第20話 事故の裏側

「ルチアにもう一度、月待ち草の花を見せてあげたいと思っていたんだ」

 別邸のベッドに横たわるアルベルトは、片時もルチアの手を離さない。離れていた時間の分を取り戻すかのように、手を握りルチアを見つめている。

『アルがいる…。夢じゃないよね?ちゃんと私を見つめて、こうして手を握っていてくれるもの。私の知っている、私の大好きなアルだ…』

 ルチアもその存在を確認するように、手を握り返しアルベルトに寄り添っていた。


 いろいろなことがありすぎて、まだ目の前にアルベルトがいることにどこか現実感がない。だが、確かにアルベルトはここにいて、あの愛情溢れる優しい眼差しでルチアを見つめている。その眼差しを受け止めていると、これまでの辛い日々の方が悪い夢だったのではないかという気さえしてくるほどに。


 アルベルトは皆に問われ、あの時何が起きたのか、そして何故あの場所にいたのかを語り始めていた。

「ちょうど2回目のロイヤルブルームーンと僕たちの滞在予定が被っていたから、初めて出会った夏のように、月待ち草が咲く様をルチアに見せてあげられるって。それは、とてもいい誕生日プレゼントになるって思ってね。ルチアが喜ぶ顔を想像するだけで幸せだった。だから、あの場所のことがずっと頭の片隅にあったんだ」

「それで、あの丘に?」

 ルチアの問いかけに反応するように、アルベルトの手にきゅっと力が籠もった。自分を責めているのだろう。どうしようもないほどの悔しさを滲ませて顔を歪める。


「――そう、あの時…。あの日僕は、朝から完成間近だった魔法薬を研究室で調合していた。完成した薬を薬瓶に移していた時、突然頭上で強大な魔法の気配を感じると同時に、大きな爆発が起きたんだ。反射的に防御魔法を展開したけど、想像以上の爆風に吹き飛ばされて、展開した防御魔法だけでは衝撃を防ぎきれなかった。このままでは死んでしまうかもしれない、そう思って咄嗟に、転移魔法を展開したんだ」

 転移魔法――それは相当の魔力を宿し、それを操ることができる者のみが使える難度の高い高位魔法。

 アルベルトはその転移魔法が使えるほどの魔力と能力を有していたのだ。皆はその事実にも驚きながら、アルベルトの話に聞き入っている。


「転移魔法は概念と方法を知っていただけで、実際に展開したのは初めてだった。だからいろいろ不完全だったんだろうね。気がついたら僕は魂のみになって、事故の瞬間思い描いたルチアへの思慕に導かれ、あの丘にいたんだ」

 話を聞いていたジュリアーノが、納得したという表情で頷いた。

「なるほど、転移魔法か。それで魂がこれほどまでに身体と離れた場所にいたんだね。そして魂だけの状態では、再び転移魔法を展開して身体に帰ることなんてできなかった…。だから長い間、魂の状態であの場所に留まるしかなかったってことか。――しかしアルベルト、転移魔法まで習得していたとは恐れ入ったよ。その可能性は考えてなかった」


「いや、習得はできていなかった。だから不完全な状態で展開してしまったばかりに、皆に心配を掛けてしまうことになって、本当に申し訳ないと思ってる。それに、魂の状態になってしまってからは、どうしても意識を保っていられなくて、ずっとまどろみの中にいたんだ。一刻も早くルチアのもとに帰りたかったのに…ごめん」

 アルベルトはルチアを悲しませてしまったことに耐えきれないというように、指先を震わせた。ルチアは両手でアルベルトの手を握り、ふるふると首を振る。


「アルがどんな方法を使ってでも生きようとしてくれて、生きていてくれて、本当によかった。そのおかげでこうしてまた、アルに会えたんだもん。本当に大変な事故だったって、あの現場を見たらわかったよ。あの事故はね、異世界から聖人を召喚したっていう、大昔の伝説を再現しようとしたものだったの。研究所の許可が下りてなかったのに、実験を行ってしまったんだって…。その結果、あんなに大きな魔法事故になってしまったらしいの」

「あの古の召喚術を…。そんなことが行われていたんだな…」


 カルロもルチアの言葉で事故現場の惨状を思い出したのか、小さく身震いをした。

「ああ、むしろあの事故の状況で、よくそれだけの魔法を瞬時に展開したと思うぞ。それがなければ、本当に命はなかったんじゃないかと思う」

「僕が生きていられたのは、ルチアのおかげだよ。あの瞬間、ルチアを残して絶対に死ねないと強く思ったんだ」

 アルベルトはルチアを見つめて微笑んだ。申し訳なさや恋慕、安堵…。やっと会えた愛する者への様々な思いが綯い交ぜになった笑顔だ。ルチアも同じような笑顔を浮かべて頷く。

