第14話 起こり始めた異変
秋学期が終わり、学園は冬期休暇に入った。
休暇明けから休学するルチアとミナトは、他の生徒たちの目につかないように、すべての生徒の帰省を待ってそっと寮から荷物を運び出した。また根拠のない憶測が飛び交うのを避けるため、二人の休学は伏せていたのだ。
寮の同室のミアにだけは、休学が決まって間もなく、アルベルトの療養に付き添うために休学すると伝えていた。ミアは寂しそうにしながらも、応援してる、と笑い、昨夜はこっそり二人だけの壮行会をしてくれた。
「頑張って、アルベルトの記憶を取り戻してきてね。ルチアはきっと卒業前に戻ってくるって信じてるから、これはお別れ会じゃなくて、壮行会だよ」
そう言って、用意してくれていたたくさんのお菓子を机に広げた。
「ミア、ありがとう。絶対にまたこの部屋に帰ってこれるように、頑張るね」
「うん。待ってる。さ、これもこれも、ルチアの好きなやつでしょ。食べて食べて」
「ふふ、さすがミア。わかってるね」
ルチアは涙を浮かべながら、ミアとお菓子を頬張った。
フリオだけは、二人が寮を出るのを見送るために残ってくれていた。
「これからも学園の外では会えるけど、しばらく学園では会えなくなるんだし、一応ね。ミナト、困ったことがあればちゃんと言いなよ。僕もできるだけ研究所に顔を出すから」
「わかってる。大丈夫だ」
この数ヶ月の学園生活で、ミナトと一番一緒にいたのはフリオだ。言い争いも多かったが、互いに信頼し合っているのを感じる。
フリオは寂しそうに微笑みながら二人が馬車に乗り込むのを見届け、馬車を見送ってからタウンハウスへと帰っていった。
ルチアは、連日朝から晩まで研究所に籠もる生活が始まった。
学園の勉強を離れ時間ができたことで、膨大な量のアルベルトの資料や文献に目を通す作業がやっと終わった。今は頭に叩き込んだそれらの知識を参考に、アルベルトが調合していた魔法薬を再現する作業に入っている。新しい年も、研究室でカルロとともに迎えた。
事故の後、爆発に耐え部屋に残されていた僅かな薬草や、散らばっていた薬草の粉末はかき集めた。
それらは事故直後、研究員たちが先に採取していたものと一緒に、成分分析にかけている。それと同時進行しながら、アルベルトがあの時残していた数少ないメモやこれまでに書いた論文などから、使われていた材料を予測し、可能性のある調合をしてみては実験する、という流れを繰り返していく。
アルベルトを取り戻す戦いは、まだまだ先が見えない。
「ルチア、これはどこにしまう?」
やっと学園に行く必要がなくなったミナトには、魔法学研究所の研究員寮に部屋が用意された。魔力を使って生活することにも大分慣れたようで、今のところ困ることはないようだ。
ただし、アルベルトの身体では不用意に街を出歩くわけにもいかない。
目下、研究所と寮を行き来するのみの日々を送っており、日中は研究所で異世界の技術について新技術開発チームの研究員に伝えたり、ルチアたちを手伝ったりしていた。
ミナトの話を参考に、異世界の技術を取り入れた製品を作る動きも進んでいる。自分の話からこの世界になかったものが生み出されるのを見て、ミナトもやっと自分の居場所を見つけたと思えたらしい。この世界での生活に前向きになり、険のある態度は随分和らいだ。
ルチアたちに理不尽な怒りをぶつけることも、学園に行かなくなってからはほとんどなくなっていた。
「ミナト、ありがとう。そこの棚にお願いできるかな」
ルチアが使ったまま机に並べていた薬草瓶を指定された棚に戻すと、ミナトは部屋の中央に置かれた大きなテーブルの端に座った。
薬学部門長バスクアーレがあてがってくれたこの研究室には、研究者用の机が二つ、大きなテーブルが一つ設えられていて、机はルチアとカルロが使っている。大きなテーブルの窓側の端の席は、ミナトの定位置になっていた。
今日は午前中に新技術開発に携わる以外、特に予定がないと言っていたミナトは、テーブルに着くなりカルミア王国の歴史書を開いて目を落とした。最近のミナトには、自分の置かれた状況を受け止め、馴染もうとする気概が感じられる。
「ああ、ミナト、いたのか」
「やあミナト。調子はどう?」
業者に注文してあった薬草を受け取ってきたカルロと、休暇中、毎日手伝いに来てくれているフリオが部屋に戻ってきた。よくアルベルトが纏っていた、清涼な薬草の香りが部屋に満ちる。
「この香り、すごく落ち着く」
ルチアがすうっと息を深く吸い込んで、遠い目をした。アルベルトに思いを馳せているのだろう。
「うん、アルベルトの香りだよね」
フリオも同意して、同じように息を吸い込んだ。
そんな二人を労るような瞳で見つめたカルロは、気を取り直したように再びミナトに目を向ける。
「カルミア国史、三巻まで読んだんだな。わからないことがあれば聞けよ?」
