第10話 召喚されし者の事情
朝夕の空気が冷たくなり、赤や黄色に色づいた学園内の樹木の葉が深まる秋の気配を感じさせる。
ミナトがアルベルトとして学園生活をはじめ、早一月。
移ろう季節のなか、ルチアとフリオによる秘密特訓の甲斐あって、ミナトは灯りの点灯、消灯や、シャワーの使用など、身の回りの道具を使うための魔力の使い方はなんとか身につけていた。
「これでやっと僕も少しは休めるよ」
いつも特訓を行っている空き教室。フリオがやれやれ、という顔で、椅子の背もたれに身体を預ける。ミナトはその様子を見て顔を顰めながら、聞こえよがしに溜息をついた。
「俺だって、やっと一人の時間が持てるようになったんだぞ。大体、学園ではお前たちに常につきまとわれてるし、寮でゆっくりしたくても、フリオが今すぐシャワー浴びろだの、もう灯りを消すだの五月蠅かったし、大変だったのは俺の方だ」
不平を口にするミナトに、フリオが形のいい眉をつり上げる。
「誰かさんが一人で何もできないから、仕方ないだろ。勝手なことされてアルベルトの評判を落とされたら困るし、ついてまわるしかないじゃないか。僕だって好き好んで男の世話なんて焼きたくないよ」
フリオに反論されて、ミナトもさらに眉間の皺を深めた。
「お前…」
「まあまあ、二人とも。フリオ、寮でも学園でも、本当にありがとう。ちゃんとゆっくりして、身体を休めてね。ミナト、魔力が使えるようになってきたなら、これからどんどん生活しやすくなると思うから。魔法の特訓はどうしようか?魔法を使った実習の授業は、今学期いっぱいはお休みにしてもらってるから、高度な魔法は覚えなくても大丈夫だけど、もう少し続ける?」
慌てて二人の間に入ったルチアをちらりと見やって、ミナトはふん、と鼻を鳴らした。
「もう特訓はいい。魔力の使い方もだいぶわかってきたから、あとは一人で何とかする。もともと俺は日常生活に困らなければ、魔法を使えるようになんてなろうと思ってないんだから。どっちみち、自分の身体に戻れれば魔力なんて持ってないわけだし、魔法の使い方だけ身につけたって意味ないだろ。元に戻った時に備えて、研究所の連中が魔力を貯めておける魔道具?とかいうやつを作ってるところらしいから、今後はそれを使えば日常生活には困らないだろうからな。そっちはもうすぐ完成しそうだって話だ」
ルチアが驚いた様子で目を見開く。
澄んだ瞳が純粋な好奇心を湛えきらりと輝くのを見て、ミナトが眩しいものでも見たかのように目を細めた。
「そんな魔道具を作ってくれてるんだね!考えてみれば、この世界でだって、病気の時とか歳をとってからとか、魔力供給が不安定になるって聞くじゃない?そんな時、魔力を貯めておける魔道具があったら便利だよね。どうして今までなかったのかなぁ」
「魔力供給が不安定になるような時には大抵ベッドの上だし、身の回りの世話してくれる人がいれば、必要なかったんじゃない?」
フリオの冷静な言葉にルチアは納得したように大きく頷いた。
「そっか。それもそうだね。でも、一人で暮らしている人だって、市井にはたくさんいるでしょう?そういう人たちは、きっとそんな魔道具があったら助かるよね。ミナトが来てくれたおかげで変わることがたくさんありそう。ミナトのために作られたものが、今後他の場所で役に立つかもしれないよ。大昔に召喚された人も、もしかしたらそうやってこの世界の当たり前を覆したのかもしれないね」
ルチアに無邪気な笑顔を向けられたミナトは、少し動揺した様子でルチアから目を逸らした。
真っ直ぐで汚れのない心を持つルチアは、捻れたミナトの心を揺さぶるのかもしれない。ミナトは調子を狂わされてはかなわないとばかりにひとつ咳払いすると、顔をしかめて悪態をつく。
「すべてがいい方向に変わるとは限らないだろ。俺のために用意されたものが、お前らに合うかもわからないし。これだから箱入りの脳天気なお嬢さんは」
ミナトの悪態に、フリオがぴくり、と眉を動かしたが、ミナトは意に介さずそのまま続ける。
