第17話 思いの欠片
ミナトの開発会議が終わるのを待ちながら、ルチアとカルロは、カルロが図書室から借りてきた本を読み進めた。静かな研究室に、ページを繰る音が響く。
積み上げられた本はどれも、魂に関するものばかり。ジュリアーノがルチアたちに読んでおいてほしいと選定した本だ。
ミナトの魂がミナトの身体に帰った今、魂を失ったアルベルトの身体に残された時間は多くない。一刻も早くアルベルトの魂を探し出し身体に返さなければ、アルベルトには二度と会えなくなってしまう。
ミナトの身体は、魂が抜けてから半年足らずで身体の機能が低下し始めていた。同じように考えれば、アルベルトの身体の機能が低下し始めるまであと半年近くの猶予があるはずだが、ジュリアーノの見解は違う。
「アルベルトの身体は、本来の持ち主の魂を失ってからとっくに半年以上経ってる。その間はミナトの魂が入っていたことで身体の状態は保たれていたものの、当然別人の魂では本人の魂とは身体との根本的な結びつきの強さがまったく違う。所詮は薬の作用で身体に留まっていたに過ぎない。ミナトがアルベルトの身体で過ごしていた間にも、少しずつだけど身体の機能は低下していたと思う。だから、アルベルトの身体に残された時間は、短くて一ヶ月、長くて三ヶ月あるかないかだと僕は考えている」
実際にアルベルトの身体を診察している医師たちからも、アルベルトの身体は機能の低下が既にみられると報告を受けている。
張り詰めた様子で文字を追うルチアの横顔からは、先程ミナトを送り出した時の穏やかさはすっかり抜け落ちている。ルチアはアルベルトを本当に失ってしまうかもしれない恐怖と焦りに襲われていた。
これまでだって本当は、気を緩めれば今にも崩れ落ちてしまいそうな、切羽詰まった状態だったのだ。
後ろ向きになってはいけないとルチアが無理して気丈に振る舞っていたことは、周りも知っている。だが、知っていても、誰も何も言わない。そうすることでルチアが何とか自分を保っていることも理解しているからだ。
そして、ルチアも皆がそうやって自分を見守ってくれていることに気づいている。周囲の優しさと温かさが、ルチアの心を何とか崩壊から守っていた。
「ルチア、昨日学園では、アルベルトは見つけられなかったんだよな?」
カルロが本から顔を上げ、ルチアに問いかける。
昨日、フリオがジュリアーノを学園に案内し、校舎内や寮をくまなく歩き回ってみたが、アルベルトの魂は見つけられなかった。夕刻になって、悔しさと焦りを滲ませて研究所へ報告にやってきたフリオを思い出し、ルチアの表情がさらに曇る。
「うん…。学園の後は、以前確認したことがあるベニーニ侯爵家のタウンハウスにも、もう一度行ってくれたらしいけど、やっぱり駄目だったって…」
王都内でのアルベルトの馴染みの場所は、それほど多くない。アルベルトは大抵、学園か研究所にいたからだ。そのどちらでも見つけられないとなると、否が応でも焦りは募る。
「アルベルトと街に出たことだってあるだろ?今度、ジュリアーノに頼んでアルベルトと行ったことがある場所を巡ってみよう。ルチアとの思い出がある場所に、アルベルトはいるんじゃないかと思うんだ」
思い詰めた表情のルチアを気遣うように、カルロが言った。兄の気遣いを感じ取ったルチアが、弱々しく微笑む。
「そうだね、そうする。ほとんどの本には、身体から抜け出てしまった魂は、身体の近くで彷徨っていることが多いって書いてあるし、暗い気持ちでいる暇があったら、少しでも可能性がある場所を探さなくちゃね」
「そうそう。その意気だ」
カルロは懸命に前を向こうとしている妹の頭をくしゃくしゃと撫でた。妹を元気づけたいという兄の思いに満ちた温かい手だった。
日が暮れる頃まで二人で本を調べていると、廊下に慌ただしい靴音が響き、短いノックとともに勢いよくドアを開けてミナトが帰ってきた。
「悪い、会議が長引いて…。待たせたな」
ルチアは本から顔を上げて微笑む。周りに心配を掛けさせまいとする、あの笑顔だ。
「大丈夫。調べ物をしていたから、あっという間だったよ。お茶入れるね」
読んでいた本にブックマーカーを挟んで立ち上がる。
繊細な薔薇の花の透かし彫りが施された金色のブックマーカーは、ルチアの15歳の誕生日にアルベルトから贈られたものだ。ルチアと同じ名前がついた薔薇があることを知ったアルベルトが、王都一と名高い彫金師に特注した、この世にたったひとつしかないブックマーカー。
