事八日

 祖父ノイチロウさんの話を聞かせてくれたリュウタさんも、よくわからないものを目撃していた。怪談かどうかもわからないと本人は言う。

 是非については聞かせてもらったこちらが判断しますと伝え、まずは語ってもらった。

 そしてここに掲載するということは、そういうことだ。


 リュウタさんが住む地域では、毎月八日か十日に家の前で籠を掲げる。

 リュウタさんは小学生の時、地域学習でなぜそのようなことを行うのか学んだ。

 事八日、と呼ばれる行事である。地域にもよるが、お正月を対称にした十二月八日と一月八日のどちらか、または両日、または毎月のその両日。家の前に魔除けの道具を置く。もしくは福の神がやってくるのでお供え物を置く。両極端な内容ではあるが、物忌みを行う地域もあることから魔除けのイメージが強い行事である。

 リュウタさんの住む地域も魔除け目的のようである。時代を経て、毎月それを行う家庭は少なくなってきた。

 リュウタさんには信心深いノイチロウさんという祖父がいた。そのため日付をきちんと確認して、毎月、家の前に籠を掲げていた。


「初めてそれを見たのは小学生のときでした」


 ちょうどその年、地域学習で学んだこともあって事八日について詳しく知っていたので覚えている。

 やることはシンプル極まりない。竹の先端に籠を逆さにしてひっかけて、家の前に立てかける。風習や伝統というと儀式めいた響きもあるが、実際はそれだけのことだ。たったそれだけのことなので、面倒という先入観でやめてしまった家も多い。だがそれだけの行為を日常に取り入れるだけで、心のどこかに安心感が生まれるのならば、たいした手間ではない。リュウタさんはそう思っている。


 小学校からの帰り道だった。家が近い子ども同士の集団下校なので、同じ学年の男子と笑いながらリュウタさんは歩いていた。

 道路わきの家の隣には畑がある。家から畑までは一メートルも離れていない。畑に面する家の軒先から、きらきら輝く円形のものがぶら下がっていた。CDだった。強い斜陽を浴びたせいか、光を周囲に拡散している。風にあおられたCDがくるくるまわる。あたりにもチラチラと光が飛び散っていた。


 CDの前に女性が立っていた。

 その家に若い娘がいただろうか。リュウタさんは記憶を探った。いなかったような気がするが、都会に出て行った娘がいきなり帰ってくることも少なくないのが田舎だ。そういうことだろうかと、リュウタさんは子どもながらに考えた。

 女性がCDに手を伸ばしていた。回収するのだろうか。


 かりかりかりかり


「じゃあまた明日」


 友達が手を振って分かれ道に進んでいく。リュウタさんはその子に振り向いて、別な友達と同じように手を振って別れのあいさつを告げた。

 視線を戻したとき、そこにはまだ女性がいた。汗ばんでくる季節なのに、白い長そでのワンピースを着ている。裾も足首を完全に覆い隠すロング丈だ。名称がわからないが、ふわふわとしたヒダがついていた。

 なんとなく気にかかったが、いつまでも後ろを向いて見ているわけにはいかない。リュウタさんは帰り道に意識を向け直した。


 ひとり、またひとりと集団下校の人数が減っていく。リュウタさんの家が学校からいちばん遠い。山の中腹にあるので、途中からはひとりぼっちになる。低学年のうちは親に車で送迎をしてもらっていたが、中学年以降は悪天候にならない限り徒歩通学をしていた。

 最後の子と別れると、二十分以上の道のりをひとりで歩き続ける。それもほとんどが上り坂だった。

 リュウタさんは黙々と歩き続けた。いつものことである。今日の算数の宿題だったり、夕飯はとんかつと母親が言っていたことと、そういえば給食もとんかつだったなと思い出して、それと今日見るテレビ番組を考えて、脚を動かしていた。


 かりかりかりかり


 さっきも聞いた音だ。

 音の出どころを探して目を向ける。

 ある会社の前に下げられていたカラス除けの大きな目玉模様の風船の前に、先ほどの女性が立っていた。風船に手を伸ばしている。そこが、音の発生源のようだった。


 かりかりかりかり


 風船の端の、両面を付着させている境目を爪でひっかいている。

 意味がわからない。

 リュウタさんは怖くなって、脱兎のごとく駆けだした。

 しばらく走ると民家がある。もしあの女性が不審者なら、その家に飛び込もうと思った。住人の顔も名前も知っているし、向こうもリュウタさんや祖父を知っている。顔見知りの子どもなら必ず助けてくれる。


 かりかりかりかり


 その家も、竹の先端に籠を下げて立てていた。

 家で伐採した竹を切断するのが面倒だったのか、その家の竹は長い。ざっと二メートルはある。その高さに掲げられている籠の、網目模様を作っている竹ひもを、女がひっかいていた。


 かりかりかりかり


 黒髪も、白いワンピースの裾も、女性の背丈の分だけ伸びている。二メートルはあるという竹の先端の籠を、かりかりと爪でひっ掻ける背丈まで。

 リュウタさんは家まで走って帰ろうと決めた。何も見ないように、なるべく目を閉じて走った。小学校高学年の男子児童とはいえ、体力は知れている。それも道は上り坂だ。膝に手をついて、肺の内側すべてが痛くなるほど乾ききった呼吸を繰り返した。

