沈んだ村の伝承1
一八××年の夏、B山が噴火を起こし山体崩壊が発生した。それにより岩石なだれが生じ、近隣の集落三つが埋没した。土砂は川に流入し、濁流がN川流域にあふれ出した。川の流れがせき止められ、多数の民家や寺社が水に沈んだ。この噴火の影響による犠牲者は四〇〇名を超える。これは明治時代以降の本国における、もっとも多い犠牲者を出した火山被害とされている。
岩屑なだれの堆積により、周辺地域の土地環境は大きく変わった。これによって生まれた丘陵は流れ山と呼ばれる。
噴火の影響が色濃く残る土地として湖沼群が有名であり、今では観光地として多くの人々が呼ばれるようにやってくる。湖沼群は群というだけあって、小さな湖や沼が点在する。そのうちのいくつかの沼には、かつて集落にあった墓石や鳥居が当時の姿のまま沈んでいる。
この話は、今は亡き集落から命からがら逃げ延びた人や、偶然よその地域に出ていて生き延びた人の子孫に受け継がれた話とされている。それぞれの集落の近くには名前が失われた沼があり、そこを人々は水場として利用していた。その沼に関する伝承である。
なお、その沼がすべて同一のものであるかどうかの確証はない。
集落Aの子孫、クチキさんが祖母から聞いた話。その祖母も、自らの祖母から幼い時分に聞いた話だという。
むかし、長雨が続いて村の人がとても困っていたんだそうです。
村のそばには沼がありました。龍神様が住まうと言われていた沼です。村の人は、雨を止ませてくださいと、龍神様にお祈りを捧げる日々でした。ほんのわずかしか収穫できなかった貴重なお米も、お腹を空かせて泣く子どもにもあげられないお餅も、龍神様に捧げました。それでも、雨は止みません。
雷が鳴る、ある夜でした。村長が夢を見たそうです。
村長は沼の縁に立っていました。夢の中でも相変わらず、雨が降っていました。肌にまとわりつくような感触の、真夏の夕立に似た生ぬるい雨だったそうです。
と、沼から龍神様が姿を現しました。その瞬間に雨が止んだので、これは雨ではなくて龍神様が沼から出てきた時の水しぶきなのだと、村長は理解したそうです。たかが水しぶきでこれほどの長雨をもたらす強さを持つ神様です。やはり人が太刀打ちできる存在ではありません。
村長は改めて、龍神様に向かってひれ伏しました。そして、どうか雨を止ませてくださいと、心から願ったそうです。
龍神様は、村の娘を嫁にくれたら雨を止ませてやろうと答えました。
目覚めた村長は翌日、さっそく龍神様の嫁にふさわしい村の娘を選びました。
両親をはやくに亡くし、農家の居候として働いていた娘に目をつけました。その農家夫婦は、実の子ではないにしてもこの子を手放すのは惜しいと泣きました。どうか連れて行かないでくれと村長に訴えます。
娘はというと、今までずっとお世話になった村や農家夫婦のためならば身を捧げることも厭わないと決心しました。
娘の決意を汲んだ農家夫婦は、彼女のために仕立てておいた晴れ着を着させてやりました。
神輿に乗せられ、娘は沼へと向かいました。心優しい彼女を好いていた村人は多くありましたから、神輿の担ぎ手と、彼女のためならばと残り少ない米や野菜を分けてくれる人々がついてきました。
神輿ごと、彼女は沼へとおろされました。水面に浮かぶ神輿の上で、彼女は今まで育ててくれた農家夫婦への感謝と、村の人々のこれからの安寧を祈ると述べました。
突風が吹きました。水面が揺らぎ、彼女を乗せていた神輿が一気に遠ざかっていきます。
沼の中央あたり、そこは村長が夢で見た、龍神様が姿を現した場所です。神輿は体勢を崩し、娘ごと沼に沈んでいきました。米も野菜も何一つ浮かんでこず、すべて沈んでしまいました。
残された農家夫婦と村長と村人たちは、しばらくのあいだ、悲しみのあまり泣きじゃくっていました。
翌日から、村は晴れに恵まれました。ときどき降る雨の量は程よく、米も野菜も育ちます。
きっと、龍神様が娘を嫁として気に入ってくれたのでしょう。
村には龍神様と娘を祀る神社がありました。御神体は鏡です。娘が使っていた鏡といいます。これを自分だと思って大切にしてほしいと、娘が農家夫婦に残していった置き土産です。鏡の裏面には、青銅で作った龍神様が貼りつけてあります。夫婦一体となって村を見守ってくれるよう、祈りが込められているといいます。
その神社も、噴火によって失われてしまいました。
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