ルチアの身の回りには其処此処にアルベルトの気配が満ちているというのに、魂だけがここにいない。
「戻る途中でジュリアーノにも声を掛けてきたから、もうすぐ来ると思う」
お茶を入れる準備をしていたルチアに、ミナトが言った。わざわざジュリアーノも呼んだということは、アルベルトの魂の在処に関する何かを話そうとしているのだろう。
「うん、わかった」
ミナトの話から、少しでもアルベルトの居場所のヒントが見つからないだろうか。ルチアは切実な願いを胸に、もうひとつカップを用意した。
ちょうどお茶が入った頃合いで、ドアをノックする音が響く。カルロがドアを開け、ジュリアーノを招き入れた。
部屋の中心にある大テーブルにつき、それぞれがお茶で喉を潤し一息吐くと、ミナトがぐるりと皆の顔を見回して話し始めた。
「最後の実験の日、アルベルトの身体を出る瞬間に聞いた声を思い出した。あの時、誰かの声が聞こえた気がするんだ」
「声?」
興味深そうにジュリアーノが身を乗り出す。
「ああ。あれはたぶんアルベルトの声なんじゃないかと思う。俺がアルベルトの身体にいた時の声に似ていたし、”ルチアを迎えに行かなきゃ”って言ってたから」
ミナトの言葉を聞いたルチアが、ぴくりと肩を震わせた。
もしもそれが本当にアルベルトの声であったのなら、アルベルトもルチアのもとに戻ってこようとしてくれているのだろうか。そう思うと涙が堪えきれず、手で顔を覆う。
ミナトはそんなルチアを申し訳なさそうな表情で見つめた。
「もっと早く伝えられたらよかったんだが、自分の身体に戻ってすぐは、戻れた驚きと喜びでそのことを忘れてたんだ。だけど昨日の夜、ふと思い出して。今朝すぐに話そうと思ってたのに、ルチアたちと顔を合わせる前に作業に取り掛かってしまったら、没頭して言い忘れてて…悪かった。ルチアがどれだけアルベルトを待っているのか、わかってたつもりなのに…。――何て言ったらいいのかわからないけど、こう…切実な声だった。気持ちを振り絞るみたいな。でも、アルベルトの魂は近くにいる気配がないんだよな?だから、もしかしたら声が聞こえたのは俺の気のせいだったのかもしれないが…」
ミナトは涙を拭うルチアの頬に手を差し伸べかけ、はっと何かに気がついたように手を引っ込めると、行き場をなくした手で困ったようにわしわしと頭を掻いた。
「曖昧な話をして悪い。それでも、少しでもアルベルトの魂を探すヒントになればと思って」
ルチアは顔を上げると、ふるふると首を振った。ハンカチで拭った目元に、僅かに涙の後が残っている。
「ううん。ミナト、教えてくれてありがとう。どんな小さなことでも、アルに繋がるかもしれない情報は全部知りたいから。――ジュリアーノさん、ミナトが聞いた声がアルのものだとしたら、その時アルの魂は近くにいたということなんでしょうか」
ミナトの話を聞きながら考え込んでいたジュリアーノは、うーん、と唸ってお茶を一口飲んだ。
「あの時、部屋の中にアルベルトの魂の気配はなかったと思う。少なくとも僕は何も感じなかったし、見なかった。もしも近くにいたなら、ミナトの魂が離れた瞬間にアルベルトの魂が戻ってもいいはずだ。だから、ミナトが聞いたのは、アルの身体に残っていた思念じゃないかな…」
「思念?」
ジュリアーノの言葉に、一同が首を捻る。
「そう、思念。あの実験の時、ミナトの魂とアルベルトの身体の結びつきが切れた。つまり、ミナトの魂が抜け出る瞬間は、アルベルトの身体はミナトの魂の干渉を受けない、本来のアルベルトのものに戻っていたことになる。だから、身体に残されていたアルベルトの思いの欠片に、ミナトは触れたんじゃないだろうか」
「アルの…思いの欠片…」
ルチアはきゅっと唇を噛んだ。
”ルチアを迎えに行かなきゃ”。それがアルベルトの思念だというなら、事故の瞬間、アルベルトはルチアとの約束を思ったのだろうか。
「事故がなければ、アルは一週間後にファール領の私の邸に迎えに来てくれる予定になっていたの。もしかして、アルは私を迎えに行こうとしてファール領にいるのかもしれない。私たちの邸の近くに」
カルロもルチアに同意する。
「その可能性はあるな。まだファール領は確認していないし。だがジュリアーノ、魂がそんな風に身体を遠く離れてしまうことはあるのか?」
