第27話 ふたたび、始まりの地から
ルチアの誕生日の翌日、カルロとミナトは予定を早め王都へと立つことになった。
昨夜、カルロに宛ててファール伯爵家より、”急ぎ対応が必要な案件ができたため、すぐに王都に出向いてほしい”と知らせる梟が来たためだ。
第一王子が王太子の座に就いて以来、ファール伯爵家は信頼に足る家門として、王家から重用される機会が増えていた。
ルチアの父は領地運営や商会の経営の傍ら、定期的に王城に呼ばれ、王太子に国費の運用や資産管理などについて助言を求められているらしい。カルロも父の補佐として、頻繁に領地と王都を往来している。
ベニーニ侯爵家やアドルニ侯爵家も同様に、各々が得意とする分野で以前に増して存在感を示していた。いずれの家門も忠誠心や道義心が厚く、領民の生活や社会の安寧に重きを置いているため、王太子にとっては大いに心強い後ろ盾だろう。
カルロが王都に向かうなら一緒にと、ミナトも予定を早めて王都に戻ることを決めた。
「せっかくの休暇なのに、もう帰っちゃうの?ミナトはゆっくりしていったらいいのに」
ルチアに問われたミナトは、眉間に皺を寄せて溜息をついてみせた。
「十分ゆっくりさせてもらった。月待ち草が咲く様子も見られたし、お前の誕生日も祝えた。もうやることは残ってないからな。それに、お前たちは魔法で馬車の揺れをかなり軽減できるからいいが、俺は一人で馬車に乗ると酔う。カルロが一緒だと助かるから、同乗させてもらうんだ」
ミナトはそう言っていたが、実際のところ、馬車は理由のひとつに過ぎず、ルチアとアルベルトが二人でいるところに自分一人残されても困る、というのが本音だろう。
「そっか。それじゃあ気をつけて。また、研究所でね」
ミナトは今、魔法を使わなくても乗り心地がよくなるよう、異世界の技術を応用して馬車に改良を施してるところらしい。
「ゆくゆくは馬車に代わる乗り物を作りたいが、それにはもう少し時間がかかりそうだから、まずは馬車の改良から、と思ってる。貴族より魔力量が少ない平民たちにも需要がありそうだしな。改良した馬車ができたら、お前たちにも体験させてやるよ」
そう言って笑い、カルロとともに馬車に乗り込んでいった。
二人が乗った馬車を見送ったルチアとアルベルトは、アルメリアでしか手に入らない薬草を求め、市場に出向いた。
「僕がたくさん使ってしまったから、家にあった回復薬の在庫がほとんどなくなってしまってね。この休暇のうちに調合しておきたいと思ってるんだ。せっかく来たのに付き合わせてしまって申し訳ないんだけど、アルメリアにいるなら揃えておきたい材料があって…」
「そんなの気にしないで。私も勉強になるから嬉しいよ。私にも手伝えることがあれば、一緒に作業させてほしいな。あ、でもベニーニ侯爵家秘伝の薬なら、私が関わるわけにはいかないのかな?」
「いや。もうルチアにはレシピを教えて構わないと父上からも許可をもらっている。ルチアさえよければ、手伝ってもらえるとありがたいよ」
「本当?嬉しいな。アルと一緒に薬を調合するの、すごく勉強になるんだよね」
「僕もルチアと一緒に調合できる日が来るなんて思っていなかったから、嬉しいよ」
アルベルトが自身の身体に戻ってから、二人は論文を書き上げるためもあって、一緒に魔法薬の調合をする機会が増えた。
幼い頃から魔法薬に携わってきたアルベルトの知識量は言わずもがなであったし、必要に迫られ短期間で知識を詰め込んだルチアには知り得なかった、調合のうえでの常識や魔力を注ぐ極意をいくつも知っていた。
あんなことがなければ、ただアルベルトと結婚をして侯爵夫人になっていただろうルチアだが、魔法薬の世界はどこまでも奥深く、その魅力の片鱗に触れてしまった今、知る前に戻ることはできないとさえ感じるほど、魔法薬への興味は深くなっていた。
「ベニーニ侯爵家に嫁ぐ者として、他に力を入れるべきことがあるのもわかってるんだけど、今はこれからアルと一緒に魔法学研究所で研究ができることが嬉しいし、それを許してもらえたことにも感謝してるんだ」
薬草店を物色しながら、ルチアは嬉しそうに言った。
「ルチアは小さな頃から母上に可愛がられていたし、社交や邸の管理についても今更学ばなければならないことなんてほとんどない。それにベニーニ侯爵家は、薬師の家門だ。ルチアが魔法薬にこれほど関心を持ってくれるようになるなんて、心強い以外の何物でもないよ」