「ああ。三巻はまだ読み始めたばかりだから、今のところ問題ない」
お互い第一印象は最悪だったカルロとミナトだが、歳が近いこともあり今ではかなり打ち解けた。
もともとカルロは、ルチアと同じく誠実で優しく、困っている者を放っておけない心根の持ち主だ。ミナトと過ごす時間が増えてからは、ミナトが過ごしやすいように気を配っていた。
国史を読むことを勧めたり、ミナトが時間を持て余さないようにあえて簡単な仕事を手伝わせたりと、カルロの方が数歳年下にも関わらず、持ち前の兄気質を発揮して世話を焼いている。
「しかし、召喚術ってのは本当に未知のことが多いな。言葉も文字も、ミナトがいた暁と、ここカルミアはまったく違うっていうのに、召喚と同時にどちらもわかるようになってたなんてな。どんな魔法式になっているのか…。古代人は今の俺たちよりも天地に親しみ、精霊たちと会話もできたっていう。魔力量も今と比べようもないほど多かったって説があるけど、きっとそれは正しいんだろうな」
購入してきた薬草をそれぞれの位置に収めながら、カルロはミナトが読んでいる本に目をやった。ミナトは顔を上げて頷く。
「そうだな。俺も最初信じられなかったよ。明らかに知らない言葉だし、俺だって暁語をしゃべってんのに、何故か意味がわかるし伝わるんだからな。ずっとアルベルトって呼ばれてるし、身体はあちこち痛むし、何が起きたのかさっぱりだった」
「アルベルトって呼ばれてたのは、アルベルトの身体に入っちゃってたんだから不思議じゃないけどね」
フリオの言葉に皆が笑う。穏やかな空気が漂っていた。
談笑しながら薬草を収めていたカルロが、作業を終えてミナトの向かい側に座った。すっと表情を引き締め、ミナトの顔をじっと見つめる。
「何かあったのか?」
ミナトも、カルロが何か真剣な話をしようとしている気配を悟り、本を閉じた。
「ミナト。さっき薬草を買いに行く時に、病院の医師に会ってな…」
カルロの真剣な声色を耳にして、机に向かい考案した調合を書き留めていたルチアと、調合に必要な薬草を並べていたフリオも振り返った。カルロは皆が自分の話に耳を傾け始めたのを確認すると、小さく息を吐いて話し出した。
「――ミナトの身体が、大分弱ってきているらしい。心拍や呼吸が、かなり弱くなっているようなんだ」
ミナトの顔色が、目に見えて青ざめた。ルチアもショックを隠しきれない様子で顔を強張らせる。
「そういえば…今日、ジュリアーノさんからこの研究室に寄るって連絡をもらってた。もしかして、その話…?」
「おそらく、そうだろうな。ジュリアーノもこの件について、いろいろ調べてくれているって話だったから…」
しばしの沈黙の後、ミナトが静かに口を開いた。
「もし、俺が自分の身体に戻る前に、身体の方が機能を止めてしまったら、当然俺の魂は帰る場所を失うよな。そうなった場合、アルベルトの身体を離れた俺の魂はどうなる?」
再びの沈黙。重苦しい空気が流れる。
意を決したように、ルチアがその沈黙を破った。
「ミナトの身体が先に機能を止めてしまったら、ミナトの魂がアルの身体を出た時、魂だけでは生きられなくて、消滅してしまう可能性が高いと…思う」
「……だよな」
ミナトも同じことを考えていたのだろう。ルチアの言葉に頷いた。
「ルチア、言いにくいことをちゃんと言ってくれて助かる。――実は俺、お前たちに隠してたことがあるんだ」
ミナトが何かを語ろうとした時、ドアをノックする音がした。
「やあ、ルチア。お邪魔するよ」
ルチアがドアを開けると、そこにはジュリアーノが立っていた。病院でミナトを担当している医師も一緒だ。
「ジュリアーノさん、先生、こんにちは。ちょうど今、ミナトの身体の話をしてたところで…」
ルチアが二人を部屋に招き入れると、カルロが立ち上がって椅子を勧める。
「こんにちは。皆揃ってるなら、タイミングがよかったみたいだね」
ジュリアーノは暗い表情をしているミナトをちらりと見て、椅子に座った。
皆でルチアが入れたお茶を飲み、人心地ついたところで、ジュリアーノが切り出した。
「ミナトの担当医から、ミナトの容体について相談を受けていてね。身体の機能低下がみられるが、もしかしたら魂と関係があるのではって。これはしっかり考える必要があると思ってさ」
医師はジュリアーノの言葉を受け、頷いた。
「ミナトさんの身体には、特別悪いところは見当たりません。外傷はとっくに治っていますし、魔法でスキャンしてみても、内臓にも特に問題は見当たらない。昏睡状態であること以外は、いたって正常でした。しかし、ここのところ、心臓や肺など、生命を維持するための機能が目に見えて衰えてきていまして…。原因がわからず、ジュリアーノさんにご相談したのです」
ジュリアーノが医師の後を引き継ぐ。
