お祭り
Rさんの従兄弟が子どものころに経験した話だという。
Rさんの従兄弟、ユウタさんは子どものころ、よく迷子になった。興味のあるものに心を奪われたら、迷わずそちらへ一直線。気づいたらはぐれている。けれども末っ子の自負なのか、すぐにみんなが見つけてくれるという謎の自信に満ちていたので、たいした心配もせずに誰かが来るのを待っている。すると案の定、親が探しに来てくれる。やはり末っ子なのでそんなに怒られない。むしろ、手をつないでいろと言われた兄のほうが怒られる。聞いている側としては理不尽極まりないと思うが、末っ子とはそういうものらしい。いちおうそんなユウタさんでも兄には申し訳なく思うので、好きなお菓子をあげたりおもちゃを貸したりしていたのだとRさんは聞いた。
ある時、ユウタさんが住む地区でお祭りがあった。友達と出かける兄に、ユウタさんもついていくことになった。兄は相当嫌がったが、母から言われたら受け入れるしかない。ユウタさんはそんな兄の態度もわかっていたので、これは逆に迷って消えてあげることで、兄を解放してあげるのが弟の役目だろうと、謎の上から目線で兄をいたわることにしたらしい。
七時までには帰ること。家を出たのは午後四時なので、お祭りに行ってすぐにはぐれ、兄は友達と、自分はひとりで遊びほうけて、六時半ごろに兄と合流すればいいか。ユウタさんはそう考えた。
ちなみにRさんに、彼はそのとき何歳だったのかと尋ねた。五歳だという。ませた男の子もいるものだ。
お祭りは地域の神社で行われていた。秋の例大祭だ。露店もいくつかは知っている顔のおじさんやおばさんが売り子をしているし、すれ違う大人も友達の親だったりする。顔見知りが多かった。ここなら安心して迷えるな、とユウタさんは思ったらしい。兄はいつものように、ユウタさんを迷わせないようぎっちりと手を握っていた。なんせいつも怒られるのは兄なのだから当然である。
だがやはり、ユウタさんの行動力が上回った。金魚すくいのプールのなかに亀がいるという子どもの叫び声につられて、さっそく兄の手を振りほどいて走り出した。そのときユウタさんの脳内にあったイメージは、昨晩テレビで見た大海原をダイバーとともに泳ぐウミガメだった。ウミガメをすくえるドキドキでプールをのぞいたら、五百円玉サイズのアカミミガメを見てがっかりした。
そしてユウタさんは、いつものように兄とはぐれたのである。
ここまで話したRさんも、ときどきあれと血がつながっているなんて信じたくないとため息をついた。
アカミミガメショックから立ち直ったユウタさんは、父の知り合いが出店していた鈴カステラのお店で失敗作をもらって食べ、母の知り合いが出店していたフルーツ飴の失敗作のイチゴ飴をもらって食べ、五歳にしてひとりでお祭りを堪能していた。彼がその年齢でひとりで歩いていても、ああまたはぐれたのね見ておいて親御さんに連絡しておこう、という田舎ならではの子どもを見る目が向けられるだけで、誰も咎めはしなかったという。それだけ安全な田舎だったというか、ユウタさんが手に負えなかったというかは個々人の判断によるだろう。
やがてカタヌキにどっぷりとハマったユウタさんは、そこで延々と時間を溶かした。五歳がひとりで挑める難易度の出店ではないが、ユウタさんはひとり、自由であった。失敗しては新しいものを包みから出して、細やかな筋をキリに似た道具で削っていくが、五歳児の集中力はそう長くは保たない。やがて壊して失敗。そしてまた次に挑む。
ひとつだけ成功したが、こんな形ないよと若衆の青年に指摘されたことでユウタさんはへそを曲げた。本人が言うにはクリオネかなあ、だそうだが、カタヌキにそんな形はないよとRさんもネットの検索結果を見せて説得した。十年以上過ぎた今でも、ユウタさんはまだ納得していないらしい。丸い頭、簡素な手を両側に伸ばし、脚は一本で後ろに向かってくるりと曲げている。顔は目を丸くくりぬくだけ。それだけの情報ならクリオネっぽいが、顔は腑に落ちない。そのせいでRさんもクリオネではないと思っているという。
さてカタヌキでへそを曲げたユウタさんは、その場を後にした。気づいたらだいぶ日が暮れ始めていた。祭り会場のあちこちを飾る提灯に明かりが灯され、露店からしみ出すソースや脂の焼けた匂いが混ざり合い、食欲を刺激してくる時間になっていた。
