第36話 エピローグ
父の清一にイタリアへ行く選択肢も考えていると相談すると、渋りながらも「好きにしなさい」と絞り出すような声で了承した。
優月としては月の神子の役割を担い、一世一代、人生をかけての親孝行をしたつもりだ。もちろん、まだまだ足りないとは思っているが、立派な社会人となることも親孝行の一つだ。
「優月、大変です」
リュカは端末を見て、目がまんまるになっている。
「どうかしました?」
「明日、師匠がこちらへやってくるそうです」
「明日? 京都に?」
「ええ……そう書いています。どうしましょう。いきなりすぎます」
「月森さんって食べられないものはありますか?」
「基本的になんでも食べます。和食がいいと思いますが……」
「俺が作りますから、心配しなくて大丈夫ですよ」
「……すみません。空き部屋の掃除は私がします。あなたはどうか料理を」
凝った料理よりも、よく食べられている日本食がいいと判断し、優月は鯖のみそ煮を作ることにした。
翌日、リュカへ部屋の掃除と月森の迎えを任せ、優月は一人で買い物に出かけた。
長いようで短い四年間だった。都会の空気にはすぐに慣れ、歴史ある京都で学ぶことも多かった。
アルバイトでは骨董品に出会い、逃れられない道でありつつも、運命なのだと心に刺さった。
家に帰ると、庭で猫の鳴き声が聞こえた。
井戸の上で猫が毛繕いをしている。
「にゃー」
近づいても逃げる気配はない。
しゃがんで指を差し出すと、匂いを嗅いで擦りつけてきた。
リュカの匂いが染みついているからか、警戒心がまるでない。
「ちょっと失礼しまーす……」
端末を近づけると、猫はごろんと横になった。
あまりの愛らしさに吸いたくなるのをこらえ、何枚か写真を撮る。それをリュカに送った。
リュカの車のエンジン音がした。表に出ると、ちょうど月森が降りてくるところだった。
「おかえりなさい!」
「ただいま。久しぶりの日本はほっとしますね。変わりなくお元気そうですね」
月森も変わった様子はない。握手を交わし、近状を軽く報告しあった。
リュカは運転席で端末を弄っている。彼の元へ行くと、先ほど送った画像を見ていた。
「ついに会えたようですね」
「近づいても撫でても逃げなくて、ずいぶん可愛がられているみたいですね」
「私たちの家の他にも、いろんなところで寝泊まりをしているみたいですからね。中へ入りましょう。お腹が空きました」
夕食後、月森は先にリュカを風呂に入るよう促した。
お茶を入れていると、
「日本へ来たのはリュカに会うためでもありますが、どちらかというとあなたと話したくて来ました。そう緊張なさらずに」
姿勢を正すと、笑われてしまった。
「リュカさんから、本当にやりたいことを見つかるまでうちで働かないか、と言われました。そんな気持ちのままイタリアへ行ってもいいのかと悩んでいます。リュカさんは覚悟を持って真剣に骨董商になったのに」
「覚悟に大小あれど、比べるものではありませんよ」
「骨董品はうちの神社にもたくさんありますし、幼少の頃から目にしてきたものです。話を頂いてから、たどり着く道なんだと感じました。こんな建前もありつつ俺の一番の望みは、リュカさんと一緒にいたいってことなんです」
「なるほど。そういう気持ちで将来を決めていいものか、ということですね」
優月は相づちを打った。
「一生懸命取り組めるかどうかに比べたら、理由なんてどうでもいいです。あなたがもし『なんとなく楽しそうだから』と言っても、私は引き抜きをしたと思いますよ。目利きのできる人間よりも、人を見る目がある人材がほしいのです。そしてなにより、人になかなか心を開かないリュカがあなたに懐いている」
「俺の方が懐いてる感じですけど」
「いいえ。あの子があなたに懐いています。見れば判ります」
廊下で物音がした。入ってくればいいのに、遠慮しているのだろう。だがリュカらしいといえる。
「より良い返事を期待していますよ」
父を思わせるような笑顔で、頭を撫でられた。
血が繋がっていないはずなのに、笑顔が本当によく似ていた。
──二年後。
朝からずっとどしゃ降りの雨が続いていた。窓を叩きつけ、怒りがこもっているかのようで、悪いことをしていないのになぜだか謝りたくなる。
「ここだ」
アンティーク・ショップに買い取りのお願いをしたら、本日予約が空いていると返事があり、さっそく売りにきた。
イタリアではたくさんのアンティーク・ショップが建ち並んでいる。なぜここを選んだのかというと、店主が日本語を話せるからだ。それどころかイタリア語、フランス語、英語も問題ないという。
イタリアに移り住んで二年になるが、日本語が通じるというだけで、天にも昇る気持ちになる。
「こ、こんにちは」
「こんにちは」
勇気を出して日本語で挨拶をすると、店主からも日本語で返ってきた。
母国語を話すのはいつ以来だろう。つい感傷にふけっていると、日本にいる家族を思い出し、目の奥に痛みが走った。
「大丈夫ですか?」
「すみません、イタリアに来て二年になるんですが、久し振りの日本語なもので」
「二年」
男性はなぜか驚いている。
「奇遇ですね。私もイタリアで過ごして二年になるんです」
「ええっ? そうなんですか? 店のホームページを見たら、複数の言語に対応できるって書いてたんですが……二年で習得したんですか?」
「師匠が鬼なものですから。それに日本語ができるって、実はかなりの武器になるんです。イタリア語が話せるはずなのに、アジアからお越しの方はなぜか日本語に対応しているうちの店を選んで下さる。安心感があるのかもしれませんね」
