第17話 神子の相手

 リュカの秘密が判り、ほっとした気持ちが強かった。

 とっさに掴んだ袖を振り払うこともなく「どこにも行かない」と言い切ったリュカ。思い出すとまた目の奧が痛み出す。

 手元のティッシュ箱を活用させてもらった。

 長い長い旅だった。途中で寝たらタオルケットがかけられていたり、妖精の仕業だと聞かされたり、コンビニでおにぎりを買って食べたりと、ちょっとした遠足気分だった。

 たくさんの愛情をくれた人。友人だと言ってくれた人。憧れの上司。この人のために何かしたい。きりがないほど感情が溢れてくる。

「リュカさん、一週間ほどお休みがほしいんですが」

「構いませんよ。また来週にお会いしましょう。ゆっくり休んで下さい」

「リュカさんも。運転ありがとうございました」

 家まで送ってもらったのは恥ずかしかった。

 数回のクラクションが鳴らされ、車は小さくなっていく。

 長旅を終えて家に戻り、ベッドに身を預けた。

 携帯端末にはここ数日で数え切れない番号が縦並びになっている。すべて実家からのものだ。

 旅行中は目を背けていたが、そろそろ現実を受け入れなければならない。

 意を決して、優月は通話ボタンをタップした。

「父さん?」

『優月か。久しぶりだな。そっちはどうだ?』

「特に変わらずだよ」

 普通に会話できたことで、懐かしさが込み上げてくる。

『何度も電話して悪かったな』

「こっちも出られなくてごめん。ちょっとばたばたしてたんだ」

『さっそくだが、儀式の件で話があるんだ』

 さあきた、と優月は喉を鳴らした。

『もし相手が見つけられないようなら、相手になってもいいという人が名乗り出ているんだよ』

「誰? 俺の知ってる人?」

『お前が小さいときに会ったりしてるが、覚えてないかもな。隣の村の麻生さんって人だ』

「麻生…………」

 ぴったりと張りついていた記憶は鮮明だ。

 親戚や村の集まりにも参加していたふくよかな男性。酒癖があまりよくはなく、優月や幼い子供をいつも隣に座らせたがっていた。

 廊下で彼に臀部を撫でられた経験がある。男だからと我慢して、親には何も話せないでいた。

『向こうは四十歳を超えていて年齢差はあるが……選べないのであれば麻生さんを選ぶしかなくなる。本来だと月の神子の相手は見目が良い人が好ましいんだが……』

「ちょっと待って」

『優月が嫌だとなると弟の月斗がお前の代わりを務めなければならなくなるんだ』

「弟は……さすがに」

 弟の怒り狂った顔が浮かんだ。あまり仲が良いとはいえないが、弟であることに変わりはない。月斗はどうにかして守りたい気持ちは強い。

「今週、俺戻るよ。それで話し合おう」

『戻ってきてくれるか。助かる。麻生さんも大きくなったお前を見たいって言ってたから呼ぶつもりだ』

「麻生さんは……まあいいとして、弟たちには会いたいよ」

 嫌われていたとしても、大切な家族だ。自分が神子としての役割を担えば、前のように仲良くなれると信じたい。

 月の神子として、誰かを選ばなければならないのだ。逃れられない運命は、もうそこに来ている。

 選べば誰かを不幸にし、幸福は未知の彼方へ逝く。大事な人ほど願えない。けれど好きでもない人は選びたくない。




 優月は翌週の金曜日に東北の地へ降り立った。

 空高く連なるオフィスビルが次第に少なくなり、東北へ近づくたびに田や畑が顔を見せ、緊張が高まる。

 駅からはタクシーやバスを使い、村まで行かなければならないが、今日は父が迎えに来ていた。

「久しぶりじゃないか。少し背が伸びたか?」

「そんなに変わってないよ。皆は元気にしてる?」

「ああ。……弟はちょっと難しい年頃なんだ」

「大丈夫。判ってるよ」

 一番下の月斗は中学生だ。自分は誰よりも特別だと思い込む道は誰しもが通る。そしてそんな自分を判ったように憐れみの目を向ける大人へ敵意を抱く。顔を隠したくなる道は優月も経験がある。

 家には見慣れない車が止まっていた。

「麻生さんが来てくれたんだ。ちゃんと挨拶しなさい」

「子供じゃないんだから」

 丸めたくなる背中を無理やり伸ばし、玄関のドアを開けた。

 廊下から麻生が顔を出した。昔よりさらにふくよかになり、アルコールが入った顔は赤く染まっている。

「優月か。大きくなったなあ。良い男になった」

 品定めのように、麻生は優月を上から下まで舐め回すように見ては、にやりと口角を上げる。

「ども。こんにちは」

「月斗君は部屋から出てこないんだよ」

「弟たちはそっとしておいて下さい」

 人の後ろに隠れる性格ではないが、麻生が来たから余計に出てきたくないのだろう。

 麻生には軽く挨拶をして、優月はまず月斗の部屋に向かった。

「月斗、帰ったよ」

 ドアを叩いて明るく声をかけてみる。

 こっそり隙間が開いた。

「神子になりにきたのか?」

「ただいま。なるかどうかは別として、話し合いにきたんだ。お前には迷惑かけないよ」

「兄さんがならないと俺に役割が来るからな」

 勢いよく扉が閉まった。拒絶の表れだった。

 ドアノブに触れると氷の冷たさだ。暖かみのないものは、心が冷えているときに触れると拍車がかかる。

 優月は自室に戻った。部屋は家を出たときそのままになっていて、机の上にメモとお菓子が置いてある。

──おかえり。バイト終わったらすぐ帰る。

 真ん中の弟である清志からだ。

 パイの中にこしあんが入っている和菓子は、優月の好物である。パイを見つめる目が潤む。おかえりというたった四文字であっても暖かい言葉だ。

 広間には他の親戚も集まり出していた。

 肩身の狭い思いをしながら、父の隣に座る。

「お前が帰ってくるっていうものだから、村の人も楽しみに待っとったんだぞ」

「よお帰ってきたなあ。また戻るんか?」

「一時的に帰ってきただけなので戻ります」

 ビールを注がれたが、あまり飲む気にはなれなかった。

 月斗も広間へやってきて、側に座る。

 酔っ払った親戚が月斗へもビールを注ごうとし、慌ててグラスを奪った。代わりにジュースを注いだ。

「見つかったのか?」

 月斗はまっすぐに見つめてくる。憎しみの感情が込められている。

「何を?」

「何をじゃねえよ。神子の結婚相手だ。探すために京都に行ったんだろ」

「ああ……うん。そうだったかな」

 家から離れたかったのが大きな理由だが、曖昧に濁すしかない。

「のらりくらりしてないでいい加減にしろよ。アンタも月、俺も月だ。兄さんが神子の役割を果たさないと、俺が犠牲になるんだよ!」

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