第24話 家族の絆
大学を出て駅へ向かおうとした矢先、小さな少女が一人で佇んでいた。
どこかで見たことがあると記憶を探ると、数日前にライブ会場の裏口で男性に襲われそうになるのを助けた─向こうは襲われたと勘違いしている可能性がある─子だ。
「お兄ちゃん、待ってる?」
声をかけると少女は驚くが、怖がってる素振りは見せない。
「あのときの……」
「そう、あのときの。びっくりさせてごめんね」
「助けてくれて、ありがとうございました」
少女は助けられたと思っていたらしい。優月自身はともかく、兄である平賀は感無量だろう。
「怪我なくて良かったよ。お兄ちゃんに用だよね? 呼ぶね」
平賀へ電話をかけると、飛ぶように大柄の男が向かってくる。
「音兎!」
手がさまよっているのがおかしかった。本当は抱きしめたいのだろう。
「この前はありがとう」
「音兎ちゃん、誤解してなかったよ。助けてもらったって思ってるみたい」
「そ、そうか……」
「お母さんに内緒で来た。本当はお兄ちゃんに会いに行きたかったのに、だめって」
「またいつでも会える。会いにいく」
「本当に?」
「ああ。今日、仕事はないのか?」
「アイドルは一週間に一、二回とかだから」
「自分の意思でやってるんだよな?」
平賀は恐る恐る聞く。
「うん。高校生くらいまではやりたいって思ってるの」
ここで大人に無理やりやらされているとでも答えたなら、平賀は事務所に火をつけかねない勢いで向かうだろう。
大人の事情ではないにしろ、平賀の顔は冴えない。大人たちに囲まれる妹を見ては、いくらステージで輝いていたとしてもいい気分にはなれない。
「お兄ちゃんってどうして名前取ったの? お揃いだったのに」
「お揃い?」
名字が違う件かと思ったが、平賀は何も言わない。
「そのうち説明する。……音兎、送っていくよ」
「ママが京都駅に迎えにくることになってるの」
「じゃあ駅までだな」
「ママに会ってく?」
「いや……やめておく」
きっぱりと平賀は断った。
母親が家を出たと話していたが、相当に複雑なものがあるのだろう。
「そんな顔をするな。母さんが嫌いなわけじゃない。会う約束もしてないし、第一俺に会いに来ることも伝えてないんだろう? 音兎の立場が悪くなるだけだ」
ステージ上の大人びた顔とは違い、とても子供らしい表情だった。
平賀の妹としても彼女の考えを尊重したいが、知らない男性たちに囲まれる姿を見ると、頑張れなどと出てこなかった。
当たり障りのない挨拶をして音兎を京都駅まで送り、平賀と別れた。
平賀の様子がおかしいと感じたのは、妹と別れてからではない。名前に対して突っ込まれてからだ。
講義の後、教授の高岡に呼び止められ、研究室へ向かうことになった。
「あれ? 平賀も?」
「そう。平賀君も一緒に。書類の整理してくれるなんて助かるよ! ありがとう、平賀君、有沢君!」
「俺、今聞いたんですけどね」
「北海道のお菓子を出すから頼むよ」
「北海道に行ってたんですか?」
「そう、遺跡から見たこともない壷らしきものが発見されてね。知り合いの教授だったし僕も興味があったから」
「教授、コーヒー下さい」
「はーい」
長くなりそうで、平賀は良いタイミングで話を切った。
「有沢君の薬指はどういうこと?」
「あー……はは、まあこういうことです」
「恋人できたの?」
「そんな感じです」
一から説明となると月の神子の話にまで発展する。地方の風習や因習にも興味があり精通している彼のことだから、根ほり葉ほり聞かれるだろう。そうなればリュカの話もしなければならなくなる。
「今の若い子ってすぐに指輪とか渡すんだねえ」
「人によりけりですよ。それより、行かなくていいんですか?」
「そうだった! じゃああとは書類の整理よろしくね!」
嵐が去ったが、薬指に突き刺さる目はまだある。
「おめでとう」
「そういうことじゃないんだって。説明するのがめちゃくちゃ難しいんだけど。ヴォイニッチ手稿並みに難易度が高いんだ」
「高岡教授には言わない方がいいぞ」
「そりゃあ言わないよ。リュカさん、俺と同じのつけてるし。これ、家族の証だと思ってくれたらいいから」
絆と呪いは紙一重だ。切っても切れない関係性は良くも悪くも人の心次第である。
少なくともリュカは率先して指輪をつけた。美しい繋がりだと思いたい。
指輪が熱くなった気がして外した。内側にはムーンストーンがついている。磨いた指輪は光を取り戻していた。
「いろんなことが目まぐるしく起こって、頭がぐちゃぐちゃなんだ」
「ほう。悪いことか?」
「良いことも悪いこと……かどうかは何とも言えないけど。ああ……家に帰りたくない」
平賀の前だからこそつい心に閉じ込めていた愚痴が漏れてしまった。
「喧嘩でもしたのか?」
「従兄弟の兄貴のことなんだけど、いきなり壁際に追いつめられて、顔近づけられてさ……」
鬼の顔が目の前にあった。ただでさえ迫力があるのに、怒りの顔は威圧感がある。
「何かされたのか?」
「いやいやいや、無事だって! うまいこと切り抜けたんだ。指輪の相手について相談しなかったから、相手は誰だってなって……」
平賀は端末を取り出し、誰かにメールを送っている。
「向こうは謝罪も何もないのか?」
「ない。むしろ俺が謝らなきゃいけない雰囲気なんだ。頭下げて丸く収まるならそれでいいけど、俺自身、兄貴が怒った理由をちゃんと把握してないから、余計に怒らせる可能性があるんだよな」
「今日、俺ん家に来る?」
「いや、大丈夫。俺が住んでいるところは本家じやなく離れの家だし。きっちり鍵を閉めておくから、多分大丈夫」
多分としか言えないのは、もし合い鍵の存在があった場合だ。どの家だって二つは常備してある。それを使って入られたら、どうしようもない。
かといって友人の平賀に迷惑をかけられない。いざとなったら家を飛び出し、アパートでも借りるつもりでいた。
無心でパソコン作業をこなし、北海道のお菓子を食べつつ、コーヒーを二杯飲んだ。
なんだかハーブティーが恋しくなった。
「本日はなんだか元気がないですね」
眉毛をハの字にし、リュカは訊ねてきた。
「こっそりため息をついています。何かありましたか?」
「リュカさん……」
男に襲われかけました、など恥ずかしくて言えなかった。
「従兄弟の兄貴と、ちょっと喧嘩してしまって」
「喧嘩? あなたがですか? 珍しいですね」
「そうですか?」
「弟の月斗さんから不本意な言葉を投げかけられても、あなたは笑って見過ごし、なおかつ月斗さんの心配をしていました。これを優しさと取るかは人によりけりでしょうが、そんな優月を見てきたからこそ、喧嘩とはほど遠い存在に感じます」
「俺も喧嘩くらいしますよー……多分」
思い返せば、あまり兄弟喧嘩はしたことがなかった。
月斗にきつく当たられることはままあっても、月を背負う運命であるがゆえに仕方ないと同情心が芽生えてしまう。
「体調が悪いなら、本日は早めに切り上げましょう。ご予約のお客様もいらっしゃいませんし」
「大丈夫ですって」
「ならば、私の都合で店を閉めます。お給料はちゃんとお支払いしますので」
「それは駄目です」
「……フロアの掃除をお願いします」
「はーい」
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