第11話 揺れる学園生活
ミナトがアルベルトに代わり学園生活を送ることで、ルチアたちの日常は大きく様変わりしたが、なかでも一番の変化をもたらしてしまったのは、図らずも女生徒たちに対してだった。
アルベルトの評判を落とすなと、フリオに毎日のように言い聞かされていたミナトは、学園ではミナト本来の険のある物言いをしないように努めながら会話に応じ、余所行きの笑顔すら浮かべるようになった。
それは本来のアルベルトを知らないミナトが最大限努力した結果だったのだが、残念ながらその努力が裏目に出てしまったのだ。
これまで徹底してルチアのそばを離れず、ルチア以外の女生徒に対しては笑顔を見せるどころか挨拶に応じる程度にしか接してこなかったアルベルトが、記憶喪失になるなりまったく別人のように笑顔で会話に応じるようになったのだから、周囲の驚きは相当なものだった。
最初はこれまで通り挨拶をするだけだった女生徒たちも、一月以上経ってアルベルトが以前とは違うとわかりはじめると、あっという間にその周りに集まるようになった。
少しでも相手をしてもらえることが嬉しいのか、登校時や授業の合間などに、我先にと話しかける。
「今日、アルベルトに挨拶したら、優しく笑いかけてくれたのよ!」
「私だって、アルベルトが落としたペンを拾ってあげたら、ありがとうって微笑んでくれたわ!」
彼女たちは、まさかアルベルトの身体に別人の魂が宿っていて、本当は別人と接しているなどとは夢にも思っていないのだから、色めき立っても無理はない。
”ルチア以外の女性は歯牙にもかけなかった高嶺の花のアルベルトが、記憶を失ったことで他の女生徒にも気軽に応じてくれるようになった”――その話は瞬く間に学園中に広がり、アルベルトの態度のあまりの変わりように、アルベルトとルチアは婚約破棄をしたという噂がまことしやかに流れた。
「何ていうか…。あれでもアルベルトのために頑張ってくれてるみたいだから、一概に責められないのがね…。ちょっと諫めるようなことを言うと、お前らの頼みを聞いてこんな態度とってんだよって怒るし。できるだけ僕たちといるように、どの子ともと二人きりになることはないようにって言ってはあるけど…。ミナトはアルベルトがどんなに女の子たちに冷たかったかを知らないからなぁ…」
数多くの令嬢と浮名を流してきたフリオでさえ、事の収拾に苦慮する始末だ。
「ねぇルチア、本当にアルベルトと婚約破棄しちゃったの?」
仲良くしていた友人たちから代わる代わる問われ、その度に否定するが、それを上書きする速度で婚約破棄の噂が広がっていく。
ミアも自分のクラスで噂を否定して回ってくれているらしいが、焼け石に水のようだ。
間違った噂を否定するためにも、ルチアからももっとミナトに寄り添うことが必要だとわかってはいたが、ルチアにはどうしてもミナトとの仲を偽装するような真似ができなかった。
大好きなアルベルトの姿をしていても、それはルチアの愛するアルベルトではなく、まったくの別人、ミナトだ。
大好きな瞳も、唇も、アルベルトとは違った視線を送り、違った言葉を紡ぐ。その度に否応なしに突きつけられる、”アルベルトがいない”という残酷な現実が、ルチアには心底辛かった。
それを気取られないように笑顔でいることが精一杯で、とてもではないがそれ以上に親しげにすることなどできない。
そして何より、ミナトと二人きりになることは、アルベルトへの裏切りに思えた。だから、ミナトと関わる時には必ず、学園内ではフリオが、学園の外ではカルロが一緒だった。
どんなに否定しても、二人が以前のように仲睦まじく寄り添う姿を見せないことで、噂はどんどん加速していった。
噂が広まるのに比例して、連日様々な女生徒たちがミナトに群がる。
なかには、アルベルトと親密になりたいと本気で考える者もいた。その筆頭が、侯爵令嬢であるマリアローザ・ディ・バルダードだった。
マリアローザには、親に決められた婚約者がいた。だが、伯爵家の跡取り息子だという、言ってみれば自分より格下の婚約者には前々から不満があったらしく、この好機にアルベルトに言い寄り、ルチアを押しのけて陥落しようと考えたようだ。
以前は熱心にフリオに言い寄っていたマリアローザだが、フリオは食事や観劇などの誘いには乗っても、決して一線を越えたりはしないし、遊び相手に本気にはならない。
自分が特別視されないことに焦れて、フリオからアルベルトに矛先を変えたらしい。
