾げている。
「さぁ、まずは昼食にしよう。今回もシェフが張り切って料理を用意してくれているらしいから」
アルベルトはぴりついた空気をさっと拭うように笑顔になると、すっとエスコートするようにルチアの肩を抱く。その流れるような仕草はあまりにも自然で、二人がずっとそうやって仲良く寄り添ってきた歴史を感じさせる。
アルベルトはルチアの肩を抱く手とは反対の手で、カルロとミナトを邸の中へと促した。
「わぁ、楽しみ!また新鮮な海の幸がいただけるのね。こちらのお料理、全部美味しいから嬉しいな」
無邪気に笑うルチアを見て、ミナトも知らず知らずのうちに強張らせていた頬を自然と緩ませる。カルロがミナトの背中をぽんぽん、と叩いた。
「ロイヤルブルームーンと誕生日が重なるなんて、18歳はとても素敵な一年になりそう」
昼食後、アルベルトと指を絡めて波打ち際を歩きながら、ルチアは水平線を眩し気に見つめた。
海は太陽の光を反射してきらきらと輝き、風が帽子のリボンとワンピースの裾を踊らせる。
「素敵な一年になるさ。僕が絶対にそうしてみせるよ。――明日の夜は少し早めの時間から誕生日のお祝いをして、月が昇る前に月待ち草の丘に行こう。去年は寂しい思いをさせてしまったけど、今年こそはルチアに幸せな誕生日を贈らせてほしい。一緒に月待ち草の開花を見よう」
ルチアの手を引き寄せ、その指先にキスを落としながらアルベルトが言った。
「うん。ありがとう、アル。――あれから一年が経つのね。アルが戻ってくるまでの間は、まるで永遠のように長かったな。いつまでも夜が明けないような毎日だった。だけど、今振り返るとあっという間だったようにも思うの。あまりにたくさんのことが凝縮されていたからかな。不思議ね」
「僕はルチアの17歳の誕生日を祝ってあげられなかったどころか、そばにすらいられず泣かせてしまった自分を殴ってやりたいよ」
心の底から悔しそうに顔を歪めたアルベルトを見て、ルチアは困ったように笑う。
「あ、でもね、誕生日にアルが用意してくれていた薔薇は届けてもらったんだよ。私、その日は朝から自分の誕生日どころじゃなくて、すっかり忘れていたの。だからアルがサプライズでお祝いに来てくれたみたいな気がして、すごく嬉しかった。一緒にいられなくても、私を大切に思ってくれているアルの気持ちが伝わってきたよ。そうそう、まだあの薔薇、綺麗に咲いてるの。さすがアルが魔法薬で処理をしてただけあるよね。今もタウンハウスの私のベッドサイドに置いてあるんだよ。タウンハウスでも寮でも、アルに会えなくて寂しかった時、あの薔薇がアルのように私の気持ちを受け止めてくれたの。本当にありがとう」
「そうか、あの薔薇が…。僕の気持ちがちゃんとルチアに届いていてよかった」
辛そうに眉間に皺を寄せていたアルベルトだったが、ルチアの言葉を聞いて少しだけほっとしたように、表情を和らげた。
「ルチアに一人で辛く悲しい思いをさせてしまったことは、僕にとっても本当に耐え難いことだった。今でも、あの日に戻ってやり直せたら、もっと上手く対処して、ルチアを絶対に泣かせたりしないのにって思う。魂だけの状態になってしまって眠っていた間も、ルチアが恋しい、ルチアのもとに戻りたいって、それだけを思っていた。ルチアが僕を見つけ出して身体に戻してくれて、本当に感謝してる。もう一度僕に出会ってくれて、本当にありがとう」
アルベルトに抱き寄せられ、ルチアはその胸に頬を埋めた。広く温かいアルベルトの腕の中は、どこよりも安心する。この場所に帰ってくることができて、本当によかった。
「そんなの、当たり前だよ。私がもう一度アルに会いたかったんだから。それに、アルに会えなかった間も、薔薇だけじゃなくて、至る所にアルの気配や思い出があったの。だから私は何とか前を向けたし、折れずにいられたんだよ。アルはずっと私の心の支えだったの」
アルベルトはルチアの言葉に頷くと、ぎゅっとルチアを抱きしめる腕に力を込めた。
「愛してるよ、ルチア。もう絶対に離さない。これから先はずっと一緒だ。明日は、うんと特別な誕生日にしよう」
ルチアは大好きなアルベルトの香りに包まれながら、うん、と頷いた。
頭上には大きなロイヤルブルームーン。
月待ち草の丘は、その仄青く神々しさを感じさせる光で、夜とは思えないほど明るく照らされている。
「あれ?お兄様とミナトは?」
