第6話 糸口

 ルチアの誕生日の数日後、魔法学研究所の薬学部門長から話を聞く機会を得た。

 ジュリアーノを通しての依頼に応じてくれたのだ。


「魔法学研究所の薬学部門を統括している、バスクアーレ・デ・アンジェリです。――アルベルトの研究していた魔法薬について知りたいとうかがっておりますが?」

 バスクアーレは、眼鏡をくいっと直すと、何かを見極めるようにルチアの瞳をじっと見つめた。長いプラチナブロンドに少し垂れた常磐色の瞳という穏やかそうな風貌に反し、その眼光は鋭くルチアを貫く。ルチアもたじろぐことなく、バスクアーレを見つめ返した。


 アンジェリ公爵家といえば、王族の血を引く高貴な家系だ。

 特に次男は高い魔力を持っていて、国王からの信頼が厚いと噂されていたが、どうやらバスクアーレがそのアンジェリ公爵家の次男らしい。その強い魔力の影響なのか、とうに40歳を過ぎているはずなのに、まだ20代といっても誰も疑わないほどに若々しく見える。


 何かを見定めるようにルチアを見つめていたバスクアーレは、ややあって小さく息を漏らし、ふっと表情を緩めた。途端に親しみやすそうな雰囲気に変わる。

「通常は、研究の内容を部外者に漏らすのは御法度です。しかし、今回は魔法事故に巻き込まれたアルベルトのためであり、ベニーニ侯爵からも貴方にはすべてを伝えて欲しいとの嘆願があったということで、特別許可が下りました。貴方も心からアルベルトを救おうとしているようですしね。アルベルトが使っていた研究室にご案内しましょう」

 どうやらルチアのアルベルトに対する強い思いと、彼を取り戻さんとする確固たる決意は、バスクアーレにも伝わったらしい。

「ありがとうございます」

 ルチアはほっとして胸を撫で下ろしながら、丁寧にお辞儀をした。隣でカルロとジュリアーノもお辞儀をする。


「――ただし、部屋は事故の検証が終わったばかりで、まだ片付けも手つかずです。ご存じかと思いますが、この件は箝口令が敷かれ、一部の者しか真実を知らないもので。対外的には事故ではなく、落雷によるものとされているんです。そんなわけで、事情を知るもの以外は立ち入れず、圧倒的に手が足りておりません。部屋はかなり酷い状態ですので、気を強く持ってくださいね。それと、あの中から研究に関するものを見つけ出すのは、なかなか骨が折れる作業になると思いますので、ご覚悟を」

「わかりました」

 ルチアは迷いのない瞳で頷く。アルベルトのためなら、どんな困難にも屈しない心構えはとうにできていた。



 アルベルトの研究室があった棟は、ほとんどの天井が崩れてなくなり、空が見える状態になってしまっていた。

「この特に損壊が酷い部屋が、アルベルトの研究室です。研究の内容や結果を記したものは、あの瓦礫に埋もれた棚にあったはずです。あとは…事故当時、何か薬を調合中だったようで、作業台の破片とともに、破れたメモらしきものと、調合に使う道具や粉末状の薬草などが散乱していました。それらの薬草はできる限りを採取済みで、鑑定に回しています。ただ、この状態ですので、まだ見落としはあるでしょう。事故の衝撃で部屋中の薬草が入り混じってしまったため、事故当時、何を調合中だったのかはわかりません」


 アルベルトの命があったことが信じられないような気持ちすら生まれる、想像以上の惨状。ルチアたちは息を飲んだ。

 アルベルトが倒れていたと思われる場所には、まだ血痕も残されていて、当時の衝撃を生々しく語っている。バスクアーレが気を強く持つようにと言った意味が十分に理解できた。心構えをしていたとはいえ、直視するのが苦しいほどだ。あの言葉がなければ、相当な心的ダメージがあったことだろう。