アルベルトほどの人物を連れて行けば、彼女の家も今の相手との婚約破棄を喜んで許すことだろう。
「アルベルト、今日、昼食を一緒にどう?」
「昼食?申し訳ないけど、昼食はルチアやフリオと一緒にとる約束になってるから」
ミナトはフリオから厳重に注意を受けているため、迂闊に誘いに乗ることはないが、マリアローザは簡単には諦めない。
「それなら、フリオも一緒にどうかしら?」
すかさず一緒にいるフリオに視線を送るが、フリオは笑顔で断りを入れる。
「マリアローザ、アルベルトはまだ記憶が戻らなくて不安定なところがあるから、今はごめんね」
二人の間にいるルチアには一瞥もくれず、残念そうに身体をくねらすマリアローザを、ルチアは何とも言えない表情で見守るほかない。
「あら、そうなのね。残念だわ。それじゃあ、また今度誘うわね」
きっぱりと断られれば一旦は渋々引き下がるが、マリアローザは始業前や授業の合間、放課後など、わざわざ特Aクラスの教室を訪れては、熱心にミナトに話しかけることをやめなかった。
マリアローザはそれなりに歴史のある侯爵家の令嬢ということもあり、取り巻きも多い。クラスが違うため、これまで彼女たちとはまったく接点がなかったルチアだが、廊下やトイレなど、ルチアが一人になるタイミングで、取り巻きの令嬢たちから小さな嫌がらせを受けるようになってしまった。
「いつまで婚約者面をしているつもり?」
「いい加減あきらめたら?」
「もうアルベルトに近づかないで」
これまでそうした悪意とは無縁の生活を送ってきたルチアは、最初のうち露骨に向けられる悪意に戸惑った。
「婚約破棄はただの噂で…」
「どう考えても、アルベルトにはマリアローザ様の方がお似合いよ。まだ婚約破棄していないというのなら、さっさと身を引きなさいよ」
ルチアの言い分など、彼女たちは最初から聞く気がない。要はルチアに嫌がらせをして、アルベルトから引き離したいだけなのだ。何度も文句を言われたり、ペンや教科書を隠されたりするうちにそれを悟ったルチアは、彼女たちを相手にしないことに決めた。腹を立てるのも馬鹿らしい。
「アルやフリオが待ってるから、私はもう行くね」
絡まれてもさっさとその場を立ち去るのが一番の得策。ただでさえ、連日アルベルトの魔法薬の再現に頭を悩ませているのだ。嫌がらせなどを気に病んでいる暇などない。
「ちょっと待ちなさいよ!」
騒ぐ彼女たちに背を向け、ルチアはフリオとミナトが待つ教室に戻った。
放課後ミナトを寮に送り届けた後、今日は研究所に手伝いに行けるというフリオとともにカルロが手配してくれた馬車に乗った。
フリオもマリアローザの行動が気になっているようで、心配気にルチアに問いかけてきた。
「ルチアとアルベルトが婚約破棄したって噂、何度も否定してるんだけど、どうもマリアローザが真実だって触れ回ってるみたいなんだよね。だいぶ本気でミナトに取り入ろうとしてるみたいだけど、今は僕が何とかガードしてる。ルチアは大丈夫?何もされてない?」
直接マリアローザから何かされたわけではないが、取り巻きたちからの嫌がらせは話すべきなのだろうか。ルチアは少し迷って、はぐらかすように笑った。
「うん…。今のところは大丈夫」
歯切れの悪いルチアの返事を聞いて、フリオが察する。
「ねぇ、ルチア。何かあったらちゃんと言って。ルチアに危害が加えられたりしたら、僕はアルベルトに顔向けできないよ」
フリオの優しさが身に沁みて、ルチアは心配ない、というように微笑んだ。
「マリアローザから直接何かされたことはないよ。取り巻きの子たちにちょっと文句言われたり、物を隠されたりするくらい。でも、気にしてないし、そんなのに振り回されるくらいなら魔法薬のこと考えていたいから、全然問題ない。平気だよ」
フリオは長い溜息をついた。
「ルチアがそんな嫌がらせなんかに負けるような子じゃないってわかってるけど、ただでさえアルベルトのことで無理してる状況なんだから、これ以上一人で何かを我慢したり抱え込んだりしないで。ちゃんと頼ってよ。学園では、できるだけ僕たちから離れないでね。僕も気をつけるから」
真剣に諭され、ルチアは困ったように笑った。
フリオの優しさが身に沁みる。だが、ここでその優しさに寄りかかって弱さを見せてしまったら、そのままどんどん崩れていきそうで怖かった。強がることで自分を保っているのは、ミナトだけではない。
「フリオ、アルの過保護がうつってない?私は大丈夫だよ。でも、本当にありがとう」
