第12話 事件と決意

 樹木を染めていた葉が一枚、また一枚と少なくなり、いつの間にか地面を鮮やかな絨毯のように埋め尽くしていた。空は灰色で覆われる日が増え、今朝は初雪が舞った。

 年末年始休暇が、すぐそこまで迫ってきている。


 この数ヶ月、ルチアとフリオの努力により、ミナトはぎりぎりのところで何とかアルベルトとしての体裁を保ちながら過ごしてきたが、当然のように学業も振る舞いもアルベルトには遠く及ばず、記憶喪失という理由づけにも無理が生じてきていた。


 あれは本当にアルベルトなのか。実はよく似た他人で、本当のアルベルトは事故で死んだのではないか。跡取りがいなくなったことを隠すために、ベニーニ侯爵家が世間の目を欺いているのではないか――。

 真実を隠しているがために、謂れのない噂まで飛び交うようになってしまったのだ。


 さらに、ミナトに迫るマリアローザがかなり大胆に距離を詰めるようになってきたのも、大きな問題だった。

 ミナトも、もうルチア以外の女生徒たちに笑顔で接するような真似はしていないというのに、マリアローザはルチアとフリオが一緒でない僅かな隙を巧みに突いては、ミナトに声をかける。

 偽物と噂されようが、学園にいるアルベルトがベニーニ侯爵家の跡取りとされている人物であることに変わりはないとばかりにしつこくつきまとい、アルベルトを陥落するためなら、なりふり構わないといった振る舞いをするようになってきていた。


「なんであいつ、あんなにしつこいんだ?婚約者がいるんだよな?それなのに他の男に露骨に媚を売るって、どういう心境なんだよ。だから女は信用できないんだ。素の俺であいつを突っぱねられたら、どんなにいいか」

 マリアローザをあしらい続けるミナトのストレスも、相当なもののようだ。ルチアたちの前でだけは、アルベルトには到底見えない姿勢で椅子に座り、毎日のようにぼやいている。


 そんななか、事件は起こった。

 ルチアとフリオが教師に呼ばれて教員室に行っていたほんの僅かな隙に、マリアローザが取り巻きを使ってミナトを騙し、連れ出してしまったのだ。


「アルベルト、ルチアとフリオが503教室で待ってるって」

 声を掛けてきたのが、取り巻きに頼まれただけのまったく事情を知らない男子生徒だったことと、その教室がこれまで三人が魔法の練習や相談ごとのために使っていた教室であったために、ミナトはその教室に向かってしまった。

 そこは楽器を練習する者たちのための防音室のひとつで、外からは覗けない。鍵を掛ければ、他者から中の様子や会話をうかがわれることがないため、ルチアたちにとって都合がよかったのだ。

 マリアローザたちは、三人がよく使っていた教室まで調べ上げ、周到に計画していたのだろう。

 ミナトが教室に入ると、後からマリアローザが現れてこっそり鍵を閉めてしまったため、ルチアとフリオも事態に気づいてミナトを見つけるのが遅くなってしまった。


 結果、ミナトはマリアローザと僅かな間であれ、二人きりになったという事実を作ってしまった。

 ただ一緒に教室にいただけのことだったのだが、外から様子のわからない教室で二人きりの時間を作ってしまったことで、マリアローザは得意気にアルベルトとの仲が進展したと偽りを吹聴して回り、取り巻きたちは親密な様子で教室から出てきた二人を目撃したと騒ぎ立てた。

 そしてマリアローザたちの思惑通り、翌日にはもう、アルベルトがマリアローザに心変わりしたため、ルチアと婚約破棄をしたという噂が事実として受け取られはじめてしまったのだ。