 家の近くにいたらどうしよう。

 体力が尽きてきたこともあって、悪い想像が脳裏によぎった。

 目に涙がにじんできた。両親は働いているので、家には祖父母しかいない。リュウタさんは祖父母が大好きだった。ふたりの身に何かあったらどうしようかと思ったら、急いで帰らなければと思った。


 家の前で、祖母が庭木の手入れをしていた。咲き終わったツツジの花が地面に落ちているので、それを片づけている。


「なんだってまあ、そだそんなに走んねくたって家は逃げねべや」


 笑う祖母の声を聞いて、リュウタさんは心の底から安心して、少し涙ぐみそうになった。汗を拭く仕草でごまかした。

 祖母はツツジの片づけをやめにして、リュウタさんを連れ立って家までの短い距離と一緒に戻っていく。おやつに蒸しパンを作って待ってくれていたというのだ。それをはやく食べさせたくて、家の前で待っていたというわけである。ツツジの片づけはついでだ。


「ねえばあちゃん、○○さんの家って若い女の人いる?」


 ○○とは道路わきの家の名字である。


「そごのいちばん上は娘だけど、おめの母ちゃんくれえの年だべ。その下さ男ばっが三人いで、いちばん上の男が家さいっけどその子らも男だったべや。下ふだりさは娘がいっけどおめお前よっかよりは下の年だっぺや」


「じゃあ××会社に女の人っている? 家の途中にあるあの」


「そごは土建屋だべ。事務員ならいっぺげど、あそごは倉庫だからいっつもは人がいねえど」


「△△さんの家もいないよね」


「おめよぐじいちゃんと一緒に回覧置きに行くべや、そんどき見てっぺ。あそごはおれどおんなじバ様と倅しかいね」


 何言っでんだおめ。

 祖母の問いかけは方言独特のせいで乱暴に聞こえるが、内孫であるリュウタさんをとてもかわいがってくれる優しい人なりの気遣いである。

 台所で祖母と一緒に手を洗い、蒸し器から出したばかりのふわふわの蒸しパンを食べながら、リュウタさんは見たものを話した。


なじょしてたなにしてた?」


 祖母の問いかけに、リュウタさんは見てきた光景を思い出す。

 白い服を着た女が、何をしていたのか。

 カラス除けの風船をひっかいていた。籠も同じだ。○○さんの家のCDはよくわからなかったが、音はそっくりだった。似たようなことをしていたのかもしれない。

 縁を、指でひっかいていた。


したっけまならばまあ、ジ様さ言っどくべ」


 山から戻ってきた祖父も合流して、三人で蒸しパンをほおばった。

 祖母からリュウタさんの話を聞いた祖父はうなずいて、リュウタさんを見た。


「明日と明後日はじいちゃんがおめのごと学校さ送っでっでやっかんな」


 それからというものの、毎月八日九日十日が平日だった場合、リュウタさんは学校まで祖父に送迎してもらうようになった。両親は何も言わなかった。ふたりから話を聞いていたのだろう。


 そのいずれかの日は必ず、家の前に飾ってある事八日の籠や、田んぼや畑に置いてあるカラス除けの目玉模様の風船をひっかいている女性を見かけた。何を見ているのか友人に尋ねられて、あれと言うと、ああ、と返ってきた。つまりそれは、リュウタさんにだけ見えているものではないらしい。お化けのような、自分にだけ見えるものではないと分かっただけで、リュウタさんはずいぶんとホッとしたという。


 だが、それならばなおのこと、あの女性はなんなのか。


「祖父に聞いたことがあるんです。あの女の人ってなんなの。ここら辺の人じゃないよねって」


 祖父は「んだなそうだな」と応じた。それから「んだげんちょけれど」と続けた。


「おらもよっぐはわがんね。んだげんちょ、事八日の日だけ見えんじゃよぐわがんねもんなんだべ。よぐわがんねもんだげんちょ、その日しか見えねんなら、その日だけ気つけてればいいべや」


 言っていることはもっともだった。八日九日十日以外、あの女性を見ることは決してない。逆に、そのいずれかの日は見渡せばどこかにいる。

 母親と買い物に出かけたとき、店の玄関ガラスに貼ってあるTOKYO2020のオリンピック応援シールをかりかりとひっかいている姿を見かけたことがあった。店内には談笑する高齢者が数人いたのに、誰もその女性を気にかけていなかった。車で通りすがりざまに見かけただけだったが、高齢者たちは見えていないというより、なんだか、どうでもいい・・・・・・といった雰囲気で無視をしていた。


「その三日のうちなら、どこにでもいるんだと思います。自分だけに見えているわけじゃないんだっていうのはホッとしたんですけど、でもじゃあ、なんで誰も言及しないんだっていうのはモヤモヤのひとつですね」


 なんせ十年以上、毎月その姿を見ているのに一度も顔を見ていない。


「いったい何を目的として、あんなことをしているんだと思います?」


 答えは闇のなかのままだが、疑問点はまだある。

 リュウタさんが女性を見かけた日が事八日だったからといって、その三日以内だけ気をつければいいと、どうしてノイチロウさんはわかったのか。

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