第7話 頼もしい友人

 ルチアの夏期休暇は、タウンハウスと魔法学研究所との往復であっという間に過ぎていった。

 アルベルトの研究については、やっと膨大な資料の整理が終わったところで、まだまだ内容に迫るには程遠い。

 朝から晩まで、アルベルトが残した資料や文献を読み漁り、魔法薬を作るための知識を端から頭に入れていくだけで精一杯の毎日。それでも、立ち止まってしまえば、焦りと自分の不甲斐なさで押しつぶされそうになる。忙しくしている方が気が紛れた。

 一日の終わり、ベッドサイドで咲き誇るアルベルトから贈られた薔薇に、その日あったことを語りかけながら、力尽きたように眠りにつく。それがルチアの日課になっていた。


 魔法薬の研究と平行してアルベルトの魂を探そうと、一度ジュリアーノを伴ってベニーニ侯爵家のタウンハウスを訪れてみたが、アルベルトの魂は見つけられなかった。その後、ジュリアーノは侯爵とともにベニーニ侯爵家の領地も訪れてくれたらしいが、やはり魂を見つけることはできなかったらしい。

 アルベルトの魂の行く先がわからないことは不安で仕方なかったが、どちらにせよ、もしも今アルベルトの魂を見つけられたとしても、ミナトの魂が身体にあるかぎりアルベルトは自分の身体に帰れない。

 ジュリアーノやベニーニ侯爵とも相談し、魂の捜索は一旦休止して、まずはアルベルトの研究を紐解く方を優先させることになった。



「ルチア、久しぶり」

 アルベルトの親友フリオが、ファール家のタウンハウスを訪れたのは、夏期休暇も残すところ3日となった日の夕刻だった。ルチアが魔法学研究所から帰ってくるのを待っていたかのようなタイミングで、フリオはひっそりとやってきた。

「ずっと顔を出せなくてごめん。いろいろなご令嬢の招待を受けて各地を転々としていたら、アルベルトの事故のことを知るのがだいぶ遅くなってしまって。今日、やっとアルベルトのには会ってきた」

 いつも華やかなフリオの笑顔に、影が落ちている。


 フリオのアドルニ侯爵家は、アルベルトのベニーニ侯爵家と領地が隣り合っており、二人は幼馴染みの関係にある。今回の魔法事故は関係者以外には秘匿されているが、ベニーニ侯爵家と親交が深いアドルニ侯爵家には、王家経由で内々に連絡がなされたらしい。アルベルトの親友であるフリオにも、協力を仰ぎたい事案があるためらしかった。


 アルベルトの身体はほぼ全回復し、ミナトは明日には退院できることになっている。それはとても喜ばしいことだったが、身体が回復したことで、面倒な事態になってしまった。

 魔法学研究所で無許可の実験が行われ、大規模な魔法事故を引き起こした、などという前代未聞の不祥事を隠匿したい魔法学研究所側からの強い要請で、アルベルトは記憶喪失という体で、ミナトがアルベルトの代わりに学園に通うことになってしまったのだ。


「ミナトにアルベルトのふりをして学園に通ってもらうんですか?それはさすがに無理があるのでは?アルベルトは事故に遭い休学、それではいけないのですか?」

 もちろん、ルチアもベニーニ侯爵も魔法学研究所に抗議したが、名目上の研究所長となっている第一王子が、王太子の座を巡り第二王子との争いの渦中にあり、非常に敏感な時期だったのが災いした。

 これまで事故に関して箝口令が敷かれていたのは、背後にこの王国の跡目争いがあったためだったのだ。


 第一王子は優秀で誠実な人物。国王になれば安定した治世が望めるだろうが、すべてにおいて第一王子には劣ると言われている第二王子の後ろ盾には、彼を傀儡としたい影響力の大きな公爵がついている。第一王子支持派と第二王子支持派は、僅かに第一王子派が優勢ではあるものの、勢力はかなり拮抗しており、国王もその見極めに苦慮していた。


 この予断を許さない状況で、第一王子の管轄である魔法学研究所において、無許可で実験が行われ事故を起こしてしまったのは、相当にまずかった。さらには、その事故に侯爵令息が巻き込まれてしまったうえに、魂が行方不明になってしまったなどという失態が明るみに出てしまえば、第一王子の足を引っ張ってしまうのは必然だ。

