第33話 優しい嘘と本音
「普通に遊ぶのはだめなんですか? どうして賭けをしなければならないんですか?」
彼女は押し黙る。これは意外な反応だった。てっきり、なんとしてもリュカを自分のものにしたいから、と地団駄を踏むと予想していた。
「賭けなしで遊びましょうよ。俺、あまり上手くないですけど」
チェスはアプリのゲームで遊んだ程度だ。ルールのみ把握している。
「モニカお嬢様、お客様をおもてなしをするのがマナーですよ。はるばる日本から来て下さったのです」
リュカの乳母であるケリーはお代わりのお茶を持ってきた。
リュカだけハーブティーなのを見ると、彼の好みを熟知しているのだと察する。
「いいわ。私が相手をしてあげる」
チェスの駒を並べていると、リュカが手を伸ばしていくつかの駒を並べ替えていく。間違っていたようだ。
優月としては、モニカの隣も空いているのにもかかわらず、当たり前のように隣に寄り添ってくれる彼の存在が心強かった。
「もしかして、ルール知らないの?」
「あまりやったことがないです」
「それで私と戦えるとでも思っているわけ?」
モニカは呆れた顔でふんぞり返った。
「ルークは教えちゃだめよ」
「ゲームが始まったら戦略に関しては口出ししません」
先攻をどうぞ、とモニカの言葉を合図にゲームはスタートした。
「なによこれ……」
モニカは盛大にため息をついた。
「弱い……弱すぎるわ」
「強いと言った覚えばありませんよ」
多少のルールを把握した程度の優月では話にならず、結果は惨敗だった。
リュカはゲームが開始してから、一切の口を挟まなかった。
「次はビリヤードで対決しましょう」
「私は相手をします。優月は少しお休み下さい」
「そうしてもらえると助かります」
無惨な負け方であっても使った頭を休めたく、リュカの申し出を有り難く受け取った。
リュカとゲームは結びつかなかったが、それは知らない一面があっただけだ。
構えるリュカを見ていると、いつの間にか口が開いたままになっていた。
手つきは慣れているが繊細で、豪快にボールを打ち落としていく。迷いがまったくない。
ゲームはリュカの流れに乗ったまま、圧勝だった。
「リュカさん……ビリヤード上手かったんですね」
「幼少の頃からオリバーに鍛えられました」
すん、とした表情は王の余裕すら感じられる。
ケリーに夕食を呼ばれると、いったんゲームはお開きとなった。
「食後にもう一度勝負よ」
「夕食後は母君が迎えに来る予定となっているはずですが、悠長にゲームをしていて良いのですか?」
「お嬢様、もう充分に楽しまれたでしょう? まずは食事のお時間でございますよ」
ケリーにも背中を押され、モニカは渋々娯楽室を後にした。
「できるだけ食事の時間を引き延ばして下さい」
「判りました」
リュカは優月の耳元で囁いた。
時間を伸ばし、食事後のゲームをさせないためだろうと察する。
優月が何かするまでもなく、夕食はオリバーの独壇場だった。
頼んでもいないのにいきなり手品や人気アーティストの物まねを始めたりと、その場の空気を盛り上げようとした。
知っている曲だったので、優月も一緒になって歌を歌ったりもした。
リュカが優月のワイングラスをちら見していたのは、意外な一面見せたせいで酔っているのか気にしているからだろう。優月はグラスにひと口つけただけで、ほとんど飲んでいない。
料理の味は、ホテルで食べたものと比べると個性的な味だった。スープや肉は薬膳のような味がし、塩味がそこそこ利いている。
廊下では誰かの声がした。食堂へ入ってきたのは、モニカと同じ癖のあるブロンドヘアーを一つにまとめた女性だった。
「モニカ、また無理を言って迷惑をかけたのね」
「違うわ。私が遊んであげたのよ」
女性はモニカと言い争いを始めてしまい、
「彼女はモニカの母親です」
とリュカは呟いた。
