虚実皮膜怪談『鏡』

篝 麦秋

おまじない 1

 将来の結婚相手がわかるおまじないをご存知でしょうか。

 ある世代の方はわかるかもしれません。もしくは妖怪かマンガ好きな方とか。

 地獄先生ぬ~べ~ってマンガがあったでしょう。あれに掲載されていたものです。

 深夜零時、カミソリの刃をくわえて水の張った容器をのぞき込む。するとそこに、結婚相手の顔が映るというものです。

 マンガにはその後の展開が軽く描かれていました。

 ある女の子は、自分以外の顔が映ったおどろきで、くわえていたカミソリの刃を落としてしまいます。みるみるうちに水面が真っ赤に染まっていきました。まるで血がにじむように。

 時が過ぎ、彼女は大人になりました。やがて出会った恋人はなぜか前髪で顔を隠しています。


「どうして顔を隠しているのですか」彼女は訊ねます。


「ある人につけられた傷があるからです」彼が答えました。


「誰にそんなことをされたのですか」彼女は続けて聞きました。


 すると彼は顔をさらしながら叫ぶのです。


「お前だ!」


 ひどく傷ついた顔を彼女に見せながら。


 このおまじないを試した、ある女子児童がいました。

 彼女はいじめられていました。彼女がブスだからという、短絡的で、しかし子どもの未発達な感性だからこそ起きてしまうやるせない理由でした。年頃の子どもならば、一度は自分事であれ他人事であれ、直面する出来事といっていいでしょう。

 馬面だとか鼻の穴が大きいとか目が小さいとかあごが割れているとか、彼女は顔についてのありとあらゆる非難を浴びせられました。

 クラスの女子児童は、やめなよと彼女をかばってくれていました。本心だったのでしょうか? 彼女にはそうは思えませんでした。もともと猜疑心が強い性格だったのか、容姿という子どもではどうしようもできない要素を罵倒され続けて、心がゆがんでしまったのかはわかりません。口先では、かばってくれるクラスメイトに「ありがとう。でも慣れてるから平気」と答えていました。しかし内心では「どうせお前たちも私をブスだと思っているんだろう」と決めつけていました。もちろん、クラスメイトたちが彼女をどう思っていたのかは知る由もありません。


 ある時、彼女はクラスメイトからおまじないを教わりました。そうです。将来の結婚相手がわかるという、あのおまじないです。


「誰か見えたら報告してね」


 言い出しっぺの女子児童が、おまじないを教えたクラスの女子全員と約束を交わしました。


「どうせ誰も映らないに決まってる。それを期待しているんだろう」


 彼女は約束に応じながらも、心のなかではそう思っていました。

 それでも、彼女もそのころはまだ少し、将来に希望を持っていたのかもしれません。

 深夜、家族が寝静まったころを見計らって彼女は動きました。お風呂場の桶に水をためて、母親が使うカミソリの刃とともに部屋に戻りました。

 二十三時五十九分三十秒ごろ、カミソリの刃をくわえました。

 五十秒くらいのタイミングで、彼女は水面をのぞき込みました。

 大嫌いな自分の顔が映っていました。しじみのように小さな目を、重いひとえの瞼がほとんど覆い隠しています。かと思えば、五百円玉も入りそうなほど大きな鼻の穴が黒々と目立ちます。カミソリの刃を加えた唇は薄くて血の気もありません。口周りの皮膚と唇の差がほとんどないのです。反して、眉毛はとても濃くてボサボサです。クラスの女子たちは自分で整えているというのに、彼女はまだ子どもだからと母親から手入れを禁止されていました。

 大きくなったらお母さんに似て美人になるよ、と久しく会う親戚が口をそろえて言うのです。それはつまり、今の彼女はとてもブスであると暗に告げているも同然でした。そんな彼女の心情も知らずに、褒められてよかったねとよろこぶ自分の母親のことも、彼女は嫌いになりそうでした。

 十秒も前から待っているんじゃなかった。彼女はとても後悔しました。


 ゆら


 水面に波紋が浮かびました。室内なので無風です。地震のような揺れもありません。彼女が誤って桶に触れたわけでもないようです。


 ゆらゆらゆらゆらゆら


 桶の中央から生まれた円が、周囲に広がっていきます。縁まで到達した波は中央に戻っていきます。その波がまた縁に移動する揺れに従って、彼女の顔が映る水面の様子が変わりました。


 彼女はとてもおどろきました。

 同じクラスの男子児童の顔が、水面にぼんやりと現れたのです。


 彼女は、くわえていたカミソリの刃を水面に落としました。

 すると水中から、赤い液体がにじみだしてきました。


 ゆらゆら

 ゆらゆら


 赤い液体が水中に広がっていきます。まるで経血で汚れた下着を洗ったときのような、新鮮ではない血の色をしています。鉄のにおいが彼女の鼻に届きました。大きな鼻の穴はにおいをとらえることも得意なようで、彼女はそれが、まるで自らの嗅覚からもバカにされているような気持ちになりました。


 沈んでいるカミソリの刃をつかみました。

 水をぐるぐるかき混ぜます。そうなるともう、男子児童の顔など映っているのかいないのか、わかったものではありません。


 ぐるぐるぐるぐる

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる


 流れが渦を作りだします。勢いに乗りきれなかった水が、周囲に飛び散りました。桶の水が半分も減ったでしょうか。フローリングの床が水浸しになりました。

 すっかり腕が疲れた彼女は動きを止めました。

 桶に残された水はというと、かき混ぜられていた勢いが終息するにつれて、元通りになっていきます。そうです。フローリングに飛んだ水もろとも、ただの無色透明な水になりました。においもありません。ただの水です。


 となると、水面には彼女の顔が映っていました。

 この醜い顔が。

 大嫌いなこの顔が。

 見てたまるものかと。彼女はおまじないをやめにしました。今見たものも、何もかも忘れてしまおう。そう決めたのです。

 とはいえ、片付ける際にどうしても、視線が桶に落ちてしまいます。


 彼女の目に映ったのは、ぐちゃぐちゃにつぶれた男子児童の顔でした。


 翌週、担任教師から報告がありました。

 例の男子児童が、交通事故で亡くなったというのです。

 あとで聞いた噂によれば、男子児童は自転車に乗っているとき、隣を走っていたトラックと接触してしまったようです。その拍子に転び、タイヤに衣服が巻き込まれてしまいました。男子児童は身動きが取れず、顔を道路にこすりつけたまま引きずられてしまったというのです。

 顔も頭もぐちゃぐちゃになってしまった男子児童は、病院でもお葬式でも、誰一人顔を合わせられなかったという話です。


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