帰ろうとは思うけど、兄を探すのも面倒だ。ユウタさんが思いついた方法は、知っている人を見つけて、親に連絡してもらって、迎えに来てもらう、というものだった。そうすれば夕飯はお祭りの焼きそばかお好み焼きになる。母が夕飯を作る手間も省いてあげられる。すばらしい発想だと、ユウタさんは我ながら感心したという。
カタヌキ会場は道沿いの露店からやや奥まった場所で、合板の上にゴザを敷き長机を置いていた。
カタヌキ会場から道沿いに出た瞬間、真向いのお面屋さんがユウタさんの目に入った。彼の記憶に鮮明に残っているほどだから、心を奪ったのだろう。
どの露店も日暮れに合わせて照明をつけているので、お祭り会場はとても明るい。周りの店の活気に圧されたかのように、お面屋の丸電球の光量はやけに低かった。そこだけとても薄暗かった。ユウタさんはその年齢で、うんうんお祭りの露店はこうじゃないとと腕組みをして感動したという。
店主は若い女性だった。ところが並んでいるお面は子どもに流行のキャラものは一切なく、天狗や狐といった奥ゆかしい日本のお面がずらりと整列していた。
ユウタさんは、ひとつ買おうと思った。
お小遣いはお祭り用に、母からもらっていた。千円分の百円玉の半分以上を、カタヌキにあてていた。あと何枚残っているかわからなかったが、ユウタさんは確認もせずお面屋の女性に声をかけた。
「ひとつくーださい」
女性の黒い髪が、蚊を寄せつける丸電球の明かりに反射して光沢を放っていた。店と通路を区切る台に身を乗り出した女性は、並んでいるお面をひとつ取った。
赤いお面だった。凹凸がひとつもない。目や鼻、口も開いていない。おそらく木製だった、とユウタさんが記憶をたどる。なぜなら縦筋がいくつも入っていたから、だそうだ。その上に赤い塗料が塗られている。お面と呼べるシロモノかどうかも怪しい一品だった。
別にどれが欲しいということもなかったユウタさんは、女性からそのお面を受け取った。お金を払おうと財布を出そうとしたユウタさんに、女性が首を振った。いらない、という意味なのだろうと思ったユウタさんは「ありがとう」と返すと走り出した。
その後、すぐに兄と合流できた。お小遣いを使い果たした兄もユウタさんと似たようなことを考えていたようで、親に迎えに来てもらって夕飯代わりの食べ物を買って帰ろうと思っていたらしい。
「お前またひとりで勝手にどっか行ってよぉ。なんだその、お面か? 気持ちわりいな」
兄はユウタさんの手から取り上げたお面を顔にかぶせて、友人に見せていた。友人も「キッショ」「キモ」と笑っていた。「それで○○(ユウタさんが知らない女子の名前だったので、おそらく兄のクラスメイト)でもビビらせてやればいいべや」「んだな」などと好き勝手言っている。
たいして欲しくもなければお金を出して買ったわけでもないお面である。兄にお面を取られたくやしさを、ユウタさんは少しも感じなかった。いつものように、勝手に迷子になった詫びのつもりだった。
翌日、ユウタさんが朝ごはんを食べているそばで、兄はさっさと家を出て遊びに行った。あのお面を持って。きっとイタズラをしに行くのだろう。ユウタさんは家で一人で遊んでいた。
帰宅した兄は一言も口を利かなかった。物言わぬ人となって戻ってきたからである。
トラックに自転車が巻き込まれて、事故に遭ってしまった。
ユウタさんはその前年、曾祖父の葬儀に立ち会っていた。棺桶のなかのおじいちゃんとお別れをしなさいと、母に抱っこされていた覚えがある。ユウタさんからすれば生まれたときに会っただけらしいので、初対面とほぼ変わらない。そんな人にお別れも何もないのになあと思いながら、とりあえず曾祖父に手を振った。
兄の葬儀にはそれがなかった。
ユウタさんは大きくなってから、周囲の噂話を耳にしてその理由を知った。
事故に遭った兄は、道路に顔を削り取られていたという。最後のお別れに顔合わせもできないほどの、それはそれはひどい損傷だったのだという。
あの赤いお面みたいな感じだったのかな。
ユウタさんはなんてことなくRさんにそう言ってドン引きさせた。
その赤いお面が、兄の事故現場から回収されたという話も聞いていないという。
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