第2話 呪いの指輪

 降り続く雨の中、彼は帰ろうと踵を返した。

「あ、高岡教授、俺帰りますね。また明日」

 優月も荷物を背負い、骨董商リュカの後ろ姿を追いかけた。

「あの!」

「はい」

 来るのは判っていましたよ、と言わんばかりにリュカは振り返った。

「リュカさんって、アクセサリーにも精通しているんですか?」

「アクセサリーというより、アンティークです。日本語でいうと、骨董品。巷で流行るようなものは、知識として持っておりません」

「鑑定士でもあるんですよね?」

「左様でございます」

「今日持ってきてないので、お店に持っていきます。いつなら会えますか?」

「鑑定と査定の両方をお求めですか?」

「違いがあるんですか?」

「鑑定は本物か贋作かを見極めること、査定は金額や等級などを決めることです。鑑定に査定も含む意味合いとして広く使われているようですが、私は別だと判断しています。買い取りも行っておりますが、品物のお売りが目的ですか?」

「ええと……そうですね……いやそうじゃないといいますか……」

 考えもみなかった。彼は商売人であり、買い取り希望の客がいれば、当然そういう話になる。

 深く深く考えれば、売りたいわけではない。でも手元からなくなってほしい。

「有沢様のご様子を察するに、売却をお望みではないようですね」

「……………………」

 黙って見つめているとリュカは微笑み首を傾げた。何をしても様になる男だ。そしてこの男は、人に見られているときの返し方に迷いがない。慣れすぎている。作られた笑顔は、ひどく悲しい。

「なにか?」

「名前、名乗りましたっけ」

「先ほど、高岡様がお呼びになっていましたので。異なりますか?」

「合ってます。有沢です。どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、リュカ・T・ラヴィアンヌと申します」