「本当に、帰ってきてくれてよかった。ありがとう、アル」

 二人の目元に、再び涙が滲んだ。


 ミナトは部屋の隅の方で黙ってそれまでの話を聞いていたが、おもむろに立ち上がり、ルチアが座る側とは反対側のベッド脇に立った。

 アルベルトは少し警戒した表情を見せ、初めて見る人物を注意深く観察するように、上から下へと視線を走らせる。ルチアたちとの再会を喜びながらも、黒髪と黒い瞳という、この世界では奇異な色を纏うミナトが何故ここにいるのか、ずっと気になっていたのだろう。


 ミナトは真っ直ぐにアルベルトを見つめ、すっと頭を下げた。アルベルトは目の前に現れたミナトのつむじを面食らったように見つめる。

「アルベルト、お前に意識がある状態でこうして顔を合わせるのは初めてだが、俺が助かったのは、お前のおかげだと思う。だから礼を言わせてくれ。――俺はあの事故の時に、こことは違う世界から召喚された者だ。名前は長谷川湊斗という。あの時お前が防御魔法を展開したおかげで、きっと俺の落下の衝撃は和らげられたんだと思う。病院で言われてたんだ。俺の一番近くに倒れていたお前の身体は相当なダメージを負っていたらしいのに、俺の身体はあれほどの事故で上空から叩きつけられたわりには軽傷すぎたって。今の話を聞いて、そういうことだったんだと腑に落ちた」


 真剣な様子で頭を下げるミナトに、アルベルトはふっと警戒の表情を解いた。

「ミナト、頭を上げてくれ。今話した通り、僕はあの時ただ必死で防御魔法を展開しただけのことだ。君に礼を言われるようなことは何もしていない。だから、君が僕に頭を下げる理由なんてないよ。むしろ、君がここにいるということは、きっと僕の知らないうちにいろいろな縁があったのだろう。王都からわざわざルチアたちに同行してくれてありがとう」


 逆にアルベルトから感謝を伝えられ、ミナトが気まずそうな顔をする。

「いや…縁があったどころか…。実は…事故とお前の薬の影響で、俺の魂がお前の身体に入っちまって、半年くらいお前の身体を借りて生活してたんだ。しかも、王家の後継者問題だか何だかで、学園にもお前のふりして通わなくちゃいけなくてさ。魔法とか貴族らしい振る舞いだとか、全然わからないまま学園にいたから、かなりお前の評判を落としちまったかもしれなくて…。とにかく、お前にはいろいろ謝らなきゃならないと思ってた」


「僕の身体に、君の魂が?それで学園に通ってただって?」

 アルベルトは呆気にとられた顔をして、事実を確認するかのようにルチアを見た。ルチアも困ったような顔で頷く。

「うん…そうなの…。あ、でもミナトが学園にいたのは秋学期だけで、今は休学中だけどね。だから一度も試験は受けていないよ?」

「そうだよ。ルチアも僕もついてたし、アルベルトは事故で記憶喪失ってことになってたから、大丈夫だよ」

 フリオも慌ててフォローする。しかしアルベルトは額に手を当てて、大きな溜息をついた。

「僕の評判とか試験とか、そんなのはどうでもいい。それよりも、ミナトがルチアの婚約者のふりをして、ずっと一緒にいたってことだろ?僕は益々自分が許せないよ…」


 ルチアが慌ててアルベルトの言葉を否定する。

「婚約者らしい振る舞いなんてまったくしてないから!ミナトと二人きりになったこともないし、そこは絶対に大丈夫!ね?フリオ」

「そうそう!それどころか、二人が以前と違って距離がありすぎるから、婚約破棄したんじゃないかって噂が流れたくらいで…って、これもまずかったな…」

 フォローをしようとしたフリオが、婚約破棄という言葉に凄まじい形相をしたアルベルトを見て、失敗した、という表情で口をつぐんだ。


「悪い…。俺の対応も不味かったから…」

 ミナトが益々申し訳なさそうに項垂れる。

「対応が不味かったとは?何があったんだ?」

 アルベルトがぎろりとミナトとフリオを睨む。先程紳士的に謝意を述べたアルベルトとはまるで別人のような鋭い眼光に、ミナトがごくりと唾を飲んだ。フリオも観念したように溜息をついて天を仰ぐ。

「わかった。順を追って話すから」


 フリオから学園で女生徒たち、特にマリアローザとの間に起こった顛末を洗いざらい聞き出したアルベルトは、枕に頭を埋めて前髪をくしゃくしゃと掻いた。

「何てことだ…。僕がルチア以外の女性に心変わりするなんて、絶対に、天地がひっくり返っても起こり得ないのに…!ルチアをどれだけ悲しませてしまったことか…。ごめんルチア。どう詫びたらいいのかわからないよ…」