確かあの二人も、別の馬車で一緒に邸を出たはずだ。だが今、この丘にいるのはルチアとアルベルトだけ。ルチアたちが乗ってきた馬車も少し離れた丘の下に待機しており、その付近にももう一台の馬車の姿は見当たらない。
「カルロとミナトは、別の場所に見に行ったよ。僕たちを二人きりにしてくれようとして、カルロが手配してたみたい」
「そ、そうなの。お兄様ったら…」
兄の計らいを知り、ルチアが恥ずかしそうに頬を染めた。
「ほら、もうすぐ月が真上に昇る。花が咲き出すよ」
アルベルトがそっと囁く。
まるでその声が合図だったかのように、ひとつ、またひとつと蕾が綻びはじめた。と同時に、辺りにあの清廉な香りが漂い始める。
アルベルトを取り戻すために奮闘していた日々のなか、街で自分たちの存在をルチアに知せるかのようにこの香りを漂わせ咲いていた月待ち草の光景が、脳裏に蘇ってくる。
あの時、まるで見えない何かに導かれるように街に出た。あの月待ち草との出会いがなければ、今こうしてアルベルトといられたかわからない。
『もう一度私たちを引き合わせてくれて、本当にありがとう』
初めてアルベルトと出会った夏に、この場所で見た記憶のなかの景色と、実際に今目の前に広がる景色とが重なっていく。
月待ち草との不思議な縁を感じた。
蕾を解き、徐々に広がっていく真っ白な花弁が月明かりを反射し、まるで花自身が光を放ち始めたかのように、丘全体がほんのりと輝いていく。
「本当に…綺麗…」
「うん…。綺麗だね…」
その幻想的な光景に、ぼうっと見蕩れながら呟いた。
二人は肩を寄せ合って、次々に開いていく花に見入っていた。
月待ち草の花が一面に咲き誇った頃、アルベルトがルチアの左手をとった。優雅な身のこなしで花々の中に片膝をつき、ルチアを見上げる。
「ルチア、改めて言わせて。――君を心から愛してる。僕と、結婚してほしい」
銀色に輝く指輪を取り出し、そっとルチアの左手の薬指にはめた。中央にはめ込まれた宝石が、月の光を閉じ込めたようにきらきらと光を放っている。
「これ…」
「ミナトに聞いたんだ。異世界では、こうやって指輪を贈って求婚するって。その話を聞いた時、今年のルチアの誕生日には、絶対に指輪を贈ろうって決めた。ルチア、僕と結婚してくれますか?」
ルチアの目から、喜びの涙が溢れる。
「はい」
アルベルトを見つめて笑うと、喜びを堪えきれないように立ち上がったアルベルトに抱きしめられ、キスが降ってきた。優しいのに、熱い気持ちを抑えられないのが伝わってくる、ルチアがよく知っているアルベルトのキス。
「幸せになろう。これからずっと二人で、一緒に」
「うん…うん…」
きつく抱きしめられた腕のなか、ルチアは何度も頷いた。
日付も変わった頃、ルチアとアルベルトが邸に戻ると、広いリビングルームのソファで、ミナトが一人ワインを飲んでいた。眠れなかったのかもしれない。やさぐれたような表情を戻ってきた二人に向けた。
「その様子だと、プレゼントは喜んでもらえたみたいだな」
ルチアの左手に輝く指輪を見て、少しだけ寂しそうに笑うと、また一口ワインを飲む。
「おかげさまで。――ミナト、あまり飲み過ぎるなよ」
アルベルトがテーブルの上の空になったワインボトルをちらりと見て言った。
「わかってる。これを飲んだらもう寝るよ」
ミナトが面倒くさそうにグラスのワインを飲み干して立ち上がる。
「ミナト、今日はありがとう。おやすみ」
ルチアが言うと、ミナトはふっと微笑んだ。
「ああ。おやすみ」
部屋を出て行こうとして、ふと立ち止まる。
「ルチア、幸せになれよ」
思わぬ言葉に、ルチアは目を見開いたが、すぐにふわりと笑顔になった。
「うん。ありがとう」
大切なものを慈しむかのように目を細めてその柔らかな笑顔を見つめ、ミナトは部屋を出て行った。
「さあ、僕たちも休もう」
アルベルトはルチアを促すと、手を取って部屋の前まで送り届ける。
「おやすみルチア。いい夢を」
「アルもいい夢を。おやすみ」
短いキスをして、二人はそれぞれの部屋に入った。
シャワーを浴びてベッドに入っても、月待ち草の香りに包まれているような感覚がする。
ルチアは窓から差し込む月明かりに左手をかざした。月の光を受け、指輪がきらり、と輝く。
アルベルトが贈ってくれた、満たされた幸せな誕生日が、心の底から嬉しかった。
「アル、大好き」
ルチアはそっと指輪に口づけて、目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます