虹
「虹の根元には宝物が埋まっているっていう話、聞いたことありますか」
K市に住むハルカさんは思春期になる娘さんがいる母親である。彼女はこれから語ってくれる不思議な話が遠因で、とても若々しく美しい見目を保っているという。娘さんは小学校高学年だというが、彼女自身は大学生と自己紹介をしても通じるほどである。童顔というわけではないが、年齢不相応の痛々しい若作りをしているわけでもない。はきはきした物言いといい、あっけらかんと笑う声といい、とかく新鮮さがまばゆい人である。
それでもどこか拭えない
ハルカさんの実家はK市にある大きな神社のそばにあった。神社の前には造成された湖を有したK公園があり、市内でありながら緑豊かな環境に囲まれて成長した。
虹の根元には宝物がある、という話をどこかで耳にした彼女は、絶対に宝物を見つけると決意した。
県内は土地柄、夏場の夕立の後にはかならずといっていいほど虹が出る。全国からみても虹の発生率が高い県らしい。ハルカさんにとっては幸運だったといえよう。
彼女が小学五年生のとき、チャンスがめぐってきた。夕立ではなかったが、午後四時を過ぎたあたりで小雨が降ってきた。真夏だったので日はまだだいぶ高い。太陽光を受けてきらきら輝く雨粒が、虹の橋を架けた。
ハルカさんは虹の根元を目で追いかけた。K公園から出ている。庭で虹を観測した彼女は、さっそく家から飛び出した。
虹の根元は、湖畔の石碑の根元から伸びていた。ハルカさんが生まれる一〇年ほど前に建てられた、女流文学者の石碑である。
「私はきっと今に何かを捕まえる」と書いてあるという。
「虹って、どんなにはやく走って追いかけても、近づけないんですよね。もう少し成長してから知りました。でもそのときは、本当に、私の目の前に虹があったんです」
虹は太陽と反対側に出る、というのは知られた話である。その太陽光が射す方向と、私たちが虹を見る角度が42°である限りは虹を観測し続けられる。近づこうと動いた時点でその42°を崩してしまうので、虹には近づけないというわけである。
ハルカさんは石碑の前で、まさしく虹の根元を捕まえた。
夏の盛りもあって、夏草がもうもうと茂っていた。ハルカさんはそんな草を無視して、石碑前の地面にシャベルを突き刺した。虹はもうだいぶ薄れていたが、虹の根元には白百合が咲いていた。遠目から見えていた白い大きな花を目印に覚えていたのである。
子どもなりに、彼女は地面を必死に掘った。お宝とはなんだろうかと、本気だった。普段は手伝えといわれている畑仕事なんてイヤイヤやっているのに、そのときは泥まみれになることも厭わなかった。
「何が出たと思います?」
イタズラっぽく、彼女は私に尋ねてきた。
何も出ないが答えの相場だろうが、何かが出て、それによって不思議な経験をした人だからこそ、私は彼女の話を聞こうと決心したのである。
「鏡です。手鏡ですね。ニベアクリームの青缶ってわかります? それくらいの大きさで、柄がついていました。雑草とか近くの木の根っこみたいなのが絡みついていたので、シャベルの先端をごつごつ突いたらボロボロになって取れました。やったあ! って、お宝を手にしました。お宝です。私のものです。だって私が見つけたんですよ」
ハルカさんはよろこびのあまり、その場にシャベルを置き去りにして自宅に戻った。庭の流し場で鏡を洗うと、それは思っていたよりずいぶんと手の込んだ一品ということがわかった。
鏡の裏面には、何か模様があった。よくわからない。柄は格子状の模様が彫られていた。つまようじで、隙間に入り込んだ砂や泥をかきだしてきれいにした。彫り方を見るに、材質はおそらく木だろう。子どもながらに、繊細な手仕事だと感動した。鏡そのものに汚れやキズはなく、地面に埋まっていたにしてはサビもない。美しい状態を維持していた。
「惚れ惚れしました。その日から毎日、その鏡で自分を見ていました。そのせいなんでしょうかね。世間でいうところの美人枠っていうのに入れられて。ほら、毎日鏡に向き合うと美意識が高まって自然と美しくなれるっていうじゃないですか。あんな感じかなって思うんです」
短大在学中はモデル事務所にスカウトされ、ミスコンでは優勝した。卒業後は企業の受付を経て、大学時代に知り合っていた恋人と結婚した。そして娘を授かった。
「一人娘なんですけど、かわいいんですよ。ほんっとうにかわいい。自分の娘っていうひいき目なしに見てもかわいいって、私は思うんです」
妙な言い方に違和感を覚えた。顔に出てしまったらしい。ハルカさんは饒舌な語り口を閉じて、うつむいてしまった。
「わかってるんです、親ばかなんですよ。でも私からすれば、本当に、本当にかわいい娘なんです。でも、周りからは『ブス』って言われているらしくて。でも私もそうだったんです。鏡を見つける前の私もよくブスってバカにされてきて。でも鏡を見つけて以来、それで自分を見続けていたからか、美意識が高まって、今ではって。だから私の娘も、かならずかわいくなれるし、きれいになれるはずなんです」
ふと思ったことを、ハルカさんに提案してみた。
「ええ? 嫌ですよ」
一も二もなく却下されてしまった。
その手鏡を、母親からのお守りとして貸してみてはどうかと。
「子どものころに一度、姉に貸したことがあるんです。でもそのあいだ、私は誰にも見向きしてもらえなくなったことがあるんです。だから嫌ですね。でもまあ、手鏡を買い与えるアイディアはいいかもしれませんね。大切に使える鏡をひとつ持っておくっていうのは」
ハルカさんのその手鏡は、決して誰にも見せないのだという。写真ですら他人には見せたくない。それどころか、家族にさえ手鏡を見せた回数は片手で数えられるほど。
ハルカさんはお詫びにと、自分と娘がふたりで写る写真を見せてくれた。
不思議だった。ハルカさんと娘さんはよく似ている。似ているのに、どこかなぜか不自然である。娘さんは美人と評判の母親であるハルカさんに似ているというのに、なぜか、美人と断言できない顔のつくりになっている。決して、ブスと断言するほどではない。だが母親とふたりでいたら、比較されてしまう道はたどらざるを得ないだろう。
そのときの違和感は、ハルカさんとは別件の事情で解消された。これは本当に別件なのでさらりと流すが、いわゆる心霊写真についての取材をしている最中に気づいたものだった。カップルが撮った自分たちの写真の背後に、知らない顔が映っている。女にも男にも見えるその顔のせいで、どちらかが浮気をしているのではないかと修羅場になりかけたそうだ。
心霊写真以前に、そのカップルの顔がおかしいと私は指摘した。目の前にいるふたりに似ているのに、妙な感じがする。
そう言う私に、彼女のほうが教えてくれた。
「これはお互いの顔を交換して撮影できるアプリがあるんです。それ使ったんですよ」
私はそれで、彼女が手にしているアイドルグループの雑誌の顔と、ふたりの後ろにあるクリスマスツリーの枝の一部が交換されていないかと指で差してみた。ふたりは声をそろえて「あー!」と得心した。この件はこれで一件落着である。
そのとき私の脳内に、ふとあの母娘の顔がよぎった。記憶のなかであのふたりの顔を交換すると、それはいとも自然な年齢相応の、母と娘の顔に変わったのだった。
虚実皮膜怪談『鏡』 篝 麦秋 @ANITYA_
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