第4話 魂の行方

 赤髪の魔法学研究所の所員は、ジュリアーノ・レシャーニ・カラブリアと名乗った。

 子爵家の次男で、研究員として王立魔法学研究所に勤める21歳。研究所ではアルベルトとも懇意にしていたらしい。


 普通、人は魂を目にすることも感じることもできないが、ジュリアーノは魂を感じ取り、見分ける能力を持っており、自身の力と魂について研究していた。

 ジュリアーノによれば、人の魂は個々が持つ魔力を帯びており、外見と同じく唯一無二の姿をしているのだそうだ。一度会った人の魂ならば、近くにいれば気配を感じ取れるらしいが、事故後アルベルトの魂の気配を感じ取ることはできていないらしい。


「それじゃ、もうアルは…アルは、この世にいないってことなんですか?」

 絶望したようにはらはらと涙を流すルチアを見て、ジュリアーノは慌てて首を振った。

「いや、近くにいないだけの可能性が高い。僕が魂を感じ取れるのは、せいぜい同じ建物内くらいの範囲だから。とりあえず、病院や研究所には、アルベルトの魂の気配がないってだけだよ。だから希望を捨てないでほしい。――ただ何にせよ、あの異世界人の身体の中にアルベルトの魂がいないのは確かだ。それと、アルベルトの身体の中にいるのがアルベルトの魂でないこともね」


 ジュリアーノの言葉に、ルチアとカルロは息を飲んだ。やはりあれは、アルベルトではなかったのだ。

 先程、ジュリアーノも目を覚ましたアルベルトと対面した。アルベルトの身体の中に見えたのは、これまで見たことのない姿をした魂だったらしい。


「彼の魂は…。――おそらく、彼は魔力を持っていない」

 ルチアに寄り添っていたカルロが、ジュリアーノの言葉に身を乗り出した。

「魔力を持っていない?そんな人間がいるのか?そんなことがあり得るのか?」

 ジュリアーノも難しい顔をして頷く。

「にわかには信じがたいけれど、そうとしか思えないんだ。僕たちは皆、その量に差違はあれど、生まれながら当然のように魔力を持っていて、魂もそれぞれがその魔力の特性を帯びている。だが、彼の魂にはそういった魔力の特性がまったくなかった。これまで研究で数多くの魂を見てきたが、あんな魂は見たことがない。やはり、彼はこの世界の人間ではないんだろうと思う」


「どうして、異世界から来たその人の魂がアルの中に…?アルの魂は、どこにいってしまったの?」

 ルチアの問いに、ジュリアーノは難しい顔をした。

「何らかの原因で、魂が身体から彷徨い出てしまう現象は、これまでの研究でも報告事例がある。原因はいくつかあるけど、一番多いのは、今回のように身体に大きな衝撃があった場合だ。衝撃により、身体と魂の結びつきが一時的に途切れてしまうことで、魂が彷徨い出てしまうんだ。――ただ、不思議なのは、なぜ異世界人の魂がアルベルトの身体に収まっているかだ。何かのきっかけで魂が別人の身体に入ってしまった場合、通常は身体と魂が馴染めず、すぐに抜け出てしまう。でも、アルベルトの身体の中にある異世界人の魂は、何故かアルベルトの身体に定着してしまっている。結びつきが強いから、無理に引き剥がせば、アルベルトの身体にも危険が及ぶ可能性がある。もしアルベルトの魂が見つかったとしても、帰る身体がなければどうにもならない」


 死者の魂は、他者が祈りを捧げることで輪廻の輪への道が開かれ、そこへと帰っていく。しかし、祈りを捧げられなかった魂は、輪廻の輪へ帰ることなく朽ち果ててしまうとされている。

 身体を先に失ってしまった魂は、そこから得られていた生命力を断たれ、次第に弱り、消滅してしまうのだそうだ。そうなってしまえば、祈りはもう届かない。生まれ変わり、再びこの世に帰ることは永遠にできなくなってしまう。

「アルベルトの魂は、この世のどこかにいるはずだと僕は考える。彼の身体はまだ生きているからね。身体と魂はどちらかが力尽きれば、もう一方も力尽きる。もしも魂がこの世にないなら、彼の身体も機能を止めるはずなんだ。逆に、身体がきちんと機能している状態なら、魂だけ消えてしまいはしない」


