第13話 ビスクドール
「本当に? 本当に大丈夫なんですか?」
「ええ。もし私が抱えきれなくなったら、必ずあなたに言います。ドラマのようにつっぱねても追いかけてほしいなどとは思っていません。これは事実です。今、私もいろいろと考えるきっかけをもらっているのです。現状維持を選択してほしいのです」
「判りました。ただ、気持ちに押し潰されるようなことはしないで下さいね」
「肝に免じます。さあ、仕事の準備をしましょう。今日は買い取りが二件あります」
リュカの刺々しさはまだ消えたわけではないが、微笑みはいくらか戻っている。
仕事中のリュカはいつも通りだった。
二週間経った頃、骨董屋『Tale』に予約なしで買い取ってほしいという客人が現れた。
予約表に書かれている客人は一時間後である。リュカは扉を開け、大きな箱を持つ女性を招き入れた。
「SNSでかっこいいお兄さんがいる骨董屋があるって聞いたからきてみたけど、本当お人形さんみたい」
「お褒めに預かり光栄です」
リュカの口元は笑っているが、目が笑っていなかった。
「奥の部屋へご案内します」
優月は一揖していつもの商談部屋へ向かう。
「随分大きな箱ですね」
「ええ……祖母の遺品なんです」
リュカはいつものお茶とお茶請けを持ってきた。
「もしかしてハーブティーですか?」
「左様でございます。ペパーミントを中心に私がブレンドを致しました」
「ハーブティーって大好きなんです。すごく嬉しい」
何人もの客人と対面したが、ハーブティーが好きだと言う人はそういない。リュカの口元も緩んだ。大抵は物珍しそうにおそるおそる飲む。
優月もティーカップに口をつけたところで、リュカは白い手袋をはめた。
「おばあさまの遺品というお話は聞こえてきましたが、中身はなんでしょう」
「アンティークドールです」
蓋を開けようとしたところで、リュカの手が止まる。
「人からもらい受けたと聞いていました。私の家族は誰も人形には興味がなくて、価値がどのくらいなのかも全然見当がつかないんです」
「鑑定と査定の両方をお求めですね?」
「そうですね。値段も知りたいです」
「かしこまりました」
リュカの様子がおかしい。いつものスマートな手つきとは違い、緊張の糸が強く張られている。
アンティークドールが顔を出した。大事にされていただけあり、汚れはほとんどない。
「状態はかなり良いですね」
「人形の掃除の仕方とか判らないんですけど、ずっとガラスケースの中にいました。無駄に触ったりしなかったのが良かったのかもしれないです」
「こちらのビスクドールは、十九世紀後期のものかと思われます」
「すごい……本当に骨董商なんだ……」
「ありがとうございます」
リュカは優雅に微笑んだ。
先ほど見目を褒められたときと対応がえらい違いだ。
「ぱっと見てそんなすぐに判るものなんですか?」
「憚りながら、私はアンティークドールが一番の得意分野だと自負しております」
「へえ! それは初めて聞いた」
優月が横やりを入れると、リュカは繊細な泣き顔を作った。
もしかしたら彼はアンティークドールが好きなのかもしれない。前に博物館へ行ったときの話をしたくなったが、それを言ってしまうと謎の外国人とばったり出くわした話ももれなくついてくる。優月自身もあまり語りたくはない。あの外国人の話から、リュカと距離ができてしまったと感じているからだ。
「すみません、ちょっと質問が……」
「なんなりと」
「ビスクドールってなんですか?」
「ビスクはフランス語で二度焼きを意味します。ビスケットというお菓子も同じ意味を持ちますね。磁器製の人形でだいたい十八世紀から二十世紀初期まで作られていました。アンティークドールのアンティークとは、作られて百年以上経過したものを表す言葉です」
「ビスクってそういう意味なんですね。ってことは、これはフランス製ですか?」
「こちらはドイツ製となります。状態にも左右されますが、フランス製とドイツ製であれば、フランス製に高値がつくことが多いです。有名な工房名なども刻まれていれば、さらに値は上がります」
「値段はいくらくらいになりますかね……?」
女性は腫れ物に触るような聞き方だ。
「状態がすこぶる良く、それを踏まえて三万円になります」
「で、でも、百万円くらいで取引されるケースもあるって……」
「左様ですね。おそらくお客様が知識を得たのは、フランス製のジュモーやブリュなど、有名工房のビスクドールを参考にされたのでしょう。我々、骨董商は査定を行えばお値段をお伝えします。しかし、値段の価値が物の価値と一致するものではありません。例えばのお話ですが、高級店のスイーツと友人が私のために作ってくれた牛乳寒天とでは、私は後者を好みます」
女性は押し黙った。
ネットなどで調べ尽くして、もっと高値がつくと踏んでいたのだろう。誰が見ても落ち込み具合に同情心が芽生えてくる。
女性の気持ちとは裏腹に、優月はにやけ顔を抑えようと頬を何度も揉みほぐした。
「すみません……売るのはちょっと……」
「かしこまりました。とても状態が良い素晴らしい品です。どうか大事になさって下さい」
リュカは再び箱にしまい、元通りに戻した。
女性を見送ると、新しくハーブティーを入れ直してソファーへ深く座り直した。
「さっきの人、あの人形売るのかなあ」
「値段にご納得されていらっしゃいませんでしたので、他の骨董屋へ行くのでしょう。自ら足を使うのも高値で売るポイントです。ただし、三万円以上をつける骨董屋はないかと思います。……なんですか」
「いやあ、友人だしいろいろつっこんだことを聞いてもいいかなあって」
「馬鹿なことはおよしなさい。さっきのは例え話です」
「ふっふー、ふふー」
「元気になられたようでなによりです」
「もしかして、ちょっと気にしてました?」
「数週間前より元気のなくなったあなたを見ていた私もつらいのですよ。おかしな気遣いはかえって傷つけるだけだと知りました。なにしろ、友人らしい友人を持ったこともないので、どのような対応をして良いものか難しいのです」
「えっ。友達いなかったんですか?」
「話しかけられることもほとんどありませんでした。私の性格に難があったのだと思います。積極的に友人を作ろうともしなかったので」
もしもリュカと同級生だったら──そんなことを想像してみた。
人は高級なものを見ると求めたり見たり愛でたくなる。けれど価値がつけられないものを見ると、遠目で遠慮がちに覗き込む。
人目を引くのはむしろトラウマに近い何かを植えつけるのではないか、と想像に絶した。
「……リュカさんと一緒にいると、元気になれます」
「それは良かったです。この上ない喜びですね。過去に精気を吸い取られそう、などと言われたことはありますが、あなたにとってはアロマ的な役割のようです」
「アロマよりももっとこう……、オーロラ見てると元気になれるし、太陽みたいな感じ?」
「私もあなたの語彙力を聞くたびに元気になります。同時に、私の日本語力もまだまだだと思い知らされます」
「充分ですよ。でも上を目指すのは良いことだと思います!」
「できればこれからも私のそばで、軽やかな日本語を披露して頂きたいです」
「任せて下さい!」
リュカはせき払いをすると、新しい茶を淹れてくると立ち上がった。
首元が少し赤く色づいていた。
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