第12話 リュカの出した答え

 落ち着け、と心の中でゆっくりと叫んだ。

 フルネームも家も調べられる手札は何枚も向こうにある。ここで言葉を間違えてしまえば、二度と彼に会えなくなる気がした。

『私の考えを言うと、君のお相手に適当な外国人を選べば、誰にも迷惑をかけなくて済む。外の国で野垂れ死のうが知ったこっちゃない。違うかい?』

『そんなこと……思ってません』

『じゃあ君は結婚相手に誰を選ぶ? 誰と結婚して、誰を不幸にさせるつもりだ?』

 息が苦しい。鼻で息ができない。心臓が泣き叫んでいる。

 すべて彼が正しいのだ。自分と一緒にいると、誰かが必ず不幸になる。なぜこんな運命の下に生まれてしまったのか。

『君にも優先順位があるように、私にもある。あの子が死ぬほど愛おしいんだ。これはお願いではないよ。強制だ』

『……………………』

『では、また会おう。ここのケーキは最高だった。次に君とこうしてまた味わえるときがあれば、もっと楽しい話ができていることを願う』

 男は伝票を持って立ち上がった。

 自分の分は自分で支払いたかったが、声が出なかった。

 ぬるくなったコーヒーは飲む気にはなれなかった。

 優月は立ち上がり、ふらふらとしながら店員にお礼を伝える。

 頭に平賀の顔が浮かんだ。彼がくれた優しさを無駄にしたくなくて、博物館へ戻った。

 アンティークドールたちが出迎えてくれているような気がした。

 すべて見て回った後、アンティークドールの小さな人形を購入した。キーホルダーサイズであり、鞄につけられる小さなものだ。

──博物館のチケットありがとう。楽しかった!

 当たり障りのないメールを送ると、

──それは良かった。また明日。

 と返事がきた。日常が戻った気がした。

 今できることは、明日に備えて休むこと。時間は待ってはくれず、世界中平等に進んでいく。




 残念ながらまた明日は続かなかった。

 ふらふらの身体に鞭を打ってもどうにも動いてくれず、熱を計れば三十八度に近い。

 置き薬を飲み、おとなしく布団に入った。食欲もなく、喉が痛みを発し水も通らない。

 こういうときは、誰かしら人の優しさを求めてしまう。枕元に置いていた端末を覗くが、誰からも連絡は来ていなかった。

 家族に連絡はできない。いろんな顔が次々と浮かぶが、パネルはスライドしていき大学の友人で止まった。

──風邪引いた。

 頭が覚醒しきれていない中でメールを送り、優月はそのまま意識を手放した。

 朦朧としながら目を開けると、金髪頭の誰かが目に入る。

「リュカさん……」

 手探りで彼の袖を掴んだ。部屋で寝ていたはずが、なぜか彼がいる。

「おい、俺だ」

「え? あれ……平賀?」

「そうだ。起きられるんならとりあえず飯食え。それとこれ飲め」

 テーブルには一人用の土鍋が置かれている。平賀は立ち上がると、コンロの上に置いて温め始めた。

「お母さん……ありがとう」

「誰がママだよ」

「それお粥?」

「ああ。卵粥に鮭フレーク混ぜただけ」

「どっちも好き。すごい泣きそう。人恋しかった」

「それ飲んで待っとけ」

 袋の中には、栄養ドリンクやスポーツドリンクも入っていた。

「つーか、お前の親戚は何もしてくれねえの?」

「いやあ……言ってないし。心配させたくないからね」

 心配するかは疑問だが、親戚に言うつもりはなかった。

「なんで袋が二つ?」

 もう一つには薬やスイーツが入っている。

「そっちは謎のヒーローから」

「誰? ヒーロー?」

「偶然会って、渡してくれって頼まれた。ご自愛下さい、だそうだ」

 ヒーローと聞いて知り合いの顔が次々と浮かんだが「ご自愛下さい」などとご丁寧な言葉を使う人は一人しか思い浮かばなかった。

 端末を見ると、平賀に送ったメールとは別にもう一人にも送っている。

「まさか…………」

──大丈夫ですか? 無理して学校へ行くようなことはしないように。

 「風邪引いた」という単調なメールはリュカにも送っていた。

「やってしまった……」

「俺は何も喋ってないからな」

「ああ、そうだな。俺がやらかしたんだ。……どうやってここに入れたんだ?」

「外に親戚のお兄さんがいて、遊びにきたって言ったらどうぞって入れてもらった」

「目から滝が流れそう。本当にありがとな」

「おう。じゃあ俺はそろそろ帰る」

 お粥は平賀の不良じみた見た目のインパクトからはほど遠い、優しい味だ。心の優しさがにじみ出ている。

 リュカの見舞い品である薬を飲み、もう一度横になった。

 次に起きたときには熱も引いていて、身体は怠いが立って歩けるくらいには回復している。

 体調も良くなると、昨日の出来事を考えられるようになった。

 謎の外国人はリュカと同じ血を分け合う人間だ。

 リュカは日本へ来て何かを探していて、それを昨日の外国人は知っている。優月自身は知らない。

 向こうは家族でこちらは他人だ。入り込めないものだって多くある。けれど片足を入れてほしいこともある。

 謎の外国人に会ったと伝えるべきか否か。大学のテスト以上に悩み、告げることにした。

──体調良くなりました。いろいろとありがとうございます。昨日、リュカさんの家族を名乗る人に会いましたけど、そっちに行きましたか?

 特に気にしていませんと装い、あくまでさらっと書いた。

 この日、リュカからは返事が来なかった。


 アルバイト当日、優月は小さな器に牛乳寒天を作って持っていった。

 裏口から入ると、中からリュカの声がする。いつもの穏やかな口調ではない。完全に怒りの声だ。必死に怒鳴るまいと抑えるはいるが、低く低くなる声色は電話越しの相手に容赦がない。

 電話を終えるまで廊下で待っていると、リュカが顔を出した。

「気を使わないで下さい。体調は良くなりましたか?」

「いろいろとありがとうございます。もう大丈夫です」

「少々お話があります。先日はうちの者がご迷惑をおかけして申し訳ございません。私の気持ちとしては、綺麗さっぱり忘れてほしいのです」

 やはり、博物館で会った謎の外国人は彼の家族だった。

 人生の岐路に立たされた気分だった。彼との関係がここで途切れるか繋がるか。

「……それがリュカさんの望みなんですか?」

「ええ、そうです」

「……………………」

 優月は悩んだ。どんな答えを出せば彼が傷つかずにいてくれ、最善の選択になるのだろうか。聞いてほしいがあえて突っぱねた場合は聞き返せばいい。けれど優月自身も触れてほしくないところはある。彼も同じではないのか、と。

 リュカは厳しい表情を緩めた。

「有沢さん、いいのです。あなたがそうして悩んで下さるだけで、私は果報者だと思います。ありがとうございます。私が話したくない理由は、あなたの負担を増やしたくないのです。あなたは意地でも動こうとする。そうすれば、私は自分の道を狭めることになる。あなたにとってほさあ最善の選択を言うなら『引き下がってほしい』です。その優しさだけで充分ですから」

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