「これまでそういった例は聞いたことがないけど、そもそも魂が身体を抜け出てこれほど長い間戻らないなんて例は初めてなんだ。少なくとも僕はこんな例を知らない。君たちに読んでもらった本にも書かれていた通り、通常は魂が身体を離れれば、身体はもっと早く機能を止めてしまう。別人の魂が身体に入り込んで定着していたなんて前代未聞だ。前例は当てにならないよ。だから、何らかの原因で魂が遠く離れた場所に行ってしまったという可能性だって否定できない」
「それなら、ファール領を探してみる価値は大いにあるってことだな」
四人は顔を見合わせて、頷き合った。
翌日から、まずは王都内でルチアが思い当たる場所をしらみつぶしにジュリアーノと巡り、アルベルトが王都内を彷徨っていないか確認した。
二日間かけて二人で訪れた場所やアルベルトが行ったことのある場所をすべて探したが、アルベルトは見つからなかった。王都にアルベルトがいる可能性はほぼ消えたと言っていいだろう。
いよいよファール領でアルベルトを探す計画を立てるため、一同は研究室に集まった。
カルロがテーブルにカルミア王国の地図を広げる。
「王都からファール領までは、馬車なら約一日ってとこだ。朝出発すれば、夕刻には到着できるだろう」
地図を指で指し示しながら説明し、王国の地図の横に、ファール領の地図も並べる。
「ここが我がファール伯爵邸。それから、ルチアとアルベルトがよく一緒に出掛けていた丘がここ。あとは…ルチア、心当たりは?」
ルチアはじっと地図を見ながら考え込む。
「この小川も、アルと一緒に行ったことがある。それから…市場と、うちの商会かな」
頷きながら説明を聞いていたジュリアーノが、難しい顔で腕組みをした。
「問題は、ファール領でアルベルトの魂を見つけた場合、どうやって本人の身体に戻すかだね。魂だけを連れてくる方法なんて、僕にもわからないし。近くに身体がなければ、戻せないかもしれない」
「それじゃ、アルベルトの身体を一緒に移動させる必要があるってことか…」
カルロも額に手を当てる。
考え込むジュリアーノとカルロに、ミナトが疑問をぶつけた。
「俺はよくわからないんだが、この世界の魔法で瞬間移動…えーと、転移魔法?とかってのはできないのか?」
ミナトの横で、フリオが残念そうに首を振る。緩く結った美しい髪が肩の上で揺れた。
「転移魔法はあるにはあるけど、ものすごく高度でね。魔力もものすごく必要になるし、使える人はほとんどいないんだ。それに、使えたとしても術者本人しか転移できない」
それを聞いたミナトは、納得したように頷いた。
「そうだよな。そんなに簡単にいくなら苦労しないよな。この世界にも馬車以外の移動手段があればよかったが」
「馬車以外の移動手段?」
ルチアが不思議そうにミナトを見つめる。
「ああ。俺のいた世界では、馬車より速くて快適な移動手段がたくさんある。そのうちそういうのも開発できるといいと思ってるんだ。――まあ、現段階ではすぐに作れないから、今する話じゃないな」
ミナトは成り行きとはいえ実用性のない話をしてしまったことを申し訳なく思ったのか、話を逸らすようにひとつ咳払いをすると、気を取り直してフリオを見た。
「それじゃ、どうやってアルベルトの身体を連れていく?」
「ああ、それなら心配ないよ」
フリオはにっこりと得意気に微笑みを浮かべ、一同を見回す。
「王太子殿下に恩を売ってあるのは、ベニーニ侯爵家だけじゃないからね」
第一王子が王太子の座を得るため魔法学研究所での魔法事故を隠し通さねばならなかった時、学園で最も尽力したのはルチアとフリオだ。一番の被害者であるアルベルトのベニーニ侯爵家にはもちろん手厚い謝礼がされたようだが、ファール伯爵家とアドルニ侯爵家にも、王家に貢献した者として褒美を出すと約束されていた。
「ファール伯爵家はまだ何も賜っていないみたいだけど、我がアドルニ侯爵家は大型のコーチを賜ったんだよね。僕は移動が多いから、ゆったり旅を楽しめる馬車が欲しくて。あれなら、眠ったままのアルベルトはもちろん、容体を看てもらう医師だって一緒に乗せられるよ」
それを聞いてルチアが瞳を輝かす。
「フリオ、ありがとう!それなら、アルと一緒にファール領に行けるね」
「うん。アルベルトの魂が見つかったら、すぐに身体に戻せるよ」
これでアルベルトを連れてファール領に行く算段はついた。
「少しでも早く出発できるよう、準備に入ろう。必ずアルベルトを取り戻すぞ」
力強いカルロの言葉に、一同は頷いた。
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