第25話 裏切りにさようなら
掃除を終えたあと控え室に戻ると、リュカは誰かとメールしていた。邪魔しないようにこっそり入ると、何を遠慮している、と言わんばかりの目で見られた。
「帰りは送っていきます」
「何もそこまでしなくても……」
「私がそうしたいだけです。帰りましょう」
うまみだけで生きていくタイプではない彼。優しさが棘となって全身に突き刺さる。心が痛いのは、喧嘩したなどと嘘をついたからだ。
優しさをまとって歩く彼に、どうしようもない罪悪感が生まれた。
リュカの左手の薬指には指輪がある。唯一無二の繋がりだ。
駅でお別れかと思いきや、リュカは家までついてくるという。
従兄弟と会いませんようにと強く願った。
「送ってくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして」
お茶くらいごちそうしたかったが、できれば従兄弟とはち合わせにさせたくない。
リュカが去っていく寂しさはあるが、気を引き締めてから自分の家に戻ろうと足を進めた。
「よう」
鍵を取ろうと鞄をあさっていると、物陰から大地が現れた。
手に鍵が触れるが、優月は取らずに彼と向かい合う。
「そんな顔するなよ。この前は悪かった。仲直りしたくて待ってただけだ」
伸びてくる大地の手を払いのけた。
「ちょっとからかっただけなんだ。許してくれ」
「からかっただけ?」
キスされそうになったのは事実だ。からかいで行う行為ではない。
「月の神子は渡さないって言ったけど、あれどういう意味?」
「あー……そのまんまだ。月の神子を大切に扱った人に幸福が訪れるって聞いたことがあってな……」
後ろめたいためか、大地は目を逸らして頭をかいた。
「幸福? そんな伝承なんて聞いたことないぞ」
「けど、俺は確かに聞いた。お前ん家に何度も行ったが、親戚は大切にすれば運が上がるとも聞いた」
大地はいたって真剣だ。
歴史とともに伝承のずれが起こるのはこういうことなのかもしれない。酔っ払いの戯れ言程度で、早く結婚させたいがために親戚はホラを吹いた可能性が高い。優月自身は寝耳に水だ。
「嘘だって言いたいのか?」
「そんな話、俺は本当に何も知らないんだ」
「なんだよ……くそっ……優しくして損したぜ」
大地は耳を疑う言葉を吐き捨て、地面を蹴った。
「今まで俺の世話を焼いてくれてたのも、それがあったからなのか?」
「決まってるだろ。神子の結婚なんてしょせんは風習でしかないんだから、お前を手に入れて俺は女と結婚すりゃあ幸せになれたんだよ」
頭が真っ白になった──。
味方だと思っていた人が、長い間の裏切りでしかなかった。
風習は人々の生活を安定させ、滅びをもたらす。失うものも数多くある。今、まさに証明された。
「俺のものになるんなら、大学卒業してからもタダで家を貸してやってもいいぜ。親からもらったアパートの部屋がある。俺のために祈って、相手をしてくれるんなら……」
大地の目線は優月の後ろにあり、背後を見た。
亡くなった母親の顔より見たであろう、顔。
怒りに満ちたリュカの姿がそこにあった。
リュカは一度深く息を吸い、吐いた。すると、いつもの優しい笑みに戻る。
「うちの者がお世話になりました」
リュカは大地に対し、まったく心がこもっていない礼をした。
「うちの者だと? お前なんだよ! こいつは俺の従兄弟で……」
「従兄弟? 繋がりは幸せをもたらすものでもあり、呪いでもある。優月とあなたとの関係は、後者ととらえています。あなたのために祈りを捧げ、望みもしない相手をさせられるなど、屈辱にも程がある」
「やあだ、何の騒ぎ?」
本家から伯母が出てきた。リュカを見つけ、固まっている。
人間は恐ろしいものを見ると声が出なくなるというが、美しすぎるものを見ても同じ反応をするらしい。
「リュカ・ラヴィアンヌと申します。儀式の相手……といえばご理解頂けるでしょうか」
リュカはミドルネームすら名乗らなかった。
伯母の顔が引きつっている。彼女は月の神子を毛嫌いしているため、相手になるなど考えられないのだろう。
「優月はまだ大学生です。こちらで引き取らせて頂いてもよろしいですか?」
「引き取る? この子を?」
「ええ。優月を、です」
「それは構わないけど……」
伯母はこちらを見やる。心配そうな顔をしているが、返事は早い。
「引き取るって……俺、リュカさんのところに行くんですか?」
「私の住まいにです。空き部屋はありますが、いかがでしょう?」
リュカの好意を無駄にしたくはないし、なによりもうここへは居られない。目の前の男に襲われかけたのだ。
「行きます」
「では、荷物は明日にでも取りにきます。着替えのみ持参して下さい」
早くギスギスした空間から逃れたくて、優月は急ぎ足で部屋に入る。適当にひっつかんだ衣類を鞄にまとめた。
一触即発状態の中、リュカだけは何食わぬ顔でスマートに立っている。どんな状況でも、絵になる男だ。
「お世話になりました」
たとえ気が合わなくてもどんな扱いを受けようとも、親族で世話になったことに変わりはない。
リュカは繋がりとは幸せを繋ぐと言った。同時に、呪いを並べた。伯母にとっては呪いだ。呪いで繋がれた親族など、家族とは呼べない。
それは仕方のないことでもある。自分にない世界は、脅威でしかない。受け入れてほしいとも思わない。ただ、そっとしておいてほしいだけだ。
「行きましょうか」
のんびりとした口調はどんよりした空気を切り裂き、少し心が穏やかになれた。
行き先はリュカの家だろうが、どんなところに住んでいるのかと緊張が走る。
「顔を上げて下さい。そんな顔をされた状態で家に迎えるのは、家主として気分の良いものではありません」
「迷惑じゃありませんか?」
「迷惑であれば私の家に来なさいなど、言うはずがないでしょう。気に入って下されば嬉しいです。猫はお好きですか? アレルギーなどはありませんか?」
「ないですけど、猫飼ってるんですか?」
「飼育しているわけではありませんが、庭へたまに現れるのです。ひなたぼっこするのが好きなようで、井戸の上でよくお昼寝をしています」
「井戸」
「菜園の作物に悪さをするわけではないので、そのままにしています」
「菜園」
想像もしていなかった単語が次々と出てきて、優月は目を丸くする。
タクシーに乗り、信号に引っかかりながら京都駅からいくつか離れた駅で降りた。
「優月、料理は得意ですか?」
「夕飯なら俺が作ります」
彼の生活が垣間見えたところで、カゴの中へ次々と放り込んでいく。
魚は焼けますか、食べられないものはありますか、など当たり障りのない質問が飛んでくる。包丁捌きの腕前はいかほどですか、と聞かれたときは、俄然、料理が楽しみになっていた。
「普通にできるって程度で、プロの腕前は期待しないで下さいね」
野菜をあまり購入していないところを見るに、畑を想像していささか足が速くなった。
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