第34話 愛する人へ

 言葉が出なかった。立場が違うが、優月も似たようなものだ。

「さて……少し私の家について話をさせて頂きますね。リリーホワイト家は先祖代々、地主の一家です。仕事は父が主にしていて、オリバーがたまに手伝いをしています」

「オリバーさんの本職って?」

「芸能界へ足を踏み入れています」

「え? オリバーさんが? 彼の性格だと納得するものがありますけど……」

「舞台に出たりバラエティーに出演したりと、とにかく目立つことが好きな人です」

「今日の食事会の様子を見ていれば、なんとなく判ります。オリバーさんのおかげでモニカさんも機嫌が良かったし」

「オリバーはどうでもいいですが、私の母も芸能界の人間です」

 ハーブティーが喉から出そうになった。

「ああ……うん。そうですよね」

「なんですか。人の顔をじろじろ見て」

「見たことないですけど、だろうなって。似てますよね?」

「似てますね。性別が違うだけで。歌手として海外を回っていますので、なかなか会えないのです。久しぶりに明日会うので、緊張しています」

「人形は持ってきました?」

「一応。優月、先に言っておきますが、あなたの想像する母親とは違います。乳母のケリーとも真逆です。ですから……」

「どんな人だろうと、リュカさんの母親ですよ」

 母親の話に変わると、リュカのまとう空気には緊張が混じる。痛々しくもあり、呼吸が苦しくなった。

 なんとか雰囲気を変えたくて、英語でのしりとりを提案した。

 リュカは笑いながらも提案に乗りケリーがカップを下げにくるまで続いた。


 海外では動物の毛や皮などを使った衣類は虐待に当たると、保護活動が盛んなイメージだった。

 未だかつてこれほど世の中と逆行して突き進む人は見たことがない。

 リムジンに乗って颯爽と現れたのは、ロシアンセーブルの毛皮のコートを身にまとう女性。一目でリュカの母親だと判った。

 彼女はケリーと何か話した後、荷物を彼女へ預けてこちらへ近づいてきた。

 リュカも彼女も一切の笑顔を見せず、言葉を交わしている。乳母のケリーを紹介されたときの方が、笑顔で溢れていた。

「こちらは私の母です」

「初めまして。優月です」

 悩んだあげく、自ら手を差し出した。彼女も応じ、軽く触れ合う。

「ナタリーよ。よろしく」

 リュカと同じようにとても聞きやすい声で、滑舌も良い。

「ナタリー様、すぐにお茶のご用意をしますね」

「ええ、お願い」

 手は彼女が先に放し、背を向けた。後ろ姿は母の姿というより、モデルがステージから出たかのようだった。

 わずか三十秒もない会話である。

 さすがにお茶をしながら家族水入らずを過ごすだろうと優月は思っていたが、よそよそしく仕事の話をしているだけだ。

 十五分ほどでお茶会は終了し、ナタリーはさっさと部屋へ行ってしまった。

「このマフィン、美味しいですね」

 ナタリーがいなくなってから、リュカは呑気にマフィンを頬張っている。

「……美味しいですね」

 言いたいことは山ほどある。だがいろんな家族の形があり、いくら仲が良くても絶対に入れない領域だ。

「手、震えていますよ」

「だってリュカさん……俺……」

「黙っていて下さりありがとうございます。これが私たち家族の距離感です。本日、ナタリーはここに泊まるそうなので、隙を見て人形を渡したいと思います。どんな結果になろうとも、悔いはありません」

 親子らしい会話は皆無といっていい。それでもリュカは、これが家族の距離感だと言う。信じるしかないのだ。氷よりも冷たいナタリーの視線は、息子を見ていなかった。

 どんな幼少期を過ごしたのか、ナタリーとの想い出は何か──聞きたいことは山ほどあっても、それをリュカは望んでいない。

 残ったマフィンを口に入れた。ラズベリーがふんだんに入っていて、酸味と生地の甘みがうまく混ざり合っている。

 お茶のお代わりを入れてくれたケリーに最大限の褒め言葉を伝えた。リュカから教えてもらった英語だ。

 ケリーはさらに焼き菓子を持ってきた。


 夕食の豪華なご馳走を目の前にして、物静かな食事会が始まった。

 オリバーは緊急の仕事が入ったためにばたばたと家を出ていった。彼がいないだけでこんなにも静かになるのか、と苦笑いを浮かべる。

「モニカと別れたんだって?」

 食事に集中していたリュカが顔を上げた。

「ええ……別れたと言っても、恋人という認識はなかったです。形だけのものでしたから」

「それで、そちらの男性を選んだのね」

「はい」

 ナタリーはワインをひと口飲み、グラスを置く。

「好きにしたらいいわ」

「そうさせてもらいます。明日か明後日には、ここを出るつもりです」

 男性と付き合うことに反対はしていないだろうが、無関心にもほどがある。きっとナタリーは、リュカが誰を連れてきても同じ反応をするだろう。

 時間をかけての食事会のはずが、ナタリーは皿が綺麗になるとさっさと食堂から出ていってしまった。

「……俺、嫌われてるとかじゃないですよね」

「そんな不安そうな顔をしなくて大丈夫です。いつもこうですから。食べ終わったら、さっそく人形を渡しにいきます」

「それがいいですね。俺もついていっていいですか?」

「少し、私には勇気が足りません。側にいてほしいです」

「お安いご用です!」

 あまり表情筋が動いていなかったリュカだが、ようやく頬が上がった。つられて優月も目尻が下がる。

 食後のデザートまでしっかりと食べ、いよいよ決戦は目前となった。

 リュカが日本に来た理由の大半が詰まった人形は、神社の地下に眠っていたときよりもだいぶ汚れが落ちている。

 大きな箱を大事に抱えるリュカは、プレゼントをもらった子供のようだった。

 ナタリーの部屋の前まで来ると、リュカは大きく息を吐いた。

 ノックをすると中からナタリーが出てきて、訝しむような目をした。

「あなたへのプレゼントです」

 数秒間の間の後、ナタリーは受け取る。

 リュカも間を置き、

「開けてもらえませんか」

 ナタリーはそっとリボンを解いた。





「なに、この汚い人形」





 人の想いはいろいろな形があり、交差するのは難しい。

 怒りと空虚感が入り混じった、どす黒い感情が脳を支配した。

 リュカの目には、生が宿っていなかった。屍がそこに在るだけだった。

「あの! ナタリーさん、日本に旅行、無くした、人形」

 優月は二人の間に入り、精いっぱいの笑顔を作った。

 こうするしか思いつかなくて、方法がなかった。

「日本、人形、見つけた! あなたのもの!」

 精いっぱいの英単語を並べるが、そもそも彼女は優月を見ていない。

 リュカは何も言わず、手を下げようとした。

 優月はそれはさせないと、箱へ一緒に手を添えて彼女の前へもう一度差し出した。

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