第13話 友との絆

 ミナトの秋学期いっぱいでの休学は、無事に認められた。

 ルチアやフリオが行動を起こしたことにより、ベニーニ侯爵家も第一王子側に看過できない状況を訴え、ミナトの休学を申し入れたためだ。


 ベニーニ侯爵の訴えとほぼ時を同じくして、第二王子側に国費流用が発覚し、最大の支援者だった公爵が失脚。年末の王国議会を待たずして第一王子が王太子の座に就くことが確定したのも追い風となった。

 年明けには立太子の儀が執り行われる運びとなり、第一王子派は安堵すると同時に、ベニーニ侯爵家に深い感謝の意を表した。アルベルトとベニーニ侯爵家に関する悪い噂にも、責任を持って対処すると約束され、すでに噂は誤りであるとの認識が学園内でも広がりつつある。


 もともと魔法学研究所で起きた不祥事に、アルベルトとミナトは巻き込まれてしまっただけだ。

 第一王子派は、不安要素を排除しておきたいという理由から、無理に頼み込んで歪な状況を作り出していたというのに、何の過失もないベニーニ侯爵家とアルベルトにまで悪い噂が及ぶ事態を招いてしまった。

 歴史あるベニーニ侯爵家をはじめ、同様に由緒あるフリオのアドルニ侯爵家や、新興ながら力を持つルチアのファール伯爵家など、優位貴族たちを軒並み敵に回してしまうなど、望んでもいなかったことだ。

 たとえ第一王子の立太子が決まらなくても、ミナトの休学は受け入れられる方向で進んだだろう。


 ミナトの休学に伴い、ルチアも休学届を提出、受理された。

「これで少しルチアの負担が減るね。研究も進められるし、アルベルトのに群がる令嬢たちをルチアが目にすることもなくなる。とりあえずよかったよ。来学期は、ルチアの姿もアルベルトの姿も、学園で見ることができないって考えると少し寂しいけど」

 ベニーニ侯爵に進言し、ミナト休学のためルチアとともに動いたフリオは、安堵の表情を浮かべながらも、その瞳に寂しさを滲ませた。


「そうだね。休学もいつまでになるか…。フリオとは一緒に卒業したかったけど、もしかしたら私たちはフリオの後輩として卒業することになっちゃうのかもしれないね」

 アルベルト不在の今、ルチアにとって学園内で唯一心を許せる存在だったフリオ。この数ヶ月、どれだけ助けられてきただろう。感謝してもしきれない。

「まだ、一緒に卒業できる可能性も消えていないんだし、今はそのことは考えないでおこうよ。自治会の後継者も見つけたし、これからは僕ももっと研究所に手伝いに行けると思うから」


 学園の規定では、出席日数が足りていなくても、必須単位さえ取得できれば卒業は可能だ。つまり、学年末までに復学して試験を受け、単位さえ取得できれば留年することなく卒業できる。

 その場合、ルチアはそれなりに力を尽くす必要があるだろうが、アルベルトは身体に魂を戻せさえすれば、卒業のために必要な単位は優に取得できるはずだ。すべては学年末までにアルベルトを取り戻せるかにかかっている。


 フリオは持ち前の社交性と顔の広さを発揮して、アルベルトの代わりに行っていた自治会役員の後釜を見つけ出し、あっという間に引き継ぎを行ってしまった。

 もともと6年生の冬学期には下級生に引き継ぎを行う役職ではあったが、フリオは秋学期に入ったと同時に臨時で役職を受け継ぎ、円滑に仕事をこなしながらもすぐに代わりの人材を探し出して説得、承諾させてしまったのだ。その行動力と交渉力には驚かされる。これもフリオの才能だろう。


「今学期はフリオ自身の時間、全然取れなくなっちゃってたよね。こっちのことばかりに時間を割いてもらっててごめんね。これからは、ちゃんと自分の時間も作ってね」

 以前のフリオは、放課後は毎日、集まってくる令嬢たちの相手をし、休日の度に誘いを受けて街に出ていた。それが突然フリオが多忙になったために、まったく相手をしてもらえなくなったと嘆く声を其処此処で耳にしていたルチアは、心から申し訳なさそうに表情を曇らせた。