「本当に、爆弾が落とされたかのような状態だったんだな…」

 カルロが漏らした声に、ルチアも呆然として頷くことしかできなかった。


 ルチアたちは、バスクアーレが示した場所から、アルベルトが残したものを手分けして運び出していった。

 薬草の成分がびっしりと書かれたものや、薬草の分量を薬ごとに書き出してあるもの、参考文献の数々…。運び出されたものであっという間に床が埋め尽くされていく。

 育てられていた薬草類も、割れた鉢から植え替えができそうなものはすべて運び出した。


「アルベルトは、植物状態の家族を持つ人から相談を受けて、そうした状態を回復させる魔法薬を作ろうとしていたようです」

 バスクアーレは、アルベルトが提出していたという研究計画書を見せてくれた。

「大脳が機能しなくなり、思考が停止してしまっても、心臓が動きを止めない限り魂は身体の中に留まっている。では、その魂と対話することはできないのか、そして魂を呼び覚ますことで、そこから大脳の回復が見込めないか、と考えたようです」

「魂と対話?魂を呼び覚ます?」

 魂という言葉の登場に、ルチアたちははっと顔を見合わせた。

 アルベルトは、魂に関わる薬を研究していた。これが今回の件に関係しているのではないだろうか。


「そうか、だからアルベルトは、僕のところに魂に関する話をよく聞きに来ていたんだな。専門外なのに、何故なんだろうと思っていたけど…。この研究に関して、具体的にどんな成分をどうやって使うかなどの記載はないんですか?」

 ジュリアーノが研究計画書に目を通しながら尋ねる。

「ええ。残念ながら、私の方にはまだそこまでの報告は上がってきていませんでした。――そうか、ジュリアーノは、魂の研究をしていましたね。君たちはアルベルトが研究していたこの薬が、彼の現在の状態に何らかの作用を及ぼしたのではないかと考えているんだね?」

「はい」


 ジュリアーノは、これまでに自分たちが考えた仮説を、バスクアーレに説明した。

「なるほど、魂が別の人間の身体に定着するという稀有な事象…。それは確かに、アルベルトの研究していた薬も影響している可能性が高いね」

 バスクアーレも仮説に同意した。

「アルベルトの作っていた薬が、魂と身体の結びつきを強める作用があるものだと仮定する。あの事故の時、爆風で舞い上がった薬をアルベルトの身体が吸い込んだ直後に、叩きつけられて強い衝撃を受け、アルベルトとミナトの魂が身体を離れてしまったとしたら…。その後、アルベルトの身体に作用しはじめた薬の効果で、偶然アルベルトの身体に入ってしまったミナトの魂が定着。そして、行き場を失ったアルベルトの魂は、そのままどこかに飛ばされてしまった…。論理として十分成り立つね」


 そこまで言って、バスクアーレは腕組みをして考え込んでしまった。

「この仮説が正しいことを証明するには、アルベルトの薬を再現する必要があるね。薬を作り、ミナトの身体に作用させて、それによってミナトの魂がミナトの身体に帰り、再び定着すれば、この説が立証できる。ミナトの魂が帰り、アルベルトの身体がアルベルトの魂を受け入れられる状態になれば、アルベルトの魂も帰ってくるかもしれない。――しかし、アルベルトの研究について調べるのは、相当な時間を要することになりそうだね…。事故で消失してしまった資料や研究メモも少なくない。もちろん、私もできる限り協力はするつもりだが、私たちにもそれぞれの研究があるし、この件にかかりきりになるのは難しい。新しく研究員を増員できればいいが、この事故の真相はごく一部の人間しか知らないから、それも難しいだろう…」


 王立である以上、魔法学研究所は国のための研究を最優先しなければならない。薬学部門長ともなれば、責任ある研究をいくつも抱えているはずだ。バスクアーレとしても辛いところだろう。