 この一件はどうしても内々に処理したい、今の状況は秘匿しておきたいと、第一王子の側近たち、ひいては魔法学研究所からも頼み込まれてしまったのだ。

 ベニーニ侯爵家はもとより第一王子支持派である。この国の行く末を考えれば、要請を無下にすることはできなかった。


 研究所での事故は、事故当時雷雲が近くにあり、付近に雷が数カ所に落ちていたことから、落雷によって老朽化していた旧棟の一部が崩壊した事故として処理された。アルベルトはその予期せぬ事故に巻き込まれてしまったことになっている。

 研究所の旧棟改築申請はかねてから王国議会に出されていたが、第二王子派の反対により申請が通っていなかった。落雷により旧棟が崩壊したとすることで、逆に改築申請は適正なものであったと主張する材料にしたい思惑もあるようだ。

 しかし、アルベルトがいつまでも学園に復帰しないとなれば、裏に何かあるのではと勘ぐられてしまうかもしれない、というのが第一王子の側近たちの懸念だった。


「確かに王太子の座にどちらの殿下が就くかは、国を揺るがす重大なことだけど、だからってミナトにアルベルトの代わりをさせるっていうのは、僕はおかしいと思う。アルベルトは意図せず事故に巻き込まれてしまった被害者だというのに、何故そんな扱いを受けなければならないんだ?ベニーニ侯爵家やルチアたちの負担も、あまりにも大きすぎる」

 フリオが大きな溜息をついた。

「それにミナトだって、生まれ育った世界とまったく違う未知の世界で誰かの代わりを務めるなんて、無理があるだろうに…」


 学園に通うことについては、アルベルトの現在の”中身”であるミナト当人はもちろん、かなり難色を示し抵抗した。

 右も左もわからない世界で、魔法はおろか、貴族という立場すらどんなものか理解できないというのに、他人になりすまして学園に通わねばならないなど、到底許容できないのも当然だろう。


 しかし、元いた世界へ帰る方法も、帰れるのかすらもわからないこの状況では、一旦アルベルトとして生活してもらう以外に方法がないと、半ば脅しのように説得され、承諾せざるを得なかったようだ。

 ミナトはこの世界で何の後ろ盾も持たない。どうにかしてここで暮らしていくためには、提案に従うより他なかった。

「勝手に召喚しておいて、ここで生きていくためには言うことを聞けだと!?ふざけているにも程がある!」

 この件が決定した際、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てていたミナトに、ルチアはどう声をかけていいのかわからなかった。


「見た目はアルベルトなのに、中身は別人というのは、辛いものだね。ルチアはこんな状況によく耐えていたと思うよ。――僕はアルベルトの親友だって自負してたし、君の友人でもあるって思っていたのに、こんな大変な時にそばにいることもできなかったなんて、どうしようもない奴だよね」

 悲しそうに溜息をついたフリオの様子から、ミナトにきつい言葉を浴びせられたことが容易に想像できた。

 ルチアは慌てて首を振る。

「私は、今日フリオが会いに来てくれて本当に嬉しいよ。それに、これから始まる新学年も、フリオがいてくれることがとっても心強いんだから。フリオ様々だよ」


 ルチアを案じて会いに来たというのに、逆にルチアに励まされるかたちになってしまったフリオは、気落ちした表情ながらくすりと笑った。

「ルチアは偉いな。さすがはアルベルトの最愛だ。――ルチアがこんなに頑張ってるのに、僕が不甲斐ないままじゃ情けないよね。アルベルトに怒られる」

 フリオはぱちぱちと自分の頬を叩いて天を仰いだ後、いつもの笑顔でルチアを見た。

「――よし、これからは僕もいる。何でも力になるから、遠慮なく頼ってよ。絶対1人で頑張り過ぎないでね。ルチアが辛いのを隠しちゃう性格なのは、僕だってよく知ってるんだよ。だてに5年間、友人やってたわけじゃないんだからさ」