 そんなルチアのおでこを、フリオがちょんとつつく。

「僕にとっては、数多のお誘いよりも親友と友人の方が大切だっただけ。ルチアが気にすることなんて、何もないよ」

 優しく笑ってみせたフリオに、ルチアの表情も解れる。


「フリオ、本当にありがとう。フリオがいなかったら私、今頃どうなってたかわからないよ。フリオがたくさん支えてくれたから、何とか頑張ってこれた。学園で会えなくなっても、ずっと友達でいてね」

 出口の見えない真っ暗な道を、ともに歩み、これからも支えてくれようとしているフリオ。ルチアにとってかけがえのない友人だ。


 ルチアに目一杯の感謝を伝えられたフリオだったが、ルチアの思いに反し、表情を翳らせて首を振った。

「いや、僕にできたことなんて、何もないよ。ミナトの心を開いたのも、折れずに頑張ったのも、みんなルチアだよ。もっとちゃんと力になりたかったのに、ごめんね」

 想像もしていなかったフリオの言葉に、ルチアは大きく目を見開いた。フリオはそんなルチアを見て自嘲気味に笑う。

「僕はさ、何もかもが中途半端なんだ。ただ少し愛想がよくて、人よりちょっと要領がいいだけ。僕じゃなきゃいけないものなんて、ひとつもない。いくらでも代わりがきく、取るに足らない存在なんだ。実際に、自治会の仕事だって引き継ぎ後もちゃんと回ってるし、僕が忙しくなったのに比例するように、アルベルトの身体にミナトが入って会話に応じるようになったら、僕の周りにいたご令嬢方もみんなミナトの方を選んだでしょ。そんなもんなんだよ。僕なら手が届きそうだから、相手してくれるから、ってだけ。本当に僕を求めてる人なんていない」


 これまで隠し続けてきた心の闇。フリオの心も、親友がいない日々に限界を迎えていた。


 侯爵家の優秀な跡取りであるフリオがこれほどまでに自己肯定感が低いのには、フリオの家庭環境が起因している。

 実母はフリオがまだ物心つく前に他界しており、後妻に入った現在のアドルニ侯爵夫人とフリオの父親であるアドルニ侯爵の間には二人の息子がいる。

 異母弟二人が愛情深く育てられたのに反し、ほとんど顧みられることなく、常に疎外感を持ちながら成長してきたフリオは、自分は不要な存在なのではないかと悩み続けてきた。休暇にほとんど家に帰らないのもそのせいだ。


 嫡男であったため、早々に侯爵家の跡取りとなることは決まっていたが、義母が本当は異母弟たちを跡取りとしたかったのはわかっていた。貼りつけたような笑顔の裏で、前妻によく似た自分を疎ましいと思っていたことも。

 父は無用な争いを避けるためにフリオを跡取りに指名したものの、妻との不和を避けるために、フリオから目を逸らし続けていることだって、気づかないわけがない。


 頭が切れることに加えて、中性的な魅力を纏った端整なかんばせに、すらりとした長身という恵まれた容姿。社交もできる、非の打ち所がない侯爵家の跡取り。

 そんな誰もが羨む存在であっても、フリオは心の奥で大きく口を開けた虚を塞ぐことができなかった。常に満たされない思いを抱え、ともすればその虚に落ちていってしまいそうになる日々。

 フリオが令嬢たちからの誘いをほとんど断らないのは、そうやって自分を求めてもらえることで存在意義を確認したかったからかもしれない。


 幼い頃からフリオと親交があったアルベルトは、そんなフリオという人物をよく理解していた。だからといって必要以上にフリオを構うわけでもなく、避けるでもなく、ただただ目の前のフリオという人物を肯定し、受け入れた。暗い影もそのままに。