 横文字を口にしつつ、懐から名刺を差し出してきた。作法がいまいち判らないので、お辞儀をして両手で受け取る。

「こちらは私の連絡先と地図です」

 もう一枚、紙を渡された。電話番号も記されていた。

「ではまた。本日は助かりました」

「え?」

 何も助けた覚えはないのだが、骨董商は深々とお辞儀をし、雨の中を颯爽と歩いていく。傘やタオルを貸したわけではない。何かを手伝ったわけでもない。

 疑問を残した骨董商は、すでに消えていた。




 骨董屋『Tale』。それがリュカの店の名前だった。祇園の裏道にひっそりと佇み、看板は古びた印象よりもアンティークという洋風なイメージを受ける。

 扉はロックがかかっていた。一般の家のようにインターホンがあり、優月はボタンを押す。

『お待たせしました。骨董屋Taleでございます』

「有沢です」

『お待ちしておりました』

 妙に滑舌の良い声が身体を硬直させた。

「有沢様、お久しぶりでございますね」

「二度と会えないかと思いました」

「なぜです?」

「なんだか、消えてしまいそうな感じがしたので。というか、大学で俺の前から風みたいに消えたし」

 リュカは何も答えず、店内へ招かれた。

 想像している店とはまるっきり違う。骨董屋といえば、壷やら価値の判らない壁掛けやらが飾ってあるイメージだが、ほとんど何も置いていないのだ。

 ガラスケースにはいくつかアクセサリーがあり、壁には時計がある。それくらいだ。売る気はあるのか、本当に店なのかと勘ぐりたくなる。

 さらに奥へ案内されると、これもまた呆気にとられた。

「商売で使う部屋です。お茶をお持ちしますね」

 部屋はシンプルで、テーブルにソファーが二つ、それだけだ。もう少し何か置くべきではないか、と余計な言葉をかけたくなるほどシンプル。

「いかがいたしました?」

 リュカはトレーにカップを持ってやってきた。

「いやあ、簡素な感じが良い部屋ですね。これで高い壷でも置かれたら、緊張がさらに最高潮になるところでした」

「ほぼ予約制の店です。事前にお客様がお求めの商品をいくつかご用意し、こちらで商っております」

「ああ、そうだったんですね」

 リュカが持ってきたカップアンドソーサーだが、ソーサーは横長でカップのないところにはクッキーが添えられている。

「面白い形ですね」

「ありがとうございます」

「それで鑑定の話なんですけど、」

 優月は正方形の箱を出した。リュカはカップを置く。

 そこで気づいた。仕切り付きなのは、お茶を飲む場所と骨董品を置くところを分けるためだ。

「指輪、ですか」

「古いものなんですけどね」

 優月は指輪を彼に差し出そうとするが、

「まずはお茶をどうぞ」

「あ、はい」

 水色はミルク色。香りは爽やかな香りがした。おそらく、ハーブか何か入っているミルクティー。

 ペットボトルのミルクティーしか飲んだことがなかった。茶葉の香りが鼻を通る。ミルクの味はしっかりするが、紅茶の邪魔をしていない。

 あまりの美味しさに、一気に喉を潤した。

「すごい……こんな美味しいの初めて」

「良い飲みっぷりに、こちらも嬉しくなります。緊張は解れましたか?」

「はい。だいぶ。めちゃくちゃ美味しかったです」

「では、そろそろ本題に入りましょうか」

 リュカは白い手袋をはめる。骨董商としての顔だ。紅茶を美味しいと褒めたときの顔も麗しいが、感情を抜けきったような仕事人になる瞬間こそ、この男の魅力を発揮していた。

「こういう鑑定のときって、どこで手に入れたとか、いつ買ったとか聞いたりするんですよね。でも答えたくないんです。ただ古いもので、呪いの指輪なんです」

「呪いですか。これはまた物騒な話ですね。漢字では『まじない』とも読みますが、有沢様のご様子から察するに、あまりよろしくない意味が含まれているようですね。……ムーンストーンですか」

「本物の宝石かどうかも判らないですけど」

 優月は骨董品とアンティークの違いすらいまいち判っていなかった。

「骨董品とアンティークの違いってなんですか?」

 意を決して聞いてみる。

「百年以上前に作られたものであり、日本ではアジアで作られたものを骨董品、ヨーロッパで作られたものをアンティーク。言葉の使い方でだいたい大まかに分けられていますね。ちなみにヴィンテージは、製造されてからある程度年数が経ち百年未満のものを差しますが、明確な基準はないです」

「へえー」

「古代インドでは、ムーンストーンは月光が結晶化したものだと信じられていました。中世ヨーロッパでは、恋人同士贈りあったりしていた石でもあります」

「貴重なんですか?」

「当時はなかなか取れませんでした。……本当に、月の光を集めたかのような石です。シラー効果が見られますね。ムーンストーンの中でもかなり高価なものかと思います」

「シラー効果?」

「光の反射などで色が変わる現象です。イギリス製で、十九世紀後半あたりの指輪かと思われます」

「イギリス? なんで俺の家にあったんだろ」

「先人が購入されたか、特注で作ってもらったか……。どちらにせよ、大切になさって下さい」

「ありがとうございます」

「査定は行いますか?」

 答えなど判りきっている。リュカの顔はそう告げていた。

 気にはなっていたが、値段を告げられてしまったら、それが呪われた自分の運命を決められているようで、聞くべきではないと思った。一億だろうが百億だろうが、どんな数字を告げられても値段に見合う価値はない。

「……やめておきます」

「一つお尋ねしますが、あなたは品の値段が物の価値だと思いますか?」

「価値……難しいですね。あまり世に出回らない稀少なものほど高い値段で取り引きされてますし。魚だとフグが高い」

 一人暮らしではまずはお目にかけるものではない、と自信満々に言う。

「左様ですね。まさか魚を出されるとは思ってもみませんでしたが」

「はは…………」

「魚も野菜も果物も、世に出回らないほど稀少価値は上がりますし値段も相応につけられます。ですが『価格とは自分が支払うもの、価値とは自分が得るもの』という有名な投資家の言葉があります。こちらの商品をただの指輪だと思う人もいれば、あなたのように呪いだとおっしゃる方もいます」

「つまり、価値は自分にとってのものってこと? 人によっては落ちている石でも価値を感じる人がいるってことか」

「そういうことです。値段イコール市場価値となりうる話であっても、値段イコール個人の価値ではございません故」

「ほんっとに日本語上手ですね」

「恐れ入ります」

「美人だし」

 リュカの目は細められた。喜びでもない、得体の知れないものが宿ったように、見たことのない表情だ。ダイヤモンドダストが見える。空気が凍っている。

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