第11話 謎の外国人
「あー、話して心のもやもやが晴れてきました。ちょっと相談なんですけど、もし牛乳寒天とか俺の作ったお菓子を持っていったら食べてくれます?」
「それをしたところで、あなたに得はありませんよ」
「損得の話じゃないんですって。一人暮らしだと牛乳余るし、残りものでたまにお菓子を作ったりするんです」
リュカは表情を崩した。穏やかでありながら、ひどく苦しい笑顔だった。
「あなたは自分の作った料理を食べられるかという話をしましたが、私からすれば料理を作って下さるのはとても光栄なことです。世界は、本当に広い。あなたのような人もいる」
リュカは窓の外を見つめる。まだ雨が降り続いていた。
「私こそ、ありがとうございます」
「お礼言われるようなことじゃないですよ。むしろ俺が助けられました」
「生きていればいろいろなことがあるでしょうが、もう二度とあのようなことはしないように」
雨で身体を濡らしたことではなさそうだった。た先にあったものは、生への執着を捨て電車を見つめる行為。とんでもない過ちを犯すところだった。
「少し眠ったらいかがですか? 私としても、このままあなたを返すのは忍びないです」
「リュカさんは仕事ですか?」
「帰りでした。いいから、ベッドに入りなさい」
「めちゃくちゃ子供扱いだなあ」
「大人も甘えていいのです」
リュカは立ち上がると、自分の分のバスローブを持ってシャワールームへ行く。
ベッドに入りながら、彼の後ろ姿を見届けた。
骨董商リュカ。自分のことを話さないのはお互い様だが、それにしても摩訶不思議すぎる人だ。だが身を削ってまで優しさを振りまくのは、いただけない。説教したい気分でも、そんな立場にない。
優月は目を瞑った。すると眠気が一気に押し寄せてきて、意識を手放した。
メモ帳から一枚切り取られた紙には「朝食はこちらでどうぞ」とホテルの朝食券が添えられていた。
抜け目のない人だ。
有り難く受け取ると、優月は折り畳まれた着替えに袖を通し、一階のフロアへ行く。
和食を中心にたっぷりと平らげ、食後のコーヒーを二杯飲んだ後、ホテルの従業員へお礼を伝えて後にした。
ホテルから帰る頃には、すでに太陽が上がり通勤中の人々とすれ違う。
優月は一度家へ帰ってから大学へ行った。さぼりたい気持ちにはならなかった。今もこうして彼は仕事をこなしているだろう。ああなりたいという近道は、まずは勉強することだ。
「平賀、おはよう」
「よお」
平賀は何も言わない。様子がおかしいと気づいているのだろう。腫れた目はそのままだ。
「昨日、知り合いからアンティークの展覧会のチケットもらったんたけど、行くか?」
「なにそれ? そんなのあるのか?」
「東山の博物館でやってるやつ。期限が明日までなんだ。俺は行けないから、もらってくれると助かる」
「今日行こうかな。バイトもないし。ありがとう。予定でもあるのか?」
「……ものによるが、それを好んで行く理由が判らん」
優月はチケットを見る。
アンティーク展覧会だが、正確には西洋で作られたアンティークドールの展覧会だ。確かに人によっては好みが別れるだろう。
「こういうのイケるクチか?」
「人形は見慣れてるから、全然怖いとも思わないよ」
「怖いっつーか、不気味っつーか……まあ喜んでもらえてなによりだ」
京都に引っ越ししてからは大学とアルバイトの連続で、あまり観光をしたことがなかった。
講義を終えた後はバスに乗り、博物館へ向かう。
フロントでチケットを見せて中に入った。
入り口からさっそくアンティークドールに招かれた。
緑色の大きな瞳が瞬きをしたように見え、優月は固まった。
気のせいではあったが、今にも動き出しそうである。
持ち上がった長いまつ毛、唇はぷっくりと膨らみ、下膨れは幼女らしい頬。ワンピースを着て、上品なドールだ。
「ハァイ!」
肩を叩かれ、振り返ると外国人がそこにいた。
誰かを彷彿とさせるような少しくせっ毛のブロンドヘアーに、すらりと長い手足。モデルように小顔で、真っ黒なサングラスの奥は見えなかった。
「ハ、ハロー」
なんとも情けない話だが、肝心の英語が判らない。とりあえず片言でも片手を上げて答えた。続けて英語が判らないと中学校で習った単語を並べた。
『お目当てのものは見つかった?』
彼は端末に口を近づけて英語を話すと、端末から日本語が聞こえてきた。
「お目当て? え?」
とりあえず「ノー」とだけ返す。
お目当てのものとは何を表しているのか。
『よし、お茶をしよう』
「ちょ、ちょっと待って! あなたは誰ですか!」
『誘拐犯だよ』
末恐ろしいことを言ってのける男は、優月の腕を掴むと出入り口へ無理やり引っ張り出した。
「俺、アンティークドールが観たくてきたんです!」
『ここは再入場できる。問題ない』
優月が無理やり引っ張られて来たのは、博物館近くにあるカフェだ。抹茶を使った菓子が有名な店で、雑誌などにもよく特集が組まれている。
店内は抹茶の香りに包まれていた。
観念して席につくと、彼は抹茶のシフォンケーキを指差す。
「イート、ユー?」
「オーケー」
片言でもなんとかなっている。おまけに携帯端末という文明の利器までも味方だ。良い時代に生まれた。
異国の人は抹茶のシフォンケーキのセット、優月はコーヒーのみを頼んだ。
『日本のスイーツは世界一だと思っている。素晴らしい』
「センキュー。フーアーユー?」
『それより見てくれ。抹茶のアイスクリームも美味しそうだ』
何も答える気はないらしい。彼と出会って三十分も経っていないが、独壇場を作るのが上手い人だ。
数分で運ばれてきた抹茶のシフォンケーキや抹茶の写真をいくつか撮ると、彼は美味しそうに口の中へ入れていく。
やがて皿が空になると、にっこりと笑みを作り、サングラスを外した。
直感的に、彼に似ていると思った。
疑問が沸き続け、最後に残るのは警戒一色しかない。
『さて、お腹は満たされた。有沢優月君、君は私の正体を知っているかな?』
『なんとなく、そうじゃないかなというものはあります』
優月も端末を使って翻訳を返した。
自己紹介をしていない間柄であるのにもかかわらず、彼はこちら名前を把握していた。
『名前を名乗っていないのに、俺の名前を知っているということは、目的は俺ですか?』
『その通り。君の素性は調べさせてもらった。はっきり言うとね、あの子に近づくのはとても迷惑なんだ。東北の村に育った君は、とんでもない使命を背負っている。万が一の馬鹿げた可能性も起こり得る。そうなったら、どうなるか判るよね?』
村に伝わる因習や背負う運命についても彼は知っていた。
『それはあり得ません。俺は絶対に、あなたの大切な人は選びません』
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