「僕の研究にも関わってくるので、僕なりにいろいろ調べて協力したいと思っていますが、なにぶん、魔法薬は専門外で、どれだけ力になれるか…」

 ジュリアーノも申し訳なさそうに俯いてしまった。


「あの」

 二人のやり取りを聞いていたルチアが口を開く。

「私にやらせてもらえませんか?」

 バスクアーレが驚いたような表情でルチアを見下ろす。

「君が?」

「はい。――私はアルのように優秀ではありませんが、アルのことは誰よりも近くで見てきたつもりです。いつもどんな本を読んでいたか、どんな薬草の匂いをさせていたか、私は知ってます。アルの魔力にも一番近くで触れてきたっていう自負があります。調合する時、何を考えてどんな魔法を使うのかも、前にアルから聞いたことがあるんです。お願いします。力を尽くしますから、私にアルの薬を作らせてください」


 ルチアに必死に頭を下げられ、バスクアーレは途方に暮れたようにルチアの後ろに立つカルロに視線を送った。すかさず、カルロも頭を下げる。

「僕からもお願いします。僕もできる限り妹をサポートをしますので、どうかお許し願えませんでしょうか」

 深々と頭を下げる兄妹を前に、バスクアーレはじっと考え込んでいたが、やがて諦めたように長い溜息をついた。


「君たちの気持ちはわかった。やってみるといい。こちらも事情を知る者にアルベルトの研究を引き継いでもらえた方がありがたいしね。空いている研究室にアルベルトの荷物を運ばせるから、そこを使いなさい。だが、わかっていると思うけど、簡単ではないよ?」

「ありがとうございます!困難は承知のうえです」

 ルチアはぱっと顔を上げ、瞳を潤ませてバスクアーレに何度も頭を下げた。アルベルトを取り戻すための糸口が、やっと見つかったのだ。バスクアーレが神様のように見えた。


 せっかく掴んだこの細い糸を離すわけにはいかない。

「あの、可能でしたら、これからすぐ、使わせてくださる部屋に資料を運び込ませてください!今日からでも作業に取り掛かりたいんです。夏期休暇の間は、毎日研究所にお邪魔しますから!」

 バスクアーレは前のめりになって言いつのるルチアに、優しく微笑んだ。

「わかったよ。部屋に案内してあげるから、ついておいで」

「はい!」


「ルチア、とりあえず、一歩前進だな」

 持てるだけの荷物を両手に抱え、バスクアーレについて歩くルチアの後ろから、同じく山積みの荷物を抱えたカルロが声を掛けた。

「うん。やっとアルに繋がるかもしれない可能性が見つかった。何もできずにいるのはとても辛かったから、本当によかった。これでやっと動き出せる。アルが見つかった時、ちゃんと身体に帰れるようにしてあげたいもん。私、負けないよ」

 気丈に笑顔を見せたルチアに、カルロは目を細めた。

「きっと、アルベルトもお前に見つけてもらうのを待っているはずだ。あの薔薇を見ればわかる」


 アルベルトから誕生日に贈られた薔薇には、”永遠の愛”のメッセージを伝えるに相応しく、数年は枯れないよう魔法処理が施されていた。処理を施すために使われた魔法薬は、アルベルトが自ら調合したものだという。

 贈られてから数日経つが、薔薇はルチアの部屋で、まるで手折られたばかりのように瑞々しく咲き誇り、高貴な香りを漂わせていた。


「うん。あの薔薇が咲いていてくれるおかげで、私は頑張れる。アルベルトが見守っていてくれるみたいで、強くなれる気がするんだ」

 ルチアは抱えた荷物に視線を落とし、それから再び顔を上げた。

「万年首席のアルの研究を辿るんだもん。たくさん勉強しなくちゃ」

「ああ、俺もついてる。これでも、学園在籍時の成績は常に上位だったんだぞ。まあ、アルベルトの優秀さには足下にも及ばないが、いないよりマシだろう」

「うん、ありがとう。頼りにしてるよ、お兄様」

 ルチアは、アルベルトが事故に巻き込まれて以来、初めて心から前向きになれた気がしていた。

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