 それがフリオには何より嬉しかったのだ。初めて自分を肯定してもらえているという安心感は、空虚な心を温めてくれた。

 公平で真っ直ぐなアルベルト。フリオが全幅の信頼を置き、親友といえる唯一の存在。

 アルベルトがいてくれるだけで、フリオは自分を保てていた。


 そのアルベルトが何よりも大切にしているルチアもまた、フリオにとってかけがえのない友人だ。

 天真爛漫で、思いやりに溢れ愛情深いルチア。純真で裏表のない素直な性格は、一緒にいて心許せた。

 アルベルトがルチアを守れない間は、自分がその役目を引き継ぎ、ルチアを支えなければ。フリオは大切な二人のために、力を尽くす覚悟だった。


 だが、秋学期の間、自分なりに二人の力になろうと動いてきて、何一つ形になったものはない。アルベルトが戻る気配はなく、ミナトにも、売り言葉に買い言葉とはいえ、つい言い過ぎてしまう。そのうえ、ミナトに言い寄る令嬢たちを上手く排除することもできていない。そのせいで傷ついたルチアの顔を何度目にしただろう。結局自分は何もできないまま。

 来学期からルチアは学園を休学する。アルベルトもルチアもいなくなってしまったら、自分には何が残るのだろう。

 突然そんな思いがフリオを襲い、絶望的な気持ちになってしまったのだ。


「フリオ!」

 暗く沈んでいくフリオを、ルチアが真っ直ぐな瞳で覗き込んだ。瞳に宿る強い輝きが、フリオの心を捉える。

「フリオ、それは違うよ!フリオの代わりなんて、絶対にいない!私がどれだけフリオに救われたと思ってるの?ミナトがあれだけ言い合えるのだって、本心ではフリオを信頼してるからだよ。フリオなら、絶対に愛想を尽かしたりせず、自分を受け止めてくれるって。フリオはすごく優しくて、すごく友達思いで、すごくかっこいい、私の自慢の友達なの。アルの唯一無二の親友なの!だから、そんな悲しいこと考えないで」


 真剣な顔でルチアは続ける。

「自治会の子たちは、フリオがすごくわかりやすく引き継ぎして、資料を纏めていってくれたって感謝してた。今後もこの引き継ぎ資料を使わせてもらうって言ってたよ。こんなにわかりやすい資料は今までなかったって。それにね、女の子たちだって、本心からフリオを思っている子たちは、今の忙しそうなフリオを気遣って、あえて誘わないようにしてるらしいってミアから聞いたよ。本当にフリオのよさをわかっている子たちはたくさんいて、そういう子たちはちゃんとフリオを見てる。誰でもいいなんて、フリオのこと本気で好きな子たちに失礼でしょ!」

 ルチアのあまりの剣幕に、呆気にとられたように見つめ返していたフリオだったが、ふっと表情を和らげると、そのまま、ふふふ、と声を出して笑い出した。

「ちょっと!ちゃんと伝わってる?私、真面目な話してるんだからね?」

 笑い続けるフリオに、ルチアが頬を膨らませる。


「うん。伝わってる。ありがとう。やっぱりルチアはすごいなぁ。あはは」

 自分ではどうにもできない劣等感や虚無感を、全力で吹き飛ばしてくれる友人。

『愛するアルベルトに会えないうえに、アルベルトを取り戻す方法すらまだわからない。今一番辛いのはルチアのはずなのに』

 フリオは目尻に浮かんだ雫をそっと指で払った。


「ああ、笑った笑った!ごめん、ちょっといろいろ考え過ぎて、後ろ向きになっちゃっただけ!もう大丈夫。さあ、今日は僕も一緒に研究所に行けるよ。早くアルベルトに会えるようにしなきゃ」

 ルチアはフリオの表情を確認するように、注意深い視線を向けていたが、前を向こうとしている気配を感じ取ったのだろう。安心したように微笑み、いつもの調子で明るく言った。

