第9話 相手の心を知るということ

 嵐や台風に似た小松梓は、宝石商であるという。日本各地だけではなく、世界各国を転々と渡り歩いているのだと言った。

「本物の宝石商の人って初めて見ました。もっとこう、指や耳にでかでかと宝石をつけているイメージでした」

「あっはは! 今は店舗で売ったりどがはしてないんだ。主に輸入業で、そんときは人によってつけたりしとん」

「相手によって変えるんですか?」

「そうそう。女だからって舐められちゃたまんねえかんね」

「有沢さん、奥の部屋へご案内をお願いします。お茶をお持ちします」

 小松と共に奥の部屋へ行くと、優月は扉を閉めた。

「どうして俺の家を知っているんですか?」

「そんな怖い顔せんと。私が調べたんだ。でもね、東北ではあーたが思ってる以上に有名だべ」

「調べた?」

「仕事柄、そんだのが必要になるんだ。悪かったよ。けどあのお坊ちゃんはなーんも知らんし聞いてもこん」

「……これ以上、俺の身辺を調べるのはやめて下さい」

 不快感を露わにすると、小松は大きな口を開けて身体を揺らした。

「ごめんな。でもちょっと安心したよ。お坊ちゃんから『雇った子は一生懸命すぎて、嫌なことを嫌だとも言わない』と嘆いていたからね。いい子すぎて、日本のテレビでいうドッキリを仕掛けられてるんじゃないかって」

「……小松さんって、標準語を話せます?」

 違和感は感じていた。彼女の言葉の癖から東北出身なのは間違いないだろうが、たまに癖のない言葉が飛び出すのだ。無理して標準語を話しているというより東北弁を無理やり出している、が正しい。

「ここだけの話、東北から離れて何十年と経ってるんだよ。地元に帰れば東北弁丸出しだけど、普段はそんなに出すことなんてないんだ。ここだけの話ツーだけど、東北弁話すとお坊ちゃんが困るだろう? もうそれが愉しくて愉しくて」

「お茶をお持ちしました」

 いつもより声を張ったリュカが、三つ分のカップを持ってきた。

 ソーサーにはジャムの乗ったクッキーが添えられている。

「ご紹介をまだあなたにしていませんでしたが、小松さんは宝石商を仕事に持ちながら、趣味でアクセサリーを作っています」

「もしかして、ここの店に置いてあるものって小松さんが?」

「なかなかのもんでしょう? アンティーク調っていうんだ。アンティークのような見た目のアクセサリー。ついている宝石は本物だよ」

「赤とか青とかの石があって、綺麗だなあと思っていました」

「一つ一つ手作りだから、同じものは二つとないんだよ」

「骨董品を求めにきたお客さんはよくついでに購入していきます。プレゼントしたいからって」

 数百円で買えるものはない理由に、手作りでしかも本物の宝石がついているとなると納得だ。

「今日は新しいのを店に置いてもらおうときたんだ。それとまだ店を開いたお祝いをしてなくてね」

 小松は紙袋を差し出してきて、リュカはお礼を言いつつ受け取る。

「中身は蕎麦だから、後で食べんさいな」

「蕎麦? 日本では引っ越ししたときに渡すものでは?」

「海を越えてやってきたんだから引っ越しも似たようなもんよ。じゃあ、商談しましょうか」

 リュカは常に冷静な性格なのは、こういう人を相手にするためだと優月は心底納得した。人を自分のペースへ持っていこうとする小松のようなタイプを相手にするには、少々骨が折れる。

 リュカの穏やかでぶれない話し方は落ち着く。

 ピアスはあまり売れない、ブレスレットやネックレスを置きたい、宝石の種類が偏りすぎている等、冷静に見極め、店に相応しいかどうかを伝えていく。

 ハーブティーをちびちび飲みながら黙って見ていると、約半数ほどのアクセサリーが店に置くことに決まった。

「こちらにサインをお願いします」

 小松は慣れた様子でペンを走らせていく。半分は置けなかったのに、彼女は愉しげだ。

「ふーっ。これでひと仕事終えた。じゃ、へばな。有沢君、道覚えとらんから駅までよろしく」

「あ、はい」

「うちのアルバイトをこき使わないで頂けますか?」

 リュカにしてはいっそう低い声だ。凄みがある。背後には黒い霧が見えた。

「リュカさん、俺大丈夫ですよ。ついでに何か買ってくるものはありますか?」

「……特にありません」

 リュカは後ろを振り向いた。リュカの背中は寂しげに見える。孤独を無理やり慣らしたような切ない背中だ。こうなると、優月は対応が難しいと感じる。付き合いが短すぎてかける言葉が思いつかないのだ。

 小松と共に駅へ向かうと、

「お坊ちゃんはなーんも有沢君のことは聞いとらんからね。うちが勝手に調べただけさ」

「多分、そうだと思ってました。リュカさんはそういうのしないタイプです。無理に入り込んでこないというか……。自分自身が入ってきてほしくないから、人にも踏み込まないんですよね」

「そんなにお坊ちゃんが気になると?」

「気になります。ものすごく」

「うっふふ。どんなに好きでも、お坊ちゃんだけはやめとき。あーたが手におえる人じゃないんだ。住む世界が違う」

 心の最奥が悲鳴を上げている。こうしたいという理想とうまくいかない現実が戦い、理想が負けそうになっている。

「お坊ちゃんは誰にも心を開かない。絶対に」

「絶対かどうかは判らないじゃないですか」

「判るさ。お坊ちゃんの見ている先は、あーたを見ていないから。私はね、彼の家族を知ってるんだ。だから言える。……ああ、そろそろ時間だ。へば、またな」

 別れは颯爽と、後腐れなく彼女は去った。火を灯した爆弾を残して。

 帰りは無だ。何も考えられなかった。ふと目にコンビニが入り、ふらふらと中へ立ち寄った。

 牛乳寒天を購入し、店へ戻った。

 リュカはキッチンにいて、頂き物の蕎麦を見つめている。

「ただいま」

「……おかえりなさい。何を買ってきたんです?」

「じゃーん。食べませんか?」

「こちらは?」

「牛乳寒天です。食べたことあります?」

「いいえ。そのような代物は……」

 やはり彼は甘いものが好きだ。興味津々の様子でミルク寒天を手に取った。

「作った方が安上がりなんですけどね」

「一つ、伺いたいことが。日本の大学生は、料理やお菓子作りに精通しているのですか?」

「どうでしょう? 作れば安上がりなのは間違いないですよ。風邪引いたとき、食欲なくてもこれならするする食べられるし。材料は牛乳と寒天と砂糖で作れます」

「左様でございますか」

 そう言うと、リュカは目を細めて牛乳寒天を置く。

「ああ、それともう一つ。小松さんから、リュカさんのこと何も聞いてませんから」

「ええ、存じています。たとえ私のことを知っても、仲良くなれるわけじゃありません。相手を深く知れば仲良くなれるなど、筋違いです」

 その通りだ。ぐうの音も出ない。世の中にはネットで出会って仲良くなり、十年以上もハンドルネームで呼び合う人もいる。本名すら知らなくても、深い付き合いはできる。

「残念なお話をしますと、小松さんは私自身や家族のことを知っています。ですが、彼女とはプライベートで出かけたり食事をした経験は一切なく、これからもそのような場面はほぼないでしょう。お互いに中身を知らずとも、こうして牛乳寒天やこれから蕎麦を食べようとする人は、あなただけですよ」

「……っ…………泣いたら慰めて下さい」

「箱ティッシュなら常備しています。ところで、これはどのように調理をすれば良いのですか?」

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