「そもそも大昔に召喚されたとかいう奴は、医者だか薬剤師だか知らないけど、大層な専門知識を持った奴だったんだろうよ。でなきゃ、異世界の病になんて対応できるはずがない。でも、残念だが俺は両親もいない施設育ちの貧乏人だ。ろくに学校も出てないんだから、期待されるような知識なんざ持っちゃいない。暁でも何の取り柄もない、代わりはいくらでもいるようなただの使い捨ての駒だったんだ。過剰な期待をされたって、窮屈なだけだ」
話しながら、ミナトは自虐的に微笑む。
「ミナト…」
ルチアは何と声をかけたらいいのかわからず、ぎゅっと拳を握りしめた。
棘のある態度と切れ味の鋭い刃物のような言葉を纏うことでしか、自分を守る術がない。それがミナトだった。
幼い頃に両親を亡くし、あてにできる親戚もおらず、施設で育った。同じ境遇で育った仲間たちはいたが、施設の外に友人といえるような存在はなく、自分のことは自分で守るしかなかった。
アルバイトをしながら夜間高校に通い、何とか製造工場の仕事に就けたものの、仕事は厳しいばかりで薄給だった。寝る間を惜しんで働いても、ボロボロの安アパート暮らしがやっと。生活は苦しく、生活費を差し引いて手元に残るお金は雀の涙ほどだった。
容姿はそこそこ整っていたこともあり、女性は勝手に寄ってきた。寄ってきた女性と適当に付き合って、適当に関係を持って、適当に別れる。そんな付き合いしかしたことがなかった。
犯罪の片棒を担いで身を落としていく仲間もいたが、ミナトは何とか踏みとどまり、地道に働いているうちに、同じような境遇の女性と知り合った。
彼女の苦労が手に取るようにわかるからこそ、大切にしたいと思った。初めてそう思えた相手だった。
これからは支え合って生きていける、そう思ってプロポーズし、婚約した矢先に、彼女はもっと裕福な男に鞍替えしてあっさりミナトを捨てた。必死に貯めたお金で買った婚約指輪が、無造作に安アパートのテーブルに残されていたのを見て、ミナトは悟ったのだ。
幸せを夢見ても無駄だ。誰にも心を許してはいけない。自分は誰とも寄り添ってなど生きられないのだ、と。
『本当は、暁に未練なんてない。どうせ戻ったところで俺を待っている奴なんていないし、仕事だってきっと無断で辞めたことにでもなってるだろう。クソみたいな思い出ばかりで、大切にしたいものなんて何も残ってやしない。それでも右も左もわからないこの異世界で、こんな世間知らずのお嬢ちゃんお坊ちゃんに世話を焼かれて生きるよりかはマシだろ。そもそもこいつらは、本来俺のような人間と関わることなんてなかったはずの連中なんだから。――育ちがよくて、お人好しで、いくら大事な奴のためとはいえ、こんな俺にも真剣に向き合おうとする馬鹿な奴ら。俺なんて早くいなくなった方がこいつらのためだ』
ミナトは改めて、自分がいる教室の中を見渡す。
重厚な石造りの壁に、どっしりとした長机。手触りのいい布張りの椅子。
貴族の子息子女が通う学園なだけあって、設えには高級感が漂っている。制服の生地も、これまで触れたことがないほど上質で、初めて袖を通した時にはその軽さと肌触りに驚いた。
こんな学校に自分がいるなんて、不釣り合いにも程がある、と鼻で笑う。
口を噤んで俯いたミナトを、ルチアが心配そうに覗き込んだ。偽りや濁りをまったく感じさせない、澄んだ大きな瞳。この瞳で見つめられると、ミナトは自分の奥底に眠らせた願望が目を覚ましてしまいそうで怖くなる。
「ミナトにとっては、この世界は生きにくくて、大変なことばかりかもしれないけど…。それでも…私は少しでも、ミナトにもここを好きになってもらえたらいいなって思うよ。帰る方法が見つかるまで、どのくらいかかるかわからないんだもん。せっかくなら、その間の毎日を楽しんでほしいなって」
『こいつ…どこまでお人好しなんだよ。大好きだっていう婚約者の身体に居座ってる、捻くれた俺なんかに同情して何になる。本当に馬鹿だな』
その清らかさが眩しすぎて、滅茶苦茶に壊してやりたくなる。どんなに渇望したところで、自分には絶対に手に入れられないものだから。
