沈んだ村の伝承3
集落Cの子孫、ホシさんの話。ホシさんは曾祖母から、曾祖母は母から聞いたという。その母というのはホシさんの話で語られる、なくなった神社が生家だった。伝承の詳細をより深く知っているとされるが、前述した二件の昔話と通じるものはあっても同一のものか定かではない。
ある集落があった。土地柄、豊富な作物が取れる場所だった。味も見た目も一級品、寒さが厳しい冬には木工民芸品作りや芝居興行を奨励したこともあって、人々は財をなしていった。それらはすべてひとえに、生活を豊かにしようと懸命に働いた自分たちのおかげだと自負するようになった。いつしか集落にあった神社に、捧げものをする人もいなくなってしまった。今の自分たちがあるのは自分たちががんばったからであって、神のおかげではないと。
傲岸不遜な人々に、罰が当たったのだろう。長雨が続くようになった。稲穂は大きく育つことなく水に浸かり、米にならないうちに芽を出して腐っていく。畑は水浸しになってしまい、田んぼと畑の見分けがつかない。
雨は病も運んできた。雨でも外で農作業に勤しむ働き者の足を冷やし、やがて使い物にならなくしてしまう。湿気が肌をふやかし、ボロボロになった皮がはがれていく。そこからまた病が入りこむ。動けなければ働くこともできず、我慢の果てにカエルさえ捕まえて食べられればごちそうになった。母乳が出ない母親は泣き、その涙さえすすらされていた子どもは泣き声をあげる力もないままに死んでいった。
集落の長は、神社の神主とともに龍神様を祀る神社に頭を下げた。なけなしの作物を捧げ、雨を止ませてくださいと懇願した。連日連夜のお参りが通じたと思えるような雲の切れ間は、ついぞ一度も見えなかった。
ある晩、長は夢を見た。沼の縁にひとりたたずむ夢だ。まるで畑に溜まった泥水のような曇り空から、誰かが腐った作物を食べて戻したときの吐しゃ物のしぶきに似た雨水が垂れてくる。水滴は肌にまとわりついて乾かない。頭のなかを臭いにおいが占める。それも妙に生ぬるい。水滴そのものに命が宿っているかのような体温を感じる。
沼から龍神様が出てくる。いや、ずっと出ていた。その姿は見えなかった。どうやらこの空から降ってきていたのは雨であり、龍神様が沼から飛び出したときにはじいた水滴でもあったようだった。姿は見えないのではなく、あまりにも巨大なせいで人の目には映らないのだと知った。龍神様がどれほど偉大な存在か、長はようやく理解し、震えた。
龍神様の声が、長の耳に届く。
お前の娘を嫁として捧げれば、今後は年に一度の供物で許してやろう。
目覚めた長は、妻に相談した。
娘を龍神様の生贄にするなんてとんでもない! 妻は憤った。だが長雨には止んでもらわないと困る。そこで妻は、長の家に置いている居候一家に目をつけた。働けなくなった老夫婦とその娘を、長という理由だけで面倒を見ていたのである。娘は両親と長一家の仕事を手伝い続け、行かず後家であった。
娘は晴れ着を着させてやると長から話をされた。事情も何も知らない娘は、自分もどこかへ嫁げるのだと知って喜んだ。こんな長雨続きの先も見えない村で一生を終えるなど1日娘は願い下げだった。娘は浮足立っていた。
長の妻は娘に帯を巻くふりをして、腕と足を縛りつけた。白い装束に身を包んだ娘は、自分が何をされるかを悟り、両親に助けを求めた。だが返事はなかった。娘は木桶に入れられ、蓋まで閉められてしまった。
長が集めた村の男手が、娘の入っている桶を担ぐ。娘はわめき散らしながら暴れた。沼につくなり、男手は木桶を沼に向かい、さっと放り投げた。投げられた衝撃で木桶の蓋は外れてしまった。娘が顔をのぞかせる。だが体に自由はない。沈みそうになる寸前、娘は根性で顔を沼からあげた。だが顔をあげた勢いそのままに水中に顔を浸けると、ぶくぶくと泡を吹いた。
そして娘は龍神様の嫁になった。
やれやれやっと沈んだ。静かになった沼を見届けて、長たちは帰路についた。
長雨は止んだ。龍神様はあんな娘でも、嫁として満足したようである。もうこれ以上ひどい目に遭うのは御免だと長たちは話し合い、年に一度の供物だけはまともに続けようということになった。龍神様を祀る神社で、年に一度の祭りを開くことで忘れず続けようというのである。
その神社には、いつからあるのか定かではない御神体がある。鏡である。その鏡の表面に、いつからかしみが浮かぶようになってきた。供物を捧げる役目を担う神主一族が、しみに気づくたびに磨いていたが、やがてこびりついて落ちなくなってきた。
赤い筋がぐるりと円を描きながら、中央に向かっていくのである。
やがて、今しがた赤い液体が塗られたかのようなしみが浮かんだ。
その年、噴火が起きた。
神社は今、川の水がせき止められて生まれた沼に沈んでいる。
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