珍しい薬草に目を輝かせているルチアの横顔を、アルベルトが愛おしそうに見つめた。
「僕は本当に幸せ者だな。最愛の人と結婚できるうえに、その人は僕が生涯をかけて極めたいと思う道を理解して一緒に歩んでくれようとしている」
「私も本当に幸せ者だよ。最愛の人と結婚できるうえに、その人と同じ道を一緒に歩ませてもらえるんだから」
ルチアもアルベルトを見上げて幸せそうに微笑んだ。
「ねえ、お買い物が終わったら、またあの丘に寄って帰りたいな。月待ち草の花が見られるのはほんの僅かな間だけだもの。夜見る月待ち草の花も綺麗だけど、白い花は青空にも映えて素敵だったのが、記憶に残ってるんだよね」
「そうだね、僕もその光景は記憶に残ってるよ。もちろん、見て帰ろう」
「ふふ、同じ記憶を共有してるのって、何だか嬉しいね」
「うん。嬉しい」
二人は手を繋ぎ、たくさんの薬草を購入した。
「やっぱり素敵!風が気持ちいいね!」
青空の下、風になびく一面の白い花々を見つめ、ルチアが言った。
「ああ。それに、いい香りだ」
高潔さすら感じるほどの清らかな香りに包まれると、頭も気持ちもすっきりするような心地がする。
「この景色のなかで見るルチアも、一際綺麗だ」
しゃがみ込んで花に顔を寄せたルチアをじっと見つめていたアルベルトが、当然のことを口にしているだけ、というような口調でさらりと言った。
あまりに自然な響きで言うものだから、ルチアは一瞬聞き流してしまった。それから言葉の意味を理解すると同時に、じわじわと紅潮していく。
「ア…アルって絶対に、戻ってきてからは、前よりそういうこと…言うようになったよね?」
「そうかな?前から言ってたと思うんだけど。昔も今も、ルチアが愛しくて仕方ないのは変わらないよ。僕は僕の正直な気持ちを伝えてるだけ」
「~~~~~っ」
アルベルトに曇りのない目で見つめられ、ルチアは恥ずかしさに耐えきれず、両手で頬を押さえて俯いてしまった。
『離れてた間に、私の耐性がなくなっちゃてるだけなのかな?それとも、前よりももっともっとアルのことが好きになってるから、意識しちゃうだけ?』
沸騰しそうな頭でぐるぐると考え倦ねていると、アルベルトがルチアの髪を優しく撫でた。その大きな手があまりに心地よくて、ルチアは頬を押さえたまま黙って身を委ねる。
『ああ、やっぱりアルの手は安心する…。アルがせっかく気持ちをそのまま伝えてくれてるって言うんだから、私もそのまま嬉しく受け取ろう。そして私も、アルにできるだけたくさん気持ちを伝えよう…』
アルベルトに寄りかかって、その長い指に髪を梳かれながら、風に揺れる月待ち草をぼうっと眺めていた。
「月待ち草の花って、アルみたい。気高くて綺麗」
口にしてから、ルチアは確信する。
『そうだ。小さい頃見ただけのこの花とこの香りを鮮明に記憶していたのは、この花が美しかったからだけじゃない。アルみたいだって思ったからだ』
アルベルトが纏う、清廉な空気。微かに香る、清涼な薬草の香り。高潔な眼差し。凛とした立ち姿。
月待ち草が白い花を咲かせる様は、そんなアルベルトを連想させるのだ。
「そっか…。だからあの時も、この香りで私にその存在を気づかせてくれたのかな…」
「あの時?」
アルベルトの肩に頭をもたせ掛けたまま、そっと花弁に触れたルチアに、アルベルトが問いかけた。
「そう。魂と身体の結びつきを強くする魔法薬の実験が、どうしても上手くいかなかった時…。街を歩いていたら、この月待ち草の香りがしたの。そのおかげで、私はこの花の存在に気がつくことができた。そしてこの花を使って、やっと薬が完成したの。あの時、何だかアルが導いてくれたような気がしてた。そして実際に、アルはここで私を待っていてくれたでしょう?アルと月待ち草ってどこか似ているし、何か特別な結びつきがあるように思えて」
「そうか、ルチアはそんな風に思ってくれてたんだね。実は、僕にとっても月待ち草はちょっと特別でね。僕にとっての月待ち草は、ルチアとの大切な思い出を共有している、秘密の仲間のような存在なんだよ」
「秘密の?」
「そう。人間では僕だけが知っているルチアの可愛い顔を見たことがある、秘密の仲間」
「アルだけが知ってる…私の…?」
「もしかしたらルチアは覚えていないのかもしれないね。ここで僕が、初めて君にキスしたこと」
「え!?」
必死に記憶を呼び戻そうとするが、どうしても心当たりがない。焦るルチアの顔を見て、アルベルトがくすくす笑った。