「優月、不本意でしょうが、あなたを私の婚約者だと告げても構わないでしょうか。向こうがこじれる前に、こちらでこじらせてしまいたいです」
「どうぞどうぞ。不本意とかないですよ」
リュカはせき払いをして立ち上がった。優月も続けて腰を上げる。
リュカは彼女へ簡単な挨拶を済ますと、優月の腰に手を当てた。
すらすら飛び出る英語にモニカの母親は目を丸くし、リュカと優月を交互に見やる。
モニカも母親の前では、さすがに罵声を浴びせなかった。
作り笑いを浮かべたまま成り行きを見守っていると、放心状態だった彼女は頭を振る。
「それはあなたの母親にも言えるの?」
英語であっても、優月ははっきりと理解できた。
「ええ、明日報告するつもりです。モニカは親同士が決めたフィアンセであって、私の意思で決めたわけではありません」
「あなたの言葉をそのまま旦那にも伝えるわ。一つ、質問してもいい?」
「なんなりと」
「ルークは男性が好きなの?」
「……はい」
少しの間が入り、リュカは微笑みながら答えた。
本心か嘘か、判断がつかなかった。だがそこは踏み入れてはならない問題であり、彼のプライバシーを尊重したいと優月は思う。性別どちらを好ましく思っても、リュカはリュカであることに変わりはない。
だがリュカの優しい嘘に思えた。モニカを傷つけず、あくまで自分の問題だと。
玄関までお見送りをしたが、モニカは一度も顔を上げなかった。いつもの威勢はなくなり、泣きそうな顔は子供っぽく見えた。
「モニカがごめんなさいね」
モニカの母親は握手を求めなかったが、帰り際に呟いた。
食事後は各の部屋に戻るのだと思いきや、リュカがゲストルームの前で止まったので、そのまま部屋へ招き入れた。
リュカは鈴を鳴らし、食事後のハーブティーがほしいと頼んだ。
「……本当はモニカに謝罪をさせたかったのですが、これ以上は難しかった。ひとまずこれ以上の怪我がなくてほっとしています」
「それはもう気にしていませんから。俺、ちょっと思ってたことがあるんです。モニカさんはリュカさんのことを恋愛対象として見ていなくて、自分の元から人が離れていくのが寂しくて仕方がない人なんじゃないかと。子供がおもちゃを手放したくないみたいな、極度の寂しがり屋な人だと思いました。でもさっきのモニカさんを見ていたら、少なからずリュカさんに好意はあったのかもしれないとも感じたんです」
「本心はモニカにしか判りません。親が勝手に決めたフィアンセであること、私には彼女に対して恋愛感情は微塵もないということ、この二つは揺るぎない事実です。改めますが、モニカの件は本当に申し訳ございません。彼女をかばうわけではありませんが、父母と幼少の頃から一緒にいる時間が極端にほとんどなく、構ってほしくて仕方がない人なのです。だからと言ってあなたにした仕打ちはなくなりません」
リュカは日本流のお辞儀をした。
「感情のコントロールが難しいのは、俺もよく知っています。経験もあります。彼女は感情の表面化ができる方というだけです」
廊下でケリーがルークの名前を呼んだ。
ケリーからハーブティーを受け取ると、彼女は「早めに寝なさい」とだけ言い残した。
「いつまでも子供扱いで困りますね」
「これ、ゲームしながら同じのものを飲んでましたよね」
「私が好きなメーカーのものです。ケリーに入れてほしくて毎度彼女に頼むんですよ」
「そういえば、ロビーでケリーさんが話してたことってなんですか? 俺のことを見て涙ぐんでいましたけど」
「こうしてお友達を連れてくるのは初めてで嬉しいと言っていました」
「初めて?」
「まぎれもなく初めてです。『学校でお友達ができたら、ぜひ連れてきて下さい。美味しいお菓子をご馳走しますからね』とよく言われていましたが、結局一度も叶わぬままでした」
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