第5話 ハーブティーの心得
「差し支えなければ、時給はいくらか教えて下さい」
「時給六百円です」
リュカは目を細めた。
「……ちなみに仕事の内容は?」
「茶摘みや工場での手伝い、掃除等ですね。離れの部屋を借りてる状態なので、家賃はかからないんですよ」
「ご飯はどうしているのです?」
「稼いだお金から材料を買って作ったり、おかずをお裾分けしてもらってます。余らせて弁当にして大学に持っていったりですね」
「一つ、提案があります」
リュカは人差し指を立てた。細く長い指だ。アクセサリーの類は何も身につけていない。
「現在、店は私がひとりで切り盛りしています。アルバイトを一名募集しようと考えていました。主な仕事内容は雑用です。フロアの掃除、飲み物やお茶請けの準備等。細々としたものも頼むかと思います。お客様とのやりとりは私が行います」
「骨董店でアルバイト……どうして俺なんですか? 専門的な知識はあるわけじゃないし、これだけ迷惑をかけてしまってるし」
「これを迷惑と呼ぶのならあなたは本物の迷惑を知らない」
日本語の滑舌は完璧で、どきっとした。彼のすべてが詰まっていた。これだけの日本語を覚えるのに、どれだけの苦労を重ねてきたのか。若くして骨董屋を開くのに凄まじい努力を続けているのか。
「俺、めちゃくちゃ興味があります」
「あなたくらいの年齢で骨董に興味があるのは、なかなかに珍しいですね」
「骨董もわりと好きですけど、あなたに興味があるって意味です」
うまく伝わらず、優月は言い直した。
リュカは後ろを向くと、何か独り言を呟きながら盛大な息を吐いている。
「目も宝石みたいだし、骨董が好きな理由も知りたいし、日本語が上手いなあとか、ミステリアスなところが特に気になってしょうがないです」
「もう判りました。それ以上は言わなくて結構です」
「ちなみにどこの国出身ですか?」
「…………ス、………………」
「え? なに?」
「……ヨーロッパです」
「ヨーロッパ……?」
リュカは一度大きく息を吸い、吐いた。
優月は出身地を言うのにここまで口が重くなる人を初めて見た。
「イギリスです」
「イギリス! あ、だからミルクティーが好きなんですか?」
「正確には日本で生まれたロイヤルミルクティーですが、ハーブティーをとても好みます」
「前にピンク色のハーブティーを飲んだことがありましたけど、酸っぱいだけで美味しくなかったんですよね」
リュカの目の色が変わった気がした。
「飲み慣れていなければ、ハーブティーは癖が強いです。来なさい」
早歩きで部屋を出る彼の後ろをついていく。
案内された場所は、簡易キッチンのある部屋だ。コンロが一つある。
驚いたのは、簡易キッチンではない。棚にはびっしりと瓶が並んでいる。
「ここ、お茶専門店でしたっけ?」
「いいえ、骨董屋です」
ジョークには真剣な言葉で返ってきた。
瓶の中は乾燥したハーブだ。店主のこだわりが見て取れる。缶は紅茶の缶だろう。読めない言語で何か書いてある。
「飲みやすいハーブティーをごちそうしましょう」
優月はまさかとは思っていたが、予想は当たった。彼はハーブから自分で調合している。
ハーブAとハーブBを調合し、ポットに入れる。お湯を注ぎ、砂時計を逆さまにした。
「ミルク? 入れて飲んでいいんですか」
「もちろんです。砂糖もミルクもご自由に」
「こういうの好きな人って、まずはストレートが基本だとか言うイメージだった」
「そばやとんかつをそのまま食べてろは、お客様に対する冒涜です。好きに食べるのが一番美味しいのは間違いありません」
「何か嫌な思いをされました?」
「…………特に何も」
気になるが、ミルクもすすめられたので入れて飲んでみることにした。
「すごい。飲みやすい」
「有沢様が飲んだのは、おそらくハイビスカスかと思われます。そのままでは酸味が強いので、砂糖や蜂蜜を入れて飲むのが美味しい飲みやすいかと」
「蜂蜜! そういうのも入れていいんですね」
「ハーブティーとアルコールを混ぜて作るカクテルもあります。美味しいと感じる飲み方が一番正しいです」
とんかつそば論争は永遠の話題だ。某チョコレート菓子の戦いのように、一生決着がつかない。だがここで終止符を打ってくれる男が現れた。結論「好きに食べろ」。これが心理だ。
「ちなみにこれ、なんていうハーブですか?」
「カモミールとタイムです。カモミールはリラックス効果、タイムは殺菌効果があり、風邪予防としても広く認知されています」
「骨董やアンティークの知識に加えて、お茶の知識もあるんですね。多分、いや絶対に工場でバイトしてる俺よりお茶について詳しいですよ。」
気になる点は山ほどあるが、今一番言わなければならないことがある。
「俺のこと、有沢様って呼ぶのやめてもらえませんか? ここで働かせてもらうとなると、もうお客さんじゃないんだし」
「では……ゆ、いえ、有沢さんと」
「ええ? 優月でも全然……」
「有沢さんで」
「それでいいです。俺はリュカさんって呼ぶことにします。こう呼ばれたいってのはあります?」
リュカの眉毛が下がり、口角が上がっている。いわゆる『天使のほほえみ』だ。
「こんな綺麗に笑う人っているんだな」
「有沢さん、あなたは心の声をいちいち発言しなければならないのですか?」
「……声に出してました?」
「自覚がないようですね。先ほど、骨董の知識はそれほどないのになぜここでアルバイトを、という疑問がおありでしたのでお答えします。わざわざお金を返しにくる誠実さ、心の声を漏れるのは短所にもなり得ますが、それよりあなたの美学だと感じています。知識より心です」
「そういうものですか」
「とはいえ、ハーブティーも美味しいと本心を語ってくれました。これからどうぞお願い致します」
「それが本心にも聞こえますが、どうぞお願いします!」
「一応、次回いらっしゃるときまで履歴書をお願いします」
人が人を避けていたと高岡は言っていた。だが、彼自身も人を避けているようにも見えた。
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