「ミナトの魂が長い間身体から離れてしまっていることで、身体がもたなくなってきている可能性がある。魂が不在の身体は、ただの空の入れ物のようなものだ。生命力が失われ、弱っていき、やがてすべての生命活動を停止してしまう。特に今回のケースでは、ミナトの魂が別人の身体に入ってしまっているせいか、ただ魂が身体を離れてしまっただけの状態と比べて、魂と身体との結びつきが弱いように思える。僕のこれまでの経験上、一時的に魂が身体を離れて昏睡状態にある人でも、魂と身体を結ぶ糸のようなものが見えたりするんだけど、ミナトの魂と身体には、それが見えないんだ」
俯いて話を聞いていたミナトが顔を上げ、ジュリアーノと医師をじっと見つめた。長い溜息をつき、覚悟を決めたように重苦しい口調で切り出した。
「実は少し前から、俺も異変を感じていた。身体と魂が分離するような感覚っていうのか、魂が身体を抜け出すような感覚っていうのか…。とにかく居心地が悪いんだ。もしも魂がアルベルトの身体から抜け出そうとしてるなら、俺の身体に戻れるんじゃないかと思って、診察の帰りに自分の身体がある部屋に行ってみたりもしたんだが、近づいただけじゃ何も起きなかった。戻りたいのに、何故か自分の身体に拒否されているような、アルベルトの身体に縛られているような、何とも言えない奇妙な感じだった。――それに時々、起きているのに意識が遠くなる。眠くなるのとは違う。断片的に意識が飛ぶ」
一同は、ミナトの言葉に息を飲んだ。
「いつからだ?いつから異変を感じてた?どうして異変を感じたなら、すぐに言わなかったんだ!手遅れになったらどうするつもりだ!」
カルロがミナトの肩を掴んで揺さぶる。ルチアが慌てて二人の間に割って入ろうとすると、ミナトがそれを手で制した。
「カルロ、黙っていて悪かった。――異変を感じ始めたのは、学園を休学することが決まった頃だったかな。でも、もともとこの世界で俺は異分子だし、消えたところで問題ないだろって思ってたんだ。むしろ、俺がいなくなれば、アルベルトもこの身体に帰ってこれるかもしれないし。そしたら、全部元通りだろって。だから、言わなかった。俺はこんな奴だから、どこか諦めてたところもあったのかもしれない。」
ルチアは口元を押さえ、俯いて震えていた。
『私はずっとミナトの近くにいたのに、異変に気づけなかった。私のアルへの気持ちをわかっていたから、ミナトも言い出せなかったのかもしれない。ミナトへの配慮が足りなかったんだ』
カルロはルチアが考えていたことがわかったのか、はっとしてミナトの肩から手を離す。
「ルチア…」
何か言おうとしたカルロを見上げ、ルチアがふるふると首を振った。”自分でちゃんと言う”、瞳でカルロにそう伝える。ルチアはそっと、ミナトの手を取った。
久しぶりに触れるアルベルトの手。ずっと触れたかった手。アルベルトへの感情が溢れ出してくる。
でも今は、その手の向こうにいるミナトに心が届くよう、祈りを込めて語りかけた。
「ミナト、ずっと不安な思いをさせてごめんね。私、もちろんアルには一刻も早く戻ってきてほしいし、絶対に取り戻すって思ってるけど、ミナトにもちゃんと自分の身体に戻って生きてほしいって心から思ってる。この数ヶ月で、ミナトも私たちの大切な友達になったんだよ。ミナトが消えちゃうなんて、そんなの、皆望んでない。ちゃんとそういう気持ちを伝えてこなかったから、きっとミナトは一人で苦しかったよね。異変を感じても言い出せない状況を作っちゃってたのは、私たちだね。本当にごめん。だけどね、本当にミナトも大切なの。お願いだから、一人で諦めちゃうなんて、寂しいことしないでよ」
ルチアの泣きそうな顔を見て、ミナトも弱々しく頷いた。
「そうだな。――俺もお前たちと一緒にいるうちに、ここで人生やり直すのも悪くないって思い始めちまった。ここが…お前たちといるのが、思いのほか居心地よくなってきちまってさ。正直、暁での俺の人生は全然いいものじゃなかった。だから、いろんなことに期待するのはもうやめたつもりだったのに…」
ミナトは皆の顔をぐるりと見渡すと、俯いて小さな声で言った。
「――俺を、助けてくれないか?」
カルロが、ミナトの肩をぐいっと引き寄せた。
「当たり前だろう!絶対に助ける。お前の身体が機能を止めてしまう前に、必ずお前の魂を身体に戻す」
ルチアも、溢れんばかりに涙を浮かべながら、何度も頷く。フリオがミナトの背中に手を添え、ジュリアーノと医師も、当然だと頷いた。
俯いたミナトの足下に、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。
「ありがとう…」
掠れたミナトの声が、静かな部屋に響いた。
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