第19話 因習の始まり
月には神がいると聞かされ続けてきて、呪いのように染みついた言葉は取り払うなど不可能だ。
月に住む神に祈る。どうかリュカをさらわないで下さいと。
数キロある衣装は想像以上に重く、腰にくる。
引きずる衣装を村人が数人がかりで持ち上げ、鳥居の前で止まる。
いくつもの和楽器が演奏を始める。滅多に聞くことのできない、儀式のときのみ流れる曲だ。聡明でどこか不気味な、不安を煽るような音。
仮面をつけた優月は、一歩、また一歩と階段を上がっていく。できるだけゆっくり、神を焦らすように。焦らせば焦らすほど神を焦らせ、神子が連れてきた贄を悦び、喰らう。
よりいっそう派手な音とともに、今度は贄が階段を上る。
背後に気配を感じるが、優月は振り返らない。
リュカは隣に来た。結婚の約束など数時間前に交わしたばかりだと言うのに、リュカの方が落ち着いている。
儀式を取り仕切るのは宮司である父の清一だ。
月の神への感謝を読み上げ、ふたりは祈る。
大きな赤い盃に御神酒が注がれる。
まずは贄が飲み、残りを月の神子が飲み干す。
急にわき腹をつつかれ、優月は顔を傾けないようにし隣に視線を送る。儀式が終えるまで話してはならないからだ。
こういうとき、彼の目が特異な色で良かったと思えた。仮面を被るリュカの目が月明かりに照らされ、オーロラのような輝きを放っていた。
リュカは一度、盃を見てはまたこちらを見る。そして盃に口をつけた。
喉仏は動いて少しずつ盃が傾いている。
禰宜が盃を受け取り、今度は優月へ回される。
優月はまったく減っていない御神酒をゆっくりと喉へ流し込んだ。
酒は苦手でも得意でもないが、久しぶりに味わうと喉が焼けるように熱い。自分の身体ではない気がした。
宮司はさらに神への感謝を読み上げ、再び祈る。
「──……ここからは儀式の本番へと移る。本殿の中へ」
優月とリュカは立ち上がった。足下がふらつきそうになるが、なんとか堪える。
本殿は本来、誰も入れない神聖な場所だ。本殿には神が鎮座していて、いつも人間を見ている。儀式のときくらいしか入れない。優月も幼少の頃、こっそり中へ入ろうとして叱られた経験がある。
中は広間になっていて、月の祭神が奉られていた。煌びやかであり厳かな雰囲気だ。目を背けたくなるほど威圧感がある。
広間の真ん中には行灯と緋色の布団が一式添えられている。
「朝に迎えが来ます。こちらで儀式をお続け下さい。神子様と贄様にご加護がありますよう、お祈り致します」
足音は遠くなり、やがて聞こえなくなった。
緋色の布団が示すものは、リュカの耳にも入っている。
優月は拳を握り、勢いよく祭壇へ頭を下げた。
「神様、ごめんなさい。ここまでにして下さい」
優月は仮面を取る。本来なら取ってはならない。
「ふふ……一緒に罰でも当たりましょうか」
優月が姿勢を元に戻し振り返ると、すでにリュカは仮面を取っていた。
「リュカさん……リュカさん……」
「謝罪は結構。ひとまず上だけでも脱ぎましょうか。さすがに重いですね」
「手伝います」
リュカの身につけるものは優月の衣装よりも重い。これを背負ってあの階段を上がったのだから、優月自身は泣き言を言っていられない。
次に優月も脱いだ。白装束だけになり、用意された緋色の羽織に袖を通す。彼にも渡した。
「なぜ緋色なのですか? 美しいお色ですね」
「単純に月の神が好きな色だかららしいです。神が人間界へ降りやすくなるとかなんとか」
「そうなのですね。人間界へ神を降ろす儀式だったとは」
「リュカさん? 儀式の内容は……聞いてますよね?」
「布団を見ていろいろ察するところはありますが、実はほぼ何も聞いていません。よほど急ぎで儀式を行いたかったのか、私が費やした時間はすべて衣装合わせのみです。サイズの問題もありましたから、手直しをして頂きました」
「ごっ…………!」
「謝罪は結構。こちらに座って、すべてを話して下さい」
「……本当は話すのが先で…………」
「そういうのも結構です。いいからこちらへ座りなさい。地べただと冷たいでしょう」
優月はのろのろと動き、彼の隣へ腰掛けた。
「この村では、神は月にいるって言われてるんです。大昔に飢饉に襲われたとき、村人は神を蔑ろにしました。そしたら次の年はさらに大飢饉を受けました。村人は神社に生まれた子を神子として捧げたのが因習の始まり……らしいです。これは諸説いろいろあります」
「なるほど。それで?」
「有沢家に生まれた子は、月の神子としての役割があるんです。名前に月の漢字を入れ、誰が見ても神子だと判るようになっています。月が入っているのは、俺と一番下の弟の月斗です。真ん中は清志で役割はないんです。あとで家族を紹介します」
「楽しみにしています」
「これもいろいろ諸説ありますが、神子の役割は結婚相手……贄を選んで神様に捧げることです。男色の強い時代にこういう因習が生まれたからか、月の神は美しい男子を好むと言われていて……っ……本殿へ連れてきた贄と交わるとき、神子の身体に神が宿り、贄の命を吸い取ると言われています。実は……これは先に話さなければいけないんですが……、贄となった人は…………、」
そこまで言いかけ、優月は言葉が出なくなった。
あまりにも恐ろしい因習だ。今までも例外はなく、優月の母も同じ目に合っている。
「贄は長生きできない、ですか?」
言いづらかったことをリュカははっきりと代弁した。
「俺の母親も、早くに亡くなってます。それに、有沢家に女の子がなぜか生まれないんです。確率的にありえないことじゃないでしょうが、ずっと、ずーっと生まれてくるのは男子ばかりなんです」
「結婚……ここの村では、二つの意味があるのでしょうか。一つは法律上の婚姻の話で、子孫を残す結婚。もう一つは、私たちが行ったもの」
「そうです。二つあります。父の清志と母は法律上の意味での婚姻で、どちらにしても贄と変わらない役割です」
「理解しました。嫁ぐ者も長生きできないとおっしゃるのですね」
「そういう……ことです」
「儀式としては、最後まで行わなければいい話では?」
「…………んん?」
「過去に儀式を行われた方々は、どうやって行為をしたと見抜いたのですか? マリー・アントワネットのように、シーツなどをこと細かにチェックされたのですか」
「そこまではしませんよ! あくまでしたかどうかは任意の返答で良かったはず……確か。言われてみれば、過去の人たちはどうしてたんだろう。嫌々儀式を望んだ人だっていたはずなのに」
「そういうことになりますね」
まさかリュカとこんな生々しい話をするとは夢にも思わなかった。
生々しさは布団脇にある重箱もだ。儀式をろくに聞いていないリュカは、中身も知らないだろう。だが勘のいい彼なら気づいている。
「さて、優月。ここからは本題に入ります。心して聞いて下さい」
「はい」
家族の前だけでなく、ふたりきりのときも名前で呼ばれた。
こそばゆく、胸がじんわりと暖かかった。
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