第16話 Tの正体
「わかりました」
「それと……彼のあなたに対しての言動は、オリバーの生き様やヨーロッパという国の在り方の問題もあります。日本にも異国から出稼ぎに来る外国人がいますが、ヨーロッパにも出稼ぎに来るアジア人がいます。失礼な話ですが……アジア人を下郎のような扱いをするヨーロッパ人がいるのです。表立っては言いませんが、染みついた汚れは案外気づけないのです」
「日本でいうと、日本人と出稼ぎにきた人に対して同じ対応をしなかったりってことですか?」
「だいたいそのような意味です。身分は自分たちが上だと知らず知らずのうちに勝手な解釈をしてしまう。なんとも残酷な話です」
悲しい話とも、怒りも沸かなかった。日本でも実際にある。染みついたものは取れないのは、どの国でも同じだ。
「とはいえ、やはり問題なのはオリバーの性格です」
「俺はリュカさんのために何かしたかっただけですし、あんまり怒らないで下さいね」
「それは難しい話ですが、善処します」
「下郎なんて使う人、初めて会いました」
「時代劇で観ました」
少し得意げな彼を可愛く思えた。
オリバーとはホテルのロビーで待ち合わせをして、彼は上機嫌に手を振っている。拳を握るリュカとは対照的だ。
オリバーは屈託のない笑みを零している。
「ハーイ! ルーク久しぶり」
「えっ日本語……? 話せたんですか?」
「頑張って覚えたよ!」
「彼は元から知っています」
リュカから淡々とした突っ込みが入る。
「ルークって? リュカさんのこと?」
「ルークだめじゃないか。名前すら明かしていないなんて。本名はルークでしょ?」
「お黙りなさい。それより、うちの有沢に何か言うべきことがあるのでは?」
俺は別に、と言おうとしたところで止めた。彼がここまでして日本人の尊厳を守ろうとしてくれているのだ。
優月は姿勢を正し、オリバーの言葉を待った。
「話を聞いてほしい。決して君をぞんざいに扱いたかったわけじゃない」
「言い訳は要りません」
「申し訳ございません」
オリバーは優月に向かい合うと、勢いよく腰を曲げた。
「仕事ではなくプライベートの時間です。あなたは有沢さんに給料を支払いなさい」
「いや、さすがにそこまでは……」
「払わせてもらうよ。私もやりすぎた自覚がある。雨が降って君は建物に避難してると思ったら、ずっと人形探しをしていたそうじゃないか。考えられないよ。愛の力だね」
「あの神社には私の探しているビスクドールはありません」
「もしかしてもう探した後だった?」
「オリバーが思っている以上に私は日本各地を転々と探し歩いてしてます。これ以上、余計な口出しはしないで下さい。これは私の問題です」
「可愛い弟の心配をして何が悪い? 有沢君は長男だし、弟たちの心配をする気持ちを判ってくれるよね?」
「俺はちょっと特殊な事情抱えてるんで……どちらかというと俺が心配されています」
「そうか。君は月の神子だからか」
「あー、あー! それより、リュカさんは日本でちゃんと働いて生活もしているし、大人だし。過度な心配は不要だと思いますよ。家族なら信じることも大切なんじゃないかなあと……」
そこまで言って、優月は胸が痛くなった。
家族に信頼されることはときにプレッシャーにもなりうるが、優月の現状は疑いの目を向けられている。信じてもらえない辛さは違えど、叫びたくなる衝動に駆られる。
「君は家族に信じてもらえているのかい?」
オリバーの声がいっそう低くなる。
心に巨大な槍が刺さった。彼の言うことは正しい。同時に、真実だからこそそっとしてもらいたかった。
「オリバー、人様の家庭にずけずけと入り込むのは卑劣です」
「でも私はルークが心配なんだ。彼は有沢家にルークを関わらせないとは誓ってくれたけど、彼の家に入った人はみんな早くに亡くなって……」
「オリバー!」
リュカが叫んだ。驚愕し、優月は顔を上げる。