 教室中がその話題で満たされ、ルチアとミナトに好奇の目が注がれるなか、昼休みに入るなりフリオがミナトを人気のない場所に連れ出した。ルチアも慌てて後を追う。

「油断するなって言っただろ!?」

 人気がなくなった途端、フリオが激しくミナトを非難した。

「は?俺は騙されたんだぞ?わざとこんな状況を招いたとでも言いたいのか?」

 ミナトもむっとしたように言い返す。

「たった一度の油断で、この始末だぞ!?お前はルチアの婚約者という立場なんだ!もっと気をつけろよ!」

「ルチアの婚約者はアルベルトだろ。俺じゃない」

「他人から見たら今はお前がアルベルトだろ!お前が何かやらかせば、すべてアルベルトの醜聞になるんだぞ!」


 ミナトにも、ほんの少しの隙を突かれてしまった自分を責める気持ちはあったが、頭ごなしに怒鳴られ、我慢ならずフリオを睨みつける。

「婚約者以外の女とほんの一瞬二人きりになったくらいで醜聞なのか?ご貴族様ってのは窮屈だな。大体、あれだけ毎日いろんな女から言い寄られても、手を出すのは我慢してやってんだから、そのくらい目をつぶったらどうだ?もっとも、俺の婚約者様はお忙しいようで、まったく相手してくれないんだから、いつまで我慢が持つか約束はできないがな」

 ルチアたちに心を開き始め、こうした理不尽な八つ当たりはしなくなっていたミナトだったが、我慢も限界だったのだろう。この数ヶ月、アルベルトのふりを強いられてきた鬱憤をルチアたちで晴らすべく、攻撃的な態度で思ってもいないだろうことまで言いだしてしまった。


 温厚なフリオが見たこともないほど険しい顔でミナトの胸ぐらを掴み、勢いよく壁に押し当てる。

「ミナトお前…いい加減にしろよ!ルチアがどれだけ…」

「フリオ!」

 ルチアが慌てて間に入る。

「他の生徒に見られたら大変だよ。フリオ、お願い、抑えて」

 喧嘩したことが教員の耳に入れば、フリオにも何らかのお咎めがあり、経歴に傷がついてしまう。ルチアは必死に止めた。

「ルチア…だってこいつ…!」

「ミナトも、お願い。いろいろこっちの都合に合わせてもらうばかりで、本当に申し訳ないけど、ここで騒ぎを起こすことだけはやめてほしい。マリアローザとのこと、ミナトが悪いんじゃないのはわかってる。ミナトがアルのふりをしなくてすむように、私、一刻も早くミナトが自分の身体に戻れる方法を探すから、これまで以上に頑張るから。それまでは、どうか堪えてほしい。お願いします」


 やっとのことでフリオを引き剥がすと、ミナトは乱れた胸元を直しながら、煽るような目でフリオを挑発する。

「大事な親友の身体だろ?乱暴はやめろよ」

「お前…!」

「ミナト!もうやめて!」

 再び掴みかかりそうになるフリオを懸命に宥めながら、ルチアはミナトをきゅっと睨む。

 ミナトはふん、と息を吐くと、背中を向けた。

「仕方ないから、もう少しの間だけアルベルトのふりをしててやる。早く俺を元の身体に戻せ。たとえお前がアルベルトからフリオに乗り換えて、アルベルトが必要なくなったとしても、俺の身体は絶対に返してもらうからな」


 婚約者に裏切られたミナトだから出た発言だろうが、アルベルトだけを一途に思うルチアにとって、それは耐えがたい言葉だった。ルチアも思わずかっとなって、去って行く背中に抗議する。

「私がアルを諦めることは、絶対にないから!絶対に!」

 悔しくて涙が出そうになるのを、唇を噛みしめて懸命に堪えた。


「――ルチア、ごめん。頭に血が上った。悪いのはミナトじゃないってわかってるのに」

 泣きそうな表情のルチアを見て、フリオが申し訳なさそうな顔をしてぐしゃりと前髪をかき上げた。

「ううん。アルと私のためにありがとう。私の方こそ、魂を戻す魔法薬の調合方法を全然見つけられなくて、ごめん。もっと早くミナトが自分の身体に帰れてたら、こんなことは起きなかったよね」