 ルチアはアルベルトがあまりに取り乱しているのを見て慌てふためいた。

「アル、本当に私は大丈夫だから!それに、女の子たちに囲まれてたのはアルじゃなくてミナトだし!その姿を見てて、アルがそれまで私のことすごく大事にしてくれてたんだって、逆に気づかされたよ」

「おい、俺が好き好んで女侍らせてたみたいな言い方するなよ…」

 ミナトが少し傷ついたような顔でルチアを見る。


 アルベルトは自分がルチアの隣にいて守ってあげられなかったことを悔やむように頭を抱えていたが、はっと何かに気づいたように顔を上げた。

「婚約破棄なんて話が出たら…。せっかく僕がルチアを邪な奴らから遠ざけてきたっていうのに、そいつらに期待を持たせたんじゃ?フリオ!ルチアは変な男たちに言い寄られていなかっただろうな!?」

「それは大丈夫!僕がしっかりガードしてたから!アルベルトがずっとそうやってルチアを守ってきたことは十分すぎるほどわかってたし!ね?ルチア、大丈夫だったよね?」

 フリオが大慌てでアルベルトを宥め、ルチアもうんうんと大きく頷くが、アルベルトは怒りが収まらない様子だ。


「そもそも、異世界人のミナトを何もわからないまま学園に送り込むなんて!第一王子殿下、いや、王太子殿下とその側近たちには、今後どんなに請われても魔法薬は絶対に作らない…!次会う時は、飲んだら髪が全部抜ける薬をお茶に混ぜてやる!」

「いやいや、ハゲ薬はまずいでしょ。っていうか、そんなんもあるのか…。アルベルトは絶対に敵に回したくないな…」

「そうだぞアルベルト。王太子殿下はベニーニ侯爵にも丁重に頭を下げられたそうだから。そもそも側近たちが勝手に手を回したことだったみたいだしな」

 フリオとカルロが懸命にアルベルトを宥める。


 伸びた前髪の間から覗く翡翠の瞳がぎらぎらと怒りに燃えているのを見て、ルチアもアルベルトの怒りを静めようと必死になった。

「とにかく、私の方は何の心配もなかったからね!アルの身体が女の子たちに触られてたのは正直すごく…ものすごく嫌だったけど、でもアルもこうして戻ってきたし、触られた分は私がこれから全部上書きするからいいの!」

「上書き…?ルチアがしてくれるの…?」

 勢いに任せたルチアの発言に、アルベルトが顔を赤らめた。その顔を見たルチアははた、と動きを止める。自分の大胆な発言に気づいて、みるみるうちに首まで真っ赤になっていく。


「え、や、ち、違うの!えっと、触られてたのが嫌だったのは本当だけど、上書きって、あの、これからは私がまたそばにいられるからって意味で、別にべたべたしたいとかじゃなくて…。いや、したいけど…じゃなくて違うの!ああもう、何言ってるんだろ私!ねえ、この部屋暑くない?ちょっと私、外の空気吸ってくる!」

 何やら一生懸命言い訳をしようとして、結果どうにもならなくなってしまったルチアは、勢いよく立ち上がる。アルベルトと繋いだままの手に気づき、恥ずかしさにふるふると震えながらも、アルベルトの手をそっとベッドの上に戻して手を離すと、両手で顔を覆って部屋を飛び出していってしまった。


 後に残されたアルベルトはルチアが離した手を見つめ、深い溜息をついた。

「ああもうルチア…。可愛すぎてどうにかなりそうだ…。追いかけていけない自分の身体が恨めしい…」

「うん、君たちが元通りになって、本当によかったよ。しっかりルチアをガードしてた僕に一言くらいお礼がほしいけどね」

 フリオが生暖かい視線をアルベルトに向ける。

「まあ、ルチアもずっと気を張って頑張ってきたからな。やっとアルベルトに会えて、いろいろ堪えてきたもんが溢れ出しちゃったんだろ。ちょっと様子見てくるわ」

 カルロも苦笑いしながら、ルチアを探しに部屋を出て行った。


「アルベルトは表情筋が動かせないのかと思ってたけど、ルチアの前ではあんなにゆるゆるなんだね。いいもの見たなー。研究所の皆に教えてあげよ」

「そうなんだよね。アルベルトはルチアに対してだけは本当に別人だから。学園でもずっとあんな感じだったんだよ」

 初めて二人が一緒にいる様子を目の当たりにして、にやにやしながらアルベルトをからかうジュリアーノに、フリオが同調する。


「あいつ、あんな顔するんだな…」

 ルチアが飛び出していったドアを見つめながら、ミナトがぽつりと呟いた。

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