 ジュリアーノの言葉は、ルチアを奮い立たせるのに十分だった。僅かでも望みがあるのなら、決して諦めない。諦めるなんてできるはずもない。

「アルがどこかにいるなら、私、必ずアルの魂を探し出す。今までずっとアルが私にしてくれていたように、今度は私がアルを助けるよ」

 ジュリアーノも頷いた。

「僕にも協力させてほしい。魂の研究は僕の専門分野だし、アルベルトは僕にとっても大切な友人なんだ。アルベルトを救いたい気持ちは、君たちと同じだ」

「ありがとうございます」

 心強い言葉に、ルチアは深々と頭を下げた。

「――この現象の謎を紐解いてアルベルトの魂を探すなら、今回の事故の原因となった召喚術についても知る必要があるだろう。召喚術を行った研究員たちも、意識を取り戻し始めているらしい。君が彼らから話を聞けるように、研究所に掛け合ってみよう」

「よろしくお願いします」

 頭を下げるルチアに続き、隣にいたカルロも頭を下げた。


 アルベルトの病室に戻ると、彼の意識が戻ったことを知り、タウンハウスから駆けつけてきたベニーニ侯爵夫妻の姿があった。

「ねぇ、アルベルトは、どうしてしまったの?あの子、私たちのこともわからないのよ。言葉遣いも表情も、まるで違うの。事故の後遺症で、アルベルトは変わってしまったのかしら」

 夫人はさらに憔悴した様子で、ルチアに縋りついた。アルベルトとよく似た美しい顔は、ここ数日で酷くやつれてしまっている。


 ベッドに視線を送ると、アルベルトの身体が横たわり、寝息を立てていた。状況がわからないミナトが暴れたらしく、鎮静剤を投与されたのだそうだ。

「ベニーニ侯爵夫人…」

 せっかく元のように綺麗になってきたアルベルトの腕に、暴れた際にできたものであろう新しい打ち傷が見て取れて、ルチアも再び、目に涙を浮かべる。

 眠っているのは確かにアルベルトなのに、中身が別人だなんて。侯爵夫妻がそれを知ったらどんなに動揺し、悲しむだろう。

 けれど、知らせないわけにはいかない。ルチアは意を決して顔を上げた。

「アルのことで…少し外で話せますか?」



 談話室のソファで、ルチアとジュリアーノから話を聞いた侯爵夫妻は、青い顔で頭を抱えた。

「まさか…そんなことが…。アルベルトの中にいるのは、ミナトという異世界人の魂…?アルベルトの魂は、どこかを彷徨ったままだというのか…?」

「はい…。現段階では、そうとしか考えられないんです。――私は、絶対にアルを失いたくありません。だからジュリアーノさんの力を借りながら、アルの魂を探そうと思います」

「ルチア…」

 重い沈黙が流れる。


 やがて、ベニーニ侯爵が、苦痛に歪んだ表情で口を開いた。

「ルチア…、君はアルベルトの婚約者であるが、まだ若く未来のある身だ。私たちは、君のことも自分の娘のように大切に思っている。そんな君に、先の見えない苦労をさせるわけにはいかない。彷徨う魂を探すなど、聞いたこともない話だ。どんな困難があるのか、どれ程の時間を要するのか、想像もつかない。アルベルトのことは私たちで何とかする。君は、君の幸せを探しなさい」


 ルチアは即座に首を振った。

「私を娘のように思ってくださっているなら!どうか、どうか私をアルから遠ざけないでください。アルなしで、私の幸せはあり得ません。アルの魂は、私が必ず見つけ出します。だから、お願いです。どうかこのままアルの婚約者でいさせてください…」

 泣き崩れる妹の背中をさすりながら、カルロも侯爵に頭を下げた。

「侯爵…僕からもお願いします。まだ、決断を下すのは早過ぎる。ルチアにはアルベルトが必要なんです。ルチアにアルベルトを探させてあげてはいただけませんか?もちろん父もそれに賛成しています。アルベルトを、一緒に取り戻しましょう」


「だが、我が家の問題に、君たちを巻き込むわけには…」

 迷いを見せた侯爵に、夫人が縋りつく。

「あなた、お願いです。アルベルトだけでなく、ルチアまで離れていってしまったら、私は耐えられません。ルチアがアルベルトを取り戻すために尽力してくれると言うなら、それがルチアの望みだと言ってくれるなら、どうか望み通りにしてあげてはくださいませんか」