 ルチアは自分を責めるように、自身の肘をぎゅっと掴んだ。


「あの優秀なアルベルトの研究を引き継いで、ほとんど残っていないヒントの中から正解を探し出すのが、どれだけ大変かはわかってる。ルチアはよくやってるよ。あんな光景を見せられて、辛いだろうに…」

 あんな光景とは、アルベルトの身体に我が物顔で触れるマリアローザの様子を指しているのだろう。

 以前は自分以外の女性が触れることなどなかったアルベルトの腕に、胸を押しつけるようにしてしなだれかかるマリアローザの姿を思い出してしまったルチアは、目を伏せ溜息をついた。

「そうだね…。アルじゃないってわかっていても、あれは堪えるね。何度見ても慣れないよ…」


「マリアローザの他にも、ルチアとアルベルトが婚約破棄したって噂を信じている子のなかには、本気でアルベルトと恋人同士になりたいと思ってる子が何人かいるって聞く。万が一ミナトが今回みたいに嵌められて、そんな子たちの計略通りになってしまうような事態になれば、アルベルトの名誉はさらに損なわれてしまう。僕はそんなの耐えられない。ミナトのことは信じてるけど、精神的に限界がきているのもわかってる。これ以上は危険だ。今学期いっぱいでミナトは学園を休学した方がいいと、ベニーニ侯爵に僕から進言させてもらう」

 フリオは憤りを露わに、美しい髪をかき上げた。


「醜聞はもちろんだけど、学業もとてもじゃないがミナトにアルベルトの真似は無理だ。もともとこの世界の知識がないのに、万年主席のアルベルトのふりをしろだなんて、どう考えても無理がある。記憶喪失という言い訳だけでは、あれだけ優秀だったアルベルトが力の使い方や知識のすべて、染みついているはずの立ち居振る舞いまで忘れてしまうなんてことの理由には弱すぎる。実際に、アルベルトは本当にただの記憶喪失なのかと訝しむ声はどんどん広まってる。ベニーニ侯爵家にまで疑惑の目が向けられるようになってきてしまった今、もう見過ごすことはできない。ここが潮時だろう。年末の王国議会で、王太子が決まる。このままの状況なら、問題なく王太子は第一王子殿下に決まるはずだ。そうすればもう、無理にミナトにアルベルトの代わりをさせる必要もないだろう。休暇明け、ミナトが試験を受けて悪い結果がアルベルトの経歴に残されてしまう前に、そしてこれ以上アルベルトの名誉が汚されてしまう前に、手を打つべきだと思う」


 今学期、ミナトの学園での様子をそばで見守ってきたフリオの言葉は、ベニーニ侯爵に対してもかなりの説得力を持つだろう。ルチアもフリオに同意だった。

「うん…。実は私も研究所に掛け合おうと思ってたんだ。研究所からは事故の真相を伏せるために、できるだけミナトにアルとしての生活を送らせてほしいって頼まれてたけど、さすがに限界だと思う。権力闘争のために、アルもミナトもここまで犠牲になってきたんだもの。もう十分なはずだよね。これ以上アルの将来を潰すようなことは絶対にさせない」


 魔法学研究所とバーベイン魔法学園は、どちらも第一王子の管轄下にあり、上層部はつながっている。学園内に不穏な噂が流れてしまっていることは、当然研究所側も認識しているはずだ。


「僕も協力するから、早くミナトを休学させられるように手を打とう。ミナトには早速今日、僕たちの考えを話す。ミナトはもともと学園になんて通いたくなかったわけだし、学園生活にも相当疲れているから、きっとすぐ同意してくれると思う。ミナトの同意を得たらすぐ、ベニーニ侯爵家に連絡を取るからね」