似た二人はこちらを見て同じように瞬きすら忘れ凝視している。
「あれ……なにこれ…………」
頬にとんでもない量の涙が流れていた。襟元を濡らし、布地を色濃く染めていく。
無感情のまま出る涙ほど、苦しいものはない。
リュカが懐からハンカチを取り出し、目元へ当ててくる。ハーブの香りがした。
「あなたは自分の車でどうぞお帰り下さい」
「わかったよ。今日のところは帰る。でも私は君を必ずイギリスへ連れて帰るからね」
優月はリュカの服を掴んだ。無意識で咄嗟の行動だった。
「どこにも行きませんよ。さあ、車に乗って下さい」
後部座席か隣に乗ろうか手がさまようが、 リュカは助手席のドアを開けた。
ふたりきりの空間になると、荒れ果てた心に平和な風が吹いた。
「リュカさんが隣にいてくれると落ち着きます。保護者がいる感じに近いのかな? よくわかんないけど」
「保護者になりうるかどうかはさて置いて、これから帰ります。寄りたいところはありますか?」
「特に……この辺は未知すぎて」
「ではまっすぐ京都へ帰りましょうか」
「リュカさん」
リュカがアクセルを踏む前に、聞きたいことがあった。
「ありがとうございます。助けにきてくれて。本当は、少しだけ寂しかった。雨は冷たいし身体は冷えていくし、人形は……っ……見つからないし」
鼻がぐずってくる。孤独は慣れたつもりでも、全然慣れていなかった。
リュカは後部座席に手を伸ばし、ティッシュ箱を取る。
「人形などもういいのです」
「そんな言い方止めて下さい。お母さんのために骨董商になってまで人形を探そうとしたんですよね」
「骨董商になったのはそれも理由のうちの一つですよ。私自身、縛られて嫌々しているわけではありません。イタリアで母の舞台を観に行ったときに、素敵な出会いがあったのです」
「……情報が多すぎて何から聞いていいのか。お母さんは舞台役者なんですか?」
「母はオペラ歌手をしています」
「オペラ」
優月は目を丸くする。
「イタリアで珍しくも彼女のステージの招待を受け私たち家族はイタリアへ旅行しました。そこで骨董市場が開かれていたのです」
「イタリアってそういう骨董やアンティークの文化って盛んなイメージです」
「そうですね。好きな方も目の肥えた方もたくさんいらっしゃいます。なんとなく手に取ってみたら、日本人の方に話しかけられたのです。それは本物と書いてあるが偽物だと。元々、母が日本旅行をして日本について聞いていたので、密かな憧れはありました。ここで出会えたのも奇跡だと思い、もし骨董商ならあなたに弟子入りしたいと申し出たのです」
「それですぐ弟子入りを?」
「あのときはまだ子供でしたし、そもそも私はイギリスに住んでいました。イタリアへ渡るにはどうしたらいいかと考え、全寮制のある高校を選べばいいと子供ながらに思ったのです」
「家族の反対はなかったんですか?」
リュカはすぐに答えを出さなかった。
彼の家庭環境が垣間見えた。
「身体の弱かった私は当然猛反対されました。ですがこれだけは譲れないと私も頑なに押し切り、一人でイタリアに渡ったのです。長期休暇の間は師匠のところでお世話になり、骨董やアンティークを学びました。もし、ヨーロッパで路頭に迷ったときは、イタリアの月森を頼って下さい。師にあなたのことも話してあります」
「月森さんって言うんですね。月に縁があるなあ」
「……私のミドルネームのTは、月森から頂いたものです。言い訳でしかありませんが、あなたに嘘をつくつもりはありませんでした」
リュカ・T・ラヴィアンヌ。ラヴィアンヌは大方想像がつく。
「嘘だとも偽名とも思ってませんよ。リリーホワイトって名字も、俺の感性からすると可愛くって好きです。どれもリュカさんにとって大切な家族の証であるんでしょ。大切にして下さい」
「ありがとうございます」
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