「それは……確かにそうかも」
「話がずれてしまいましたが、ご予約の方ですね」
「はい。月岡と申します」
「奥の部屋へご案内致します」
真っ白な部屋にクリーム色のテーブルと椅子が並んでいる。
「ハーブティーはお好きですか?」
「はい。飲めると思います」
好きかどうかの質問の答えではない。過去に飲んだことがある気がするが、味は覚えていなかった。
彼はトレーにオレンジの香りのするハーブティーを持ってきた。
カップがテーブルに置かれたのと同時に、電話がかかってきた。
「失礼いたします」
彼は一礼すると、部屋から出ていってしまった。
何もすることがないので、辺りを見回してみる。とはいっても、部屋には余計なものが置いていない。真っ白な空間だ。
「あ、どうしたんですか? ……え? 着いた? 明日って言ってたじゃないですか」
廊下から店主の声がした。なにやら不測の事態のようだが、それにしても店主の声が明るい。砕けた話し方は生き生きしている。
「俺、仕事中なんですけど……いやいや、来なくていいですって! 家で待ってて下さい。なんか、見られるの恥ずかしいし……判りました。じゃあ、また後で」
どうやら親しい相手らしい。知らないふりをしてハーブティーを飲んでいると、店主は申し訳なさそうな顔をして扉の前に立っている。
「申し訳ございません。お待たせしました。鑑定に移らせて頂きますね」
「時間はありますので大丈夫です」
店主は白い手袋をはめ、紙袋から箱を出した。
「革張りの本ですね。フランスで製造されたものです」
ぱっと見て判断したものだから、驚きを隠せなかった。
「そんなにすぐ判るんですか?」
「ある程度は。状態も良いですね。こちらはどこで手に入れたものですか?」
「……昔から家にあったものです」
店主はこちらと本を交互に見つめ、電卓のボタンを押した。
「がっかりさせてしまうかもしれません」
「物を売るのはそういうものだと思ってますから」
打ち込まれた数字は、予想を下回るものだった。
店主はこちらの様子を伺いながら、
「なぜお安くなってしまうのかと申しますと、希少価値の問題です」
「けっこう出回ってるんですか」
「ええ。一八〇〇年代のもので、何度も買い取りを行ったことがあります。状態がいいので、……上乗せしてもこちらの金額ですね」
少しだけ値段が上がる。
「アンティーク・ショップへ売りにいらっしゃるお客様は、主に二通りの場合が多いです。一つは、本当にお金に困っていたとき。もう一つは、とにかく処分したいとき。月岡様は、ずいぶんと思いつめた表情をなさっていました。どちらかというと後者で、手元に置いておきたくないものではないかと」
「すごい……どうして……」
「骨董商は何も骨董品だけを鑑定するわけではございません。その人の本質や思いを見抜くのも仕事に含まれますから。残念なお話ですが、偽物を売ろうとする方もいらっしゃいます。物以上に、人を見抜く力が必要になってくるのです」
話す内容は大人びてベテランの風格だ。それなのに顔立ちは幼さが残り、アンバランスさが興味を引き出す。
「私を置いて逃げていった母が大事にしていたものなんです。十年以上経っても母は取りにすら来ないですし。……あんな母がいる日本が嫌になり、興味があったイタリアへ来ました。大事なものは私が無くしてしまおうと、持ってきたんです」
「それで手放したいと?」
月岡は頷き、テーブルに置かれる本を見やる。
「人の思いは脆くもありますが、永遠でもあります。あなたの母君がどのようか方かは存じませんが、やはりこちらはあなたが持っているべきだと思います」
「母が私を嫌いでもですか?」
「少なくとも、月岡様が母君への思いをきっぱりと思いを断ち切るまでです。悩む気持ちがほんの少しでもあるのなら、売るのはお勧めしません」
「売ってしまって、いつかまた私の手元に来るなら、手放してもいいのかも。そういう奇跡にあったことはありますか?」
「私ではありませんが、私の家族が奇跡を起こしたことはあります。無くしてしまった人形を見つけた、という摩訶不思議な出来事です」
「母君なんて言葉を使う日本人、初めて会いました」
「それも私の家族が使っているからですね」
きっと店主は、売らないと思っているのだろう。
手元からなくなれば、思いを断ち切れると根拠のない確信があった。思いを切るために物へ頼るのは、後悔を生むのだと見えない何かへ懺悔する。
「すみません。やっぱりこれは売らないことにします」
「それがいいと思います」
「ハーブティーまで出して頂いて……せめて飲み物代は出させて頂けませんか?」
店主は首を縦に振らなかった。「またいつでもお越し下さい。月岡様、本とお名前をお大事に」と意味深なことを言い、微笑んだ。
あれだけ天気が悪かったのに、外は晴れていた。虹が出て、人々は上を向いて歩いている。
月岡も背筋を正した。空と同じように、心も穏やかになっていた。
駅へ向かおうとした矢先、とんでもない容姿端麗な男性とすれ違った。
思わず振り向いて彼を目で追うが、回りの人たちも同じだった。
人の視線を吸い込む男性は、先ほどまでいたアンティーク・ショップへ入ろうとしている。
「リュカさん!」
中から世話になった店員が出てきた。
彼は泣いているのか笑っているのかよく判らない表情のまま、リュカと呼ぶ男性へ全身を預けた。
骨董商リュカと月の神子 不来方しい @kozukatashii
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