第26話 必要な人

「ようこそ、我が家へ」

 懐かしさを漂わせている平屋建ての古民家だ。古いとだけ印象を与えないのは、朽ちかけてはおらず手入れをされているからだろう。

 庭にはビニールトンネルが連なっている。広くはないが、小さな秘密基地は存在していた。

「全部リュカさんが作ったんですか?」

「そうです。あまり手間のかかる野菜は育ててはいません。仕事で家を空けることが多いので、ある程度楽に育てることができるものばかりですが」

「奥にあるのが井戸?」

「ええ。猫は来ていないみたいですね」

 お邪魔します、と忍び足で庭に入らせてもらう。野菜を育てるには土も作らねばならず、踏みつけるのが無礼に当たる気がした。

 井戸には木板がしっかりと留められている。

「本当は井戸から水を引きたかったのですが、いろいろと手間が大変なようで諦めました。猫がやってきて井戸に上ろうとするので、蓋をすることにしたのです」

「落ちたら危ないですもんね。ビニールの中って何を育てているんですか?」

「小松菜や根野菜ですね。季節によってはほうれん草なども育てます。あまりうまくはないので、初心者でも育てられる野菜が多いです」

 リュカはビニールトンネルの中へ手を入れて、いくつか野菜を引っこ抜いた。

 家の中へ入ると、真新しい木の香りがした。長い廊下にいくつか部屋があり、襖で仕切られている。

「良い香りですね」

「さすがに古かったので、リフォームした部分もあります」

「ああ、それで。新築の匂いだなあって思いました」

「お部屋に案内します。と言っても、空き部屋が多いのでお好きな部屋を使って頂いて結構ですよ」

 いくつか見せてもらった中で、リュカが使用する部屋から一つ離れたところを貸してもらった。

 障子を開けると、内庭がある。こちらはあまり手を加えていないのか、雑草も伸びに伸びて先が少し枯れかかっている。

 荷解きというほど物は持ってきていないので鞄だけ置き、次は台所へ案内してもらった。

「さて、ここであなたに話さなければならないことがあります」

 リュカはせき払いをして、冷蔵庫へもたれるように立った。

 何をしても様になる男である。本来とは違う使い方であるが、きっと冷蔵庫も本望だろう。

「言い訳にすぎませんが、私は苦手なものも多々あるのです」

「料理、苦手なんですか?」

 微妙な空気に混じり、リュカの顔が引きつった。

「水を温める程度はできます。ハーブティーも似た要領で作りますから」

「野菜はどうやって食べてるんです?」

「茹でます。生で食べられるものは、引きちぎってサラダにします。……優月、」

「なんでしょう」

「鍋が食べたいです」

「住まわせてもらうんだから後々言おうと思ってたんですが、家事は俺にやらせて下さい。あと家賃も払わせて下さい」

「格安で譲って頂いた家ですから、家賃はいりません。ですが仕事を頼まないとあなたも居づらいでしょうから、ご飯の準備をお願いしたいです。あと、私は仕事で家を空けることもしばしばあります。そのときは庭の野菜を見て頂けますか?」

「任せて下さい!」

 鍋は一人暮らしのときもよく作っていた。味も変えられるし栄養も摂れる。

 先ほど収穫した野菜やスーパーで購入したものも使い、キムチ味の鍋を作った。

 うどんもある。締めに食べようとしたら「一緒に食べたい」と言うリュカの要望通りに、一緒に茹でた。

「イギリスでもずっと、野菜を育てていたんですか?」

「こういうことは許されませんでしたから。私たちにできることと言えば、食べるだけです」

「料理も?」

「ええ、キッチンにすら立たせてもらえませんでした。使用人のやることだと言われていましたので」

 口に含んだものが出そうになる。

「損得や店と客のような対価の関係なしに、こうして作ってもらえるのはとても……暖かいです。優月は『住まわせてもらうだけでは悪いので夕食を作った』という思いのみで作れる利己的な人ではありませんから」

「自己中な人間かもしれませんよー、俺」

「ありえませんね」

 リュカはきっぱりと告げる。

 お人好しなのはリュカだ。東北の田舎にやってきて儀式を行うなど、いくら彼なりのうまみがあったとしても簡単に決められることではない。

 箸にうどんが絡まれるが、目が霞んですり抜けてしまう。うまく掴めないため、冷蔵庫からキムチを取ろうと席を立った。

「明日は何を作りましょうか」

 そう言う声が、とても震えていた。

 従兄弟の件を聞きたいだろう。彼はこちらから話さないと聞こうとしない。

「優月」

 冷蔵庫の前で立ったまま動けないでいると、リュカは背後に立った。

 頭に乗った手のひらは左右に動き、我慢できずに頬を濡らした。

 彼の前で何度泣けば気が済むだろうと思いつつも、従兄弟の辛辣な思いや伯母の冷えきった態度は涙とともに流したかった。

「なんで……っ……、兄貴もおばさんも……俺のことが嫌いなのかなあ……月の神子は……そんなに生きてちゃいけないのかなあ……」

「親族の方には不必要だったのだと思います。けれど、私にはあなたが必要です。優月は全世界の人間から必要とされたいですか?」

 優月は首を横に振った。

「それでいいではありませんか。それに血の繋がりがすべてではありません。それは私が証明しています」

「あんなに……嫌われてるとは……っ思わなかった……」

「私はあなたのことを好いていますので、お忘れなく」

 瞭然とした物言いである。

 心が弱っているとポジティブよりもネガティブな言葉を信じてしまうが、今はリュカの言う言葉を誰よりも信じられた。

 冷蔵庫ははた迷惑と思っているのか、中でコンプレッサーの低い音を鳴らし続けている。




 身体に重みを感じた──。

 身じろいでみても身体が動かず、優月は眉間に皺を寄せつつ苦しげな息を吐いた。

「ハァイ!」

 突然、明るい声が振ってきて優月はまぶたを開けた、

「……………………」

「ハァイ!」

「なぜ、ここに?」

「手伝いにきたのさ!」

 大柄の男─リュカの兄であるオリバー─が腹部に乗っている。

「優月、起きましたか? 入ってもいいですか?」

「どうぞ! むしろ来て下さい!」

 襖が開くと、穏やかな顔のリュカは固まり、ナメクジを見るかのような目になった。

「何をしている」

「ちょっとしたイタズラさ。何をしても起きないんだから」

 ようやく重みが退き、深く息を吐いた。当たり前に酸素を吸える有り難みを知った。

 枕元の時計に目をやると、寝る前にセットしたはずのアラームが止まっていた。

「眠りの邪魔をしちゃいけないと思ってね。止めておいたよ!」

「余計なことはしないで下さい……完全に寝坊じゃないですか」

「大学は休みだから構わないだろう? 今日の朝食はルークが作ってくれたのさ。心して食べようか」

「リュカさん、寝坊してすみません。準備ができたらすぐに向かいます」

「どうぞごゆっくり。オリバー、あなたは部屋から出ろ」

「はいはーい」

 日本語が完璧な英国紳士に囲まれて、優月は久しぶり騒がしくなりそうな朝に実家の家族を思いだしていた。

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