 侯爵は、困惑したように夫人を見つめ、続いてルチアに視線を投げた。

 ルチアは涙を流しながらも、強い決意を瞳に宿している。


 しばし黙考した後、侯爵はひとつ溜息をついて、言った。

「ファール伯爵には、お詫びの書状を出さねばなるまい。好意に甘えるかたちになってしまい、申し訳ないと…。ルチアの希望通り、当面はアルベルトとルチアの婚約関係は継続とさせていただこう。ルチア、負担をかけてすまない。私たちももちろん、アルベルトのために力を尽くす所存だ。必要なことがあれば、何でも言いなさい」


 ルチアは暗闇に一筋の灯りを見つけたかのように瞳を細め、侯爵夫妻を見つめる。

「我儘を許してくださり…本当にありがとうございます」

 侯爵夫人が、ルチアを涙ながらに抱きしめた。


 一連のやり取りを部屋の隅で見守っていたジュリアーノが、廊下から聞こえてきた会話に反応し、はっと振り返った。そのまましばらく聞き耳を立てた後、そっとカルロに歩み寄り、何かを耳打ちする。カルロもジュリアーノに頷き返し、ベニーニ侯爵夫妻に頭を下げると、ジュリアーノと連れ立って部屋を出て行った。


 二人が戻ってきたのは、再びタウンハウスに戻る侯爵夫妻をルチアが見送った後だった。

「どこに言っていたの?」

 ルチアの問いかけに、カルロが答える。

「召喚術を行っていた研究員の一人から、明日話を聞けることになった。さっきジュリアーノが彼の容体がかなり回復してきているという会話を聞きつけて、交渉に行ってきたんだ。彼らも自分たちが行った実験に、まったく関係のないアルベルトを巻き込んでしまったことに関しては、かなり責任を感じているらしい。――まぁ、何だろうと、無許可での実験を許す気にはなれないけどな」

 顔を歪めたカルロの隣で、ジュリアーノも腕組みをしながら難しい顔で頷いた。


「彼らの研究チームは長らく何の結果も出せていなかったから焦っていたんだろうが、それでもやっていいことと悪いことがある。結果を焦って無許可で実験をし、他者を巻き込むなんて、あってはいけないことだ。ミナトというあの異世界人だって、いきなり異世界に召喚されて、そのうえ別人の身体で目が覚めたんだ。かなりのパニック状態に陥っても仕方ない」


 先程、鎮静剤を投与されて眠っていたアルベルトの姿を思い出し、ルチアは自らの片腕をぎゅっと掴んだ。

 アルベルトの身体にこれ以上何かが起こるのは耐え難い。それに、中の魂は別人だとはいえ、アルベルトの身体にいる以上、ただの他人とも思えなかった。

「早く…アルを救わなくちゃ。それに、ミナトだって…」

 明日の予定を確認し、研究所に戻るジュリアーノを見送ったルチアとカルロは、アルベルトの病室には戻らず、伯爵家のタウンハウスへと移動した。


 いくらアルベルトの身体とはいえ、中身が別人のミナトであるとわかった以上、ルチアが同じ部屋に寝泊まりする訳にはいかない。

「明日も早い。ルチア、少しでも眠っておくんだぞ」

 アルベルトの事故の後、カルロが合間を見つけては病院とタウンハウスを行き来し、タウンハウスの使用人たちにルチアもそのうちタウンハウスに来ることになるはずだと伝えておいてくれたおかげで、ルチアの部屋も浴室もすっかりルチア仕様に整えられていた。

 食欲はなかったが、身体を壊せば元も子もないとカルロに説得され、軽い夕食を無理矢理いくらか口に入れる。


 シャワーを浴びて、久々に自室で一人、ベッドに入った。

 病院を離れたことで、これまでのことがすべて悪い夢だったかのような錯覚に陥ったが、ずっしりと重く疲れた身体とひりつく心が、これは現実だと無情に告げている。

 目を閉じるなり、アルベルトとの思い出が次々と思い出され、後から後から涙が溢れた。

『アル…会いたいよ…』

 ルチアはベッドの中で自分の身体をきつく抱きしめ、小さくなって眠った。

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