「わかった。ありがとうフリオ。私も一緒にミナトに話すよ。それと、今日研究所に行ったら、薬学部門長バスクアーレ様にも話してみる」

 ルチアはフリオに同意して頷いた。


「ミナトに言い過ぎちゃったな。ちゃんと謝るよ」

 これまで胸の中で燻っていた思いをすべて吐き出し、頭が冷えてきたのだろう。フリオはばつが悪そうに呟いた。

「うん、きっと今頃、ミナトも同じこと考えてると思う」

 ルチアはくすりと笑った。フリオもつられて笑顔になる。フリオの笑顔を見たルチアは、ここのところずっと悩んできたことを、フリオに打ち明けようと決めた。


 大きく深呼吸し、意を決してフリオを見つめる。

 精一杯の笑顔で話し出そうとしたが、上手くいかずふにゃりと萎んでしまった。それでも、ルチアは顔を上げて口を開いた。


「――あのね、フリオ。ミナトの休学が許可されたら、私も一緒に休学しようと思うんだ」

 フリオは驚きを隠しきれない様子でルチアを見た。

「ルチアも休学?どうして?」

「うん…。私、一刻も早くアルの作った魔法薬を再現したいの。学園の勉強をしながら研究所に通っていても、なかなかアルの研究に迫れなくて。最高学年になって、勉強は益々難しくなってるでしょ?両立できるように頑張るつもりだったけど、私の力じゃ、このままの状態ではアルの薬を作るのにどれだけ時間がかかるかわからない。情けない話だけど、両立は諦めた方がいいって判断したんだ。私が一番優先したいのは、何よりもアルだから」


 この数ヶ月、努力しても努力しても、アルベルトの背中が遠くなっていくような恐怖を、ルチアはずっと味わっていた。手を伸ばそうともがいても、どうしても届かない。泣き叫んでも、アルベルトは振り向かない。そんな悪夢にうなされ、毎夜目を覚ます。

 少しでも早くアルベルトを取り戻したい。アルベルトに会いたい。そのために決めたことだった。


 フリオはルチアの顔をじっと見つめていたが、やがて少し寂しそうに笑った。

「確かに、学園に通って成績を維持しながらアルベルトの研究を紐解くなんて、無理難題もいいとこだよね。アルベルトは学園と研究を両立していたけど、そんなのアルベルトだからできることだ。常人には不可能だと思うよ」

「うん。アルに毎回助けてもらって、やっとで特Aクラスをキープしてた私が、欲張りすぎてたよ」

 ルチアは自虐的に笑ってみせた後、大きく息を吐いた。


「ああー、フリオに言えてすっきりした!これでアルの研究の解明に全力投球できそう!まあ、まずはミナトの休学が認められてからだけど」

「そうだね。しっかり説得しよう。もちろん、ルチアが学園を休学しても、休日には僕も研究所に通って手伝うから。二人の力になりたいんだ。アルベルトの足下にも及ばないけど、僕だってそこそこ優秀なんだよ」

「ふふ、知ってる。フリオはいつも、成績上位者だもん。女の子と遊んでばっかりいるくせにね」

「最近はめっきりだけどね」

 二人は顔を見合わせてしばらく笑った。


「さぁ、お昼食べに行こう。昼休みが終わっちゃう」

「そうだね。よし、今日は僕が奢ってあげるよ。何をどれだけ食べてもいいよ」

「ほんと?フリオ太っ腹ー」

 無理に明るく振る舞っていることは、お互い痛いほどわかっている。それでも、虚勢を張ることをやめてしまったら、もう前を向けなくなってしまう気がした。

 婚約者と親友。それぞれが大きな心の支えを失ってしまっているなか、倒れそうになりながらもなんとか立っていられるのは、大切な人を取り戻したいという、同じ目的を持つ友人がいてくれるからだ。


「フリオ、本当に、ありがとうね」

 ルチアが呟いた声に、フリオが小さく頷いた。

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