「愛されて苦労を知らずに育ってきた奴は、言うことも違うな。この学園にいる連中は、みんなそんなお花畑な奴ばっかだ。授業も正直訳わかんないし、アルベルトの真似してお坊ちゃんぶってんのも疲れるし、何とかなんねぇのか、この生活」
どうしようもない苛立ちをぶつけてしまう。彼らにあたったところで、どうにもならないというのに。
「貴族だから、苦労をしていないとでも?みんなそれぞれ家の期待を背負って、それぞれの境遇に打ち勝とうと努力している。複雑な事情を隠してる者だってたくさんいる」
フリオが険しい顔でミナトをじろりと睨んだ。
「現状、ミナトの身体に戻る方法はわかっていないし、アルベルトとして生活しているからこそ、ミナトは守られてるところもあるんだ。勝手な振る舞いは困る」
ミナトだって、本当はわかっている。他者から見て恵まれた環境にいると思われている人たちにも、目に見えない苦労があることも、どれほどルチアやフリオがままならないことと戦いながら自分のために尽力してくれているのかも。
それでも引けない自分に苛々しながらも、噛みつくのをやめられない。
「勝手に呼んどいて、どうにかしてこの世界に慣れろなんて、ふざけた話だ。大体、お前らもこの件の被害者なんだから、もっと文句言った方がいいぞ。王子のためだか国のためだか知らないけど、勝手が過ぎるだろ。都合の悪いことを隠してほしいから、こんな歪んだ計画に協力しろなんて。自分の時間や大切なもんをすり減らしてまで、そんな奴らの事情に付き合う必要があるのか?」
ミナトの言葉に、ルチアがぎゅっと拳を握りしめた。
王家に仕える貴族の家の生まれであるルチアやフリオが、王族からの指示に軽々に口出しなどできるはずもない。自分だけの問題ではないのだ。貴族の子どもは、皆一様に家を背負って生きている。
王太子はゆくゆく国王になる存在だ。国王になる者の采配次第では、国全体が危機に瀕することだってあり得る。
国の将来のために、貴族たちは時に、自分の家族や大切な人を後回しにしなければならない。
――だが、アルベルトの尊厳を傷つけるようなことになるのなら、話は別だ。
「もちろん私たちだって、アルの名誉が汚されるようなことになれば、このまま黙ってはいないよ」
ルチアが静かに、しかしきっぱりと言い切った。フリオも頷く。
「当然だ。僕たちが一番大切なのはアルベルトだ。これに関しては絶対に譲れない。たとえ相手が王子殿下や国王陛下であっても、アルベルトの尊厳が損なわれるような事態を招いたら、僕はどんな手段を使ってもアルベルトの尊厳を取り戻してみせる。――だからミナト、大変な状況で苦労もかけているのはわかるけど、アルベルトの名に傷をつけることだけは、絶対に許さない。そんなことをしたら、容赦はしないぞ」
ミナトは二人の断固たる決意を前に、諦めたような顔をしてがりがりと頭を掻いた。
これ以上文句を言ったところでどうにもならないとばかりに、大きな溜息とともに言葉を吐き捨てる。
「わかってるよ。アルベルトの身体を借りている以上は、アルベルトにもお前たちにも不利益を被らせるようなことはしたくない。俺だって元の世界に戻る方法がわからないうちは、この世界のやり方のなかで生きていくしかないんだから。でも、本当にいつまでバレずにいられるか保証はできないからな。早いとこ、この状況をどうにかしてくれ。俺に貴族のボンボンの真似事なんて、到底務まりはしないんだ。早々に襤褸が出ても文句言うなよ」
「うん。ミナト、ありがとう」
ルチアは渋々ながらも同意してくれたミナトを見上げて、また澄んだ笑顔を見せた。
言葉はきついミナトだが、アルベルトのために自身がしなければならないことは理解し、学園で多くの我慢を強いられても何とかアルベルトのふりを続けている。そんなミナトにルチアは心から感謝していた。
しかし、こうした小さな衝突を繰り返しながらルチアたちの気持ちを理解し、歩み寄ろうとしてくれたミナトの行動が、後に自分を苦しめることになるとは、ルチアは夢にも思っていなかった。
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