「僕たちが初めて出会った夏、ここで月待ち草が咲くのを見た夜のことだよ。すべての月待ち草が美しく花開いて、昨日の夜と同じように、ここに月が降りてきたかのようだった。ルチアは目を輝かせてその光景を長い間眺めていたけれど、次第に眠くなってしまったんだろうね。さっきみたいに僕の肩に寄りかかって、うとうとし始めたんだ」
月面に咲く花を見ているかのような幻想的な光景は記憶に焼きついているが、その後どうやって邸に帰ったのかは思い出せない。その間のことなのだろうか。
「僕はルチアに、ここで寝ちゃったら風邪を引いてしまうよって呼びかけた。そしたらルチアがぼんやりと目を開いて、うん、アルと一緒に帰る、って僕に抱きついてきたんだ。それがたまらなく可愛くて、愛おしい気持ちが溢れ出した。思わずキスしたら、君はアル大好きって笑って、僕にキスを返してくれた。そして、そのまままた眠ってしまったんだ。僕は眠る君を背負って、馬車まで戻った。この子は僕の宝物だ。一生大事にしようって思いながら」
「そ…そんなことが…。じゃあ、私のファーストキスは、その時…」
ルチアはかあっと熱くなる。アルベルトからのキスを覚えていないばかりか、自分からもキスを返していたなんて!幼い自分の行動力に驚きを隠せない。
「そうだよ。だからここは、僕たちのファーストキスの場所。月待ち草たちは、それを見ていた秘密の共有者」
「覚えていなくて…ごめんなさい。私、ファーストキスは学園に入った次の年の冬の…あの夜だと思っていたから…」
「ルチアは眠ってしまったんだから、覚えていなくても無理はないよ。それに、ここでのキスはルチアが覚えていないんだから、ルチアが覚えているあの冬のキスがルチアにとってのファーストキスっていうのも間違いじゃないんじゃないかな。だけど、初めてのキスを僕しか覚えていないのも悲しいから、ここでもう一度やり直ししようか」
アルベルトはそう言うや否や、流れるような仕草でルチアの顎を持ち上げてキスをした。
最初は幼い頃のファーストキスをなぞるように、軽く。それから、これは大人になった今のキス、とでも言うように、もう一度深く口づける。
「――アル…ん…」
何か言おうとするルチアの言葉を絡め取るように、甘く、少し強引に、舌を吸われる。
長く深いキスに息が上がってしまったルチアから名残惜しそうに唇を離して、アルベルトが耳元で囁いた。
「こういうキス、慣れてって言ったのに、僕が随分長い間君を一人にしてしまったから、まだ全然慣れないね。これからはその分を取り戻すくらいたくさんして、早く慣れなきゃね」
「う…ん…」
くらくらするほど艶のある声が吹き込まれ、耳が陶酔する。
「また月待ち草との秘密が増えちゃったね」
そう言われると、丘を覆う花々たちに見つめられているようで、恥ずかしさが増す。
「――アルは時々、意地悪だね」
「うん…ごめん。ルチアのことが可愛くて仕方なくて、ものすごく優しくしたいのに、何故か時々、無性に意地悪したくなっちゃうんだ」
潤んだ瞳できゅっと睨み上げるルチアの顔を見て、アルベルトが恍惚の吐息を漏らした。
「ああ、そうやって可愛く抗議されるのも堪らないからなんだろうね。――こんな僕は嫌い?」
ルチアはむうっと頬を膨らませ、顔を逸らす。答えなんてわかっているくせに。
「…すき」
風に攫われてしまいそうなほど小さな声で呟くと、アルベルトがぎゅっとルチアを抱きしめた。
「聞こえなかった。ねえ今、何て言ったの?」
絶対に聞こえていたはずだ。声に喜びが溢れている。きっとアルベルトは今、ルチアを抱きしめることで満面の笑みを隠しているのだろう。
「もう…意地悪…。――アル、大好き」
もう一度アルベルトにはっきり聞こえるように言って、ルチアもアルベルトの背中に腕を回す。赤く染まった顔を隠すように、その胸にぎゅっと頬を押し当てた。
「うん。僕もだ。ルチア、この先もずっと、君は僕の最愛だよ」
アルベルトがルチアの頭に優しくキスを落とす。
抱き合う二人を包み込むように、月待ち草が風に揺れていた。
最愛の婚約者は異世界からの召喚者に乗っ取られる~私を溺愛していた婚約者は事故で別人(※文字通り)になってしまいましたが、取り戻すまで諦めません~ 彪雅にこ @nico-hyuga
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