第7話 計り知れない暗闇の先に

──お前はこの家の長男だ。将来は家を継いで、村を守るお役目がある。

──俺まで月の名前っ……兄貴が受け入れろよ! 俺には関係ない!

──良かったわ……優月君がいてくれたおかげで、この村は安泰ね。




 優月は夢を見た。遠い過去のようで、近い未来の夢。

 懐かしさで家族と電話したくなるが、今かけると綻びがさらに生じる可能性がある。

 時間がないのだ。けれど自分が誰かと結婚すれば、相手を不幸にさせてしまう。例外はない。だからといってこのまま自分がいなくなれば、弟に神子としての役割が降りてしまう。それだけは避けたい。

 端末にメッセージが届いた。リュカだ。

──お願いがあります。本日、和菓子店にてカステラを一本買ってきてほしいです。レシートは捨てずに。

 現実を見せてくれる内容に、ほっとする。彼は神子としてではなく、現実世界に生きる大学生もしくはアルバイトとして扱ってくれる。当たり前のことでも、異世界に片足を突っ込んでいる優月にとっては目の奥が痛くなるほど嬉しくてたまらない。

──任せて!

 カステラといってもいろいろな味がある。今はストロベリーやチョコレート味も売っていた。指定はなかったので、ノーマルタイプのカステラを購入した。

「リュカさん、買ってきましたよ」

「ありがとうございます。助かりました。購入して下さったのに恐縮ですが、お客様のご都合で明日に変更となりました。カステラは後日、お出ししましょう」

 ルカはカステラを冷蔵庫にしまうと、別の菓子折りを出した。

「賞味期限が今日までなのです。食べませんか?」

「食べます!」

リュカはこうしておやつ出してくれる。本人はあまり話さないが、かなりの甘党といえる。

 いつものお菓子を乗せるソーサーではなく、透明なガラスの皿だ。それに乗るのは、ふたつに切り分けられた透明なようかん。星空に月が浮かび、うさぎも寄り添っている。

「苦手でしたか?」

「月だなあと思いまして」

「月はお好きですか?」

「……どうでしょうね。そんな質問をしてくれたのはリュカさんが初めてです。当たり前にあるものですから」

「あなたが言うと、異なった意味に聞こえます」

 淹れたてのハーブティーにたっぷりのミルクが入っている。柔い色合いの水色だ。

 リュカはカップをソーサーに置いた。

「当たり前にあるものを幸せと断定するのは些か早いといえます。身を滅ぼすものも確実に存在し、他人には理解し難いものもあります」

「リュカさんの人生論ですか?」

「それもあります」

 まさに優月自身のことだと心臓を掴まれた。他人には理解し難いものは、優月も抱えている。

「リュカさんは、どうして日本に来たんですか?」

 根深く取り除けない話をされたからには、リュカ自身のことも聞きたくなった。

「あるものを探しています。確実に日本にあるとは言えませんが、おそらく可能性が高いと踏んでいます」

「あるもの?」

「現在、話したくないのには二つ理由があります。一つは、他人には理解し難い巨大なものを抱えるあなたに話し、悩みを増幅させたくはない。もう一つは、話すということは、私の内面に深く突き刺さりすぎている」

 俺のことをどこまで知っていますか──そう言いかけて、言葉を呑んだ。

「私の内面を知れば、あなたはさらに苦しむことになる。いずれ、もしかすると言うときが来るのかもしれませんが、今はこれくらいで」

「わかりました。ただ、当たり前にあるものは幸せじゃないと言ってもらえて、肩の荷が少し降りた気がします」

 リュカのことを何も知らないが、彼も優月を何も知らないのだ。

「あなたのことを深く知っているわけではありません。学生であれば、人並みの悩みもあるでしょう。恋愛だろうと、勉学だろうと」

「うわあ……恋愛か。そこはものすんごいぐっさりくる」

 優月は胸の辺りを擦った。

「恋愛や婚姻に憧れがあるのですか?」

「憧れ……憧れ……どうかなあ。恋愛じゃなくても、心からこの人と一緒にいたいって思える人ができたら、幸せだと思うんですよね。血の繋がりとかじゃなく、根っこで繋がれるような人。同じ家に住んで一緒にご飯食べたり、お酒飲んでぱーっとしたり」

「兄弟盃ですね」

「どんな映画観てるんですか」

 彼の知識は表面上のものではなく、日本の奥を知っている。日本人として、とても嬉しかった。

「さあ、そろそろ片づけて店の準備をしましょう」

 残ったようかんにフォークを刺した。ちょうど月に深く刺さり、運命を切り開きたいと願った。




 図書館で借りた本を読んでいると、教授の高岡から呼ばれた。

「なに読んでるの?」

「ハーブの本です」

「ハーブ? 変なものに手出しちゃだめだよ!」

「そっちのハーブじゃなく、ハーブティーのハーブですよ。手出しませんって」

「ハーブティーか。苦手なんだよなあ。僕はコーヒー派だね」

「いつも飲んでますもんね」

「リュカさんってお茶は何が好きなのかな」

 リュカの話になると止まらなくなるほどリュカ教のに属する人であるが、リュカがハーブティー好きなのは知らないようだ。リュカからすればただの顧客の一人であり、それ以上の興味はないように見える。けれども時折暴走をする高岡を見ていると、心配にもなった。

「今日、何か手伝うことあります?」

「今日? ないない、全然ないよ!」

「…………俺、ついていきます」

 いかにもな態度に怪しさを感じた。手伝いを拒否するのは珍しい。優月は無理やりついていくことにした。

 扉を開ける直前に睨まれた理由が判った。中にはリュカがいたのだ。

 リュカはこちらに気づくと、

「こんにちは。お久しぶりですね」

 と優雅に微笑んだ。窓から差す日差しを浴びて、空から舞い降りた天使だ。

「お久しぶり……です?」

 つい先日も会ったのに、と言おうとすると、リュカは唇を強く閉じる。一瞬だけ目に強さが宿った。

「思い出しました! お久しぶりです」

 彼の目は「余計なことは言うな」と告げている。Taleでアルバイトをしていることも、内緒にしてほしいのだろう。

「有沢ったらこんなに綺麗な人を忘れちゃったの?」

「しばらく会ってなかったですし。それで、どうして彼を呼んだんですか?」

「発掘した土から、いろいろ出てきたから鑑定してもらおうと思って」

 高岡が手伝いを拒否した理由は、リュカとふたりきりになりたかったのだろうと察する。

「高岡様、前にも申したはずですが、私が鑑定できるものは骨董品とアンティークのみです。このようなものは、専門外になります」

 専門外のものを見て、優月は声を上げそうになった。

 リュカの手元には、いくつもの骨が転がっている。

 悲鳴を上げたのは、なぜか高岡だ。

 一方のリュカだけが淡々としている。

「動物の骨かと思いますが、念のため、警察に通報しましょう」

「待って待って待って……僕殺してないよ!」

「骨を見れば素人でも判ります。どう見ても最近のものではありません。通報しますね」

 高岡は骨が埋まっていると知らなかったらしい。彼は奇声を上げるばかりだが、リュカは超然とした態度で聞かれたことに答えている。

 リュカはおそらくは何か生き物の骨であること、ただ素人の目線のため一応通報したこと、非常に慣れた様子で告げていく。

 冷静リュカが戸惑いを見せたのは、名前を聞かれたときだ。「しがないイギリス人です」と彼は答えた。

 優月には珍しく見え、とても違和感を感じた。

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