複雑な思いを隠して笑うルチアを横目に、フリオが膨れっ面をする。
「これまでルチアはそういうのに無縁だっただろうけど、女の子たちの世界はいろいろあるって僕は知ってるよ?本当に気をつけてよね。小さな嫌がらせ程度じゃすまなくなる前に、用心してほしいし、相談してほしい。――それに、アルベルトがいた時はルチアに近づこうとする奴らもいなかったけど、婚約破棄の噂が流れてからは声をかけてくる男子生徒が増えたでしょ?そっちにも十分気をつけて。まあ、ルチアが誘いに乗ることなんてないのはわかってるけど、力尽くで何かされたら、どうにもならないからね」
フリオやミナトと行動をともにしているルチアは、一人でいることはほとんどないため、男子生徒から直接声をかけられることは少ない。しかし、アルベルトがいた頃にはまったくなかった、手紙を受け取る機会は増えていた。もちろんそのすべてを丁重にお断りしている。
「うん。ちゃんと気をつける。何かあったなんて後からアルが知ったら、絶対に自分のせいだって落ち込むもんね。アルにそんなこと思ってほしくないし、フリオにも心配かけたくないから、できるだけ一人にならないようにするね」
フリオはルチアが自分の言いたいことを理解しているとわかり、表情を緩めた。
「気をつけなきゃいけないことばかりで大変だけど、一緒に頑張ろう。もちろん、研究の方もね。今日もしっかり頑張ろうか」
「うん。今私が読んでる本が、研究室の棚の三段目最後の本なの。だいぶ進んだでしょ?」
「僕が行ってなかった間に、かなり読み進んだね。ここのところ行けてなかったからなぁ。僕も負けてられないな」
研究所に着いた二人は、その日も寮の門限が迫るまでアルベルトが残した文献と向き合った。
フリオの忠告通り、できる限り一人になることがないように行動していたルチアは、マリアローザの取り巻きたちによる嫌がらせに遭遇することがほとんどなくなった。男子生徒からの手紙も、たまにロッカーに入れられている程度だ。
しかし一方で、マリアローザ本人の行動は次第にエスカレートし、ミナトに露骨に腕を絡めたり、しなだれかかったりするようにまでなっていった。
「マリアローザ、婚約者がいる相手に対して、ちょっと距離が近すぎるんじゃないかな」
「あら、アルベルトは婚約者との関係も忘れてしまっていたんでしょ?実際以前よりも距離を置いているみたいだし、婚約しているとは言い難いんじゃないかしら。心変わりは世の常よ」
フリオの忠告もどこ吹く風だ。ミナトもいい加減うんざりした顔をして、腕を振り払う。
「確かに一度すべてを忘れてしまったが、今もルチアは僕の婚約者だ。君とどうこうなろうという気はない」
フリオに教えられたようにミナトが断り、その時は離れても、マリアローザは次に話しかける時にはまた、誘惑するかのようにアルベルトの身体に触れるのだった。
ルチアにとっては、取り巻きたちからの嫌がらせよりも、その光景を目にする方が余程辛かった。
『あれはアルじゃない。気にしちゃ駄目』
どんなに自分に言い聞かせたところで、目の前の光景は容赦なく胸を抉る。アルベルトの身体にマリアローザが触れているのを見るだけで、胸が痛くて仕方なかった。
『アルが他の女の子といるのを見るだけで、こんなに辛いなんて…』
自分のなかにこれほどの嫉妬心があったことすら、ルチアは知らなかった。これまではアルベルトがルチアに誠実に寄り添っていてくれたおかげで、自分の嫌な部分を知らずに済んでいたことに今更ながら気づかされる。
『アルは本当にずっと、私を不安にさせたり、嫌な思いをさせたりしないように常に心を配ってくれてたんだなあ。それが普通だと思っていたなんて、私ってどれだけアルに甘えてたんだろう。婚約者失格だよね。これはきっと、そんな私への罰なんだろうな…。ああ、アル。会ってちゃんとありがとうって伝えたいよ。大好きって言いたいよ…』
アルベルトの隣に他の女生徒がいる光景を見る度締めつけられる心。会いたさは全身を埋め尽くしてもなお足りないほどに降り積もり、毎夜涙となって溢れ出た。
早くアルベルトを取り戻したいのに、学園と並行して研究所に通っていたのでは、時間も満足に取れず、いつになったらアルベルトの薬を完成させられるのかもわからない。
寂しさ、焦り、嫉妬…。
様々な負の感情に押しつぶされそうになりながら、ルチアの夜は更けていくのだった。
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