 フリオの優しさが嬉しくて、ルチアも微笑んだ。

「うん。ありがとう、フリオ」


「第一王子殿下の側近からも、ベニーニ侯爵からも、ルチアとともにミナトの学園生活を支えてやってくれって頼まれたけど、あのミナトって奴は、相当手を焼きそうだな。かなりこの世界に対する不満も溜まってるみたいだし。あいつに変な行動をとられてアルベルトの評判が落ちたら困るから、協力はするけどさ」

 フリオのアドルニ侯爵家も第一王子派ということで、協力を依頼されたのだろう。もともとアルベルトと仲がよく、学園のクラスも寮の部屋も同じフリオは、協力を仰ぐのにうってつけの存在だったに違いない。


「ミナトは…ちょっと難しいところがあるからね…。でも、何か事情があって、あんな風に人を拒絶するような態度をとってるんじゃないかな…」

 ルチアは額に手を当てて何度も溜息をつくフリオを見ながら、苦笑いした。


 魔法学研究所に毎日通うことになってからも、ルチアは2日に1回は病院に顔を出していた。

「お前、また来たのか?余程暇なのか、馬鹿なのか、どっちだ?」

 今日こそはもしかしたらアルベルトの魂が戻っているかもしれない、という淡い期待は、顔を出す度に浴びせられるミナトの険のある物言いを前に、早々に打ち砕かれた。しかし、早いうちに期待が砕かれたことで、やはり奇跡を待つのではなく、自分でアルベルトの魂を戻す方法を探るしかないと腹を括る一助にはなった。

 どんなに酷い態度を取られても、アルベルトの身体が健やかでなければ魂が帰ることもできないため、容体が心配で頻繁に顔を見に足を運んでしまうのだ。

 アルベルトの身体の様子を見に行けば、必然的にその度にミナトに声をかけることになる。


「残念ながら、アルベルトには戻ってないぞ」

 いくら冷たい言葉を浴びせかけても訪うことをやめないルチアに根負けしたのか、それとも自分の置かれた状況を受け入れるしかないと諦めたのか、ミナトも気が向いた時には自分からルチアと会話をするようになってきていた。


 もともと朗らかで素直という、相手の警戒心を解きやすい性格のルチアを前に、ミナトも少しずつ心を開き始めたようだった。素っ気ない態度と言葉のきつさはもともとの性格のようだが、最初の態度に比べれば、かなり角が取れてきたように思える。それどころか、時にルチアを気遣うような様子すら見られるようになっていた。

「身体の調子は悪くない。傷もほとんど痛まなくなってきているし、お前の婚約者の身体はかなり回復してきてる。それよりお前の方こそ、ちゃんと寝てんのか?酷い顔色だぞ」


『ミナトって本当は、結構優しい人なんじゃないかな。きつい物言いや態度は、こんな風に召喚されたせいもあるだろうし、もしかして、これ以前にも人を信じられなくなるような何かがあったのかも…』

 ルチアには、ミナトが自分を守るために鋭い言葉で武装しているように感じられた。


 ルチアに対しては警戒心を解き始めたミナトも、今日が初対面のフリオには、件の刺々しい態度だったに違いない。

 ミナトの態度に大分憤りを感じている様子のフリオを、ルチアは案じるように見上げた。

 フリオが不快感を露わにしている様子を見るのも初めてかもしれない。にこにこと誰にでも人当たりがいいのがフリオのデフォルトだ。それだけフリオにとってアルベルトはかけがえのない親友で、その親友の身体に入っているミナトが失礼な態度を取ることにより、アルベルトが悪く言われる可能性があるのが許せないのだろう。


「フリオがいてくれるから、すごく心強いよ。学園でどうなっちゃうか不安だったけど、フリオが一緒なら、何とかやっていけそうって思えた。ミナトのことも、フリオなら絶対に大丈夫」

 友達思いで優しいフリオなら、きっとミナトとも打ち解けられるだろう。

 フリオを絶対的に信頼していることが伝わるルチアの言葉に、フリオも毒気を抜かれたように表情を緩めた。

「ルチアがそう言うなら。僕も、僕にできるだけのことをするよ」

 フリオはルチアとミナトへの協力を約束すると、少しの間とりとめのない話をして、また明日、と帰って行った。

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