カラコン

「むかしはめんどくさがって、コンタクトをつけたまま寝るってこともしょっちゅうあったんですけど」


 コンタクトレンズをつけっぱなしにすると、目の裏側までズレてしまう。そんな都市伝説を聞いたことがあると告げると、ルミカさんは笑った。


「さすがにそれはないです。眼科の先生も言ってましたもん」


 ルミカさんがコンタクトレンズをつけっぱなしにしなくなった理由は、もっと恐ろしい経験をしたからだそうだ。


 コロナが流行した当初、ルミカさんはコンカフェで働いていた。夜職に分類されてしまうコンカフェは体調不良の判断がとても厳しい。

 その日の彼女は、とても体調が悪かった。根性で出勤したが、案の定すぐ家に帰されてしまった。自宅の扉を閉めたとたん、帰宅した安心感からか猛烈な寒気が襲ってきて、呼吸も荒くなってきた。意識ももうろうとしてきた。ひたいに手を当てても手そのものが熱くて、熱があるかどうかわかったものではない。玄関で靴を脱いで廊下にあがると四つんばいになった瞬間、こみ上げてきた吐き気を抑えきれずマスクの中に嘔吐してしまった。口周りを吐瀉物でベトベトにしながらマスクを外す。廊下に直接置いたマスクの上に、あと一回吐いた。ルミカさんは、これが噂の感染症か、かかってしまったのかとショックを受けた。

 マスクは見捨てて這いつくばりながら部屋に戻り、なんとか口もとをティッシュで拭った。胃液の白濁した黄色がティッシュにこすり付けられていたが、臭いはしない。鼻詰まりが尋常ではないらしい。もう化粧は落とさず、ベッドに潜り込む。寒気からくる震えが頭痛に悪化していた。風邪薬を飲んでからベッドに入ればよかったと後悔したが、しだいに眠気がやってきた。相当な体力を失っていたのだろう。気づいたら眠りについていた。


 ふと、ルミカさんは意識を取り戻した。

 目の前に人の顔があった。

 熱と頭痛と鼻づまりで頭がもうろうとしている頭では、それがどういうことかわからなかった。

 部屋に知らない人がいる。

 それだけで十分に恐ろしい状態である。その恐ろしさもわからないほど、当時の彼女は体調が悪かった。

 理解したからといって、逃げられるほどの体力もなかったとルミカさんは当時を振り返る。


 顔をのぞき込んでいた人は、うっすらと目を開けているルミカさんに気づいているのかいないのか――顔に、手を伸ばしてきた。

 指がまぶたに触れた。

 針で突き刺してくるような冷えを帯びた指が、まぶたを押し開いてくる。

 冷たい指が次に向かってくる先は、目だった。

 眼球に冷たいものが触ると、脊髄が痛むのだとはじめて知った。


「こっち」彼女が指を差す右目には、眼帯がつけられている。


 朝になっていた。

 ルミカさんの枕元には、乾いてゆがんだ赤いカラーコンタクトレンズが落ちていた。


「たぶんあの指、ガチで私の目玉を取ろうとしてたんじゃないかな。イカれてません? さすがに怖すぎて無理。幽霊でも人でも、どっちでもヤバい」


 その後、ルミカさんは医者にかかった。タチの悪い風邪だった。感染症から免れた彼女は、そのヤバいやつからも逃れるべくすぐに引っ越したという。


「でもコロナだったらそいつにうつせたかもしれないんですよね、あんなに顔近かったし。まあ人かどうかわかんないですけど」


 今は『病みカワイイ』がコンセプトのコンカフェで働いているルミカさんは、カラーコンタクトをつけない代わりに眼帯をつけて働いている。


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