「うん。ありがとうフリオ。ミナトも今日は病院に寄らなきゃいけないみたいだから、ミナトを病院に送りながら行こう」

「そうだね。――あ、噂をすればだ」

 学園の門の前に、女生徒に囲まれたアルベルトの姿のミナトが見えた。なかには露骨にその身体に触れるマリアローザの姿もあり、ルチアの顔が僅かに強張る。

 ミナトが眉を顰めてその手をかわしているが、マリアローザはしつこく腕に絡みついている。


 ルチアの隣で、フリオが眉間に皺を寄せ、溜息をついた。

「貴族の令嬢が、あれは本当にいただけないね…。ルチアとアルベルトが婚約破棄したって噂も、まだ懲りもせず流してるみたいだし」

 当然のことながら、婚約者がいる男性に媚びるなど、貴族令嬢として恥ずべき振る舞いだ。嘘の噂を広めることも、そんな卑劣な行動を取ってまで自分の思いを遂げようとする浅ましい行為も。

「うん…。でもきっと、私たちが休学したら、その噂もなくなっていくよね」


 ルチアとアルベルトの婚約が継続されていようがいまいが、以前のように仲睦まじい様子が見られないなら、付け入る隙は十分にあると考え、積極的にミナトに迫るマリアローザ。

 ミナトは自分が婚約者に裏切られた経験をしているから、アルベルトの身体でルチアを裏切るような行動は絶対に取らない。

――わかってはいるのだ。頭では。


「この光景も、あと数日だよ。さ、行こう」

 今度はフリオがルチアを励ますように、ぽん、と肩を叩くと、ミナトに向かって大きく手を振った。

「アルベルト!帰るよ!」

 二人の姿に気づいたミナトが軽く手を振り返すと、ミナトを取り囲んでいた令嬢たちはルチアの顔を見るなりさぁっと潮が引くように散っていった。最後に残ったマリアローザとその取り巻きたちが、ルチアを睨みつけながら渋々ミナトから離れる。

 その様子を見たフリオが、溜息交じりに呟いた。

「一応、自分たちが胸を張れない行動を取っているって自覚はあるみたいだね」

 ルチアも苦笑いをしながら、フリオの顔を見上げる。

「フリオ、ありがと。そうだね、あと数日だもんね。負けないよ」

「その意気その意気」


「アル、お待たせ」

 ルチアも笑って、ミナトに手を振った。

「お前たちが早く来ないから、またあいつらに囲まれたじゃないか。あいつら、香水も化粧もきつ過ぎて、近くに寄られるだけで気分が悪くなる。特にマリアローザ」

 近づいてきた二人にミナトがぶつぶつと文句を言う。

「だったらもっとちゃんと断っていいんだよ?曖昧な態度を取るからあんなにベタベタされるんでしょ?」

 呆れたように言ったフリオを、ミナトが睨む。

「断ってるだろ。とっくに無理して笑顔を振りまくのもやめてるし。素の俺で断っていいなら、もっとはっきり近づくんじゃねえって言ってやれるのに。貴族らしく、って言うんだっけ?遠回しに上手くあしらうなんて芸当、俺ができると思うのか」

「言い寄ってくる令嬢たちに対しての態度は、もっと冷たくてもいいんだからね?笑顔と言葉遣いは上品かつ丁寧に。で、はっきり断ればいいんだよ」

「丁寧に冷たく断るとか、どれだけ難易度高いんだよ。そんなの無理だろ」

 言い合いをする二人を苦笑いしながら見つめ、ルチアが言った。


「ほらほら、もうそのへんにして、病院行くよ。御者さんも待ってるから」

 ファール家の紋章を掲げた馬車をルチアが指したちょうどその時、馬車の扉が開いてカルロが顔を出した。

「俺も待ってんだからな。早く乗れ」

「お兄様、お待たせしてごめんね」

「今日はミナトとフリオも一緒か。さっさと行くぞ」

「はーい」

 カルロに促され、三人は馬車に乗り込んだ。

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